転生武田義信

克全

第125話畿内平定戦

京二条城の鷹司郭:鷹司義信視点

とても残念だと言うか、とても申し訳ない事なのだが、元々御所の近くに鷹司・三条・九条の屋敷があったため、二条城の方が御所より広大になってしまった。

建前上は、俺を含めた鷹司・三条・九条は今上帝の臣下だから、二条城も今上帝の城とも言えるのだが、公家衆や京の町衆がこれをどう見るかが少々怖い。

だが広大な総囲いを設けて、洛外を含めて京を守ろうとしている姿勢は、公家衆や町衆にも評価されているようだ。

公家衆も、上京の本屋敷地に加えて、二条城内の非常用公家長屋を割り当てられたことで、確実に守ってもらえると安心評価してくていると、影衆からも報告があった。

二条城の本丸は堅固だけど、まだ増改築中で、しかも伝書鳩の拠点となる巣箱は、三条・鷹司・九条屋敷の中にある。

だから俺の拠点は鷹司屋敷にした。

そしてそこにあらゆる情報を集めて、今後の戦略戦術を考えていた。

まずは摂津方面軍団を足利に備えさせ、近江軍団と若狭方面軍団に若狭侵攻を命じた。





若狭後瀬山城:第3者視点

「善狼殿、武田家は、義統はどうなるのでしょうか?」

「若狭武田家は当主の義統殿が、左近衛大将で陸奥鎮守府大将軍を兼ねられる鷹司卿に逆らいました。これは朝廷に逆らったのと同じです。つまり朝敵ということです。所領没収の上で得度して寺に預けられ、家名断絶は避けられないでしょう。それくらいしか命をお救いする方法はないでしょうな」

「しかし私をはじめとする一門の多くは、素直に鷹司大将軍閣下に降伏いたしました。若狭武田家は甲斐武田家の分家です。ここは厚情を持ちまして、本領安堵のしていただけるように、善狼殿から閣下に御伝え願えないでしょうか?」

「若狭武田家の本領を安堵して、閣下にいったいどういう利益があるのですか? 小さな話にすれば、分家が本家に逆らって兵をあげたのです。本家が追放した者を保護して籠城したのですから、攻め滅ぼされて当然ではないですか。それを温情をもって助命して、寺で余生を過ごしていただくのです」

「分かっております、分かっておるのですが、ここはまげて仲立ちしていただきたいのです」

「ただ本領安堵しててくれなどという戯言を鷹司卿に御伝えしては、私自身の立場が悪くなってしまいます。そんなことは真平御免です」

「聞くところでは、武田家は各地の大名家に養嗣子を送られているとのことですが、若狭武田家は古き分家です。武田一門の中では、守護職を受けた名門です。甲斐本家から養嗣子を送っていただいて、家名を残していただくわけにはまいりませんでしょうか?」

「そういう話なら仲立ちを厭いはしませんが、その場合は若狭武田家から、相応しい姫を出していただかねばなりません」

「それはどういう事でございましょうか?」

「そういう話ならば、若狭武田家の血脈を残すのが筋でしょう。本家は無理矢理乗っ取りをしたい訳ではなのですから、次代の当主には、若狭武田家の血を引くものに継いでいただかねばなりません」

