転生武田義信
第141話播磨侵攻占領
1559年4月・京二条城の二ノ丸政務殿・鷹司義信・真田幸隆・黒影:鷹司義信視点
「関白殿下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」
「よくぞ参られた左京大夫殿、これからは公家として、心静かに暮らされるがよかろう」
「有り難き幸せでございます」
さて、これで前播磨守護の赤松左京大夫晴政を降伏臣従させた事になる。
現播磨守護の赤松左京大夫義祐は、備前に逃げて、足利将軍派の国衆と地侍の支援を受けているが、多くの国衆と地侍は、晴政の許可を受けることで俺に降伏臣従しやすくなった。
足利義冬将軍から正式な播磨守護職を得た赤松左京大夫義祐は、浦上政宗の支援を受けて、父親を追放していた。
追放された晴政は、娘婿の赤松下野守政秀を頼って龍野城に逃げ込み、そこで力を蓄えて復権を目指していたようだが、俺の謀略で播磨は荒れに荒れて、とても国衆同士で戦える状態では無かった。
だから俺の誘いを受けて、500石羽林家として家名を残すことに同意したのだろう。
摂津や丹波から兵糧1つ購入できない状態では、備前から兵糧と軍需物資の支援を受けることが出来る息子に、対抗することなど出来ない。
庇っている赤松政秀が、もう守り切れないと判断して、降伏臣従を勧めたのかもしれない。
「下野守もよく来たな」
「お言葉を掛けていただき、恐悦至極でございます」
「城地を召し上げた上で、一族一門家臣に至るまで扶持武士とする事で、下野守は構わないのだな?」
「結構でございます。ですが今後の働きによっては、城地を与えて頂けるのでございますね?」
「与えよう。だが天下100年の安寧を保つ為には、播磨国に城地を与える事は難しい。東国や九州になるかもしれないが、それでも構わないのか?」
「戦いに向かない者、武士を捨て武器を関白殿下にお預けさせて頂いた者は、百姓として播磨に残る事を御許しいただけるのでございましょう?」
「ああ約束しよう。非常時に逃げ込む城に全ての武器を預けるのなら、百姓として元々の土地に残ることを許そう。だが百姓となるのだから、参戦義務はなくなるが、年貢を納めてもらうぞ」
「その事は、承知させていただいております」
「そうか、ならばよい。下野守には、実力に応じて将兵を預ける事になる。これからの働きを期待している」
「は! お任せください!」
赤松左京大夫晴政:飾磨郡置塩城主3万石・播磨国・備前国・美作国守護
赤松氏の第11代当主
赤松左京大夫義祐:飾磨郡置塩城主・赤松晴政の男・浦上政宗に擁立され父を追放
室は細川晴元の娘
赤松下野守政秀 :播磨国龍野城主・別名宇野下野守
2人が出て行った後で、近習が次の謁見者、上月城主の赤松右京大夫政元を案内してきた。
「関白殿下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」
「よくぞ参られた左京大夫殿、貴殿の武勇の誉れは聞き及んでおる。これからは御上の為、朝廷の為に働いてもらいたい」
「お褒めに預かり光栄でございます。これからは朝廷に御仕えする武士として、恥ずかしくない働きを御覧に入れさせて頂きます」
「うむ、一旦城地を召し上げる事になるが、働き次第で東国か九州に城地を与える。だが天下100年の静謐のためには、あまり大きな城地を与える事は出来ない。左京大夫殿が見事な働きをした場合は、子息達を分家させる事になるが、それで構わないか?」
「結構でございます。我が息子達は武勇に優れておりますので、それぞれ殿下の御期待に応える働きが出来るものと、心から信じております」
「そうか、期待しておるぞ」
確かに赤松政元と5人の息子は、それぞれ武勇に優れているし、忠誠心も厚い。
先見の明もあって、備前からの支援を受けて俺に敵対するより、一旦城地を召し上げられてでも、将来の加増に期待している。
赤松右京大夫政元:佐用郡上月城主・武勇に優れる
