転生武田義信
第120話武田信繁・上野平定・畿内蠢動
信濃諏訪城・本丸:鷹司義信視点
「叔父上、御疲れ様でした」
「有り難き御言葉でございます若殿、御屋形様と若殿の為なら、命を懸けて御仕えさせて頂きます」
「はい、叔父上の滅私奉公の御心の御陰で、畠山義続の愚かな行いによる影響を、大事にいたらさずに済ませる事が出来ました」
「それはようございました」
「しかしその為に、三綱五常の名将と言われる、叔父上の武名に傷をつけてしまいました」
信義と仁徳を心得た名将と言う信繁叔父上の武名に、残虐と言う汚名を着せてしまった、全ては畠山義続の好色による婦女暴行が原因なのに。
「あはははは、それは有り難い事です、我が武名は少々大人しすぎました、武将たる者恐れられるくらいが丁度よいのでございます」
「叔父上、本当にありがとうございます」
「若殿お止め下さい! 家臣に頭を下げるなど、あってはならない事です!」
俺は叔父上に深々と頭を下げた。
叔父上は、あくまでも俺を武田の若殿として遇される。
他の武田一門衆や譜代衆なら、近衛府武士団や鎮守府武士団に対する優越感で「若殿」と言っている。
だが叔父上は違う、例え朝廷や将軍家を敵に回し、近衛府武士団や鎮守府武士団が離反しようとも、最後まで武田家の家臣として俺に忠誠を尽し御仕えしますと、言外に誓って下さっているのだ。
同じ「若殿」と言う一言でも、込められた意味が違うのは聞けばわかる。
「叔父上には、甲斐に戻られる前に、次の役目を御願いしたいのです」
「なんでございましょうか?」
俺は雪解け後に諏訪城に戻っていた。
雪深くなる前に、また岐阜城に行くのだが、今はまだ伝書鳩の拠点は、躑躅城と諏訪城だ。
岐阜城を拠点にするには、もう少し時間が掛かる。
越中介の任を解かれた信繁叔父上は、久しぶりに甲斐の領地に戻られる途中だったのだ。
「責任の重い仕事ばかり御願いして申し訳ないのですが、我が嫡男である太郎の傳役と、四郎勝頼の後見人を御願いしたいのです」
「荷役や伝令から噂は聞いておりましたが、それは少々無理があるのではありませんか?」
流石に叔父上の耳は早い、公式の命令が届く前に、懇意の者達が事前情報を伝えている。
俺の子飼荷役の中にさえ、叔父上に事前情報を流す者がいる。
「何が無理なのでしょうか?」
「鷹司太郎様の傳役となれば、一刻たりとも御側を離れる訳にはいけません。しかし四郎勝頼殿は佐竹に養子に入り、征東軍の総大将に任じられるのではないですか?」
「はい、しかし叔父上について頂く傳役は、今までとは少々違います」
「ほう、どう違うのですか?」
「総傳役と申せばいいのでしょうか、各種の教授役や師匠の上に立って頂きたいのです」
「しかしそれなら尚更、鷹司太郎様の御側を離れる訳には参りません。それに単なる名誉職なら、いくら若殿の命でも御受け出来かねます」
「もう叔父上ならお分りでしょうが、今回の傳役と後見役就任は、能登併合の功罪を鑑みたものでございます。このまま叔父上に、楽をして頂くわけにはいかないのです。叔父上にしか御願い出来ない役割を、務めて頂く為だと思って下さい」
「朝廷や将軍、三好や一向宗に対する為に、私を建前上は越中介から解任して、四郎勝頼殿の後見役として、実質的な征東軍総大将につけると言う事ですな」
「しかし急激に大きくなった我が家には、残念ですが物の見えぬ武将もおります。責任ある役目に御付けした上で、移動して頂かなければなりません」
「だが本当の征東軍の総大将では、朝廷は兎も角、将軍家、三好、一向宗が嘴を挟んで来ると言う事ですな」
「はい、彼らが何を言ってこようが、我が家は何の痛痒も感じませんが、今上帝陛下と後奈良院に心労をおかけする訳には参りません」
「なるほど、それなら理解出来ます。ふむ、四郎勝頼殿の後見役だけでは、重みが足らぬのですな」
「はい、佐竹家当主だけでも重みが足りません。武田家の4男だけでも重みが足りません。叔父上が総大将なら誰も異論はなかったのですが、表面上罰したことになってしまいましたから、それを補完しなければなりません」
「まあそういう事なら傳役も御受けしますが、太郎様には早々に確かな側仕えを決めなければなりませんぞ」
