転生武田義信

克全

第150話推測

1560年4月・京二条城の本丸義信私室:鷹司義信視点

着々と三好と尼子を討伐する準備が進んでいる。

各地の国衆や地侍も秘かに調略が進み、鷹司軍の侵攻に合わせて寝返ってくれる。

だが調略の条件に関しては、信長達軍師や側近衆と方面軍司令官とで反目があるようだ。

信長達は純粋に天下布武の最短の方法を選択してくれており、方面軍司令官を筆頭とする現地指揮官は、後々の統治のし易さを基準にしてくれている。

いや、これは俺の言い訳だ。

全ては俺の逡巡が原因なのだ。

俺が方針を決めかねているから、軍師と現地指揮官の間に齟齬が産まれているのだ。

俺さえハッキリと目標と手段を決めれば、家臣達が争う事などないのだ。

まあ手柄争いや出世競争は絶対存在するんだが。

その問題は別に考えるとして、問題は俺が方針を決めかねている理由だが、単純に尼子晴久と三好義興の寿命の問題だ。

史実の2人の死因が暗殺や戦死なら、流れの変わったこの世界では死亡日時が変わるだろう。

だが病死だとすると、もうそろそろ死ぬはずなのだ。

尼子晴久は暗殺説もあるが、恐らく病死だと思うから、山陰方面は戦わずに手に入る可能性が高いのだ。

日本国内は長年に渡る戦で、少し手を加えるだけで耕作可能な土地が、今の耕作面積の3割前後も手つかずで放棄されている。

まして俺が開発させた農耕具を使い、用水路を整備させれば、日本の農業生産力は2倍になるだろう。

国家規模の灌漑や開拓を行えば、3倍にさせる事も不可能ではない。

だがその為には、労働力を確保する必要がある。

戦で人命を消耗する事などできないのだ。

1番強敵の三好長慶も、嫡男である三好義興を亡くしてから、耄碌したのは間違いない。

まあ本当に嫡男の死で耄碌したのか、そんな要因などは関係なくアルツハイマーで衰えたのかは明白ではないが、少なくとも三好義興が死んだことは確かだ。

そしてその三好義興の死因だが、よく小説に書かれるのは松永久秀による暗殺だが、この世界で俺が調べた範囲では、松永久秀は忠臣だ。

三好長慶や三好義興を害するなど考えられない。

史実で分かっている三好義興の死因だが、まず間違いなく肝臓系の病気だろう。

よく死因が黄疸と書かれているが、黄疸とは症状であって病気や疾患に伴うものであり、黄疸を引き起こした病気は何だったかと言う事だ。

俺自身この世界に転生して、甲斐の日本住血吸虫を退治できず、未だに領民を救い切れていないから、肝臓病由来の症状には敏感なのだ。

三好義興の死は突然だったと言われているので、日本住血吸虫と言う事はないだろう。

俺が影衆に調べさせた日本住血吸虫の生息地域は、甲斐と駿河の他は、関東の利根川と小櫃川の流域、安芸の高屋川流域、九州の筑後川流域だけだ。

恐らくは劇症肝炎が原因だ思うのだが、そうなると飲食が原因のA型肝炎の可能性は低い。

可能性は高いのはB型肝炎なのだが、この時代のB型肝炎の最大要因は母子間による垂直感染だと思う。

だとすると三好義興は既に罹患しているはずだから、放っておいても死んでくれるはずなのだ。

まあ性交渉の可能性もあるから、その場合は大きく歴史が変わっているこの世界では、三好義興が死なない可能性も高い。

だからなのだ。

だから決戦の開始を決断できず逡巡してしまい、家中に亀裂を産むと言う、絶対に起こしてはいけない事をしてしまった。

そしてその逡巡は、敵に手を打つ時間さえ与えてしまったのだ。



1560年5月・躑躅城の本丸信玄私室・武田信玄・山本勘助:武田信玄視点

「御屋形様、いかがなされますか」

「京にも知らせは届いているのだな」

「はい、定期の伝書鳩で送られているはずです。それに加えてこちらからも、関東東北で賊が蜂起したと送っております」

「義信とも思えぬ手抜かりだな」

「そうとも申せないと思いますが」

「ほう、勘助は今回の蜂起が大した事ではないと言うのだな」

「大した事はないとまで言う気はありませんが、各地の駐屯地部隊に盗賊討伐の気勢を上げさせ、定期巡回を増やせば済む事でございます」

「土豪や帰農した地侍にまでは飛び火しないと言うのだな」

「はい、若殿に敗れた関東東国の土豪や帰農地侍も、多くの家族が今回の尼子遠征に参加しております。まず間違いなく大勝利が約束されており、帰農した者の子弟が従者に取り立てられます」

