閉じる

転生武田義信

克全

第162話奇襲

1563年12月薩摩東福寺城本丸:義信・信龍・影衆・義信視点

「島津貴久はどうしている」

「以前の居城であった一宇治城に籠っております」

「攻略の目途はついておるのか」

「取り逃がさないように、慎重に取り囲んでおります。今しばらく御待ち頂ければ、左近衛大将閣下に初陣を飾っていただけます」

「そうか。無理せず慎重に進めよ」

「は!」

俺達は島津家への奇襲に成功した。

島津貴久の居城であった内城は、今迄居城としていた清水城が手狭になった為に1550年に築城した城だが、海岸線に近い割には海防対策が出来ていなかった。

いや、それは島津貴久に厳しすぎるな。

戦国日本のどこの誰にも、大砲を30門以上搭載した大艦隊に奇襲されるなど想像出来ないだろう。

南蛮船と合いの子船の操船性と、羅針盤と天測航法による沖合航行により、島津だけでなく九州の全大名国衆地侍に気付かれることなく、沿海州沿岸から朝鮮半島、対馬海峡を抜けて肥前肥後の海岸に近づくことなく、鹿児島湾に侵入することが出来た。

これも長年に渡る海軍交易の成果で、常に奇襲攻撃を想定して航海してきた海賊衆の努力の賜物である。

流石に鹿児島湾に入り内城に近づいた時には島津も気付き、簡単な屋形作りの平城でしかない内城から、後詰の城である東福寺城に逃げ込んだが、圧倒的戦力に抵抗できず、決死隊が残って島津貴久と主だった一門を逃げすのが精一杯だったようだ。

元々の居城だった清水城跡に建てられた大乗院に籠城する島津家家臣もいたが、さしたる損害も出さずに落とすことが出来た。

俺と信龍は安全を考慮して、勝負がつくまで別々のフリーゲートに残っていたが、特に決断を迫られるようなこともなく、楽々と内城と東福寺城を手に入れることができた。

上山城・川口城・小田城・椿山城などの近隣諸城も次々と落とし、比志島城の比志島義基は早々に降伏臣従を誓って、比志島城を明け渡した。

同時に一門の小山田家も、小山田城を明け渡し生き残りと再起を図った。

まあ一旦俺に降伏臣従して城地を失った者でも、後々功名をあげて、元を倍する領地を手にしている者も多いので、即座に決断出来たのだろう。

さて肝心の一宇治城だが、元々は俺が支援している島津義虎の父・島津実久の支配下にあった城なのだが、激しい攻防の末に島津忠良・貴久父子が手に入れている。

その後は伊作城から一宇治城に居城を移して戦っていたが、船による交易で軍資金を稼ぐことと、島津実久・義虎による奇襲を警戒して、後方の清水城・内城に居城を移したようだ。

だが俺の支援する島津義虎がある程度の勢力を維持しているため、島津右衛門大夫孝久を地頭兼城代として置き、最前線を護る重要な城だった。

自然の山を利用して築かれており、城と呼ばれる独立性の高い大小30余りの曲輪を配し、強固な守りを誇る城なのだ。

内城や東福寺城のように簡単に落とすことは不可能なのだが、同時に島津忠良・貴久父子が野に隠れる事を防いでくれたと言う面もある。

島津忠良・貴久父子が野に隠れ、長尾景虎(上杉謙信)や小笠原長時・神田将監のように、騎馬隊を率いて遊撃を仕掛けてきた方が困っただろう。

島津忠良・貴久父子を一宇治城に閉じ込め、徐々に徐々に締め上げ、確実に首を取る方が楽だと思う。

何よりも信龍の初陣にはうってつけで、堅実確実に敵を討ち取ることの大切さを実戦で伝えることが出来る。

何より初陣で、敵はおろか朝廷まで欺き、国土を縦断するような移動奇襲を行う大戦略を、兵站の準備から体験することで、高い視点から戦略を考えられる武将に育って欲しい。

親の欲目かもしれないが、諏訪城や小田原城に居た頃よりも、一皮も二皮も剥けて大きく成長してくれたと思う。

最前線での行軍は、フリーゲートや戦列艦を利用出来ても負担の大きいもので、まして態と徒士行軍も経験させたから、信龍の財産になったと思う。

小田原城から蝦夷地・樺太・沿海・朝鮮半島・九州上陸と続く大遠征は、今後行われるであろうアラスカから北米に及ぶ大遠征や、台湾からフィリピン・ボルネオへと及ぶ大遠征を計画するうえで、よきたたき台になると思う。