「それは有り難い話です」

「正室との間に子ができぬ場合もありますから、側室や愛妾候補にも、若狭武田一族の姫を選んでおいてください」

「分かりました、早速一門衆と話し合います」

鷹司軍団の侵攻を受けた若狭武田家は、3つに分かれた。

細川晴元と共に丹波に逃げ出す者達、当主の武田義統に従い後瀬山城に籠城する者達、先代の武田信豊に従い鷹司に降伏する者達だ。

しかし1国全てで8万石程度の若狭が、3つに分裂していて鷹司軍団を防げるはずがないのだ。

しかも武田義統に従ったのは2割程度の国衆と地侍で、総兵力は根こそぎ動員しても農民兵700程度だった。

後瀬山城は瞬く間に攻め落とされ、武田義統配下の者達は首を刎ねられた。

義統は助命されたが、甲斐に送られ僧となり寺に預かられる事になった。

若狭武田家は、義信の全弟・武田五郎改め武田信基が継承することになった。





越前金ヶ崎城:第3者視点

越前朝倉家では、公方と結託した大野郡司の朝倉景鏡が、軍事クーデターを起こしていた。

一乗谷城に自らの兵を引き入れ、主君の朝倉義景とその家族と一族をほぼ皆殺しにしてしまった。

唯一の例外は、景鏡を蛇蝎の如く嫌っていた、敦賀郡司家の朝倉景紀・景垙・景恒親子だけだ。

3人は景鏡が一乗谷にいる時は、側にいるのも嫌って出仕をしなかったのだ。

一乗谷を占拠した景鏡は、混乱する兵を纏めて軍を整え、敦賀金ヶ崎城の朝倉景紀・景垙・景恒親子を攻め滅ぼし、越前1国を完全に支配しようとした。

景鏡は石山本願寺の顕如の仲介で、加賀一向衆と結託したため、背後を心配する事無く攻勢に出れたのだ。

いや一向衆から加勢さえ受けて、1万5000兵の大軍で攻勢をかけた。

しかし僅か1日で足利軍が惨敗した為、景鏡の思惑は脆くも崩れ去った。

少なくとも膠着状態が長引いたり双方が大損害を受けたりして、鷹司も足利も、越前と若狭には手出し出来なくなると考えていた。

その間に加賀・越前・若狭の3カ国で覇権を握り、3カ国の湊を確保する事で、海洋貿易を重視する鷹司と、交渉出来るようにする心算だった。

だが結果として、敦賀に辿り着く前に、越中の鷹司軍が加賀に大攻勢を掛けて来た。

甘利信忠の後見を受けた姉小路信綱が、2万余の軍勢を率いて破竹の勢いで加賀を平定して行った。

加賀は一向衆の支配する国ではあったが、上級僧侶によって一般の衆徒が収奪されていた。

加賀を手に入れた当初は、他宗徒を殺し奪い豊かであった下級衆徒も、奪った物を上級僧侶に取り上げられ、新たに略奪する相手も殺してしまった後ではどうにもならなかった。

むしろ越中に逃げた人々の方が、安全で豊かな生活をしていた。

姉小路軍には、加賀から逃げて来た者も多く兵として加わっていた。

その者達の一向宗に対する怒りと恨みは、大きな力となっていた。

家族を殺され、全ての財産を奪われ、故郷を追われた人々は、必ず一向衆に復讐すると誓って、厳しい軍事訓練に励んでいた。

鉄砲の数は限られていたが、弓矢と補助具を使った投槍器と投石器は、莫大な量があった。

鷹司軍はその富裕を持って、訓練にも大きな予算を投入する事が出来た。

鷹司軍の一翼を担う姉小路軍は、鉄砲と弓矢で遠距離攻撃を行い、矢玉を厭わず接近戦を挑んでくる一向衆には、投石と投槍で迎撃した。

それでも接近して来る一向衆には、歴戦の武士が迎え討ち撫で斬りにして行った。

籠城をする一向衆には、鉄砲と弓矢の支援を受けた盾兵が接近していき、1つ1つ確実に郭を落として行った。

自分達が使う士筒でも防ぎ切れる基準の竹把を持ち、一向衆の小筒や中筒では被害を受けない状態で城攻めを行った。

そもそも鉄砲伝来前に築かれた城の縄張りは、弓矢と槍の攻撃を基準に郭を築いていて、鉄砲を大量に持った敵軍に1つの郭を奪われたら、その郭を拠点に次々と郭を奪われてしまうのだ。

