閉じる

転生武田義信

克全

第230話謀議

1575年10月:ゴア沖合の武田海軍戦列艦艦上・山本勘助と黒田孝高:第三者視点

「勘助殿。土岐殿と今川殿が詫びを入れてきたと言うのは本当ですか」
「本当です。自分達は隠居するので、許して欲しいとの事です」
「それは、家督は嫡男に継がせたいと言う事ですか」
「はい」
「甘いですな」
「はい。甘すぎます」
「王太子殿下に逆らった以上、許すわけにはまいりません」
「宜しいのですか。官兵衛殿」
「何がでございますか」
「王太子殿下は、出来るだけ穏便に済ませるように、言われていたのではありませんか」
「いえ、今回は陛下の御考えに従うとの事です」
「殿下にしては厳しいですな」
「今迄が甘すぎたと反省されたのかもしれません」
「では、大宰帥家以外は、当主と嫡男の隠居で宜しいですな」
「結構です。家は、王太子殿下の御子達を養子に送るのでいいのですね」
「はい。自分達が他家を乗っ取るために送り込まれたように、今度は家を乗っ取られると言う事です」
「自業自得でございますな」
「自分の力で家を興したわけではなく、陛下と殿下の力で家と領地を得たことを、愚かにも忘れております」
「左様。それで、もし納得しなければ、合戦となりますが」
「望む所でございます」
「そうですな」
国王、王太子、王太孫から送られた監軍は、三人とも一門衆を潰す心算だった。
禍根を後に残さないように、出来れば根絶やしにしたかった。
だが、平身低頭謝ってきた場合は、余りに厳しい処置も採り難かった。
そこで暴発するように、当主だけではなく、嫡男も隠居させて家を乗っ取る策をとった。
これを飲むのなら、殺さずに済ませる事にした。
彼らを監視している猿渡飛影も、この案に賛成していた。
武田信廉に関しては、子孫達に方針を示すためにも、例え正室の同母弟であろうと、当主に逆らったら殺す方針だった。
これは国王の厳命であり、王太子も仕方ない事と納得していた。
四万の援軍を送った時点で、ゴア要塞都市周辺には、同じく四万の監軍が送り込まれていた。
天竺を攻め取ると言う事で、功名をあげようと、多くの者が参戦を志願していたのだ。
インド大陸の東海岸に上陸した侵攻軍八万は、影衆が煽った内乱に付け込む形で、着実に内陸に侵攻した。
武田信廉達を誅する部隊以外は、明の難民を訓練した部隊や、征服した南方の国々の兵士を再訓練して使っていた。
一種の棄兵であったが、勝てば扶持が増え、功名をあげれば領地が与えられる。
徹底的な訓練で、軍令に逆らい、天竺の民を害する事のないようにしていた。
母国や駐屯地に、逆らわないように家族を人質に取っていると言う事もあって、武田軍はほとんど略奪や暴行を行わなかった。

「転生武田義信」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「歴史」の人気作品

コメント

コメントを書く