:佐用郡、赤穂郡、揖東郡、揖西郡、宍粟郡の五郡を領す
赤松蔵人大輔政範:赤松政元の次男で嫡男
赤松正満:播磨鞍掛山城主・赤松政元の長男
赤松次郎政直:佐用郡早瀬城主・赤松政元の三男
赤松三郎政茂:赤松政元の四男
横山藤左衛門義祐:別名赤松政之・赤松政元の五男・室山城主
次に近習が部屋に案内して来たのは、別所安治だった。
「関白殿下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」
「よくぞ参られた大蔵大輔殿、父上共々武勇に優れていると聞いておる。これからの働きを、大いに期待しておるぞ」
「お褒めに預かり光栄でございます。これからは御上と朝廷に御仕えする武士として、恥ずかしくない働きを御覧に入れさせて頂きます」
型通りの挨拶ではあるが、これを省くわけにはいかない。
別所家も上月赤松家と同じように、働きによっては東国か九州に城地を与える約束をした。
だが配下の多くの国衆と地侍は、鷹司家の直臣として召し抱えているから、最盛期20万石を誇った別所家も、忠誠心厚き家臣を含めて4千石程度の領地になるだろう。
この後小寺家や中小国衆の謁見も行ったが、内容は全て同じで、城地を一旦召し上げて扶持武士とし、働きによって東国か九州に城地を与えると言うものだった。
1カ月をかけて万全の準備を整えて、播磨侵攻を開始した。
堺と岸和田に戦略戦術物資を備蓄しつつ、攻め取った石山本願寺を改修増築して、兵庫とともに最前線備蓄基地とした。
その上で海陸両軍を駆使して、那波や播磨国五泊の船泊・住泊・室津泊・飾磨泊・高砂泊などの湊を順番に攻略して、侵攻軍への補給を滞りなく行えるようにした。
まあ既に播磨の国衆と地侍は、謀略戦の影響で抵抗出来る状態では無かったの。
だが足利義冬将軍は、播磨と備前の国衆と地侍に、足利幕府の役職を乱発していた。
1将1兵でも多く俺に刃向かう者を増やそうと、まめに手紙を書き使者を送っていた。
足利義冬将軍は、赤松晴政から播磨守護職を剥奪し、赤松義祐を播磨守護に任命していた。
そして既に実力的には赤松晴政から独立している状態だった、別所安治・明石祐行・小寺則職・赤松政秀などの守護代クラスの国衆に、阿波足利幕府として正式に分郡守護代に就任させたのだ。
そして播磨国の後詰にするために、備前国で浦上政宗と浦上宗景の兄弟が、親尼子と反尼子で争っているのを仲裁した。
結果として備前国に関しては、足利義冬将軍直轄領として、尼子国久と尼子晴久の影響を排除した上で、浦上政宗と浦上宗景の兄弟と松田元輝に、それぞれ分郡守護代の役を与え、将軍家の直接影響力のある国を創り出した。
このように着実で政治的な調略を足利義冬将軍は仕掛けて来たが、既に播磨国内の混乱は、遠距離から政治的にどうこう出来る状態ではなかった。
その日の食糧にも事欠く百姓は、全て俺の支配している領地に逃げて来ていた。
田畑を耕すべき百姓を失った、丹波国や摂津国との国境に城地を持つ国衆と地侍は、城地を召し上げられ扶持武士に成ってでも、降伏臣従を望む状態になっていた。
別所安治・明石祐行・小寺則職・赤松政秀なども、戦いたくても、農民兵や足軽どころか、地侍すら集める事が出来ない状態だった。
忸怩たる思いを飲み込んででも俺に降伏臣従するか、阿波の足利義冬将軍や、尼子国久・尼子晴久を頼って、他国に落ちて行くしかなかった。
だが彼らも歴戦の戦国武将であり、武士の意地を示して城を枕に討ち死にするならともかく、生き延びるなら少しでも勝ち目があり、後々の復権の眼がある方を選ぶ。
そしてその結果として、俺に降伏臣従する事になるのだ。
ほとんど戦う事無く播磨を占領したが、英賀城と英賀御堂に籠る一向衆とだけは、戦う事になった。
将兵の損耗を恐れる俺は、播磨侵攻軍に長距離砲撃戦での包囲殲滅を命じた。
大砲と大弩砲の攻撃で一方的に叩かれた一向衆は、念仏を唱えながら絶望的な突撃を仕掛けてきたそうだが、士筒による9段交代連続射撃を受けて、1人残らず討ち死にしたそうだ。