「はい、それは手配しております、安心されて下さい。昔から私の側仕えをしてくれていた影衆と近習衆を、叔父上の配下としてつけております」
「なるほど、若殿の本心は、影衆などの難民出身の子飼の者達に、太郎様を任せたいのですな」
「叔父上なら理解して頂けると思いました」
「それならば御受けするしかないですな」
「ありがとうございます、この話はここまでとして、叔父上には加賀の事を御教え頂きたいのです」
「何なりと御聞き下さい」
「一向衆はどうのような暮らしをしておりますか?」
「ふむ、若殿にも連絡は行っているでしょうが、下層民の一向衆と指導層の一向衆が争いました」
「はい」
「若殿の政策で、越中と加賀の河北郡がとても豊かになりました。それに対して下層の一向衆は、同じ一向宗の指導者層に収奪されて、飢えに苦しみ続けました」
「はい」
「他宗派の者達から収奪しようとしても、もはや加賀には一向宗徒以外住んでおりません。一向衆以外の者は、すでに皆越中か越前に逃げ出しております」
「はい」
「越中や越前に攻め込んで収奪しようにも、我らと朝倉家が国境線をガッチリ守り固めています。そにため下層一向衆の飢えが解消されることはなく、同じ一向宗内での貧富の差が際立ち、一向宗の指導層の悪行が次々と露見することになりました」
「叔父上が手を回して、指導者層の悪行を広められたのではないのですか?」
「はて? 私は若殿が為されたのだとばかり思っておりました」
「偶然とは恐ろしいものですね」
「左様ですね」
「話を戻しますが、石山御坊からは他国に攻め込むことを、厳しく止められていたようでございます」
「はい、朝廷を通して厳しく争いを禁じさせておりました。もし加賀の一向宗が動いたら、問答無用で石山を攻め滅ぼすと通告しておりました」
「そこで餓えた下層一向衆は、教えを捨てて越中や加賀の河北郡に逃げてくる者と、教えを大義名分に略奪に越前に侵入する者がございました」
「はい、逃げてくる者は越中や加賀河北郡を選び、略奪侵入は越前が多かったのですよね?」
「はい、教えを捨て武田領に来れば、近衛府足軽として餓える事無く暮らせると広まっております。女子供であろうとも、屯田兵として畑仕事で餓える事は無いとも広まっております。しかし略奪に来たら取り押さえられて、佐渡をはじめとする鉱山で死ぬまで働かされると噂されております」
「それで殆どの略奪者が、越前に行くのですね」
「若殿の思惑通りですな」
「何の事ですか?」
「何の事でしょうね!」
「それで一向衆の内輪揉めは頃合いでしょうか?」
「そうですね、下層一向衆が指導者層を襲い討ち倒しました。しかしながら、下層一向衆内でも些細な違いを言い立てて、内部で襲撃略奪を繰り返しております」
「加賀併合はもっと後の方がいいと思われますか?」
「今でも後でも、簡単に討ち滅ぼす事が出来ると思います。ですがその時は、将軍家、三好、石山本願寺と戦う前がいいと思われます」
「やはりそうですか、だったらもう少し一向宗には、内部闘争、共喰いを続けてもらいます」
「それもよいかと思います」
俺は信繁叔父上と、今後の事も色々と話し合った。
特に四郎勝頼を後見しての東国平定作戦は、よく話し合い御願いした。
叔父上が実質的な総大将なら、出羽浅利方面軍の漆戸虎光、出羽山形方面軍の飯富虎昌、陸奥会津方面軍の曽根昌世も、何の異論もなく従うだろう。
伝書鳩と伝令を上手く使いこなす事が出来れば、全軍団が連動して侵攻することも可能だと結論が出た。
上野箕輪城:第3者視点
名将の長野業正が箕輪城に封じ込められ、名目上の大将である上杉憲政が討ち取られた上野衆は、次々と信玄に臣従降伏した。
しかしこの時点での降伏臣従条件は、とても厳しかった。
城地を一旦没収した上で、所領の1/4を扶持として支給するものだった。
扶持するのは鎮守府大将軍の鷹司義信だから、降伏臣従した国衆や地侍の面目を保つ事は出来るが、全ての家臣と足軽を維持する事は出来なかった
上野衆の禄を離れた武士や足軽に半農半兵の地侍は、積極的に近衛府と鎮守府で召し抱えた。
