女将軍 井伊直虎

克全

第52話若狭制圧

『若狭・武田守護館・後瀬山城』

義直は武田守護館にいた。武田元信の4男・山県秀政、武田信豊の3男・武田信景を軍勢に加えて南若狭に侵攻を再開した。若狭武田家は逸見昌経を丹波国に出兵させていたが、長慶の家臣・松永長頼と戦って敗れた直後に義直の軍に挟撃され、碌な抵抗をする事なく次々と降伏臣従してきた。

降伏臣従の条件は、皇室の御領所の返納と溜まっている税の納付だった。それを飲まなければ根切りすると通達された為、留守を預かる一族一門は受け入れることになった。


『若狭・砕導山城外・逸見昌経と義直』

「しかし義直様、我ら国衆は何時周囲の国衆や守護に攻め込まれるか分からず、少しでも兵力を集める為には、皇室の御領所といえども横領するしかないのです。」

「だがそれでも皇室や公家衆の領地を横領することは許さん!」

「・・・・・」

「今後は今川家が代官を置き御領所の管理を行う、今まで横領してきた年貢は少しづつ返していけ。」

「そんな! そのような余裕は今の若狭の国衆にはありません。」

「心配せずともよい、3年は軍役をかけることはせぬ。それに万が一丹波の国衆が攻め込んで来た時は、今川家から後詰の兵を出す、兵を集め過ぎて苦しいのなら代わりに召し抱えてやる。」

「真でございますか!」

「我が母の実家・井伊家は南朝を助けて戦って来たため、今川家に降伏臣従してから辛酸をなめて来た。国衆の気持ちはよく分かっている心算だ、安心いたせ。」

「しかしながら、厳冬期に丹波から攻め込んできた場合は、義直様の援軍が間に合わない可能性があります。」

「昌経が丹後にまで入って築いた小倉城や小倉中安城・小倉薬師城・岡安支城などを預かり、守備の兵を入れてもよいぞ。」

「それは城を手放せと言う事ですか!」

「御領所を返すと兵を養えないと言い、兵を召し放ってもいいと言えば、敵が攻めてきた場合に困ると言。、兵を送って護ってやると言えば、兵が入るべき城を明け渡すのは嫌と言う。そこまで無理を通すと言うのなら、正々堂々と戦で決着をつけてもよいぞ。」

「それは・・・・・」

「昌経、三好家が派遣した丹波守護代・内藤家(松永長頼)とは話がついている。武士としての誇りがあると言うのなら、何所に落ちても追い討ちはせぬぞ。」

「いえ、降伏臣従の条件承知いたしました。」

義直は軍勢を反して、一旦武田守護館・詰めの城・後瀬山城に戻った。そして今度は北若狭をに侵攻を開始した。最初に内藤兵庫の守る茶磨山城があったが、義直の降伏勧告を受け入れ素直に臣従を誓った。

若狭守護代家の内藤筑前守勝高も天ヶ城を出て降伏臣従の挨拶にやって来た。

新保山城の武田信方も降伏臣従を誓った。新保山城で1泊した後、更に侵攻し国吉城の粟屋越中守勝久を囲み降伏臣従させた。その上で狩倉山に城を築き(狩倉山城)朝倉家に対応出来るようにした。


『若狭・大飯郡・名田庄・土御門有脩』

「父上どうなされるお心算ですか?」

「行くしかあるまい。」

「しかしながら、我らは御上に御仕えして朝廷に出仕する立場、武家の呼び出しに従って出向くなど問題があるのではありませんか?」

「長らく京を離れてここで隠棲しておる、そのような言い訳は通じぬ。」

「確かにそうではありますが・・・・・」

「今川家からの使者の話では、一旦近江の観音寺城で義直殿に挨拶した上で、京で御上の為に働けと言う事。名田庄も在高に任せていいとも言われている、横領する心算はあるまい。」

「御任せ下さい、父上・兄上。」

「確かに今川家は、武家共に横領されていた皇室の御領所や公家衆の荘園を回復していると聞き及んでおります。それが本当なら京に帰っても大丈夫かもしれませんが、今京を支配している三好家では御家騒動があったと聞いております。」

「儂もそれは聞いておる、危ないと思えば直ぐにここに戻ればいい事だ。」

「それもそうでございますな。」

「まずは若狭を瞬く間に平定した、今川義直と言う者の人柄を見極めねばならん。そうせねば、安心して名田庄で暮らすことすら出来なくなる。」

安倍有宣は陰陽師安倍晴明の末裔で、公家として代々朝廷に仕えていた。安倍家は正和6年(1317年)花園天皇より「泰山府君祭料地」として安倍有弘が御綸旨を賜ったことから、この名田庄との関わりが始まったとされる。安倍晴明から数えて17代目の有宣から土御門と称したが、応仁の戦乱を避け京を離れ所領のある名田庄で暮らしている。

土御門有春・有脩・在高親子

「降伏臣従した国衆」

広野孫三郎・若狭武田家36人衆の筆頭
加茂城主・白井石見守光胤と子の民部丞勝胤
新保山城・武田信方
賀羅岳城・山県孫三郎
三方郡野登野城主・畑田加賀守
三方郡佐柿国吉城主・栗屋勝久・
三方郡能登野館主・市川定照
三方郡一宮城主・一宮賢成
大飯郡難波江城主・大草公広
遠敷郡三重城主・太田祐安
鳥羽谷麻生野城主・香川右衛門大夫
砕導山城主・逸見昌経
天ヶ城・内藤筑前守・若狭守護代
手筒山城・内藤筑前守・若狭守護代
茶磨山城・内藤兵庫
大倉見城・熊谷直澄
三方郡井崎城主・熊谷直之
湯岡城主・南部久方
田繩城主・大塩長門守・1562年湯岡城主南部久方の攻撃を受け落城
達城主・本郷泰栄
佐分利石山城主・武藤友益
大飯郡稲葉館代・伊崎義康
谷小屋城主・寺井源左衛門
大飯郡青井城主・青井将監・足利義輝家臣・幕府奉公人衆

「若狭商人」
関戸久興
組屋隆行
木下和泉守

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