転生武田義信

克全

第133話調略戦

京二条城・二の丸謁見間・鷹司義信・黒影・闇影・真田幸隆・佐々木刑部助:鷹司義信視点

「佐々木刑部助、面を上げよ。今日は特別の御配慮により、関白殿下との直答を許す」

「は! 有り難き幸せに存じます!」

「まずは我との会話で疑念があれば、関白殿下が御下問なされると覚えておけ」

「は!」

「まず確認するが、雑賀衆全てが関白殿下に味方する訳ではなのだな?」

「は! 恐れながら雑賀5郷は仲が悪うございます。それ故全員が御味方すると約束できません」

「だがその中にあって、刑部助が味方すると申す訳はなんだ?」

「は、それはどう考えても勝ち目がないからでございます。関白殿下がこの前攻め込まれた大和国などは、鎧袖一触で降伏いたしました。まして我らの住む紀伊は、畠山家の内紛で結束が取れておりません。ここは武士の意地よりも、生き残るために、勝つ方に味方するべきと考えました」

「それで雑賀衆の中で、刑部助と同心の者は誰じゃ?」

「は! 浄土宗の土橋、岡、渡辺、狐島、松田、宮本、粟国の一門が味方いたします。更には日前神宮の宮司を勤める宮郷の太田党、中郷と南郷の国衆は御味方いたします」

「それは、鈴木一門以外は味方すると言う事か?」

「いえ、それに加えて足利義輝将軍に御仕えしていた、的場と佐竹の一門は、足利に味方すると思われます」

「鈴木一門は、一向衆だから足利に味方すると言うのだな?」

「鈴木一門は、関白殿下との和議を石山に訴えておるようですが、石山は全く取り上げないようでございます」

さてどうすべきか?

刑部助を送ってきた雑賀海賊衆は、表向きは恭順したように見せて、二股をかけようとしている可能性がある。

今太平洋側の海上交易は、伊勢と紀伊の間で途絶してしまっている。

刑部助が東日本を牛耳る俺と交易をして、鈴木が西日本の旗頭である足利との交易をすれば、雑賀は中継貿易で莫大な利を上げることができる。

その利益は戦国大名を凌ぐものになるだろう。

そうなった後で、海賊としての実力と、傭兵団としての鉄砲術を持っている雑賀衆を下すのは、とてつもなく難しくなる。

「刑部助、味方したいと申してきているのは、そなただけではない」

「はっはぁ~! 関白殿下から直接御言葉を賜り光栄至極でございます。何者が殿下に御味方すると申しておるのでございますか」

「それは言えん、だが無理に雑賀衆に味方してもらわなくても、雑賀衆を全て根切りにすれば、我が譜代衆に多くの領地を与えることができる」

「関白殿下!」

「味方をすると言うのなら、鈴木一門も調略して一緒に来るか、それとも鈴木一門を攻め滅ぼすかだ」

「それは、難しい事でございます。鈴木も武勇に優れておりますれば、そう容易く攻め滅ぼすことは難しいのでございます」

「鈴木が足利相手に交易をし、そなたが余と交易をして雑賀に利をもたらすか?」

「!」

「余をたばかろうとした以上、死ぬか本当に味方になるかだ、どちらを選ぶ?!」

「御味方させていただきます!」

近習達が佐々木刑部助を放り出した後、軍師達と今後の事について話し合った。

「雑賀の一向衆を調略する事が出来れば、石山に大きな打撃を与えることができます」

幸隆は鈴木一門を味方に引き入れたいようだ。

「ですが天台宗の粉河寺が調略に応じておりますし、高野山金剛峰寺も根来寺も、半数以上の国衆と地侍が調略に応じております。無理に雑賀に拘る事はないのではありませんか?」