1563年5月二条城本丸信玄私室:武田信玄・山本勘助:信玄視点

「御上や院の返事はどうなっている」

「は、特に何も」

「言を左右され、認めるとも認めないとも申されないのだな」

「はい。公卿共に任せていると言われるだけでございます。いっそ荘園や家職の年貢を止めますか」

「それは不味い。甲信や東国だけを支配して居た頃なら、何かと理由を付けて年貢を止めることが出来たが、天下人となった今恣意的に年貢を止めれば、器量をとわれてしまう」

「ならば殺しますか」

「そうだな。2・3の公卿を殺して見せしめに致せ」

「男子を皆殺しにして、家も取り潰してしまいますか」

「ふむ。義信は子沢山で、身分卑しい妾の子も多くいる」

「母の身分も定かでない、いえ、河原者の母から御生まれになった若君を、公卿の養嗣子になされるのでございますな。公卿共の陰口が聞こえるようでございます」

「我が孫に相応しい領地を与え、富裕で公卿共を見下せるようにすればよい」

「公卿共は怒り狂いましょうな」

「腹を立てて愚かなことをしでかしてくれれば、それを理由に公式に取り潰してくれる。その後家職を継がせなばならにという理由で、義信の子に家を再興させればよい」

「御上を弑逆なされることはないのですね」

「それだけは義信に止められているからな」

「維新皇子に皇統を継いでいただくことは駄目なのでございますか」

「それも義信から極力避けるように言われている」

「何故でございますか」

「平清盛殿と安徳天皇の例もある。あまり惨いことはすべきでないと言っておるのだ」

「若殿様がそう申されるのでしたら、誠仁親王に皇統を継いでもらわねばなりませんか」

「今のところはな」

「今のところでございますか」

「そうだ。今のところはだ」

「ではまずは反対派の公卿を3人始末いたします」

「うむ」



1564年1月二条城本丸信玄私室:武田信玄(兵部卿)・九条稙通(禅定太閤・禅閤):信玄視点

「兵部卿殿、これ以上惨いことは止めてくれぬか」

「惨いことでございますか」

「そうだ、何の力もない公卿共が騒いだくらいで命まで取るのは、少々遣り過ぎではないか」

「私も義信も、伊那の時の裏切りを忘れておりません」

「それを言われるとこれ以上何も言えなくなるが、歴史に悪名を残すようなことは止めてもらいたいのだ」

「大逆の事でございますか」

「口にするのも憚られることだが、五摂家の者達もそれを恐れておるし、御上も院も口にこそなされないが、内心不安に思っておられる」

「それだけはやるなと義信に諫言されておりますが、そろそろ武田の譜代衆の公卿衆への反感は限界に来ております」

「そうか。やはり義信殿は反対であったか」

「しかし如何に義信が反対しようと、武田家の当主は私でございます。武家としてなさねばならぬと決断すれば、保元の乱や平治の乱の再来も厭わないし、南北朝の世に戻ろうと構いません」

「それは困る。それは困るのだ兵部卿殿」

「まあ今の武田家なら、1度の戦いで反対派を皆殺しにすることが出来ますが」

「ならば兵部卿殿、どうすれば納得してくれるのだ」

「御恐れながら禅閤殿下、公卿衆は姑息すぎましょう」

「何のことを申しておる、勘助」

「こちらは譲歩に譲歩を重ねて諸侯王の地位を願っておりますのに、それを列候の位に留め、侯爵として公卿衆より下に置こうとしたことは、許しがたいことと臣らは憤っております。譜代衆のなかには、摂関家は武田所縁の鷹司家、九条家、三条家だけを残し、近衛家、二条家、一条家は攻め滅ぼしてしまえと申す者も多うございます」

「それは待て、待つのだ勘助」

「ならばどうしてくださいますのでしょうか」

「兵部卿殿の王位を御認めになるように、御上と院に再度言上しよう。儂だけではなく、出来る限りの公卿衆を集めて説明申し上げる。だから待つのだ」

「何時まででございますか。このままでは御屋形様が王位に御着きになる前に、九州を平定してしまいます。そのようなことになれば、九州平定軍が若狭に集結し、そのまま御上と院を弑逆する刃となりますぞ」

「勘助、そのように脅すものではないぞ」

「申し訳ございません、御屋形様」

「禅閤殿下、武家として御上に仕える気持ちに変わりはございませんが、その御上が禅閤殿下と私の血を引き継いだ孫であってもおかしいわけではありません。そこを私心を抑え、元々の日ノ本の地は摂関家として治め、独力で切り従えた、アイヌの国であった蝦夷地や異人の国であった樺太や千島は、異国の王として遇してもらいたいと言うのは、当然の事だと思うのですよ」