明確に武士と農民で分ける事の出来ない者も多かったが、武士身分を維持したい者には、徹底的な再教育を施した上で各地の戦線に分断配属し、上野衆が再一致団結できないようにした。
長野業正・長野吉業・長野業盛などの長野一門は、武士の誇りを守るために、城を枕に討ち死にした。
降伏勧告に応じる事無く、武士の意地を通して最後まで戦い抜いた。
家臣領民も城に籠って必死で戦った。
だが大弩砲による火攻めと、鉄砲隊を使って制圧射撃により、今までの守備では防ぎ切れず、1つ1つと郭を落とされていった。
もはや死を待つのみと成った時、長野業正は家臣領民を説得して城から逃れさせた。
信玄に使者を送り、説得に応じた家臣領民を、今上帝や後奈良院の下男下女として使えさせたいと願ったのだ。
随分と虫のいい話なのだが、今回の侵攻の大義名分は停戦勅命違反だ。
最終的には武田家の奴隷とするのしても、一旦は今上帝と後奈良院に御伺いを立てなければならない。
そうなると鷹司義信の名誉を守る為に皇室に献上するか、名を汚しても譜代衆の余禄として下げ渡すか、間を取って譜代衆には銭を渡し鷹司家の下男下女にするかになる。
上州の黄班(とら)と呼ばれた長野業正は、最後の最後も信玄の鼻を明かして、城に火を放ち切腹して果てた。
「城を枕に討ち死にした主な国衆」
箕輪城:長野業正・長野吉業・長野業盛
厩橋城:長野道賢
大胡城:長野藤九郎・長野彦七郎
「降伏した主な国衆」
上泉城:上泉信綱
八束城:多胡羊太夫
松井田城:安中忠政
新堀城:多比良友定
一郷山城:安部中務尉・多比良友定の重臣
後閑城:依田光慶
木部城:木部範虎
山名城:木部貞朝
京:第3者視点
一方を京を中心とした畿内は、大きく動揺していた。
足利義冬将軍が、畿内の平定に乗り出したのだ。
三好家を筆頭に、畠山尾州家や遊佐衆など動員して、寺社勢力を1つ1つ潰して行く。
最終的には、足利義秋・細川晴元・六角義賢・武田信豊を攻め滅ぼす心算なのかも知れない。
だがそんな事をすれば、鷹司(武田)との緩衝地帯が無くなることになる、そうなれば足利と鷹司の決戦は必至だ。
「叔父上、御疲れ様でした」
「有り難き御言葉でございます若殿、御屋形様と若殿の為なら、命を懸けて御仕えさせて頂きます」
「はい、叔父上の滅私奉公の御心の御陰で、畠山義続の愚かな行いによる影響を、大事にいたらさずに済ませる事が出来ました」
「それはようございました」
「しかしその為に、三綱五常の名将と言われる、叔父上の武名に傷をつけてしまいました」
信義と仁徳を心得た名将と言う信繁叔父上の武名に、残虐と言う汚名を着せてしまった、全ては畠山義続の好色による婦女暴行が原因なのに。
「あはははは、それは有り難い事です、我が武名は少々大人しすぎました、武将たる者恐れられるくらいが丁度よいのでございます」
「叔父上、本当にありがとうございます」
「若殿お止め下さい! 家臣に頭を下げるなど、あってはならない事です!」
俺は叔父上に深々と頭を下げた。
叔父上は、あくまでも俺を武田の若殿として遇される。
他の武田一門衆や譜代衆なら、近衛府武士団や鎮守府武士団に対する優越感で「若殿」と言っている。
だが叔父上は違う、例え朝廷や将軍家を敵に回し、近衛府武士団や鎮守府武士団が離反しようとも、最後まで武田家の家臣として俺に忠誠を尽し御仕えしますと、言外に誓って下さっているのだ。
同じ「若殿」と言う一言でも、込められた意味が違うのは聞けばわかる。
「叔父上には、甲斐に戻られる前に、次の役目を御願いしたいのです」
「なんでございましょうか?」
俺は雪解け後に諏訪城に戻っていた。
雪深くなる前に、また岐阜城に行くのだが、今はまだ伝書鳩の拠点は、躑躅城と諏訪城だ。
岐阜城を拠点にするには、もう少し時間が掛かる。
越中介の任を解かれた信繁叔父上は、久しぶりに甲斐の領地に戻られる途中だったのだ。
「責任の重い仕事ばかり御願いして申し訳ないのですが、我が嫡男である太郎の傳役と、四郎勝頼の後見人を御願いしたいのです」
「荷役や伝令から噂は聞いておりましたが、それは少々無理があるのではありませんか?」
