転生武田義信
第163話油断
1564年2月薩摩一宇治城城外:第3者視点
「左大将様を助けまいらせよ」
「左大将様を助けまいらせよ」
戦場は喧騒に満ちていた。
鷹司軍は何時も通りの調略を仕掛けつつ、同時に投石機・大砲を使った戦闘も行い、時には強引な力攻めも行った。
全ては鷹司信龍に実戦経験を積ませるためであり、初陣を飾って以降、東福寺城にも乗艦にも戻らず、連日最前線に身を置いていた。
だがそれは間違った判断だった。
鷹司義信にも鷹司信龍にも焦りがあり、油断があった。
慎重にも慎重を期して信龍の初陣を行った義信だったが、全ての家臣領民に慕われていたわけではなく、心ならずも降伏臣従した者もおり、信龍が宿泊した陣の場所が露見していたのだ。
それでも義信と信龍が同じ陣に宿泊する愚行だけは避けられており、義信は鹿児島湾内のフリゲート艦で全体の指揮を取っていた。
義信軍が内城を奇襲し、島津貴久に大損害を与え、南から九州を攻める形になり、九州各地の大名・国衆・地侍は一挙手一投足が命懸けの選択となった。
自主独立をかけて鷹司軍と命懸けの戦をするのか。
それとも一旦城地を召し上げられることになろうとも、降伏臣従して他日を期すのか。
それに鷹司軍と戦うにしても、単独で戦うのか。
それとも大友家などの大身を寄り親に仰ぎ、同盟して戦うのかで迷いに迷うことになる。
だが今の九州に、鷹司家と戦うための寄り親になれるような武士(もののふ)は、表向き存在しなかった。
かねてから武田信繁や佐竹義頼(武田勝頼)が調略していた、大友家の他姓衆と反主流派の同紋衆が、潮を選んで蜂起した。
逐次蜂起することで、大友本家・主流同紋衆から集中的に攻められるのを防ぎつつ、鷹司中国軍と鷹司四国軍が九州に侵攻するのに最適の潮流日時を選んだことで、直ぐに援軍が駆けつけてくれることになった。
瞬く間に九州一円の旗色が変わり、鷹司の旗で埋め尽くされる状況となったが、鷹司家の降伏臣従条件は厳しいものだった。
一旦本貫地を含めた全ての城地を召し上げて扶持侍とした上で、後々の働きによって蝦夷や台湾に領地を与えると言うのは、表面上はともかく本心から臣従するには厳しすぎたのだ。
だがそれでも、3方面軍併せて30万を超える将兵が、万全の後方支援を整えて九州に上陸した以上、余程の硬骨漢か馬鹿でなければ、表面上は降伏臣従するだろう。
いや、韓信の股くぐりの故事を思い起こし、必死で笑顔を浮かべて鷹司軍を迎えたのだ。
そんな状況だったからこそ、大友本家と一部の忠臣だけが籠城する状況であっても、万に一つの逆転を信じて、鷹司義信・信龍親子と武田信繁・佐竹義頼(武田勝頼)の陣所を漏らす、裏切り者を生む下地もあったのだ。
各方面軍の総大将が討ち取られることで、この状況が一変すること望む者が、鷹司軍内にも潜んでいたのだ。
島津貴久が容易く降伏しないと信じ、島津家が容易く滅びないと信じ、馬を降り手綱を引いて深い山中を移動し、鷹司軍に組する国衆や地侍に見つからないように、時間をかけて密かに薩摩に戻ってきたのだ。
1564年2月京二条城本丸信玄私室:武田信玄(兵部卿)・九条稙通(禅定太閤・禅閤)山本勘助:信玄視点
「兵部卿、武田家の要望は全て飲もう」
「では御屋形様が諸侯王の位に就かれるのですね」
「勘助、そうがっつくな」
「は。申し訳ございません」
「それで摂関家の件も認めていただけるのですね」
「そうだ。公之殿の三条家と松殿家を加えた七摂関家とすることが認められた」
「九条家と一条家の本家争いについてはどうですか」
