女将軍 井伊直虎

克全

第68話1567年・大和撤退

『大和・柳生城』

「宗厳殿、後は任せるので守りに重点を置いてくれ。」

「承りました。しかしながら、いざという時には後詰して頂けるのでございますな?」

「それは任せよ、何を置いても後詰する。だが常に連絡を密にし、伝令が途切れなく観音寺城に届くようにしてくれ。」

「その点は御任せ下さい、伊賀甲賀のの国衆と相談して、忍びの者達を使った伝令網を創り上げてみせます。」

「そうか、細かな点は国衆達に任せるから、目的さえ果たしてくれればいい。」

「はい、御任せ下さい。」

南朝・後醍醐天皇の故事も考え、吉野朝のあった吉野郡はどうしても確保しておきなさいと母上様に指示を受けていた。しかし俺ももう一廉の武将なのだ、何時までも母上様の御指示を受けているわけにもいかない。楠木も河内への分派を願い出ているし、今回の母上様の指示を最後に、独自に軍を動かすべきだろう。河内には楠木正成の居城・河内赤坂城もあったし、一時南朝が宮を置いた金剛寺もある。大和を越えて河内にまで進めば、三好勢を奇襲することも可能だ。

義直は独自で色々と思案していたが、これは一切実現することはなかった。三好勢を奇襲出来る可能性はあるものの、同時に直義が勢力圏から遠く離れた場所に孤立することにもなる。そんな事を御隠居様と母上様が許すはずがなかったのだ。

だが14歳になり、徐々に独自の考えを持つようになった義直には納得出来ないものだった。生意気盛りの血気盛んな若武者に取って、慎重策は受け入れがたい物があったのだ。

しかし両親だけでなく、一門譜代の井伊直盛・関口親永・中野直由・奥山朝利などが、入れ代わり立ち代わりやって来ては自重を説得した為、渋々慎重策を受け入れることになった。しかしこれが後々新参者や佞臣を、義直の側に近付かせてしまう原因ともなってしまった。


『近江・観音寺城』

「義直は随分と不服そうであったな。」

「はい、若気の至りとは申せ、あれほど簡単に国衆に踊らされるのは問題でございます。」

「そうだな。大和の国衆にとっては、大和に今川の主力がいてくれた方が安心だし、功名の機会も出てくるからな。大局に関係なく、大和を主体とした事を義直に囁くのは当然なのだ。」

「はい、常に南朝を立てると言っていたのは、その方が大義名分が立つからであって、正しいからではないと言い聞かせていたのですが。」

「まあ仕方あるまい、あの年では血気に逸るものだ、今は足利の方に期待するしかあるまい。」

「女人の力で義直の血気を抑える御心算ですか?」

「まあそうなれば僥倖と言うものだが、堅実な方法を考えねばならんな。」

「大和では無く、もっと天下に近い場所に義直の眼を向けるしかありません。」

「京に攻め込むのか?」

「先ずは三好を更に割りましょう。」

「ふむ、松永久秀と内藤宗勝の兄弟は、もはや我らの助力無しではどうにもならんだろう。そうなると、不仲と噂のある三好義継と三人衆の仲を割くのだな。」

「はい、白拍子や歩き巫女が集めてきた話を伊賀甲賀衆に確認させたところ、不仲になっている事はほぼ間違いございません。」

「そうか、義継と義直は足利を通じて相婿であったな。」

「左様でございます、女同士を通じて話を通しております。」

「ほう! 女繋がりか。今川でも母上を使って生き残った御主だ、今度も女の繋がりで義直に天下を取らせる心算か?」

「その心算では御座いますが、思い通りになるとは限りません。戦になった場合は、御隠居様に出て頂かねばならないと思います。」

「今の義直を合戦に出すのは危ういか?」

「はい、血気に逸って孤立したり、刺客に隙を見せることがあってはなりません。」

「氏真がしつこく狙っておるのだな?」

「今川が天下を取ろうという時に、邪魔をなさるとはほとほと小さき方でございます。」

「ふぅ~、側近についておる者共も徐々に切り崩しておる。後は朝比奈泰朝を説得すれば、氏真を仏門に入れる事が出来るだろう。」

「寺に入られたからと言って、氏真様が大人しくなされるでしょうか?」

「氏真を殺せと申すのか?!」

「では万が一義直を殺された後で、今川が天下を取れると御考えですか?」

「今川を二分しての争いになるには間違いないな、そなたをはじめとする井伊一門が泣き寝入りするはずがないな。」

「駿河の譜代衆の中には、御隠居様の指示に従わずに氏真様の味方をする者がいるでしょう。いえ、遠江・三河をはじめとする今川が押さえている国全てで、氏真様を担ぎ上げて利を得ようとする者が出て来ます。」

