転生武田義信
第124話入京
上京・鷹司屋敷:鷹司義信視点
「大将軍閣下、御久しぶりでございます」
「虎繁! 久しぶりだな。御前に最初に聞いておきたいことがあるのだ」
「なんでございましょう?」
「この度の戦に対する、今上帝と先帝の御機嫌はどうだ?」
「致し方なき事と申されおられます」
「そうか、それはよかった」
「全ては公方が画策し、三好や本願寺と語らって仕出かした事、閣下は降りかかって来た火の子を払っただけと、公家衆も納得してくれております」
「虎繁がしっかりと御所を守ってくれたお陰だ、そうでなければ多少は批判が出ただろう」
「公方や三好家、本願寺から支援を受けていた公家衆の中には、多少の不安を持っている方もおられるでしょうが、閣下が見逃してやれば騒ぐ事もないでしょう」
「公家衆にも多少の脅しは必要だろうが、それは虎繁が行ってくれ。それには人手もいるだろうから、虎繁が必要と思う人を推挙してくれ。銭は無制限に使って構わん」
「そう言って頂くと、つい使い過ぎてしまいそうです」
「必要な物と銭は遠慮しなくていい、近衛府や鎮守府の人材を移動させるとなると、どうしても制限がついてしまうがな」
俺が京に入るまでには、幾つかの合戦があった。
だが不要な損害を出さないように、じっくりと山科口で戦い、足利の防衛線を突破し、損害を少なくする戦い方をした。
多数の大砲を、人馬に牛まで動員して山道を進み峠越えをさせ、敵の射程外から砲撃して、敵陣や敵砦を粉砕してから進軍したのだ。
京に入って、最初に山科本願寺での合戦を覚悟していたのだが、100門の一斉斉射が余程応えたのだろう、寺の財産を持って逃げ散ってしまっていた。
それに足利軍は、斯波氏武衛陣後に築いた足利公方の二条邸、三好の拠点である吉祥院城などを放棄して、桂川と宇治川を防衛線に、山崎・淀・伏見に兵を配して俺の侵攻を押し止めようとした。
足利と三好に加え本願寺も、多少は今上帝と先帝に配慮したのだろうし、再建なった御所・上京・下京を焼いて、末代まで悪名を残す事を嫌ったのかもしれない。
俺は上京の鷹司屋敷に入って、虎繁などの近衛府所属の国衆と地侍の挨拶を受けた。
中には革島一宣・物集女忠重・鶏冠井・中小路・神足・能勢・小野・竹田・野田などの、西岡被官三十六衆の生き残りのような、室町将軍家の家臣だった者達がいた。
御所の警備をすると言って近衛府に合流した者達、足利を見限り俺の味方をしてくれた者達が、揃って挨拶に来てくれた。
他にも山城惣国一揆を指導した、南山城三十六人衆の狛・椿井・木津・井手別所・高林などの生き残りも御所警備に駆けつけ、虎繁の指揮で下京を守っていた。
彼らも足利を見限って挨拶に来てくれた。
俺は今上帝と先帝の下に急ぎ参内し、京の守護を約束して自分の屋敷に下がった。
山城吉祥院城:鷹司義信視点
「閣下、兵の分宿手配が終わりました」
「御苦労、将兵が町衆に乱暴狼藉を働かぬようにしてくれ」
「それは御任せ下さい」
幸隆と話していると、横から信長が請け負ってくれた。
史実でも、京で女を揶揄った足軽を一刀両断している信長だ、今回のような治安維持の仕事が好きなのかも知れない。
いや、もしかしたら信長ほど、治安のよい平和な世の中を望んでいる者はいないかもしれない。
「そうか、幸隆、黒影、闇影と相談しながら、京の治安維持を図ってくれ」
「承りました」
本来なら信長に、相応の独立部隊と独立権限を与えるべきなのだろうが、正直まだ信長に兵力と権限を与えるのは恐ろしい。
「それで大砲隊の整備と進攻はどうなっている?」
武田家が甲斐だけにしか領地を持っていなかった頃から、棒道の普請を知ってる幸隆に確認した。
「明日には補給の焔硝と砲弾が、近江から届きます」
「諏訪からの輸送はどうだ?」
「棒道の普請はある程度出来ておりますが、出来ましたら若狭を取って、日本海を使った海上輸送が1番早く大量に運べます」
「やはりそうなるか」
「いっそ海軍を動員して、和泉と摂津に上陸させて、公方を挟撃いたしますか?」
「万が一にも大砲を奪われる訳にはいかない、海は嵐などの自然の脅威に曝される事があるからな」
「そうなりますと、やはり若狭を攻め取りますか?」