流石に叔父上の耳は早い、公式の命令が届く前に、懇意の者達が事前情報を伝えている。
俺の子飼荷役の中にさえ、叔父上に事前情報を流す者がいる。
「何が無理なのでしょうか?」
「鷹司太郎様の傳役となれば、一刻たりとも御側を離れる訳にはいけません。しかし四郎勝頼殿は佐竹に養子に入り、征東軍の総大将に任じられるのではないですか?」
「はい、しかし叔父上について頂く傳役は、今までとは少々違います」
「ほう、どう違うのですか?」
「総傳役と申せばいいのでしょうか、各種の教授役や師匠の上に立って頂きたいのです」
「しかしそれなら尚更、鷹司太郎様の御側を離れる訳には参りません。それに単なる名誉職なら、いくら若殿の命でも御受け出来かねます」
「もう叔父上ならお分りでしょうが、今回の傳役と後見役就任は、能登併合の功罪を鑑みたものでございます。このまま叔父上に、楽をして頂くわけにはいかないのです。叔父上にしか御願い出来ない役割を、務めて頂く為だと思って下さい」
「朝廷や将軍、三好や一向宗に対する為に、私を建前上は越中介から解任して、四郎勝頼殿の後見役として、実質的な征東軍総大将につけると言う事ですな」
「しかし急激に大きくなった我が家には、残念ですが物の見えぬ武将もおります。責任ある役目に御付けした上で、移動して頂かなければなりません」
「だが本当の征東軍の総大将では、朝廷は兎も角、将軍家、三好、一向宗が嘴を挟んで来ると言う事ですな」
「はい、彼らが何を言ってこようが、我が家は何の痛痒も感じませんが、今上帝陛下と後奈良院に心労をおかけする訳には参りません」
「なるほど、それなら理解出来ます。ふむ、四郎勝頼殿の後見役だけでは、重みが足らぬのですな」
「はい、佐竹家当主だけでも重みが足りません。武田家の4男だけでも重みが足りません。叔父上が総大将なら誰も異論はなかったのですが、表面上罰したことになってしまいましたから、それを補完しなければなりません」
「まあそういう事なら傳役も御受けしますが、太郎様には早々に確かな側仕えを決めなければなりませんぞ」
「はい、それは手配しております、安心されて下さい。昔から私の側仕えをしてくれていた影衆と近習衆を、叔父上の配下としてつけております」
「なるほど、若殿の本心は、影衆などの難民出身の子飼の者達に、太郎様を任せたいのですな」
「叔父上なら理解して頂けると思いました」
「それならば御受けするしかないですな」
「ありがとうございます、この話はここまでとして、叔父上には加賀の事を御教え頂きたいのです」
「何なりと御聞き下さい」
「一向衆はどうのような暮らしをしておりますか?」
「ふむ、若殿にも連絡は行っているでしょうが、下層民の一向衆と指導層の一向衆が争いました」
「はい」
「若殿の政策で、越中と加賀の河北郡がとても豊かになりました。それに対して下層の一向衆は、同じ一向宗の指導者層に収奪されて、飢えに苦しみ続けました」
「はい」
「他宗派の者達から収奪しようとしても、もはや加賀には一向宗徒以外住んでおりません。一向衆以外の者は、すでに皆越中か越前に逃げ出しております」
「はい」
「越中や越前に攻め込んで収奪しようにも、我らと朝倉家が国境線をガッチリ守り固めています。そにため下層一向衆の飢えが解消されることはなく、同じ一向宗内での貧富の差が際立ち、一向宗の指導層の悪行が次々と露見することになりました」
「叔父上が手を回して、指導者層の悪行を広められたのではないのですか?」
「はて? 私は若殿が為されたのだとばかり思っておりました」
「偶然とは恐ろしいものですね」
「左様ですね」
「話を戻しますが、石山御坊からは他国に攻め込むことを、厳しく止められていたようでございます」
「はい、朝廷を通して厳しく争いを禁じさせておりました。もし加賀の一向宗が動いたら、問答無用で石山を攻め滅ぼすと通告しておりました」
「そこで餓えた下層一向衆は、教えを捨てて越中や加賀の河北郡に逃げてくる者と、教えを大義名分に略奪に越前に侵入する者がございました」
「はい、逃げてくる者は越中や加賀河北郡を選び、略奪侵入は越前が多かったのですよね?」
