転生武田義信
第134話1558年・楽勝
京二条城・二の丸謁見間・鷹司義信・黒影・闇影・真田幸隆・佐々木刑部助:鷹司義信視点
「愛州小七郎宗通、面を上げよ。今日は特別の御配慮により、関白殿下との直答を許す」
「は! 有り難き幸せでございます」
柳生家厳が堂々と紹介した。
愛州小七郎宗通は、「剣聖」と呼ばれた上泉武蔵守信綱の師匠、愛洲久忠の嫡男で後継者だ。
柳生家は剣客としての繋がりを使って、熊野衆の1人でもある愛州一門を調略して来たのだ。
多くの国衆を同時に調略した北畠や楠には及ばないものの、着実に自分の所領に匹敵する国衆を調略してきた。
「愛州小七郎宗通、よくぞ参った! 小七郎が朝廷の為に働いてくれる事、心強く思うぞ」
「称賛の御言葉を賜り、恐悦至極でございます」
「うむ、小七郎が家厳の誘いを受け入れたくれた事で、新たにここに来てくれた者がおる」
「「は?」」
俺の突然の言葉に小七郎も家厳も怪訝な表情をしている。
「入られよ」
「は! 失礼いたす」
襖を開けて、「剣聖」上泉武蔵守信綱と弟子の疋田豊五郎景兼が入って来た。
信綱は、主君である長野業正が信玄に敗れた事で、故郷を離れ武者修行と新陰流の普及を目指して、諸国を流浪していた。
しかし東日本は、全て鷹司と武田の支配下に入ったため、一旦京に入って西日本を目指す心算だったようだ。
俺も信玄も、信綱を臣下に加えようと何度も使者を送ったのだが、当初は旧主である長野業正に忠誠を尽して、全く応じてもらえなかった。
だが師匠である愛州宗通の嫡男が俺の配下に加わると聞いて、懲りずに俺が送り続ける使者に対して、亡き師匠の恩に報いる為に助太刀したいと申し入れて来たのだ。
「小七郎の父、愛洲移香斎の弟子で、新陰流を立ち上げた上泉武蔵守信綱だ」
「「な?!」」
小七郎も家厳も剣客らしく隙は見せなかったが、それでもかなり驚いているようだ。
「武蔵守、その方の願い聞き届けよう。今は亡き師匠、愛洲移香斎の恩に報いる為に、愛洲家の寄騎に加わることを認める」
「は! 有り難き幸せでございます」
「同時にもし望むのなら、新陰流と陰流を鷹司家の剣術指南役に迎えよう、どうだ?」
「「「え?!」」」
驚いている、驚いている!
「この鷹司義信が、上泉武蔵守信綱と愛州小七郎宗通を剣術指南役として迎え、家臣達の剣術指南を託そうと申しているのだ」
「有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます、謹んでお受けさせて頂きます。この御恩に報いる為にも誠心誠意奉公させていただき、紀伊攻めの折には、誰にも負けない働きを御覧に入れて見せます!」
愛州小七郎宗通は、狂喜乱舞しかねないほど喜んでいる。
勿論極力その気持ちを抑えて面に出さないようにしているが、天下の半分を支配する武家で、関白も務める鷹司家の剣術指南役に就任できるのだ、陰流の隆盛と栄光は約束されたようなものだ。
どんなに抑えようと思っても、喜びを抑えるのはなかなか難しい。
一方の上泉武蔵守信綱は、即断即決とはいかないようだ。
旧主に対する忠誠を無碍にする事は出来ないが、信綱だって、天下を平定する確率が1番高いのが、俺だと言う事は分かってる。
今剣術指南役を受けなければ、新陰流に未来がない事は十二分に理解している。
「長野家を再興して頂けますでしょうか?」
「長野の血を引く者で有能な者が、鷹司家に仕官したいと言うのなら喜んで受け入れよう。だが無能な者に、扶持を与えることは出来ない。御上に忠誠を尽す意思と、武芸の腕があるのなら、それに見合う待遇で喜んで迎え入れよう」
「それは私が必ず鍛え上げて、一流の武芸者として仕官させます。いえ、仕官させて頂ければ、私が常に側に仕えて、補佐させて頂きます」
これで話が決まった。
信綱が後見し、信綱が鍛え上げた剣士が戦場で競って戦えば、戦力としては申し分がない。
問題は長野家を継げる男子がいるかだが、これは何とかなるだろう。
落延びた庶子がいるかもしれないし、何より長野業正には12人もの息女がいるのだ。
嫡男以外の男子に長野を名乗らせ、信綱に鍛えさせればいい。