「御上も院も、九条家が本家だと認められた。例えこの後九条家の当主が摂関の位に就けなくても、一条家に本家を奪われることはない。このことは一条家も認めており、ここに誓紙ももらっておる」
「ありがとうございます。それでは近衛家との本家争いはどうでございますか」
「それも九条家が本家と認められたが、殿下渡領に関してはその時々の藤氏長者が預かることになるが、それでよいな」
「それで結構でございます」
殿下渡領は大和国佐保殿・備前国鹿田荘・越前国片上荘・河内国楠葉牧の4荘園と、勧学院領34カ所、法成寺領の18カ所と19末寺、東北院領34カ所、平等院領18カ所と11末寺だったな。
確かに公卿にとては大きな所領だが、今の武田家にとっては微々たるものだ。
今は近衛家が御堂流摂関家の嫡流と断じた、後白河院の院宣が否定されただけで十分だ。
それに武田家が天下を掌握している限り、武田家所縁の摂関家が藤氏長者を独占することになるだろう。
「それで武家の官位を令外官として権官を認める件だが、武官と大臣職以下の大納言までにしてもらえないだろうか」
「全てを認めて下さったと、今御聞きしたところでございますが」
「確かにそう申した。だがら征夷大将軍も征東大将軍も、王の自由に任じてくれて構わない。だが大臣職だけは、公卿に限ってもらえないだろうか。それに公卿に限ると言っても、武田家所縁の九条家、松殿家、鷹司家、三条家があるから、必要とあらば大臣職も独占出来るではないか」
「そのような事をしたくないから、態々御願いしているのでございます」
「そこをまげて大臣職だけは勘弁してくれ」
「御恐れながら禅閤殿下、令外官の内大臣までは、諸侯王陛下が独断で任じれるようにして頂きとうございます」
「それは難しい。内大臣は1名という定員があるのだ」
「それは可笑しいのではありませんか」
「なにがだ」
「大納言にしても中将にしても、当初の定員を大幅に超える権官が置かれているではありませんか、令外官である内大臣ならば、権内大臣を置いてもよいのではありませんか」
「勘助よ、そんなことを言えば、摂政も関白も令外官なのだ。九条家、松殿家、鷹司家、三条家が常に権関白の位を独占すると言う恐れを、皆抱いておるのだ」
「では禅閤殿下、准大臣の位を自由にさせていただきたい」
「准大臣か」
「准大臣ならば内大臣よりも下位。諸侯王の文官最高位は准大臣とすれば、公卿の方々も安心されるのではありませんか。それと諸侯王も独自の文武百官を置かねばなりませんが、諸侯王の左大臣が朝廷の准大臣なら、公卿の方々も安心されるのではありませんか」
「それはどうであろうか。だが次郎殿や三郎殿は、信龍殿の家臣になるのであろうが、朝廷でもそれなりの地位は得て欲しいのは確かだ」
「鷹司次郎が信龍の左大臣を務めつつ、准大臣を務める。いえ、松殿家を継いで左大臣を務めることもあり得ます」
「そうか、そうだな。だが摂関家を継げるのは、余の血を引く者だけにしてもらいたい」
「分かっております。いかに優秀であろうとも、側室や妾の腹から生まれた者は、准大臣に留めると約束しましょう。今ここで誓紙を御書きしましょう」
「そうしてもらえると余も安心であるし、他の公卿達も説得しやす。それとどうしても聞き入れてもらいたいことがある」
「改まって何事でございます」
「義信殿と信龍殿が、終生御上に仕えると言う証が欲しい」
「それは誓紙を差し出せと言う事でございますか」
「誓紙だけでは安心出来ぬ。武士の中には誓紙であろうと、平気で反故にする者がいるのでな」
「ではどうしろと申されますか」
「偏諱じゃ」
「義信と信龍に偏諱を受けろと申されるのですか」