「関白殿下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」
「よくぞ参られた左京大夫殿、これからは公家として、心静かに暮らされるがよかろう」
「有り難き幸せでございます」
さて、これで前播磨守護の赤松左京大夫晴政を降伏臣従させた事になる。
現播磨守護の赤松左京大夫義祐は、備前に逃げて、足利将軍派の国衆と地侍の支援を受けているが、多くの国衆と地侍は、晴政の許可を受けることで俺に降伏臣従しやすくなった。
足利義冬将軍から正式な播磨守護職を得た赤松左京大夫義祐は、浦上政宗の支援を受けて、父親を追放していた。
追放された晴政は、娘婿の赤松下野守政秀を頼って龍野城に逃げ込み、そこで力を蓄えて復権を目指していたようだが、俺の謀略で播磨は荒れに荒れて、とても国衆同士で戦える状態では無かった。
だから俺の誘いを受けて、500石羽林家として家名を残すことに同意したのだろう。
摂津や丹波から兵糧1つ購入できない状態では、備前から兵糧と軍需物資の支援を受けることが出来る息子に、対抗することなど出来ない。
庇っている赤松政秀が、もう守り切れないと判断して、降伏臣従を勧めたのかもしれない。
「下野守もよく来たな」
「お言葉を掛けていただき、恐悦至極でございます」
「城地を召し上げた上で、一族一門家臣に至るまで扶持武士とする事で、下野守は構わないのだな?」
「結構でございます。ですが今後の働きによっては、城地を与えて頂けるのでございますね?」
「与えよう。だが天下100年の安寧を保つ為には、播磨国に城地を与える事は難しい。東国や九州になるかもしれないが、それでも構わないのか?」
「戦いに向かない者、武士を捨て武器を関白殿下にお預けさせて頂いた者は、百姓として播磨に残る事を御許しいただけるのでございましょう?」
「ああ約束しよう。非常時に逃げ込む城に全ての武器を預けるのなら、百姓として元々の土地に残ることを許そう。だが百姓となるのだから、参戦義務はなくなるが、年貢を納めてもらうぞ」
「その事は、承知させていただいております」
「そうか、ならばよい。下野守には、実力に応じて将兵を預ける事になる。これからの働きを期待している」
「は! お任せください!」
赤松左京大夫晴政:飾磨郡置塩城主3万石・播磨国・備前国・美作国守護
赤松氏の第11代当主
赤松左京大夫義祐:飾磨郡置塩城主・赤松晴政の男・浦上政宗に擁立され父を追放
室は細川晴元の娘
赤松下野守政秀 :播磨国龍野城主・別名宇野下野守
2人が出て行った後で、近習が次の謁見者、上月城主の赤松右京大夫政元を案内してきた。
「関白殿下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」
「よくぞ参られた左京大夫殿、貴殿の武勇の誉れは聞き及んでおる。これからは御上の為、朝廷の為に働いてもらいたい」
「お褒めに預かり光栄でございます。これからは朝廷に御仕えする武士として、恥ずかしくない働きを御覧に入れさせて頂きます」
「うむ、一旦城地を召し上げる事になるが、働き次第で東国か九州に城地を与える。だが天下100年の静謐のためには、あまり大きな城地を与える事は出来ない。左京大夫殿が見事な働きをした場合は、子息達を分家させる事になるが、それで構わないか?」
「結構でございます。我が息子達は武勇に優れておりますので、それぞれ殿下の御期待に応える働きが出来るものと、心から信じております」
「そうか、期待しておるぞ」
確かに赤松政元と5人の息子は、それぞれ武勇に優れているし、忠誠心も厚い。
先見の明もあって、備前からの支援を受けて俺に敵対するより、一旦城地を召し上げられてでも、将来の加増に期待している。
赤松右京大夫政元:佐用郡上月城主・武勇に優れる
:佐用郡、赤穂郡、揖東郡、揖西郡、宍粟郡の五郡を領す
赤松蔵人大輔政範:赤松政元の次男で嫡男
赤松正満:播磨鞍掛山城主・赤松政元の長男