朝倉景鏡は、姉小路軍の加賀侵攻を知り、一向衆の援軍を加賀に帰した。

そして自分も一乗谷城に戻り、姉小路軍迎撃の準備をすると同時に、鉢伏城と木の芽峠城に兵を入れて朝倉景紀・景垙・景恒親子の攻撃を防ごうとした。

「信龍様、よくぞ来てくださいました」

「朝倉景紀殿、景垙殿、景恒殿、安心なされよ。我らが来た以上、逆賊の朝倉景鏡などに好き放題させはせぬ」

「ありがとうございます」

「景紀殿達には先鋒を御願いした」

「御任せ下さい!」

鷹司軍は何時もの条件で、越前の国衆と地侍を調略して行った。

半知召し上げ・半知銭扶持支給・近衛府鎮守府出仕の条件は、既に越前全域で知れ渡っており、元々独立心旺盛だった越前の国衆と地侍は、進んで鷹司軍に降伏臣従してきた。

鷹司軍が木の芽峠の城砦群に近づくと、籠城していたはずの越前の国衆と地侍が、城門を開けて降伏臣従してきた。

寝返りを見張る朝倉景鏡軍や一向衆がいなくなれば、越前の国衆と地侍は、命懸けで鷹司軍と戦う事などなかった。

景鏡に従っていたのは、景鏡直属の軍勢と一向衆の援軍が怖かっただけで、そうでなければ主君である義景を討った景鏡に、だれだって従いたくはなかったのだ。

全く損害無しに木の芽峠城砦群を突破した鷹司軍は、一乗谷城までに領地を持つ国衆と地侍を全て降伏臣従させて、一気に一乗谷城を囲んだ。

しかし一乗谷城は、比高400mの山に築かれた大規模で堅固な城だ、適当な兵力と士気さえあれば、少々の事で落とせる城では無い。

史実での朝倉義景は、城に籠る事無く朝倉景鏡を頼って亥山城に落ちて行く。

しかし景鏡に裏切られ、自害することになる。

近江で敗れて一乗谷城に籠城する兵力が無かったのかもしれないが、もし内戦防御で籠城していたらどうなったか、想像すると面白い城ではある。

だが今回は敵将の朝倉景鏡に人望が無かった。

主君を殺した後で、国衆や地侍を慰撫する時間があれば何とかなったかもしれないが、弑逆後直ぐに、朝倉義景後見役の鷹司義信の軍勢が殺到したのだ。

一乗谷城を包囲した鷹司軍は、籠城する景鏡軍の将兵に何時もの条件で降伏勧告をした。

無理矢理籠城させられた国衆と地侍だけでなく、古くからの子飼い将兵からも離反者が続出した。

結局景鏡は、譜代の家臣に裏切られて、首を取られる事になった。

越前は鷹司義信の支配地となった。

今まで陪臣だった朝倉家の国衆と地侍は直臣として扱われ、以前よりも格が上がった。

朝倉景紀・景垙・景恒の親子は、秘かに越前朝倉家の継承を期待していたが、国衆と地侍の総意がそれを許さなかった。

だが朝倉景鏡の旧領大野郡と、朝倉家の居城であった一乗谷城は与えられた。

しかしこれにより、敦賀郡司職から大野郡司職に役目替え領地替えとなった。





上京二条城の鷹司郭・義信と黒影:鷹司義信視点

「閣下、日本海交易を独占される御心算ですか?」

「ああ、義景殿が殺されてしまったのは忸怩たる思いがあるが、それとは別に交易を独占出来るのは有り難い」

「義景殿は独自に船を建造され、大陸との中継貿易を直接貿易に切り替えておられてましたから、その経済力も戦力も侮れないものがありました」

「ああ、ガラス工房なども作らせていたのだな?」

「はい、秘かに大筒も作らせようと、南蛮船と接触も図っておられたようでございます」

「俺自身の手を汚さずに済んでよかったというべきかな」

「閣下・・・・・」

「見殺しにしたことは胸が痛むよ」

絶対景鏡が謀反を起こすと知っていた訳では無い、だがその確率が極めて高かったのは、影衆の報告で分かっていた。

だが義景殿が優秀で、芸事を優先したいたとはいえ、犬追い物を自ら行ったりするくらい武芸にも秀でていた。

宗滴殿との約束で後見役をしていたが、警戒していた大名の1人なのだ。

家臣が殺してくれれば、俺自身の手を汚さずに済む、正直そう思っていたのだ。

だから警告せずに見殺しにした。

「景紀殿に一乗谷城を御与えになり、敦賀から追い出されたのは、交易を独占する為ですね?」

「いずれ全ての交易を鷹司家で独占する」

「一条様や大内、大友も滅ぼされるのですか?」

「いや、交易を独占するだけだ、所領はそのままだ」

「理由を御聞かせ下さいますか?」

「南蛮の大国は、侵略しようとする国の大名に武器を支援し伴天連を送り込み、国内を混乱させてから侵略するのだ。それを防ぐには、最低でも異国との窓口は1つにしなければならない」

「受け賜りました、その心算で影衆を動かします」

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