「子弟が大手を振って武士に戻れ、手柄次第では鷹司家の直臣になれるとなれば、賊の誘いには乗らぬと言うのだな」

「左様でございます」

「だが世の中には、どうしようもない愚か者もおれば、武士の意地を貫くために命を賭ける者もおるぞ」

「分かっていて試されるのですか」

「ふむ、やり方が汚いか」

「いえ、ですが相手は選んでくださいませ」

「そうか、もはやただの大名ではおられぬと言う事か」

「はい、御屋形様は若殿の父君であられます」

「天下人の父ともなれば、今までと同じではいられぬか」

「はい、泥を被って頂かねばなりません」

「領国の支配を失い戦い続けた父に比べれば、今の儂の苦労など大した事ではないし、被る泥も少ないものだ」

「ならば賊共の捕縛は、武田忍軍で行いましょう」

「殺さず捕縛か」

「大切な労働力です、常に人夫が不足している鉱山に送りましょう」

「そうだな、だが賊共は、普段は山中に隠れておるのではないか。我が武田忍びでも、直ぐに補足するのは難しいのではないか」

「若殿配下の山の民や修験者に、若殿から繋ぎをとって頂きましょう。今回の賊共は、報奨金目当てに主君を裏切った不忠者。しかも若殿の配下の諸将が、足軽働きを断るほど品性下劣な者どもです。同類以外に匿ってくれる者などおりません」

「ふむ、叛意を隠して義信に仕えている者も炙り出せるか」

「はい、それも可能ではありますが、今は決戦前でございますから」

「欲張らず、まずは賊共をとらえる事か」

「はい」

「関白の性格と立場では、自分に味方して主君を裏切り、首を持って来た者を殺す訳にはいかないだろう。また裏切り者を取り込み、汚れ仕事をさせる事も出来ないだろう」

「先程も申し上げましたが、これからもその役割は、今まで通り御屋形様が分担されるのです」

「ふむ、今回は儂が後手に回ったとう事か」

「いえ、若様の油断でございます。本当ならもっと早く尼子を攻め滅ぼせたはずです」

「そうだな、何を躊躇っておるのか。関白の事だから、何か理由があるとは思うが、油断や慢心ではないと言い切る訳にもいかん」

「文を送られてはいかがですか」

「ふむ、やんわりと注意すべきだな」

「はい」



1560年7月・因幡国姫路城・猿渡伯耆守飛影・飯富三郎兵衛尉昌景:猿渡飛影視点

「伯耆守殿、海軍衆の奇襲が成功いたしました」

「左様か、ならば我らも急ぎ攻め込むとしようか、各々方も急ぎ陣に戻られ、出陣して頂きたい」

「「「「「は!」」」」」

やれやれ、ようやくこれで尼子を滅ぼすことができる。

軍団長として認められ、一方の旗頭となれたことは名誉だが、国衆や地侍に一挙手一投足を注目されるのは、修験者上がりの俺には視線が重い。

ずっと陰に生きてきたから、表の光の中で生きるのは、苦手とまでは言わないが、どうも人の着物を着ているような感じがする。

実際の軍の差配も、人並み以上の才覚があると自負してはいるが、得意と胸張って言えるのは、調略や野伏、火付けなどの忍び働きだ。

「伯耆守殿の調略は、相変わらず見事なのもでございますな」

「なあに、今でも影衆が気を遣ってくれて、人や情報を優先的に回してくれるからですよ」

「なるほど、やはり情報が命なのですね」

「左様、三郎兵衛尉殿も今から、影衆の中に懇意な者を作られた方がいい。そろそろ独立した師団を率いられることになる」

「そうなればいいのですが」

「今回の杵築神社(出雲大社)の寝返りは、尼子に決定的な打撃を与えることだろう」

「確かに、山陽道の覇者とも言える尼子国久にとって、本貫地の出雲西部塩冶地帯、特に吉田荘を奪われる事は、単に領地を奪われる事に留まらず、面目を潰されることでしょうな」