「そうじゃ」
「御上と院の諱を頂くことになるのですね」
「そうじゃ」
「しかしながら禅閤殿下、足利尊氏公は偏諱を頂いた北条家を滅ぼし、恐れ多くも後醍醐天皇にも叛いております。義信と信龍が御上と院から偏諱を頂いたとしても、反逆しないと言う約束にはなりませんぞ」
「そんなことは分かっておる。分かっておるが、少なくとも尊氏は朝廷を滅ぼしてはおらぬし、後醍醐天皇の命を奪ってはおらぬ」
「御上も院も、そこまで不安に思っておられるのですか」
「御上と院というよりも、公卿衆が武家を信じておらんのだ」
「では義信は院から偏諱を頂いて知信と名乗らせて頂き、信龍が御上から偏諱を頂いて方信と名乗らせて頂いたら、御上や院だけでなく、公卿衆も安心されるのですね」
「そうじゃ。そうしてくれれば、余も安心出来る」
「義信の意見も聞かねばなりませんから、この場で返事はしかねますが、私には特に異論はございません」
「そうか。ならば兵部卿は受けてくれると言うことで、公卿共に話すことにしよう」
「いえ、それはしばしお待ちください。義信の返事がなければ約束出来ません」
「何故じゃ。今迄は義信がどう言おうが、武田家の当主は自分だと申して、余の頼みを聞き届けてくれなかったではないか」
「やれやれ、禅閤殿下ともあろう御方が油断でございましょう」
「何のことだ」
「呪詛でございますよ」
「あ、呪詛か」
「御上と院から偏諱を頂くとなれば、真名を秘すことが出来なくなります。それなれば武田家に恨みを持つ者共は、その持てる全ての力を使い呪詛を仕掛けてきましょう。禅閤殿下は義信と信龍が呪詛を受けてもよいと申されますか」
「それは兵部卿、義信殿は義信と違う真名を持ち、信龍殿も信龍とは違う真名を持つと言う事か」
「それは御答えできません。ただ三条から、公卿と武家の両方の血を引くならば、呪詛に備えねばならぬと、義信が産まれた時に言われたのは確かです」
「そうだな。余も飯綱の法を学んでおるし、義信殿も山窩や修験者から色々な秘法を学んでると聞いている。確かに迂闊に真名を知られるのはよくないな」
「はい。ですから返事はしばらくお待ちいただきたいのです」
「分かった。そう言う事なら仕方あるまい」
「それと准大臣の件でございますが、長年朝廷に貢献している中院通為殿、勧修寺尹豊殿、中山孝親殿、万里小路惟房殿を准大臣に推挙したいと思っております」
「推挙だと。諸侯王になれば自由に任じられるのではないか」
「武田家の天下になったから、忠勤を励む者が報われる世になったのではなく、御上の御代になったから報われるようになったと、公卿衆に思わせるべきだと義信から文が来ました」
「公卿衆を懐柔する為ではなく、御上を立てる為だと申すのだな」
「義信は左様申しております」
「分かった。そう御伝えしよう」
「御願い致します」
「摂関家」
九条家:九条方信(武田信龍・鷹司信龍)
松殿家:鷹司次郎が継ぐ予定
鷹司家:鷹司実信
三条家:三条公之
一条家:一条内基
二条家:二条晴良
近衛家:近衛前久
「大臣級」
准三宮 :九条稙通
准三宮 :鷹司公頼
関白 :二条晴良
太政大臣:
左大臣 :西園寺公朝
右大臣 :花山院家輔
内大臣 :正親町三条公兄
准大臣 :鷹司実信
准大臣 :三条公之
准大臣 :中院通為
准大臣 :勧修寺尹豊
准大臣 :万里小路惟房
准大臣 :中山孝親
「御屋形様。手の者を引かせますか」
「まだだ。御上に崩御していただかねばならない場合があるかもしれぬ。何かあった場合でも、どんな手段でも取れるようにしておけ」
「承りました」
「左大将様を助けまいらせよ」