「そうだな、武田の分家ではあるが、内乱で民を苦しませ過ぎているし、先代公方や晴元との縁も強い。攻め取って誰かを養嗣子に送り込もう」
「信実様か五郎様でしょうか?」
「そうだな、後見役は当然必要だが、2人の内の誰かを送るべきだろうな。それは御屋形様との相談するとして、まずは伏見口、竹田口、東寺口を確保して京の守りを固める」
「京は古より守り難い所ですが?」
「それでも護らなけれならないだろう、鷹司と武田の名に掛けて」
「左様でございますな」
「しかし非常時の事は考えておかねばならん、近江か美濃に御上と院を御動座して頂く事も考えておいてくれ」
「承りました、京への出入り口は全て抑えるように致しましょう。特に既に確保した鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口の守備を強化した上で、長坂口、丹波口も押さえ、若狭や丹波からの奇襲に備えます」
「任せたぞ」
上京の鷹司屋敷:鷹司義信視点
今後俺は最前線に立たない、そう宣言することにした。
まあ最近はもっぱら方面軍司令官に任せていたから、改めて言う必要も無いのだが。
ここまで支配領域が広がり、信頼できる人材が育っているのに、危険な最前線に出る方がおかしい。
御所に今上帝と先帝がおられなければ、岐阜城で指揮を執るのが普通なのだ。
史実の信長のように、居城を離れて親子で討たれるなど、愚か極まりない。
俺は安全第一の布陣を組んで行動を開始した。
近江第1軍団は、近江軍団に改名して若狭武田と越前朝倉を睨んで、伊香郡と高島郡に主力を配備した。
近江第2軍団は、摂津方面軍団に改名の上で大砲部隊5000兵を付属して、伏見口・竹田口・東寺口を守る足利軍粉砕に向かわせた。
近江第3軍団は、若狭方面軍団に改名して、長坂口に攻め込む準備をさせた。
近衛府6色兵団は、俺が持ち込んだ莫大な銭と兵糧を使って京・山城の民を雇い、御所の城郭化に取り組んだ。
河原町通・今出川通・堀川通・丸太町通りの内側に外濠と城壁を築き、城壁の上には全域を囲う長屋兼用2階建て曲輪を築き、通りに面した外側には無数の鉄砲狭間を開けた。
烏丸通の左右にも濠を設け、御所と二条城を分けたが、元々城砦としての機能を有していた鷹司屋敷・九条屋敷・三条屋敷は御所内にあったため、二条城に取り込まれて少々いびつな形にした。
二条城は足利が使っていた二条邸を中核にしたため、烏丸通・下長者通り・小川通り・椹木町通りの内側に内濠を設けた。
更に鴨川を濠として活用しつつ、北大路通り・木辻通り・きぬかけの道を広沢池の前を抜け桂川にいたり、桂川を濠として活用しつつ、鴨川との交流地点までを囲う総構えとする事にした。
その為鴨川と桂川には堅固な城壁棒道兼用の堤防を築き、川に護られていない北大路通り・木辻通り・きぬかけの道の外側に濠を設けることにした。
京は俺の築城とインフラ整備で、上京・下京・洛外の別なく好景気となった。
莫大な銭を投じたことで、足利・三好が支配していた頃より民が豊かになった。
しかも現物の食料を日当に支給する事で、物価の安定も図った。
伏見口・摂津方面軍団:第3者視点
「飛影様、準備が整いました」
「周辺の民は避難を終えているか?」
「はい、影衆が秘かに確認いたしましたが、砲撃予定地帯、侵攻路、足利の逃走予測路周辺に、無辜の民は残っておりません」
「ならばよし! 砲撃開始!」
摂津方面軍は、圧倒的な火力で伏見に駐屯する足利軍陣地を粉砕した。
その上で盾隊を前面に押し立て、弓隊と鉄砲隊の支援下で槍隊が前進し、足利の雑兵を降伏させつつ進軍した。
足利軍の三好勢と本願寺勢は、遅滞後退を行った。
鷹司軍を迎撃する為の陣地を築きつつ、1カ所に部隊が集中しその後の部隊の再編と反撃の準備を行う集心的退却と、数カ所に部隊を分散させ挟撃を行う離心的退却を臨機応変に行い、公方と三好長慶が大和と摂津で体制を立て直す時間を稼ごうとした。
流石歴戦の三好軍と言える行動だ。
だがそんな足利軍の遅滞後退を尻目に、鷹司摂津方面軍団は焦らず、損害を出さないように進軍し、伏見口を確保した。