俺が上泉武蔵守信綱・愛州小七郎宗通・柳生新次郎宗厳を厚遇した事は、瞬く間に剣客達の間で噂となって広まった。
日本中から富田景政・鐘捲自斎・宝蔵院胤栄・駒川国吉などが続々と集まり、元の流派を超えて切磋琢磨しだした。
そのため陪臣であった者や、各方面軍に所属していた者を直臣に改め、戦場で役立つ総合武術としての体系を研究させる事にした。
元々影衆や犬狼部隊がいるから、忍者に暗殺される恐れはないが、余計な襲撃未遂は行動を阻害して、時間を浪費してしまう。
多くの剣客が外周部にいれば、事前に襲撃を諦めてくれる可能性が高くなる。
1558年5月・京二条城の二の丸謁見間・鷹司義信・真田幸隆他:鷹司義信視点
「閣下、この度の褒美はどういたしましょう?」
「基本金穀の扶持を増やし、領地を与えないようにしてくれ」
「その心算ではありますが、北畠中納言様に領地を与えない訳には参らなのではありませんか?」
「そうだな、それに大和の国衆の中には北畠中納言の支配下から抜けだし、朝廷と直接つながりたいと申し出ている者もいるしな」
「はい、その事で軍師一同頭を悩ませております」
「牟婁郡で北畠に臣従した国衆の領地は、北畠領と認めよう」
「牟婁郡全部ではないのですね?」
「俺や海賊衆に臣従した者もいる、彼らを北畠の下につける訳にはいかん」
「確かにその通りでございますな」
「興福寺東門院院主だった、北畠具親を取り立てよう。その上で具親の家臣として、北畠家家臣の次男三男を取り立てよう」
「領地と石高はどうなされますか?」
「領地は与えない、扶持として玄米3万石、銭3万貫文を与えよう。」
「それで納得いたしましょうか? 北畠中納言殿は名門ゆえに、領地に対する思いも強いのではありませんか?」
「ならばそれに加えて、正三位大納言の官職を与えてはどうだ?」
「左様でございますな、それならば納得なされるかもしれませんが、北畠家自体が軍資金や兵糧を使っております。具親殿を取り立てる分を減らしても、北畠家へ金穀を褒美としてお与えするべきではないでしょうか?」
「弟を取り立てるより、北畠中納言に直接与えた方がいいのか?」
「はい、人にもよるでしょうが、弟を優遇すればするほど、逆に疑念を持つ事もございます。今北畠家に足利からの調略が入ることは、絶対に防がねばなりません」
「なるほどな、俺には理解しがたいことだが、確かに弟を優遇される事で、疑念を抱いたり嫉妬する者もいるだろうな」
「使者には弁舌巧みな鷹司家家臣と、武家伝奏を送られませ」
「武家伝奏は親戚でもある勧修寺尹豊殿でよいとして、鷹司家からは秋山虎繁を送ろう」
「それがようございます。御使者が御二人なら、北畠中納言様も納得なされましょう」
俺は十二分に準備を整えて、更に敵が農民兵の動員が難しい田植えの時期に、14万の大軍を整えて紀伊に攻め込んだ。
事前の調略で、7割の国衆と地侍が降伏臣従していたので、さしたる抵抗を受ける事なく、楽勝で紀伊を支配下に置くことが出来た。
個々の戦闘では、命を失う者も障害が残る傷を負った者もいるが、戦術戦略レベルでは楽勝であった。
問題は戦後の論功行賞なのだ。
7割を事前に調略していたと言う事は、褒賞は3割以内にしないと赤字になってしまうのだ。
基本は本領安堵を認める事を恩として与え、奉公として合戦に参加させる事で済む。
だが働きがよかった者に対しては、別に恩賞を与えなければならない。
恩賞の基本相場は決まっているのだが、出来るだけ領地は与えたくない。
先ずは感状を与えることを第1とし、第2は刀・槍・茶碗などの名物・金穀など、再生産が容易い物を一時的な褒美として与えることになる。
第3に官位官職と言ったた地位や名誉を与えることにして、第4は前記の3つを組み合わせて与える事とした。
第5に永遠に与える褒賞として、金穀を扶持として子々孫々それを保証することだ。
1人扶持で年間に4斗入米俵で5俵となる。
1人給金2貫文を与える足軽級からはじまり、50俵100俵と決まった蔵米を保証する徒侍級になる。
騎馬侍になると、自前の家臣を養う必要も出てくるので、蔵米・扶持・給金を組み合わせた、100俵4人扶持4人給金と言った形になる。
