女将軍 井伊直虎

克全

第12話知多半島攻め

『尾張・清水城外』
「御注進、御注進」
清水城に井伊義直からの伝令が飛ぶようにやって来た。
これは井伊直盛にとって最高の朗報であり、援軍二千兵は、喉から手が出るほど欲しい兵力である。
義直の功名を積み上げる事は、井伊家の安全に直結するし、今川家の跡目争いに巻き込まれての危険なら、むしろ望むところだ。
「者共よく聞け。義直様が総大将として援軍を率いて参られる。本日只今より、先鋒軍の総大将は義直様だ。心して奉公いたせ」
「「「「「おう!」」」」」
直盛はゆっくりと軍を進めて緒川城を取り囲んだが、長期戦も考慮して、まずは付城(砦)の構築を行う予定だ。
刈谷城からの援軍と奇襲を警戒して、逢坂川と境川を防御に利用する為に、西側から素直に進軍した。対する緒川城の水野信元は、信長の援軍を期待して籠城を決めた。
これは村木砦の戦いで、信長が寺本城を避け船で海を渡り、村木砦を背後から攻撃し勝利したと言う前例が有るからだ。
例えまた砦を築かれても、信長が助けに来てくれる。
勝利を掴めると信じているのだ。
直盛は、村木砦の跡地に再び砦を築き始めたが、当日の夕刻に義直軍二千兵が合流した。
そして翌日の昼前に、蒲原氏徳・庵原之政・長谷川元長・由比正信・吉田氏好に率いられた援軍に千五百兵が合流した。
援軍は五人の武将が五百兵ずつ率いる形になっていた。
「皆の役割を伝える」
義直は事前に教えられたことを諸将に伝えるが、内心の不安と恐怖を悟られないように、顔を引き締め、言葉はゆっくりはっきり語るように話した。
「部隊は三つに分ける。一手は城攻めに掛かり、一刻戦った後に休憩に入る。休憩部隊は一刻後に信長軍の警戒部隊となる。警戒部隊は一刻後に城攻め部隊になる」

義直軍 二千兵   大将・井伊義直
副将・井伊直虎・井伊直平
直盛軍 七千五百兵 大将・井伊直盛
副将・瀬名氏俊・関口親永
井伊家・奥山朝利
元康軍 二千五百兵 大将・松平元康
松平家・石川家成・酒井忠次
援軍  二千五百兵 部将・蒲原氏徳・庵原之政・長谷川元長・由比正信・吉田氏好
降伏軍   五百兵 花井親子・藤田・富田・駒中の家臣達

「最初に城攻めに掛かって貰うのは、降伏した国衆地侍と援軍に来た方々だ。後詰として瀬名殿に千兵を御預けして、総勢四千兵でお願いいたす」
「「「「「おう」」」」」
「警戒部隊は松平勢にお願い致すが、援軍として関口殿に千兵を預けて、総勢三千五百兵で準備しておいて頂く」
「「「「「おう」」」」」
「休憩部隊は、連日の猛攻に疲れている、直盛勢五千五百をとする」
「「「「「おう」」」」」
「総予備と、義直様の兵二千が臨機に動く」
「「「「「おう」」」」」
義直の代弁者として、直平大爺様が諸将に下知を下す。
義直様には、話し出しの短い文だけしか任せられない。
長文や問い返しがあるような内容を、話して頂く事はまだ出来ない。
信長の救援が来るまでに緒川城を攻め落とし、水野信元を討ち取るために、早朝から猛攻を掛けた。
水野勢も必死で守るが、圧倒的な戦力差を覆す事は出来なかった。
今川勢が一刻毎に休憩できるのに比べて、常に全軍で守らねばならない水野勢は、徐々に疲弊していった。
降伏して来た元織田勢と元水野勢は、命を懸けて今川家に忠誠を示さねばならなかった。
蒲原氏徳・庵原之政・長谷川元長・由比正信・吉田氏好は、桶狭間の戦いでの恥辱を晴らさなければならなかった。
松平元康は、今川家の一門譜代衆に忠誠と武勇を示し、岡崎帰城を果たしたかった。
井伊義直・直虎・直盛・直平は、今川家横領の布石を打ちたかった。
「下る者は助けるぞ。下る者は今川家で召し抱えるぞ」
水野家の兵を義直の手勢として、氏真に対抗したい直平と直盛は、出来利限り降伏を勧める。
そしてその方が、追い詰められた水野勢の意地を挫く効果が有る。
窮鼠猫を噛むではないが、追い込み過ぎると損害が増えてしまい、後々に影響が出てしまいかねない。
五刻(十時間)にも及ぶ城攻めは、水野信元の切腹で終わった。
最後は、義直が直接二千兵を指揮して、主郭に兵を攻め込ませた。
沓掛城の御隠居様救助戦に続く大勝利である。
これで義直の武名は鳴り響くだろう。
翌日早朝には、刈谷城攻略に軍を進めた。
緒川城には、関口親永に千兵を預けて守らせ、残り全軍で火のように刈谷城を攻め立て、六時間の攻防で水野信近を切腹に追い込んだ。
水野兄弟を討ち取った事で、周辺の国衆・地侍・水野家家臣は、次々と降伏臣従にやって来た。
その全てを義直と謁見させた後に、沓掛城の御隠居様に挨拶させる形を取った。
義元の尾張遠征当初から味方していた者もいるが、大半は緒川城落城後に去就を決めた風見鶏である。大勢力に挟まれた国衆地侍だから仕方ないのだが、もし今川が衰えたら簡単に裏切る者達だ。
「牛田殿よく来られた。私が義直である」
「御初に御目にかかります。牛田玄蕃頭政興と申します。降伏臣従を受け入れて頂き、感謝いたします」
「これよりは、今川家に忠誠を誓い奉公するように。その代わり、何かあれば必ず援軍を送り助けてつかわす」
「有り難き幸せでございます。」
「この後、沓掛城の御隠居様を訊ねるがいい。案内の者を付けてやる。兵は陣代に預けておけ。知多を攻める先方を務め、忠誠の証とせよ」
「はい、ありがとうございます。」