その上で竹田口を守る足利軍に向かったが、足利軍の遅滞後退と摂津方面軍団の損害回避優先により、確保までに多少の時間はかかった。
しかしそれは足利軍が望むほど長くかかった訳ではなく、軍を完全に立て直すことはできなかった。
竹田口を確保した摂津方面軍団は東寺口に向かったが、足利軍は南北朝や応仁の戦乱でも戦略上の要地として争奪の舞台となった、天王山の城跡を修築すると同時に、石清水八幡宮に入って陣取り遅滞行動をとろうとした。
摂津方面軍団は、手元にある大砲の砲弾、大型弩砲の大矢を全て消費する覚悟で天王山を砲撃し、足利軍の将兵を恐怖のどん底に落とし入れた上で降伏勧告を行い、想定以下の砲弾・大矢・焔硝の消費で天王山を確保した。
天王山を確保した摂津方面軍団は、天王山に恒久的な城を築く為の兵を残留させた上で、石清水八幡宮に籠っている足利軍に向かったが、淀川・桂川・宇治川・木津川を渡河する時に足利軍に逆撃され無いように、十分な警戒と準備をした上での転進だった。
ゆっくり時間を掛けて、石清水八幡宮のある男山を包囲した摂津方面軍団は、砲撃をする前に足利軍の将兵に降伏臣従を呼びかけた。
摂津方面軍団からの降伏臣従を受けた足利軍は、脆くも崩壊してしまった。
近江の決戦以降、100門の砲列による一斉斉射に叩かれ続け、先日も天王山を攻撃する砲声を間近に聞いたために、次は自分達が砲撃されると言う恐怖に打ち震えていたのだ。
そこに助命の上に召し抱えてもらえると言う望外の呼びかけに、将兵の意地は挫け、1戦も戦う事無く山を下り、降伏すると言う状況が起こった。
ここで摂津方面軍団は進軍を止めた。
まだ砲弾にも焔硝にも余裕はあったが、諏訪と伊那からの十分な補給を待ってから、必勝態勢を整えてから侵攻する方が望ましい。
それに撃ち放った砲弾の回収再利用も行わなければならない。
何よりも宇治川を境に、右岸に強固な城壁兼用の堤防を築き、京と近江の防御力を強化しなければならなかった。
上京の鷹司屋敷:鷹司義信視点
「若狭武田と越前朝倉に降伏の使者を送れ」
「承りました、しかし受けなかった場合はどうなされますか?」
京も押さえたことだし、ちょっと悪人になろうかな?
「大将軍閣下、御久しぶりでございます」
「虎繁! 久しぶりだな。御前に最初に聞いておきたいことがあるのだ」
「なんでございましょう?」
「この度の戦に対する、今上帝と先帝の御機嫌はどうだ?」
「致し方なき事と申されおられます」
「そうか、それはよかった」
「全ては公方が画策し、三好や本願寺と語らって仕出かした事、閣下は降りかかって来た火の子を払っただけと、公家衆も納得してくれております」
「虎繁がしっかりと御所を守ってくれたお陰だ、そうでなければ多少は批判が出ただろう」
「公方や三好家、本願寺から支援を受けていた公家衆の中には、多少の不安を持っている方もおられるでしょうが、閣下が見逃してやれば騒ぐ事もないでしょう」
「公家衆にも多少の脅しは必要だろうが、それは虎繁が行ってくれ。それには人手もいるだろうから、虎繁が必要と思う人を推挙してくれ。銭は無制限に使って構わん」
「そう言って頂くと、つい使い過ぎてしまいそうです」
「必要な物と銭は遠慮しなくていい、近衛府や鎮守府の人材を移動させるとなると、どうしても制限がついてしまうがな」
俺が京に入るまでには、幾つかの合戦があった。
だが不要な損害を出さないように、じっくりと山科口で戦い、足利の防衛線を突破し、損害を少なくする戦い方をした。
多数の大砲を、人馬に牛まで動員して山道を進み峠越えをさせ、敵の射程外から砲撃して、敵陣や敵砦を粉砕してから進軍したのだ。
京に入って、最初に山科本願寺での合戦を覚悟していたのだが、100門の一斉斉射が余程応えたのだろう、寺の財産を持って逃げ散ってしまっていた。
それに足利軍は、斯波氏武衛陣後に築いた足利公方の二条邸、三好の拠点である吉祥院城などを放棄して、桂川と宇治川を防衛線に、山崎・淀・伏見に兵を配して俺の侵攻を押し止めようとした。
足利と三好に加え本願寺も、多少は今上帝と先帝に配慮したのだろうし、再建なった御所・上京・下京を焼いて、末代まで悪名を残す事を嫌ったのかもしれない。