「確かに面目を潰されたことも大きいが、何より重大なのは、尼子晴久が護っているはずの本貫地が、易々と我らに奪われた事だ」

「それは、晴久が態と守りを薄くしたと疑うと言う事ですか」

「事実は違うが、国久が晴久に疑念を持ったり、恨みを抱いてくれる可能性がある」

「だからですか、若様の指示通り、国衆や地侍の降伏臣従条件を緩やかにされたのは?」

「それもあるが、関東東国で賊共が蜂起した事が大きい」

「ですがそれは、御屋形様が討伐されたのではありませんか」

「ああ、確かに御屋形様が討伐された。我が軍では足軽にもなれぬ半端者共ではあるが、元々は関東東国で大名国衆に仕えた足軽どもだ。戦いには慣れておる」

「御屋形様は、それを僅か1月足らずで捕縛された」

「何時もの事だが、えげつない手を使われる」

「以前と同じように、首魁の首を持参すれば、銭500貫文を褒美に与えるでしたね」

「ああ、それに加えて甲斐武田家の直臣に召し抱えると約束されて、関東東国に散在する5000の賊を、瞬く間に集められた」

「そして集めた賊を甲斐に移動させ、一網打尽になされた」

「小集団ごとに、バラバラに山に籠られると厄介だが、ひとまとめにして城内に閉じ込めれば容易い相手だからな」

「今では佐渡や甲斐の鉱山で、死ぬまで働く身ですか」

「若様を裏切り鷹司の顔に泥を塗ったのだ、簡単に死なせはせんと言う事だ」

「裏切ったと言うよりは、見捨てられたと言うべきでしょう」

「それは己の日頃の行いよ、同じ寝返りでも、節度と言う物がある」

「若様の御性格では、元の主君の首を、肉片のなるまで奪い合うような下郎共を、家臣に加えるなど無理でございますから」

「そうだ、だからこそ関東東国に反乱の元になる賊共が残ってしまった」

「若様の意向に叛いてでも、秘かに召し抱えるべきでしたか」

「我ら直臣がそのような事をすれば、鷹司軍の軍律が緩んでしまうから、出来ぬ話だ」

「寝返った大身国衆に召し抱えさせるのですか」

「後々軍律を犯すようなら、処罰できるからな」

「それも若様が嫌いそうな手立てですね」

「そうだな、だが御屋形様が何時までも御健在とは限らないからな」

「我らの中から、汚れ役を引き受ける者を出すのですね」

「ああ、今回のような僧兵や修験者の調略は我の役割だから、汚れ役まで引き受ける訳にはいかんが」

「他の古参衆とも相談して、誰に引き受けてもらうか決めねばなりませんね」

「そうだな」

本来なら俺が引き受けるべきなのだろうが、若様の眼を掻い潜って汚れ役を引き受けるのは無理だろう。

有り難いことに、不足はないか名門に邪魔されていないかと、常に気遣いして下さっている。

だからこそ、今回のように僧兵や修験者を調略する役目は、絶対に失敗できない。

幸い大山神社の僧兵3000を筆頭に、杵築神社や鰐淵寺等の多くの僧兵を、若の家臣に迎え入れる事ができた。

だが僧兵を今まで通り放置して、寺社に力を持たせ続ける訳にはいかなかった。

若の理想を実現すべく、僧兵を神社仏閣から切り離し、武士としての地位を与えて、国境で対峙していた尼子軍の後方から奇襲させた。

若から指示を受けていた南条などの国衆は、全て寝返ったようだ。

寝返って味方になったばかりの国衆に、迂闊に背中を晒す訳にはいかないが、このまま一気に月山富田城まで攻め込んで見せる。

尼子国久の横槍には十分注意しなければならないが、備後守一益殿が山陽道を侵攻しておるから、そのような可能性は低いだろう。

万が一阿波から三好が瀬戸内を渡って来たとしても、美作を中心に山陰と山陽の境目には、左衛門督信繁様がいて下さる。

尼子国久がこちらに来る事は不可能だろうし、そもそも三好が鷹司海軍を撃破して瀬戸内を渡れるはずもない。

索敵を疎かにする心算は無いが、過剰な後詰を置く必要はなかろう。

宮吉城:田公高家
大崎城:樋土佐右衛門

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