「それはもっともだと思う。私はもっともだと思っているのだが、中にはものの分からん者もおるのだ」

「御恐れながら禅閤殿下、そのような者は死んで頂き、ものの通りの分かる者に、家を引きつで頂けば宜しいのではございませんか」

「勘助止めよ」

「は!」

「それでは兵部卿殿、武田家の所領であっても、日ノ本の地に関して摂関家として治める荘園だと言うのだな」

「左様でございます」

「諸侯王として治めるのは、蝦夷地より東国と言う事だな」

「左様でございます」

「ならば九州はどうなるのだ。諸侯王就任を九州平定より前と急いでおるが、それは諸侯王として九州を平定し、九州を諸侯王の領地としたいからではないのか」

禅閤殿下も公卿として命懸けで交渉しているのだな。

いかに義信の義父とは言え、俺に正面から逆らえば、密かに殺される恐れがあるのは理解しているだろう。

それを九州の地が、武田諸侯王家の私領ではなく鷹司摂関家の荘園だとはっきりさせることで、公卿としての責任を果たそうとしている。

いや、単に公卿として御上や院に忠誠を尽くすだけではなく、信龍の祖父として、信龍に王の地位を与えたいと言う思いもあるのかもしれない。

日ノ本の中では実質的な天下人として君臨し、蝦夷地や樺太・千島・沿海では、諸部族を王として従える義信の義父であり、信龍の実祖父となるのだ。

若い頃は困窮して堺や九州に落ちていたのを考えれば、栄耀栄華を極めていると言えるだろう。

九条簾中や信龍が、平氏のように驕り高ぶって落ちぶれることのないように、身体を張って教えているのかもしれないな。

だがまあ義信と計画したことは、はっきりと伝えて御上と院にも認めていただかねばならぬ。

「そのような事はございません。九州の地は日ノ本の地でございます。義信がこれから攻め取る地は、鷹司家の荘園でございます」

「そうか。それならば安心して御上にも院にも言上できる」

「しかしながら、それより南の地は別でございます」

「南。九州より南にも攻め込むと言うのか」

「左様でございます」

「九州より南と言えば琉球だが、琉球は明の属国ではないか。明の属国に攻め込むと言うのか」

「明と話し合った上での事でございますが、御上を明の皇帝と同格として、属国の境界を定めたいと思っております」

「御上を明の皇帝と同格といたし、対等に交渉しようというのか」

「足利義満公のように明の属王となり、御上や院を貶めるようなことは致しません。聖徳太子がなされたように、明に対して対等の国書を送り、正々堂々と交渉いたしたいと思っております」

「う~む。それでは明と戦になるのではないか」

「明にはまともな海軍も水軍もございません。僅かな海賊ごときに沿岸を荒らされ、右往左往するような状態でございます。鷹司武田海軍を使い、倭寇を名乗る明人海賊を討伐すると申せば、対等の交渉をする余地はあると考えております。それに万が一のことがあっても、御上の従える属国の1つが勝手に約束したこととして、知らぬ存ぜぬを押し通して頂けばよいのです」

「本当に大丈夫なのか。元寇のようにはならぬか」

「先程も申し上げたように、明にまともな海軍はございませんから、日ノ本に攻め込むことなど出来ませんし、琉球に援軍を送ることも出来ません。急遽艦船を作り攻め込んできたとしても、元寇の時と同じように撃退して見せます」

「そうか、分かった。ならば蝦夷、樺太、千島、沿海、琉球を武田王家の私領とすればいいのだな」

「いえ、これから切り取る蝦夷より遠くの国も、琉球よりも遠くの国も、全て武田王家の私領としていただきます。朝廷の兵が斬り従えたのならともかく、武田家が斬り従えた地を鷹司家の荘園にするわけにはいきません。いずれは信龍の弟や息子を、公爵として封じるのでございますから、領地は広ければ広いほどいいのです」

「儂の孫や曾孫が公爵として封じられるのか」

「いやだと申されるのでしたら、日ノ本の荘園を分地して、大名や公卿として独立することになりますが、禅閤殿下はどちらを望まれますか」

「そうか、どちらも選べるのか」

「私が諸侯王に封じられれば、どちらも望むままでございますよ」

「分かった。何としても説得して見せる」

「転生武田義信」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「歴史」の人気作品

コメント

コメントを書く