転生武田義信

克全

第136話和泉国侵攻

1559年正2月・京二条城・二の丸謁見の間・鷹司義信・真田幸隆ほか:鷹司義信視点

「大和守殿、よくぞ参られた。この度の働きは、関白殿下もいたく感心なされておられる」

「有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます」

真田幸隆が、今回の和泉国侵攻作戦で活躍した、淡輪城主の淡輪大和守隆重をもてなしている。

俺もいるにはいるのだが、御簾を下げた奥で聞く形で、とても偉そうにしている。

まあ関白となってしまった以上、新参の国衆にホイホイ会う訳にもいかない。

「殿下、大和守殿は橘氏の一門であられ、この度も鷹司准大臣閣下からの使者を受けて降伏臣従を決断され、海軍衆を率いて勇猛な働きをされました」

「うむ、よく存じておる。橘の一門であれば、我が弟で右近衛大将と准大臣を務める、鷹司卿の直臣とするがよかろう」

さて今回の茶番の1つは、鷹司実信に手柄を立てさせることでもある。

嘘か真か橘氏を名乗る淡輪に、鷹司実信の陣代を務めさせ、功名の足らない鷹司実信に手柄を立てさせる。

実信と普光内親王殿下の間に御生まれになった子供の1人に橘を名乗らせ、出来れば摂関家、最低でも大臣家の家格を与えたいのだ!

「殿下、この度の働きの褒美として、淡輪殿の一門から鷹司准大臣閣下の側室を迎えてはどうでしょうか?」

「うむ、大和守に異存がなければ余から弟の准大臣に伝えよう」

さてさて茶番が続くが、普光内親王殿下との間に子供が御生まれにならなかった時のことも、考慮しておく必要がある。

この場合は、俺と九条の間に出来た子に鷹司家を継承させるのは仕方ないが、橘長者は橘一族の血を引いていないと拙い。

だから実信の側室は、橘一門の娘で固めておきたいという思惑から、今日のこの茶番となったのだが、大和守はこれをどう取るか?

「真でございますか! 身が震えるほど光栄至極でございます!」

どうやら吉と出たようだが、この婚儀が人質を出すと言う事なのは、当然理解しているだろう。

だが同時に子供が生まれれば、その子は鷹司摂関家・九条摂関家・武田家の一門衆となるのだ。

これまでの例を見れば、上手くすれば公卿や大名の養嗣子となる事も可能だから、淡輪家にとっては利の方が多いだろう。

こちらにとっても淡輪は紀伊と和泉の国境にあり、何かあった場合は攻守の要となるだろう。

そこにそれなりの城と海賊衆を持つ勢力があれば、俺としても安心できる。

「御子が産まれれば、大和守殿は准大臣閣下の一門衆となられるのですな」

「有り難き幸せでございます!」

さて、十二分に準備を整え、満を持して行った対三好長慶との決戦だが、和泉・河内・摂津・播磨に同時多発的に侵攻した。

最初は調略から行っていた。

だが当然のことながら、滅ぼすと決めて降伏臣従を認めない家もある。

それは紀伊から追い出した畠山尾州家の畠山稙長派、畠山尾州家の細川晴元派、畠山総州家などの畠山一門であり、細川一門や赤松などの名門だった。

進んで降伏臣従しようとも1万石以上の領地は認めず、一門家臣を直臣に取り立てて勢力を割く常套手段を取ったが、それでも降伏臣従する者以外は、攻め滅ぼす覚悟で侵攻を開始した。

同時多発的な多方面からの侵攻ではあっても、やはり優先順位はあって、和泉から海軍艦艇の艦砲射撃や後方上陸挟撃を最初の侵攻とした。

これに淡輪大和守隆重と、彼が調略した和泉の海賊衆が存亡をかけて参加した。

同時に根来衆の調略が成功し、熱心な根来寺の信者である中盛重と赤井少納言坊が、此方の降伏条件を受け入れた。

2人を使って更に調略を進め、泉南の和泉三十六郷士と根来信者の多くが降伏臣従して先鋒を務めた事で、和泉の侵攻は瞬く間に進んだ。

強敵や堅陣に対しては無理な侵攻は行わず、抑えの兵を残して先に進むか、進軍を止め他の方面軍の侵攻を待って再度降伏の使者を送るかした。

生産力と戦力を極力失わないように、安全第一の侵攻作戦だった。

さて、足利義冬・細川晴元・畠山一門・三好長慶に忠誠を尽し、籠城したり城を捨てて味方に参じるものが、1人もいなかった訳ではない。

玉井壱岐守行家が細川氏綱に忠誠を誓い、千原城主に籠城したなどの例があった。

足利連合三好軍の和泉方面総大将は十河一存が務め、松浦守の養嗣子として押し込んだ三男の後見も兼ね、岸和田城に籠城しつつ三好水軍を率いて、水陸両軍で鷹司軍の侵攻を岸和田城で押し止めようとしていた

だが十分訓練を積んでから攻撃を開始した鷹司艦隊は、三好水軍の焙烙玉や火矢による攻撃を受ける前に、砲列を敷いた艦側を三好水軍に向けて、大砲の一斉射撃を行った。

南蛮船の一斉斉射を受けた三好水軍は、完膚なきまで叩きのめされて壊滅した。

更に松浦家の家督を奪われた松浦一門の松浦孫五郎は、松浦家と岸和田城を奪い返すため、鷹司軍を手引きしたのだ。

海上から轟音が響いた後で、岸和田湊沖に鷹司海軍の大艦隊が姿を現し、海賊衆の負けを悟った十河勢が意気消沈した所を、松浦孫五郎が城内の松浦一門と松浦家家臣に裏切りを呼びかけたのだ。

更に鷹司家が何時も使う3種の矢文を射込んだことで、岸和田城内は同士討ちが始まり、凄惨な状態となった。

生き残りと大金を目当てに、十河一存とその家族を雑兵共が襲いかかったのだ。

結局十河一存とその家族は、元の顔が分からなくなるくらい引き千切られてしまった。

当然近くで籠城していた福田城も落城し、福田九郎左衛門尉も無残な死を迎えた。

裏切りに加担した雑兵共には銭を分配して与えたが、このような畜生を鷹司家の直臣に加える事は出来ない。

松浦孫五郎には僅かな領地と松浦家の家督は与えたものの、海軍の拠点として有望な岸和田城は、鷹司家の直轄城地とした。

岸和田城と福田城が落ちた事で、決死の覚悟で千原城主に籠城していた玉井壱岐守行家も城を捨てて、主君である細川氏綱の下に逃げだした。

自治都市堺の近くで籠城していた、家原城主の寺町左近将監も、三好長慶の元に逃げ出して行った。

全ての報告を受けた後、真田幸隆が俺に話しかけて来た。

「閣下、堺をどう扱われますか?」

さて、いよいよ堺の扱いを決めなければならない!

「十河一存軍勢」
十河讃岐守一存:三好元長の四男・三好長慶の弟
松浦肥前守信輝:松浦守の養子・十河一存の実子・岸和田城主
福田九郎左衛門尉:福田城主・大阪府岸和田市尾生町福田地区
「細川氏綱勢」
玉井壱岐守行家:千原城主・大阪府泉大津市千原1丁目4
「松永久秀勢」
寺町左近将監:家原城主・大阪府堺市西区家原寺町1-1-34

戦国武将録・ウィキベキ参照参考

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