牛田城:牛田玄蕃頭政興
有脇城:石川與市郎
草木城:竹内弥四郎
宮津城:
亀崎城:稲生政勝
飯森城:稲生光春
岩滑城:中山刑部大輔勝時
中山城:中山刑部大輔勝時
成岩城:梶原五左衛門
長尾城:岩田左京亮安広
苅屋城:鵜飼将監実為

多くの者が降伏臣従する中でも、伊勢湾海上交通を掌握し、佐治水軍を率いる大野城主の佐治為景は降伏してこなかった。
為景の支配下に有る大興寺城も、降伏せず抵抗の姿勢を示した。
それに加えて、坂部城主の久松俊勝、常滑城主の水野守隆、富貴城主の水野守信が抵抗を試みている。
水野一族は許される事はないと、決死の覚悟だろう。
久松に至っては、元康の母を無理矢理離縁させて後妻に貰っているし、嫡男の妻に佐治一族を迎えているから、結束を固め抵抗の姿勢を示している。
最悪の場合は、佐治水軍を頼って信長の下に逃げる心算かもしれない。
「元康殿、母上を通じて、久松殿に降伏臣従を勧められなさい」
「しかし直虎様、それでは御隠居様に忠誠を疑われはしないでしょうか」
「元康殿は、水野信元を攻め殺していますし、於大殿を助命されても大丈夫でございます。ただ後々の事を考えれば、久松殿と離縁の上で、仏門に入られた方が安全ではありますね」
「左様でございますね。ただ、幼き弟妹から母を引き離すのは、忍びない想いがあります」
「ならばそれを、素直に御隠居様に申し上げればいいのです。元康殿は、戦場での武勇は幾度も示されておられます。ここで肉親の情を訴えられても、武名に傷が付く事も有りません」
「左様でございましょうか」
「大丈夫ですよ。私が保証します、安心なさいませ」
「ではお勧めに従い、そのように手配りさせて頂きます」

緒川城:千兵:関口親永
刈谷城:千兵:瀬名氏俊

負傷兵を緒川城と刈谷城の守備兵に残した義直は、軍を再編成して知多半島に進軍を再開した。
降伏臣従を誓った国衆地侍は、当主を沓掛城で人質に取られている形になるから、必死で戦うしかなかった。
籠城をしていた坂部城主の久松俊勝に対して、松平元康から肉親の情に溢れた降伏臣従を勧める文が送られた。
この文を受けた俊勝は暫く躊躇したものの、次いで送られてきた、関口親永・瀬名氏俊・井伊直虎・井伊直平・井伊直盛・井伊義直達からの、弱小国衆を想う情に溢れた文に降伏を決意した。
これだけ多数の今川家重臣から降伏臣従の文を貰えれば、約束を反故にされる可能性は低い。
まして義元の実子や側室からも、安全を保障する約束が為されている。
ただ人質の人選と後継者の選定が厳しかった。
そのため、先妻の産んだ嫡男と後添えの産んだ次男の二人を、駿河に送らなければならなくなった。

坂部城主:久松俊勝
常滑城主:水野守隆
富貴城主:水野守信
大野城主:佐治為景

後は水野守隆と水野守信を攻め殺し、佐治為景を降伏臣従させる事だ。
今後の事を考えれば、佐治水軍を信長の下に逃がすより、今川の、いや義直の配下に加える方がいい。

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