「はい、教えを捨て武田領に来れば、近衛府足軽として餓える事無く暮らせると広まっております。女子供であろうとも、屯田兵として畑仕事で餓える事は無いとも広まっております。しかし略奪に来たら取り押さえられて、佐渡をはじめとする鉱山で死ぬまで働かされると噂されております」
「それで殆どの略奪者が、越前に行くのですね」
「若殿の思惑通りですな」
「何の事ですか?」
「何の事でしょうね!」
「それで一向衆の内輪揉めは頃合いでしょうか?」
「そうですね、下層一向衆が指導者層を襲い討ち倒しました。しかしながら、下層一向衆内でも些細な違いを言い立てて、内部で襲撃略奪を繰り返しております」
「加賀併合はもっと後の方がいいと思われますか?」
「今でも後でも、簡単に討ち滅ぼす事が出来ると思います。ですがその時は、将軍家、三好、石山本願寺と戦う前がいいと思われます」
「やはりそうですか、だったらもう少し一向宗には、内部闘争、共喰いを続けてもらいます」
「それもよいかと思います」
俺は信繁叔父上と、今後の事も色々と話し合った。
特に四郎勝頼を後見しての東国平定作戦は、よく話し合い御願いした。
叔父上が実質的な総大将なら、出羽浅利方面軍の漆戸虎光、出羽山形方面軍の飯富虎昌、陸奥会津方面軍の曽根昌世も、何の異論もなく従うだろう。
伝書鳩と伝令を上手く使いこなす事が出来れば、全軍団が連動して侵攻することも可能だと結論が出た。
上野箕輪城:第3者視点
名将の長野業正が箕輪城に封じ込められ、名目上の大将である上杉憲政が討ち取られた上野衆は、次々と信玄に臣従降伏した。
しかしこの時点での降伏臣従条件は、とても厳しかった。
城地を一旦没収した上で、所領の1/4を扶持として支給するものだった。
扶持するのは鎮守府大将軍の鷹司義信だから、降伏臣従した国衆や地侍の面目を保つ事は出来るが、全ての家臣と足軽を維持する事は出来なかった
上野衆の禄を離れた武士や足軽に半農半兵の地侍は、積極的に近衛府と鎮守府で召し抱えた。
明確に武士と農民で分ける事の出来ない者も多かったが、武士身分を維持したい者には、徹底的な再教育を施した上で各地の戦線に分断配属し、上野衆が再一致団結できないようにした。
長野業正・長野吉業・長野業盛などの長野一門は、武士の誇りを守るために、城を枕に討ち死にした。
降伏勧告に応じる事無く、武士の意地を通して最後まで戦い抜いた。
家臣領民も城に籠って必死で戦った。
だが大弩砲による火攻めと、鉄砲隊を使って制圧射撃により、今までの守備では防ぎ切れず、1つ1つと郭を落とされていった。
もはや死を待つのみと成った時、長野業正は家臣領民を説得して城から逃れさせた。
信玄に使者を送り、説得に応じた家臣領民を、今上帝や後奈良院の下男下女として使えさせたいと願ったのだ。
随分と虫のいい話なのだが、今回の侵攻の大義名分は停戦勅命違反だ。
最終的には武田家の奴隷とするのしても、一旦は今上帝と後奈良院に御伺いを立てなければならない。
そうなると鷹司義信の名誉を守る為に皇室に献上するか、名を汚しても譜代衆の余禄として下げ渡すか、間を取って譜代衆には銭を渡し鷹司家の下男下女にするかになる。
上州の黄班(とら)と呼ばれた長野業正は、最後の最後も信玄の鼻を明かして、城に火を放ち切腹して果てた。
「城を枕に討ち死にした主な国衆」
箕輪城:長野業正・長野吉業・長野業盛
厩橋城:長野道賢
大胡城:長野藤九郎・長野彦七郎
「降伏した主な国衆」
上泉城:上泉信綱
八束城:多胡羊太夫
松井田城:安中忠政
新堀城:多比良友定
一郷山城:安部中務尉・多比良友定の重臣
後閑城:依田光慶
木部城:木部範虎
山名城:木部貞朝
京:第3者視点
一方を京を中心とした畿内は、大きく動揺していた。
足利義冬将軍が、畿内の平定に乗り出したのだ。
三好家を筆頭に、畠山尾州家や遊佐衆など動員して、寺社勢力を1つ1つ潰して行く。
最終的には、足利義秋・細川晴元・六角義賢・武田信豊を攻め滅ぼす心算なのかも知れない。
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