内諜報を束ねる闇影の言う事も分かる、海賊衆は統制が難しい。

ガレオン船を貸し与えてから、裏切りや逃亡されては大損害だ。

敵に回られて、遊撃的に交易船を攻撃されたら、取り返しのつかないことになる。

まあ余程信用出来るようになるまでは、ガレオン船に乗り込ませないが、味方と信じていて奇襲切り込みされて、ガレオン船を強奪される可能性もあるから油断は出来ない。

「新規調略の海賊衆は、暫らくは交易だけをさせる。それに蝦夷地などに分散して力を削ぐから、その心配は大丈夫だ」

「承りました、では熊野の海賊衆も受け入れるのでございますか?」

「鳥羽と志摩の海軍衆が調略してくれたのだ、受け入れねば彼らの働きを無にしてしまう」

「では、降伏して来た熊野水軍衆を、家臣に加えられるのですね?」

「熊野水軍も、出来るだけ交易や漁業に使いたい。それに北畠具教殿も、多くの国衆を調略してくれている。具教殿が調略してくれた者だけ近衛府に加えて、他の者が調略した国衆を受け入れない訳にはいくまい」

「そうでございますな、具教様は元々配下とされていた、曽根、高河原、加藤一門に加えて、豊浦、仲、有馬、廊之坊一門も調略されておられます。しかしながら、それでは北畠殿と海軍衆の侵攻路が重なってしまいます。それでは功名争いが起きてしまうのではありませんか?」

「合戦に功名争いはつきものだし、国衆が誰を頼みにするかも自由だ。まあ褒美は領地で与えるのではなく、扶持で与えることにすればよかろう。海賊衆は蝦夷や樺太に領地を与え、開墾が済むまで支援の扶持を給すればいい」

「さようでございますな」

今はじっくり腰を据えて、足利連合に対峙している。

播磨を混乱させるだけ混乱させて大和取った後、そのまま信貴・生駒・金剛・葛城山系に城砦群を築いて、摂津・河内・和泉に圧力をかけた。

そのまま攻め込むと、紀伊の畠山や一向衆、傭兵団とも言える雑賀衆と根来衆に、背後を突かれる恐れがある。

北伊勢・大和・近江などに攻め込まれ、後方が混乱するのは避けなければいけない。

そこでガッチリと山系に城砦群を築いて、足利連合の反撃を防いだ上で、伊勢や大和から紀伊を攻め落とすことにした。

ここで南朝として戦って来た伊勢北畠・楠木・大和国衆が調略に動いた。

更に必死だったのは、大和の元僧兵達だった。

俺が政教分離を絶対視している事を知り、武士として身を立てる為に、紀伊の僧兵達に調略を仕掛けた。

同時に大和の寺社に残った学僧達も、紀伊で僅かに残る真面目な学僧に降伏を勧めた。

紀伊の僧兵も、俺の比叡山延暦寺と一向衆に対する根切りを知っている。

同時に大和での、政教分離による融和策も伝わっている。

真面目に仏教や神道の修行したい学僧も、武士や国衆として栄達を目指したい僧兵も、調略に応じようとした。

だが宗教を利用して有利に生きて行こうとする僧、人を騙して利用しようとする僧は、俺を仏敵や悪鬼になぞらえた。

配下の宗徒に俺を討てと煽り、和平派の学僧や僧兵をも仏敵や悪鬼として罵り、排除しようとした。

そんな中でも、粉河寺は何とか全山調略する事が出来たが、それは同じ天台宗の比叡山延暦寺と同じ目にあいたくなかったのだろう。

根来寺は、半分の国衆は調略出来たが半分が敵対した。

敵対した国衆は、根切りにするしかないだろう。

高野山金剛峰寺は、全山敵対した。

残念だが、全山根切りにするしかないだろう。

根来衆に関しては、4つの旗頭となる杉の坊・岩室坊・泉識坊・閼伽井坊の下に27衆がいるが、雑賀衆や高野衆と混在しているうえ、内部での勢力争いが激しく、所領争いで合戦にまで発展している。