「左大将様を助けまいらせよ」
戦場は喧騒に満ちていた。
鷹司軍は何時も通りの調略を仕掛けつつ、同時に投石機・大砲を使った戦闘も行い、時には強引な力攻めも行った。
全ては鷹司信龍に実戦経験を積ませるためであり、初陣を飾って以降、東福寺城にも乗艦にも戻らず、連日最前線に身を置いていた。
だがそれは間違った判断だった。
鷹司義信にも鷹司信龍にも焦りがあり、油断があった。
慎重にも慎重を期して信龍の初陣を行った義信だったが、全ての家臣領民に慕われていたわけではなく、心ならずも降伏臣従した者もおり、信龍が宿泊した陣の場所が露見していたのだ。
それでも義信と信龍が同じ陣に宿泊する愚行だけは避けられており、義信は鹿児島湾内のフリゲート艦で全体の指揮を取っていた。
義信軍が内城を奇襲し、島津貴久に大損害を与え、南から九州を攻める形になり、九州各地の大名・国衆・地侍は一挙手一投足が命懸けの選択となった。
自主独立をかけて鷹司軍と命懸けの戦をするのか。
それとも一旦城地を召し上げられることになろうとも、降伏臣従して他日を期すのか。
それに鷹司軍と戦うにしても、単独で戦うのか。
それとも大友家などの大身を寄り親に仰ぎ、同盟して戦うのかで迷いに迷うことになる。
だが今の九州に、鷹司家と戦うための寄り親になれるような武士(もののふ)は、表向き存在しなかった。
かねてから武田信繁や佐竹義頼(武田勝頼)が調略していた、大友家の他姓衆と反主流派の同紋衆が、潮を選んで蜂起した。
逐次蜂起することで、大友本家・主流同紋衆から集中的に攻められるのを防ぎつつ、鷹司中国軍と鷹司四国軍が九州に侵攻するのに最適の潮流日時を選んだことで、直ぐに援軍が駆けつけてくれることになった。
瞬く間に九州一円の旗色が変わり、鷹司の旗で埋め尽くされる状況となったが、鷹司家の降伏臣従条件は厳しいものだった。
一旦本貫地を含めた全ての城地を召し上げて扶持侍とした上で、後々の働きによって蝦夷や台湾に領地を与えると言うのは、表面上はともかく本心から臣従するには厳しすぎたのだ。
だがそれでも、3方面軍併せて30万を超える将兵が、万全の後方支援を整えて九州に上陸した以上、余程の硬骨漢か馬鹿でなければ、表面上は降伏臣従するだろう。
いや、韓信の股くぐりの故事を思い起こし、必死で笑顔を浮かべて鷹司軍を迎えたのだ。
そんな状況だったからこそ、大友本家と一部の忠臣だけが籠城する状況であっても、万に一つの逆転を信じて、鷹司義信・信龍親子と武田信繁・佐竹義頼(武田勝頼)の陣所を漏らす、裏切り者を生む下地もあったのだ。
各方面軍の総大将が討ち取られることで、この状況が一変すること望む者が、鷹司軍内にも潜んでいたのだ。
島津貴久が容易く降伏しないと信じ、島津家が容易く滅びないと信じ、馬を降り手綱を引いて深い山中を移動し、鷹司軍に組する国衆や地侍に見つからないように、時間をかけて密かに薩摩に戻ってきたのだ。
1564年2月京二条城本丸信玄私室:武田信玄(兵部卿)・九条稙通(禅定太閤・禅閤)山本勘助:信玄視点
「兵部卿、武田家の要望は全て飲もう」
「では御屋形様が諸侯王の位に就かれるのですね」
「勘助、そうがっつくな」
「は。申し訳ございません」
「それで摂関家の件も認めていただけるのですね」
「そうだ。公之殿の三条家と松殿家を加えた七摂関家とすることが認められた」
「九条家と一条家の本家争いについてはどうですか」
「御上も院も、九条家が本家だと認められた。例えこの後九条家の当主が摂関の位に就けなくても、一条家に本家を奪われることはない。このことは一条家も認めており、ここに誓紙ももらっておる」