そして第6に領地を与えることになるのだが、後の世の反乱を防ぐ為にも、領地は極力与えたくないのだ。
だが北畠家だけは、領地をケチる訳にはいかなかった。
何故なら足利連合が虎視眈々と、俺が下手を討つのを狙っているからだ。
北畠家に与える褒賞は、多くても禍根を残すし、少なくても寝返りを誘発してしまう重要案件なのだ。
だがここで、御上と後奈良院を利用することを思いついた。
利用すると言うのは語弊があるが、御上も後奈良院も、天下の静謐を願われている。
ならば勅使や院使を送って北畠中将を慰撫してもらう事で、北畠家の謀反を防ぎ、朝廷と皇室に対する忠誠心を養うことが出来る。
最終的に御上と後奈良院の御陰で、随分と恩賞を節約することが出来た。
何より1番有り難かったのは、北畠大納言の忠誠心をガッチリ確保する事が出来た事だ。
こうなれば足利連合がどう画策しようが、北畠家が謀反を起こす心配がなくなった。
北畠家が大和に持っていた影響力も、大和国衆を近衛府出仕と言う形を取った事で、無くすことが出来た。
その代償ではないが、今回の紀伊攻めで北畠家を頼った国衆と地侍は、北畠家の直臣となった。
北畠家には、恩賞として10万貫文を与えることで、今回の戦費の足しにしてもらった。
永続的な恩賞としては、領地を与える事無く、北畠具親に蔵米5000俵と給金5000貫文を与え、北畠家で恩賞が必要な家臣子弟の仕官先を1つ作りだした。
同時に1552年に産まれた北畠大納言の次男にも、蔵米5000俵と給金5000貫文を与え、分家を立てる事を許可した。
これによって北畠家は、御上と朝廷も認める分家を、新たに2家設立することが出来た。
領地がないので、居住地を御所などと名乗ることは出来ないが、羽林家の家格を持つ公家大名として、朝廷に出仕することが可能となった。
さて、紀伊を完全に支配下に置くことが出来たので、安心して摂河泉に攻め込むことが出来る。
鷹司家太平洋艦隊も、後方を心配する事無く和泉・摂津に進み、足利連合三好家を阿波に逃がす事無く、包囲殲滅することが可能となる。
「愛州小七郎宗通、面を上げよ。今日は特別の御配慮により、関白殿下との直答を許す」
「は! 有り難き幸せでございます」
柳生家厳が堂々と紹介した。
愛州小七郎宗通は、「剣聖」と呼ばれた上泉武蔵守信綱の師匠、愛洲久忠の嫡男で後継者だ。
柳生家は剣客としての繋がりを使って、熊野衆の1人でもある愛州一門を調略して来たのだ。
多くの国衆を同時に調略した北畠や楠には及ばないものの、着実に自分の所領に匹敵する国衆を調略してきた。
「愛州小七郎宗通、よくぞ参った! 小七郎が朝廷の為に働いてくれる事、心強く思うぞ」
「称賛の御言葉を賜り、恐悦至極でございます」
「うむ、小七郎が家厳の誘いを受け入れたくれた事で、新たにここに来てくれた者がおる」
「「は?」」
俺の突然の言葉に小七郎も家厳も怪訝な表情をしている。
「入られよ」
「は! 失礼いたす」
襖を開けて、「剣聖」上泉武蔵守信綱と弟子の疋田豊五郎景兼が入って来た。
信綱は、主君である長野業正が信玄に敗れた事で、故郷を離れ武者修行と新陰流の普及を目指して、諸国を流浪していた。
しかし東日本は、全て鷹司と武田の支配下に入ったため、一旦京に入って西日本を目指す心算だったようだ。
俺も信玄も、信綱を臣下に加えようと何度も使者を送ったのだが、当初は旧主である長野業正に忠誠を尽して、全く応じてもらえなかった。
だが師匠である愛州宗通の嫡男が俺の配下に加わると聞いて、懲りずに俺が送り続ける使者に対して、亡き師匠の恩に報いる為に助太刀したいと申し入れて来たのだ。
「小七郎の父、愛洲移香斎の弟子で、新陰流を立ち上げた上泉武蔵守信綱だ」
「「な?!」」
小七郎も家厳も剣客らしく隙は見せなかったが、それでもかなり驚いているようだ。
「武蔵守、その方の願い聞き届けよう。今は亡き師匠、愛洲移香斎の恩に報いる為に、愛洲家の寄騎に加わることを認める」
「は! 有り難き幸せでございます」
「同時にもし望むのなら、新陰流と陰流を鷹司家の剣術指南役に迎えよう、どうだ?」
「「「え?!」」」
驚いている、驚いている!