「そうなってしまっては、今川が天下を握るなど夢のまた夢だな。」

「全ては御隠居様の決断1つにかかっております。」

「伊賀甲賀の手練れを集めてくれ、俺っちが直接命じよう。」

「承りました。」


1567年2月『近江・観音寺城』

「母上様、義継殿が京を出られたというのは本当ですか?」

「はい、どうやら京に入られた阿波公方・足利義栄様だけでなく、三好三人衆にすら冷遇されて我慢できなくなったようです。」

「それでは義栄様に左馬頭に任官許可が降りたのですか?」

「それはまだ認められていません。」

「それは何故でございますか? 最早阿波公方の血統しか将軍就任出来る者はいないでしょう?」

「義直様がおられるではありませんか。」

「え? 私ですか?!」

「そうですよ、足利一門の名門今川家の義直様が1番の候補ですよ。」

「しかし古河公方や渋川家・吉良家・石橋家は、足利連枝として遇されていたのではありませんか? 彼らの方が将軍家に近いのではありませんか?」

「彼らは実際の戦力を持っていません、血筋と実力を兼ね備えておられるのは義直様だけなのですよ。それに義直様の正室は、先代将軍・足利義輝様の姉君です。義直様こそ次の公方様に相応しいのですよ。」

「しかしそれはあまりに・・・・」

「義直様には天下の行く末が掛かっているのですよ、そう容易く京の周りから離れて頂くわけにはいかないのです。」

「こうなる事を知っておられたのですか?!」

「知っていた訳ではありません、探らせていたのです。」

「知っているの言うのは、必ずそうなる事を分かっていて義直様に話さなかったことになります。しかしそうではないのですよ、将来など誰にも分からないのです。ですが幾つかの可能性を思いつく事は出来ます、そのうちどれが正しいのか調べさせておき、分かった時点ですぐ対応出来るようにしておくのです。」

「では何故分かった時点で私に知らせてくれなかったのですか?!」

「このような重大事を、新参者の城にいる義直様に知らせる訳には参りません。」

「大和の国衆は信じられないと、母上様はそう申されるのですか?!」

「大和の国衆がと言う訳ではありません、全ての国衆は周辺の国衆と争いながら、大名家の下にあって必死で生き残りを図っているのです。少しの油断も許されないのです。」

「ですが・・・・」

「義直様、今も御屋形様が御命を狙っているのを御存じですか?」

「まだしつこく狙っているのですか。」

「はい、愚かにも義直様さえ殺す事が出来たら、今川家の全てを独占し天下を手に出来ると思っているようです。」

「違うのですか?」

「もしそのような事になれば、井伊一門は直継を奉じて駿河に攻め込むでしょう。ですがそうなれば今川家は2つに割れてしまい、征夷大将軍に任官することはかなわないでしょう。」

「私は常に自重せねばならない、母上様はそう申されるのですね。」

「自由に振る舞いたければ、これからは直継を立てて義直様は隠居の準備を為されれる事です。御隠居様が桶狭間で死にかけただけで、義直様と母の命運が変わった事をお忘れになりましたか?」

「分かりました、この城で大人しくしております。」

義直が観音寺城で大人しくしている間に、天下は大きく動いた。今川義元は、今川家が征夷大将軍に成る為に、長子・氏真を暗殺する覚悟を固めた。伊賀甲賀から手練れを集め、て駿河に送り込む準備を整えた。

直虎は義元の名を使って、再度の大和討伐を支配下の国衆に通達した。国衆だけでなく伊勢の北畠家にも協力を要請し、紀伊の北畠家への牽制を依頼した。全国から10万の大軍を動員した直虎は、大和に攻め込むと見せて京に乱入した。

三好三人衆は、圧倒的な兵力差に足利義栄を守って摂津に引いた。三好義継はこの隙に三人衆の監視の目を掻い潜り、少数の近臣に守られて逃亡した。そして松永久秀と大和で合流し堺に向かった、そして2人は堺で体制を整え直し、河内を拠点に三好三人衆に対抗しようとした。史実では三人衆に対して常に劣勢の為、織田信長を京に引き入れる結果となり、最終的には信長に殺される事になった。だが今は今川家の後ろ盾があるために、河内の国衆を集める事が出来た。

更には朝廷に対しても、松永久秀は長年三好家の代理人として働いてきた実績があった。義継と久秀は生き残りをかけて、今川義直に征夷大将軍任官前提に従五位下・左馬頭が叙任されるように動いた。

圧倒的な兵力を擁する今川義直は、その兵力で京を抑えている事と、朝廷が要求した献金に即座に応じた事で、3月20日に五位下・左馬頭に任官許可が即座におりた。4月1日には正式に叙任され、5月1日には征夷大将軍宣下がなされた。

義直は銭扶持で足軽や専業武士を召し抱える事で、常時戦える兵団を創り出した。全ては尾張の信長を手本とした事だったが、その兵団を京に常時駐留させる事で三好三人衆を圧倒した。

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