俺は上京の鷹司屋敷に入って、虎繁などの近衛府所属の国衆と地侍の挨拶を受けた。
中には革島一宣・物集女忠重・鶏冠井・中小路・神足・能勢・小野・竹田・野田などの、西岡被官三十六衆の生き残りのような、室町将軍家の家臣だった者達がいた。
御所の警備をすると言って近衛府に合流した者達、足利を見限り俺の味方をしてくれた者達が、揃って挨拶に来てくれた。
他にも山城惣国一揆を指導した、南山城三十六人衆の狛・椿井・木津・井手別所・高林などの生き残りも御所警備に駆けつけ、虎繁の指揮で下京を守っていた。
彼らも足利を見限って挨拶に来てくれた。
俺は今上帝と先帝の下に急ぎ参内し、京の守護を約束して自分の屋敷に下がった。
山城吉祥院城:鷹司義信視点
「閣下、兵の分宿手配が終わりました」
「御苦労、将兵が町衆に乱暴狼藉を働かぬようにしてくれ」
「それは御任せ下さい」
幸隆と話していると、横から信長が請け負ってくれた。
史実でも、京で女を揶揄った足軽を一刀両断している信長だ、今回のような治安維持の仕事が好きなのかも知れない。
いや、もしかしたら信長ほど、治安のよい平和な世の中を望んでいる者はいないかもしれない。
「そうか、幸隆、黒影、闇影と相談しながら、京の治安維持を図ってくれ」
「承りました」
本来なら信長に、相応の独立部隊と独立権限を与えるべきなのだろうが、正直まだ信長に兵力と権限を与えるのは恐ろしい。
「それで大砲隊の整備と進攻はどうなっている?」
武田家が甲斐だけにしか領地を持っていなかった頃から、棒道の普請を知ってる幸隆に確認した。
「明日には補給の焔硝と砲弾が、近江から届きます」
「諏訪からの輸送はどうだ?」
「棒道の普請はある程度出来ておりますが、出来ましたら若狭を取って、日本海を使った海上輸送が1番早く大量に運べます」
「やはりそうなるか」
「いっそ海軍を動員して、和泉と摂津に上陸させて、公方を挟撃いたしますか?」
「万が一にも大砲を奪われる訳にはいかない、海は嵐などの自然の脅威に曝される事があるからな」
「そうなりますと、やはり若狭を攻め取りますか?」
「そうだな、武田の分家ではあるが、内乱で民を苦しませ過ぎているし、先代公方や晴元との縁も強い。攻め取って誰かを養嗣子に送り込もう」
「信実様か五郎様でしょうか?」
「そうだな、後見役は当然必要だが、2人の内の誰かを送るべきだろうな。それは御屋形様との相談するとして、まずは伏見口、竹田口、東寺口を確保して京の守りを固める」
「京は古より守り難い所ですが?」
「それでも護らなけれならないだろう、鷹司と武田の名に掛けて」
「左様でございますな」
「しかし非常時の事は考えておかねばならん、近江か美濃に御上と院を御動座して頂く事も考えておいてくれ」
「承りました、京への出入り口は全て抑えるように致しましょう。特に既に確保した鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口の守備を強化した上で、長坂口、丹波口も押さえ、若狭や丹波からの奇襲に備えます」
「任せたぞ」
上京の鷹司屋敷:鷹司義信視点
今後俺は最前線に立たない、そう宣言することにした。
まあ最近はもっぱら方面軍司令官に任せていたから、改めて言う必要も無いのだが。
ここまで支配領域が広がり、信頼できる人材が育っているのに、危険な最前線に出る方がおかしい。
御所に今上帝と先帝がおられなければ、岐阜城で指揮を執るのが普通なのだ。
史実の信長のように、居城を離れて親子で討たれるなど、愚か極まりない。
俺は安全第一の布陣を組んで行動を開始した。
近江第1軍団は、近江軍団に改名して若狭武田と越前朝倉を睨んで、伊香郡と高島郡に主力を配備した。
近江第2軍団は、摂津方面軍団に改名の上で大砲部隊5000兵を付属して、伏見口・竹田口・東寺口を守る足利軍粉砕に向かわせた。
近江第3軍団は、若狭方面軍団に改名して、長坂口に攻め込む準備をさせた。
近衛府6色兵団は、俺が持ち込んだ莫大な銭と兵糧を使って京・山城の民を雇い、御所の城郭化に取り組んだ。
河原町通・今出川通・堀川通・丸太町通りの内側に外濠と城壁を築き、城壁の上には全域を囲う長屋兼用2階建て曲輪を築き、通りに面した外側には無数の鉄砲狭間を開けた。