「この鷹司義信が、上泉武蔵守信綱と愛州小七郎宗通を剣術指南役として迎え、家臣達の剣術指南を託そうと申しているのだ」
「有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます、謹んでお受けさせて頂きます。この御恩に報いる為にも誠心誠意奉公させていただき、紀伊攻めの折には、誰にも負けない働きを御覧に入れて見せます!」
愛州小七郎宗通は、狂喜乱舞しかねないほど喜んでいる。
勿論極力その気持ちを抑えて面に出さないようにしているが、天下の半分を支配する武家で、関白も務める鷹司家の剣術指南役に就任できるのだ、陰流の隆盛と栄光は約束されたようなものだ。
どんなに抑えようと思っても、喜びを抑えるのはなかなか難しい。
一方の上泉武蔵守信綱は、即断即決とはいかないようだ。
旧主に対する忠誠を無碍にする事は出来ないが、信綱だって、天下を平定する確率が1番高いのが、俺だと言う事は分かってる。
今剣術指南役を受けなければ、新陰流に未来がない事は十二分に理解している。
「長野家を再興して頂けますでしょうか?」
「長野の血を引く者で有能な者が、鷹司家に仕官したいと言うのなら喜んで受け入れよう。だが無能な者に、扶持を与えることは出来ない。御上に忠誠を尽す意思と、武芸の腕があるのなら、それに見合う待遇で喜んで迎え入れよう」
「それは私が必ず鍛え上げて、一流の武芸者として仕官させます。いえ、仕官させて頂ければ、私が常に側に仕えて、補佐させて頂きます」
これで話が決まった。
信綱が後見し、信綱が鍛え上げた剣士が戦場で競って戦えば、戦力としては申し分がない。
問題は長野家を継げる男子がいるかだが、これは何とかなるだろう。
落延びた庶子がいるかもしれないし、何より長野業正には12人もの息女がいるのだ。
嫡男以外の男子に長野を名乗らせ、信綱に鍛えさせればいい。
俺が上泉武蔵守信綱・愛州小七郎宗通・柳生新次郎宗厳を厚遇した事は、瞬く間に剣客達の間で噂となって広まった。
日本中から富田景政・鐘捲自斎・宝蔵院胤栄・駒川国吉などが続々と集まり、元の流派を超えて切磋琢磨しだした。
そのため陪臣であった者や、各方面軍に所属していた者を直臣に改め、戦場で役立つ総合武術としての体系を研究させる事にした。
元々影衆や犬狼部隊がいるから、忍者に暗殺される恐れはないが、余計な襲撃未遂は行動を阻害して、時間を浪費してしまう。
多くの剣客が外周部にいれば、事前に襲撃を諦めてくれる可能性が高くなる。
1558年5月・京二条城の二の丸謁見間・鷹司義信・真田幸隆他:鷹司義信視点
「閣下、この度の褒美はどういたしましょう?」
「基本金穀の扶持を増やし、領地を与えないようにしてくれ」
「その心算ではありますが、北畠中納言様に領地を与えない訳には参らなのではありませんか?」
「そうだな、それに大和の国衆の中には北畠中納言の支配下から抜けだし、朝廷と直接つながりたいと申し出ている者もいるしな」
「はい、その事で軍師一同頭を悩ませております」
「牟婁郡で北畠に臣従した国衆の領地は、北畠領と認めよう」
「牟婁郡全部ではないのですね?」
「俺や海賊衆に臣従した者もいる、彼らを北畠の下につける訳にはいかん」
「確かにその通りでございますな」
「興福寺東門院院主だった、北畠具親を取り立てよう。その上で具親の家臣として、北畠家家臣の次男三男を取り立てよう」
「領地と石高はどうなされますか?」
「領地は与えない、扶持として玄米3万石、銭3万貫文を与えよう。」
「それで納得いたしましょうか? 北畠中納言殿は名門ゆえに、領地に対する思いも強いのではありませんか?」
「ならばそれに加えて、正三位大納言の官職を与えてはどうだ?」
「左様でございますな、それならば納得なされるかもしれませんが、北畠家自体が軍資金や兵糧を使っております。具親殿を取り立てる分を減らしても、北畠家へ金穀を褒美としてお与えするべきではないでしょうか?」
「弟を取り立てるより、北畠中納言に直接与えた方がいいのか?」
