女将軍 井伊直虎

克全

第22話信長苦悩

『御器所西城外』
信長の当初の作戦は、今川勢を追撃しながら城内に突入するものだった。
だがこれは、岡部元信の決死の抵抗で不可能になってしまった。
現在の御器所東城は、攻撃していた鵜殿長照が二千五百兵と共に逃げ帰り、五百の守備兵とあわせて三千兵で守っている。
御器所西城は、岡部元信が入城を諦めたので、守備兵五百だけで守っており、五千兵を率いる信長には、格好の相手に思える。
だが今の信長勢には、ここが限界だった。
強行軍で伊藤城に駆け込み、向背定かでない佐久間一門を抑えた。
休む間もなく、川名北城を囲んでいる鵜殿長照を夜襲で蹴散らし、そのままの勢いで、川名南城を囲んでいる岡部元信を強襲して討ち破った。
さらに逃げる岡部勢を御器所西城まで追撃して、城外で部隊を再編して守る岡部勢を排除した。
つまり四連戦を、苛烈な信長の指揮と倍する兵数と言う、圧倒的有利な状況で勝ち抜いたのだが、将兵の疲労は極限に達していたのだ。

「城に戻る」
「な。このまま城攻めされないのですか」
「この状態では、古渡の井伊勢が援軍に来たら勝てぬ」
「しかし来るとは限りますまい」
「我らの鉄砲隊なら、井伊勢を城に引き寄せた方が有利だ。戻るぞ」

信長には、まだ他にも不安があった。
佐久間盛次は、佐久間信盛よりは信用できる。
だがそれでも、絶対の信頼が出来るほどではない。
今までは必至で籠城していたが、信盛を成敗した事が悪い方に働き、離反する可能性もある。
何より盛次の嫁は、柴田勝家の姉だ。
佐久間と柴田が手を組んで、今川に寝返らないとは言えないのだ。
これからは、勝ち続けて国衆と地侍の信望を維持し続けなければならない。
一人の国衆の裏切りや、一つの合戦の負けが、一気に織田家を崩壊させる可能性があるのだ。
信長は、最初に川名南城に入った。
そして城主の佐久間彦五郎と城兵を慰労した。
次に川名北城に入り、佐久間半左衛門と城兵を慰労した。
最後に伊勝城に入って、佐久間盛次と城兵を改めて慰労し、佐久間信盛成敗の動揺を抑えようとした。

「殿。この度の勝利おめでとうございます」
「うむ。今川勢など、いかほどの事もない。裏切り者や臆病者さえ排除すれば、我らが負ける事などない。佐久間家を盛次が差配してくれれば、山崎城を取り返すのも容易いことだ」
「は。御任せ下さい」

『末森城』
「直虎様。ただ今戻りました」
「よく戻ってくれました。ふじの無事な顔を見られて、嬉しく思います」
「有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます」
「それで、相手の反応はどうでした」
「なかなかよい反応でございました。特に奥方の反応が、好感触でした」
「理由はあれですか」
「はい。弟が信長の寵童あがりで、功名も重ねている事に、とても不安を感じているようです」
「一度信長を裏切っているのですね」
「それは父親の代の事でございます。ですが、嫡男として反対しなかったことで、不安になっているようでございます」
「このまま奥方を中心に、調略を進めて下さい。但し、命を大切にして、決して無理をするのではありませんよ」
「承りました。有り難き御言葉を賜り、みなも喜びます。必ず生き抜いて、ずっと直虎様の御役にたつ所存でございます」
「頼りにしていますよ」
「はい」

『伊藤城・織田信長』

織田信長にとって、厳しい状況が続いていた。
小さな負けや裏切りが、戦線を崩壊させかねない状況だからだ。
だが今川にとっても、決して楽な状況ではない。
寝返らせたばかりの国衆と地侍は、今川が大きく負ければ、再度寝返る可能性が高いからだ。
信長が籠る伊藤城と織田方の川名北城と川名南城は、今川方の末森城と御器所西城と御器所東城に、挟まれているように見える。
だが同時に末森城も、伊藤城と上野城に挟まれ、今川戦線から突出しているように見える。
これは古渡城も同じだった。
信長の兵数では、自分から城攻めを行う事は出来ない。
桶狭間のように今川の隙を突いて攻めるか、天運を味方にするのが普通だ。
だが信長は、自分から動いて今川に隙を作らす事にした。
罠を仕掛ける事になるが、果たしてそれが成功するかどうかは、今川方の能力次第だった。
だから今川が罠を見抜いた時の対処法も、事前に考えておく必要がある。

『山崎城・今川義元』
ここで今川義元が、全軍を集めて伊藤城を強襲すれば、織田に勝てるかもしれない。
だがそれでは損害が大きくなりすぎるし、絶対勝てる確証があるわけではない。
もし負けてしまえば、今まで営々と積み上げて来た尾張の拠点を失うだけでなく、氏真に今川家の実権が移りかねない。
そうなると、氏真と義直の間で家督争いの合戦が起こるだろう。
氏真が有利に家督争いを進めれば、義直を擁する井伊一門は織田に下るだろう。
義直が有利に家督争いを進めれば、氏真を擁する者達は北条と武田を頼るだろう。
どちらにしても、今川家は滅びの坂を転がり落ちる事になる。
義元は慎重になるしかなかった。
桶狭間での敗戦と義直の援軍が、全てを変えてしまったのだ。

『御器所西城』
岡部元信は、汚名返上に燃えていた。
決して元信だけが悪い訳ではないが、信長の動向を掴むことが出来ず、急襲を許し敗戦した事は間違いない。
散り散りになった部下を集めて軍勢を再編して、御器所西城に再入城を果たさないと、更に城を奪われたと言う汚名を受ける事になる。

「信長の追撃はないか」
「は。どうやら一息入れているようです」
「ここで軍勢を立て直す」
「しかし、兵数が違い過ぎます。このまま御隠居様のおられる山崎城にまで、引かれた方がいいのではありませんか」
「駄目だ。桶狭間での失態もある。負けたまま、何(ど)の面(つら)下げて、御隠居様に御会いすると言うのだ」
「はっ」
「物見を放て。信長が御器所西城か御器所東城を攻撃するようなら、背後を奇襲する。清州城や伊藤城に帰るなら、御器所西城に戻って守備を固める」
「承りました。」

信長が御器所西城も御器所東城も攻撃せず、伊藤城に帰還したと報告を受けた岡部元信は、取りあえず直ぐに集まった五百兵を率いて、御器所西城に帰城した。
後は御器所西城で、逃げ散った兵が三々五々戻って来るのを待つことになった。

『末森城』

「直虎様。上手く運んでおります」
「猪子石城の横地主水正源秀次は、調略に応じるのですね」
「はい。そう申しておりますが、こちらが少しでも不利になれば、反故にすると思われます」
「それは当然でしょうね。今川寄りの中立を取りたいと言う事ですね」
「はい。ですが、兵を動かして、積極的に攻めてくる事だけはないと思われます」
「大森城の水野雅楽頭も、調略に応じるのですね」
「最初は、同じ水野一門が滅ぼされたことを心配していましたが、義直様からの本領安堵の約束で、応じる事を決意したようです。ですが横地と同じで、不利になれば裏切ると思われます」
「問題は、米田城の簗田政綱ですね」
「はい。簗田はとても裏切りそうにありませんが、歩き巫女に簗田配下の将兵を篭絡させ、謀反を起こすように仕向けています」
「しらね。働いてもらう機会は幾らでもあります。配下の者達共々、無理する事はありませんよ」
「有り難き御言葉、配下の者にも伝えさせて頂きます」

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