「ありがとうございます。それでは近衛家との本家争いはどうでございますか」
「それも九条家が本家と認められたが、殿下渡領に関してはその時々の藤氏長者が預かることになるが、それでよいな」
「それで結構でございます」
殿下渡領は大和国佐保殿・備前国鹿田荘・越前国片上荘・河内国楠葉牧の4荘園と、勧学院領34カ所、法成寺領の18カ所と19末寺、東北院領34カ所、平等院領18カ所と11末寺だったな。
確かに公卿にとては大きな所領だが、今の武田家にとっては微々たるものだ。
今は近衛家が御堂流摂関家の嫡流と断じた、後白河院の院宣が否定されただけで十分だ。
それに武田家が天下を掌握している限り、武田家所縁の摂関家が藤氏長者を独占することになるだろう。
「それで武家の官位を令外官として権官を認める件だが、武官と大臣職以下の大納言までにしてもらえないだろうか」
「全てを認めて下さったと、今御聞きしたところでございますが」
「確かにそう申した。だがら征夷大将軍も征東大将軍も、王の自由に任じてくれて構わない。だが大臣職だけは、公卿に限ってもらえないだろうか。それに公卿に限ると言っても、武田家所縁の九条家、松殿家、鷹司家、三条家があるから、必要とあらば大臣職も独占出来るではないか」
「そのような事をしたくないから、態々御願いしているのでございます」
「そこをまげて大臣職だけは勘弁してくれ」
「御恐れながら禅閤殿下、令外官の内大臣までは、諸侯王陛下が独断で任じれるようにして頂きとうございます」
「それは難しい。内大臣は1名という定員があるのだ」
「それは可笑しいのではありませんか」
「なにがだ」
「大納言にしても中将にしても、当初の定員を大幅に超える権官が置かれているではありませんか、令外官である内大臣ならば、権内大臣を置いてもよいのではありませんか」
「勘助よ、そんなことを言えば、摂政も関白も令外官なのだ。九条家、松殿家、鷹司家、三条家が常に権関白の位を独占すると言う恐れを、皆抱いておるのだ」
「では禅閤殿下、准大臣の位を自由にさせていただきたい」
「准大臣か」
「准大臣ならば内大臣よりも下位。諸侯王の文官最高位は准大臣とすれば、公卿の方々も安心されるのではありませんか。それと諸侯王も独自の文武百官を置かねばなりませんが、諸侯王の左大臣が朝廷の准大臣なら、公卿の方々も安心されるのではありませんか」
「それはどうであろうか。だが次郎殿や三郎殿は、信龍殿の家臣になるのであろうが、朝廷でもそれなりの地位は得て欲しいのは確かだ」
「鷹司次郎が信龍の左大臣を務めつつ、准大臣を務める。いえ、松殿家を継いで左大臣を務めることもあり得ます」
「そうか、そうだな。だが摂関家を継げるのは、余の血を引く者だけにしてもらいたい」
「分かっております。いかに優秀であろうとも、側室や妾の腹から生まれた者は、准大臣に留めると約束しましょう。今ここで誓紙を御書きしましょう」
「そうしてもらえると余も安心であるし、他の公卿達も説得しやす。それとどうしても聞き入れてもらいたいことがある」
「改まって何事でございます」
「義信殿と信龍殿が、終生御上に仕えると言う証が欲しい」
「それは誓紙を差し出せと言う事でございますか」
「誓紙だけでは安心出来ぬ。武士の中には誓紙であろうと、平気で反故にする者がいるのでな」
「ではどうしろと申されますか」
「偏諱じゃ」
「義信と信龍に偏諱を受けろと申されるのですか」
「そうじゃ」
「御上と院の諱を頂くことになるのですね」
「そうじゃ」