烏丸通の左右にも濠を設け、御所と二条城を分けたが、元々城砦としての機能を有していた鷹司屋敷・九条屋敷・三条屋敷は御所内にあったため、二条城に取り込まれて少々いびつな形にした。
二条城は足利が使っていた二条邸を中核にしたため、烏丸通・下長者通り・小川通り・椹木町通りの内側に内濠を設けた。
更に鴨川を濠として活用しつつ、北大路通り・木辻通り・きぬかけの道を広沢池の前を抜け桂川にいたり、桂川を濠として活用しつつ、鴨川との交流地点までを囲う総構えとする事にした。
その為鴨川と桂川には堅固な城壁棒道兼用の堤防を築き、川に護られていない北大路通り・木辻通り・きぬかけの道の外側に濠を設けることにした。
京は俺の築城とインフラ整備で、上京・下京・洛外の別なく好景気となった。
莫大な銭を投じたことで、足利・三好が支配していた頃より民が豊かになった。
しかも現物の食料を日当に支給する事で、物価の安定も図った。
伏見口・摂津方面軍団:第3者視点
「飛影様、準備が整いました」
「周辺の民は避難を終えているか?」
「はい、影衆が秘かに確認いたしましたが、砲撃予定地帯、侵攻路、足利の逃走予測路周辺に、無辜の民は残っておりません」
「ならばよし! 砲撃開始!」
摂津方面軍は、圧倒的な火力で伏見に駐屯する足利軍陣地を粉砕した。
その上で盾隊を前面に押し立て、弓隊と鉄砲隊の支援下で槍隊が前進し、足利の雑兵を降伏させつつ進軍した。
足利軍の三好勢と本願寺勢は、遅滞後退を行った。
鷹司軍を迎撃する為の陣地を築きつつ、1カ所に部隊が集中しその後の部隊の再編と反撃の準備を行う集心的退却と、数カ所に部隊を分散させ挟撃を行う離心的退却を臨機応変に行い、公方と三好長慶が大和と摂津で体制を立て直す時間を稼ごうとした。
流石歴戦の三好軍と言える行動だ。
だがそんな足利軍の遅滞後退を尻目に、鷹司摂津方面軍団は焦らず、損害を出さないように進軍し、伏見口を確保した。
その上で竹田口を守る足利軍に向かったが、足利軍の遅滞後退と摂津方面軍団の損害回避優先により、確保までに多少の時間はかかった。
しかしそれは足利軍が望むほど長くかかった訳ではなく、軍を完全に立て直すことはできなかった。
竹田口を確保した摂津方面軍団は東寺口に向かったが、足利軍は南北朝や応仁の戦乱でも戦略上の要地として争奪の舞台となった、天王山の城跡を修築すると同時に、石清水八幡宮に入って陣取り遅滞行動をとろうとした。
摂津方面軍団は、手元にある大砲の砲弾、大型弩砲の大矢を全て消費する覚悟で天王山を砲撃し、足利軍の将兵を恐怖のどん底に落とし入れた上で降伏勧告を行い、想定以下の砲弾・大矢・焔硝の消費で天王山を確保した。
天王山を確保した摂津方面軍団は、天王山に恒久的な城を築く為の兵を残留させた上で、石清水八幡宮に籠っている足利軍に向かったが、淀川・桂川・宇治川・木津川を渡河する時に足利軍に逆撃され無いように、十分な警戒と準備をした上での転進だった。
ゆっくり時間を掛けて、石清水八幡宮のある男山を包囲した摂津方面軍団は、砲撃をする前に足利軍の将兵に降伏臣従を呼びかけた。
摂津方面軍団からの降伏臣従を受けた足利軍は、脆くも崩壊してしまった。
近江の決戦以降、100門の砲列による一斉斉射に叩かれ続け、先日も天王山を攻撃する砲声を間近に聞いたために、次は自分達が砲撃されると言う恐怖に打ち震えていたのだ。
そこに助命の上に召し抱えてもらえると言う望外の呼びかけに、将兵の意地は挫け、1戦も戦う事無く山を下り、降伏すると言う状況が起こった。
ここで摂津方面軍団は進軍を止めた。
まだ砲弾にも焔硝にも余裕はあったが、諏訪と伊那からの十分な補給を待ってから、必勝態勢を整えてから侵攻する方が望ましい。
それに撃ち放った砲弾の回収再利用も行わなければならない。
何よりも宇治川を境に、右岸に強固な城壁兼用の堤防を築き、京と近江の防御力を強化しなければならなかった。
上京の鷹司屋敷:鷹司義信視点
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