赤松次郎政直:佐用郡早瀬城主・赤松政元の三男
赤松三郎政茂:赤松政元の四男
横山藤左衛門義祐:別名赤松政之・赤松政元の五男・室山城主
次に近習が部屋に案内して来たのは、別所安治だった。
「関白殿下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」
「よくぞ参られた大蔵大輔殿、父上共々武勇に優れていると聞いておる。これからの働きを、大いに期待しておるぞ」
「お褒めに預かり光栄でございます。これからは御上と朝廷に御仕えする武士として、恥ずかしくない働きを御覧に入れさせて頂きます」
型通りの挨拶ではあるが、これを省くわけにはいかない。
別所家も上月赤松家と同じように、働きによっては東国か九州に城地を与える約束をした。
だが配下の多くの国衆と地侍は、鷹司家の直臣として召し抱えているから、最盛期20万石を誇った別所家も、忠誠心厚き家臣を含めて4千石程度の領地になるだろう。
この後小寺家や中小国衆の謁見も行ったが、内容は全て同じで、城地を一旦召し上げて扶持武士とし、働きによって東国か九州に城地を与えると言うものだった。
1カ月をかけて万全の準備を整えて、播磨侵攻を開始した。
堺と岸和田に戦略戦術物資を備蓄しつつ、攻め取った石山本願寺を改修増築して、兵庫とともに最前線備蓄基地とした。
その上で海陸両軍を駆使して、那波や播磨国五泊の船泊・住泊・室津泊・飾磨泊・高砂泊などの湊を順番に攻略して、侵攻軍への補給を滞りなく行えるようにした。
まあ既に播磨の国衆と地侍は、謀略戦の影響で抵抗出来る状態では無かったの。
だが足利義冬将軍は、播磨と備前の国衆と地侍に、足利幕府の役職を乱発していた。
1将1兵でも多く俺に刃向かう者を増やそうと、まめに手紙を書き使者を送っていた。
足利義冬将軍は、赤松晴政から播磨守護職を剥奪し、赤松義祐を播磨守護に任命していた。
そして既に実力的には赤松晴政から独立している状態だった、別所安治・明石祐行・小寺則職・赤松政秀などの守護代クラスの国衆に、阿波足利幕府として正式に分郡守護代に就任させたのだ。
そして播磨国の後詰にするために、備前国で浦上政宗と浦上宗景の兄弟が、親尼子と反尼子で争っているのを仲裁した。
結果として備前国に関しては、足利義冬将軍直轄領として、尼子国久と尼子晴久の影響を排除した上で、浦上政宗と浦上宗景の兄弟と松田元輝に、それぞれ分郡守護代の役を与え、将軍家の直接影響力のある国を創り出した。
このように着実で政治的な調略を足利義冬将軍は仕掛けて来たが、既に播磨国内の混乱は、遠距離から政治的にどうこう出来る状態ではなかった。
その日の食糧にも事欠く百姓は、全て俺の支配している領地に逃げて来ていた。
田畑を耕すべき百姓を失った、丹波国や摂津国との国境に城地を持つ国衆と地侍は、城地を召し上げられ扶持武士に成ってでも、降伏臣従を望む状態になっていた。
別所安治・明石祐行・小寺則職・赤松政秀なども、戦いたくても、農民兵や足軽どころか、地侍すら集める事が出来ない状態だった。
忸怩たる思いを飲み込んででも俺に降伏臣従するか、阿波の足利義冬将軍や、尼子国久・尼子晴久を頼って、他国に落ちて行くしかなかった。
だが彼らも歴戦の戦国武将であり、武士の意地を示して城を枕に討ち死にするならともかく、生き延びるなら少しでも勝ち目があり、後々の復権の眼がある方を選ぶ。
そしてその結果として、俺に降伏臣従する事になるのだ。
ほとんど戦う事無く播磨を占領したが、英賀城と英賀御堂に籠る一向衆とだけは、戦う事になった。
将兵の損耗を恐れる俺は、播磨侵攻軍に長距離砲撃戦での包囲殲滅を命じた。
大砲と大弩砲の攻撃で一方的に叩かれた一向衆は、念仏を唱えながら絶望的な突撃を仕掛けてきたそうだが、士筒による9段交代連続射撃を受けて、1人残らず討ち死にしたそうだ。
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