その中でも特に有力なのが、杉の坊と岩室坊なのだ。

このうち杉の坊の津田家を、楠正忠と正具親子が調略してくれた。

今から目通りするのだが、働きに応じた待遇を保証しなければならない。

杉の坊は、郡支配の大名クラスの所領と軍事力を持っている。

特に津田監物算長は、自ら種子島にまで行って、根来衆に鉄砲をもたらしたほどの男だ、粗略に扱う事など出来ん。

楠正忠と正具親子が津田算長を調略できたのは、津田家が楠木の末裔を自称しているからだ。

河内守護などを務めて、主に南朝方で活動した、楠木正成の三男である楠木正儀を祖と自称しているのだ。

正儀の子で、河内国交野郡津田(現大阪府枚方市津田)の城主だった、津田周防守正信の六代の孫と自称しているが、この時代の系譜など嘘偽りが多くて信用など出来ない。

だがそれでも、いやそれだからこそ、楠木正成嫡流からの調略には応じる必要が出てくる。

宗家の命に叛いては、系図詐称を言い立てられる可能性がある。

それに士筒・抱筒・大砲を大量に運用する俺に勝てないのは、鉄砲の有用性を逸早く見抜き、根来に生産施設を整え運用してきた津田算長が、誰よりも理解している筈だ。

楠木宗家の誘いで臣従するなら、十二分に大義名分が立つ。

改めて御簾を下ろした前に、楠正忠と正具親子に案内されて、津田監物算長と湯川直光が入って来た。

楠正忠と正具親子は、津田監物だけでなく、紀伊で大勢力を誇る湯川衆の当主、湯川直光も調略して来たのだ。

「津田監物算長、湯川直光、面を上げよ。今日は特別の御配慮により、関白殿下との直答を許す」

「「は! 有り難き幸せに存じます!」」

「関白殿下の御下問に嘘偽りなく答えるように」

「「は!」」

楠正忠は、堂々と2人に指示している。

俺と正忠が直接話したのは事前の打ち合わせくらいだ、それなのにこれだけ堂々と振る舞えるのは、日頃から心身の鍛錬を欠かさないからだろう。

普通は緊張して、焦ったり狼狽したりして、声が上ずったり裏返ったりするものだ。

「津田監物算長、その方が鉄砲の有用性を見抜き、わざわざ種子島まで赴いて鉄砲を根来に取り入れた事、真に見事である」

「は! 身に余るお褒めに預かり感激でございます」

「大和でも余の政策は聞き及んでいるだろう? 朝廷の為に、武士として近衛府で働く覚悟は出来たか?」

「はい、宗家の正忠殿に従い、朝廷と関白殿下に忠誠を尽す所存でございます」

「うむ、働きを期待しているが、先ずは算長の力を余の子飼い者の下で確認したい。そこで正忠の下では無く、猿渡飛影の配下として播磨に攻め込んで貰う」

「は! 承りました」

「働き次第では、旗頭として1軍を任せる可能性もある、精進いたせ」

「は! 恐悦至極でございます」

「湯川直光、湯川家が武田の分家であることは以前から聞き及んでいた。一門合い討つ事無く、ともに朝廷の御役にたてること重畳である」

「関白殿下に同じ武田一門と申していただけたこと、感激の極みでございます。湯川家は奈古武田の範長様の末子、三郎忠長様を婿に頂き祖としております。その事を知って頂いているだけで、光栄の極みでございま。」

本当かどうか確かめようもないが、我が武田家が最初に武田と名乗った、初代の武田信義様の御兄弟で、奈古に本拠を構えた武田範長の末子、三郎忠長が先祖と自称している。

遠いが一応武田家の庶流と言う事になる。

「さて、武田一門となればそれに相応しい働きを期待したいが?」

「御任せ下さいませ! 紀伊に討ちいられる時には、先陣を務めさせて頂きます」

「そうか、ならばそちに先陣を任せたいが、朝廷の軍法は厳しいのだ。民百姓に害を与えたり婦女子に暴行を致すことは厳禁だ」

「は!」

「楠親子を軍監とする、くれぐれも遺漏なきように致せ」

「「「は!」」」

さて、この後も多くの国衆と会わねばならん、特に柳生家厳と宗厳親子が連れて来た。

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