「しかしながら禅閤殿下、足利尊氏公は偏諱を頂いた北条家を滅ぼし、恐れ多くも後醍醐天皇にも叛いております。義信と信龍が御上と院から偏諱を頂いたとしても、反逆しないと言う約束にはなりませんぞ」
「そんなことは分かっておる。分かっておるが、少なくとも尊氏は朝廷を滅ぼしてはおらぬし、後醍醐天皇の命を奪ってはおらぬ」
「御上も院も、そこまで不安に思っておられるのですか」
「御上と院というよりも、公卿衆が武家を信じておらんのだ」
「では義信は院から偏諱を頂いて知信と名乗らせて頂き、信龍が御上から偏諱を頂いて方信と名乗らせて頂いたら、御上や院だけでなく、公卿衆も安心されるのですね」
「そうじゃ。そうしてくれれば、余も安心出来る」
「義信の意見も聞かねばなりませんから、この場で返事はしかねますが、私には特に異論はございません」
「そうか。ならば兵部卿は受けてくれると言うことで、公卿共に話すことにしよう」
「いえ、それはしばしお待ちください。義信の返事がなければ約束出来ません」
「何故じゃ。今迄は義信がどう言おうが、武田家の当主は自分だと申して、余の頼みを聞き届けてくれなかったではないか」
「やれやれ、禅閤殿下ともあろう御方が油断でございましょう」
「何のことだ」
「呪詛でございますよ」
「あ、呪詛か」
「御上と院から偏諱を頂くとなれば、真名を秘すことが出来なくなります。それなれば武田家に恨みを持つ者共は、その持てる全ての力を使い呪詛を仕掛けてきましょう。禅閤殿下は義信と信龍が呪詛を受けてもよいと申されますか」
「それは兵部卿、義信殿は義信と違う真名を持ち、信龍殿も信龍とは違う真名を持つと言う事か」
「それは御答えできません。ただ三条から、公卿と武家の両方の血を引くならば、呪詛に備えねばならぬと、義信が産まれた時に言われたのは確かです」
「そうだな。余も飯綱の法を学んでおるし、義信殿も山窩や修験者から色々な秘法を学んでると聞いている。確かに迂闊に真名を知られるのはよくないな」
「はい。ですから返事はしばらくお待ちいただきたいのです」
「分かった。そう言う事なら仕方あるまい」
「それと准大臣の件でございますが、長年朝廷に貢献している中院通為殿、勧修寺尹豊殿、中山孝親殿、万里小路惟房殿を准大臣に推挙したいと思っております」
「推挙だと。諸侯王になれば自由に任じられるのではないか」
「武田家の天下になったから、忠勤を励む者が報われる世になったのではなく、御上の御代になったから報われるようになったと、公卿衆に思わせるべきだと義信から文が来ました」
「公卿衆を懐柔する為ではなく、御上を立てる為だと申すのだな」
「義信は左様申しております」
「分かった。そう御伝えしよう」
「御願い致します」
「摂関家」
九条家:九条方信(武田信龍・鷹司信龍)
松殿家:鷹司次郎が継ぐ予定
鷹司家:鷹司実信
三条家:三条公之
一条家:一条内基
二条家:二条晴良
近衛家:近衛前久
「大臣級」
准三宮 :九条稙通
准三宮 :鷹司公頼
関白 :二条晴良
太政大臣:
左大臣 :西園寺公朝
右大臣 :花山院家輔
内大臣 :正親町三条公兄
准大臣 :鷹司実信
准大臣 :三条公之
准大臣 :中院通為
准大臣 :勧修寺尹豊
准大臣 :万里小路惟房
准大臣 :中山孝親
「御屋形様。手の者を引かせますか」
「まだだ。御上に崩御していただかねばならない場合があるかもしれぬ。何かあった場合でも、どんな手段でも取れるようにしておけ」
「承りました」
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