「はい、人にもよるでしょうが、弟を優遇すればするほど、逆に疑念を持つ事もございます。今北畠家に足利からの調略が入ることは、絶対に防がねばなりません」
「なるほどな、俺には理解しがたいことだが、確かに弟を優遇される事で、疑念を抱いたり嫉妬する者もいるだろうな」
「使者には弁舌巧みな鷹司家家臣と、武家伝奏を送られませ」
「武家伝奏は親戚でもある勧修寺尹豊殿でよいとして、鷹司家からは秋山虎繁を送ろう」
「それがようございます。御使者が御二人なら、北畠中納言様も納得なされましょう」
俺は十二分に準備を整えて、更に敵が農民兵の動員が難しい田植えの時期に、14万の大軍を整えて紀伊に攻め込んだ。
事前の調略で、7割の国衆と地侍が降伏臣従していたので、さしたる抵抗を受ける事なく、楽勝で紀伊を支配下に置くことが出来た。
個々の戦闘では、命を失う者も障害が残る傷を負った者もいるが、戦術戦略レベルでは楽勝であった。
問題は戦後の論功行賞なのだ。
7割を事前に調略していたと言う事は、褒賞は3割以内にしないと赤字になってしまうのだ。
基本は本領安堵を認める事を恩として与え、奉公として合戦に参加させる事で済む。
だが働きがよかった者に対しては、別に恩賞を与えなければならない。
恩賞の基本相場は決まっているのだが、出来るだけ領地は与えたくない。
先ずは感状を与えることを第1とし、第2は刀・槍・茶碗などの名物・金穀など、再生産が容易い物を一時的な褒美として与えることになる。
第3に官位官職と言ったた地位や名誉を与えることにして、第4は前記の3つを組み合わせて与える事とした。
第5に永遠に与える褒賞として、金穀を扶持として子々孫々それを保証することだ。
1人扶持で年間に4斗入米俵で5俵となる。
1人給金2貫文を与える足軽級からはじまり、50俵100俵と決まった蔵米を保証する徒侍級になる。
騎馬侍になると、自前の家臣を養う必要も出てくるので、蔵米・扶持・給金を組み合わせた、100俵4人扶持4人給金と言った形になる。
そして第6に領地を与えることになるのだが、後の世の反乱を防ぐ為にも、領地は極力与えたくないのだ。
だが北畠家だけは、領地をケチる訳にはいかなかった。
何故なら足利連合が虎視眈々と、俺が下手を討つのを狙っているからだ。
北畠家に与える褒賞は、多くても禍根を残すし、少なくても寝返りを誘発してしまう重要案件なのだ。
だがここで、御上と後奈良院を利用することを思いついた。
利用すると言うのは語弊があるが、御上も後奈良院も、天下の静謐を願われている。
ならば勅使や院使を送って北畠中将を慰撫してもらう事で、北畠家の謀反を防ぎ、朝廷と皇室に対する忠誠心を養うことが出来る。
最終的に御上と後奈良院の御陰で、随分と恩賞を節約することが出来た。
何より1番有り難かったのは、北畠大納言の忠誠心をガッチリ確保する事が出来た事だ。
こうなれば足利連合がどう画策しようが、北畠家が謀反を起こす心配がなくなった。
北畠家が大和に持っていた影響力も、大和国衆を近衛府出仕と言う形を取った事で、無くすことが出来た。
その代償ではないが、今回の紀伊攻めで北畠家を頼った国衆と地侍は、北畠家の直臣となった。
北畠家には、恩賞として10万貫文を与えることで、今回の戦費の足しにしてもらった。
永続的な恩賞としては、領地を与える事無く、北畠具親に蔵米5000俵と給金5000貫文を与え、北畠家で恩賞が必要な家臣子弟の仕官先を1つ作りだした。
同時に1552年に産まれた北畠大納言の次男にも、蔵米5000俵と給金5000貫文を与え、分家を立てる事を許可した。
これによって北畠家は、御上と朝廷も認める分家を、新たに2家設立することが出来た。
領地がないので、居住地を御所などと名乗ることは出来ないが、羽林家の家格を持つ公家大名として、朝廷に出仕することが可能となった。
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