女将軍 井伊直虎

克全

第79話摂津侵攻

義元は、直竜が摂津に攻め込む前に十二分な調略を仕掛けたが、一番重点を置いたのが石山本願寺とその周辺の信者達だった。これによって三好三人衆は、根本となる雑兵や農民兵を信ずることが出来なくなった。

しかもそれに加えて、池田家に仕えていた荒木村重を寝返らせる事にしていたし、安威了佐や高山友照・茨木重朝と言った地元の国衆・地侍も侵攻と同時に寝返る約束を取り付けていた。

三好三人衆は、今川義元が摂津に攻め込まないように、男山と水無瀬川の手前で陣を敷いていた。しかし想定していたよりも著しく早く、河内と和泉の国衆・地侍が降伏してしまったので、三好長逸と三好宗渭は直竜勢に備えることになった。

堺に救援行くか行かないかで、三好長逸と三好宗渭は意見が対立してしまった。だがいかに義直将軍でも、堺は攻撃しないと言う三好長逸の説得により、海岸線沿いを進軍する、雑賀・根来・河内・和泉連合三万兵に備えることになった。

最初に淀川を越えて攻め込んだのは、やはり地の利をよく知っている河内と和泉の国衆・地侍だった。彼らは寝返ったばかりなので、特に功名を欲していたので命を懸けて戦わざる得なかった。本来なら淀川を渡河するときに、大損害を喫することになるのだろうが、今回は石山本願寺が蜂起した事でそれどころでは無かった。

石山本願寺の鐘が乱打されると同時に、石山本願寺に籠っていた信徒三万が蜂起して、三好宗渭の居城・榎並城に攻め掛かったのだ。その報告を受けて狼狽した三好宗渭は、戦線を放棄して三好長逸に無断で榎並城の救援に向かってしまった。


1568年『近江・観音寺城』今川義直・直虎

「長逸は愚か者ですね」

「はい、そもそも顕如の娘が公方様に嫁いでいるのですから、本願寺を警戒しなければいけないのです」

「そうですね、いかに顕如殿が中立を宣言されていたとは言え、それを信じてはいけませんね」

「それでなくても三好之長殿が、一向宗の裏切りで自害に追い込まれているのです、顕如殿の言葉を信じてはいけません」

「それは私にも顕如殿を信じるなと言う事ですか」

「御気をつけなさいませ、理子様との間の子供を殺される可能性が高いですよ。それに春子殿との間に男子が産まれたら、義直様御自身が殺される可能性もあります」

「そこまでのことをやるでしょうか」

「一向宗の者達が、蓮如の命の恩人である近江の堅田本福寺へ、どれほど情け容赦のない恩知らずの仕打ちをしたかは話しましたね」

「はい、余りの事に怒りに震えました」

「北陸の身内にした無慈悲な行いも話しましたね」

「はい、正直氏真殿の顔を思いだしました、兄弟といえども信じてはいけないと思いました」

「その上で、利用する心算で娘を側室に迎えて下さいと御話しましたね」

「申し訳ありません、心が緩んでいたようです、引き締め直します」

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