転生武田義信

克全

第118話長野業正・常陸攻防

美濃岐阜城・鷹司義信・織田信長・真田幸隆・黒影:鷹司義信視点

「大将軍閣下、上野で少々手古摺っているようでございます」

俺の呼び名は色々あるのだが、俺としては鎮守府大将軍として立場を明確にしたい。

陰でなんと呼ばれようとかまわないが、俺に対する時だけは大将軍としての呼称を使わせることにした。

「箕輪城の長野業正か?」

「はい、厳選した手勢と共に箕輪城に籠ったようでございます」

黒影が最新の情報を披露してくれた。

河越公方の家臣であった大名・国衆・地侍は、簡単に調略する事が出来た。

だが関東管領・上杉憲政とその家臣は、簡単にはいかなかった。

上杉憲政は自身は大した存在ではなかったし、8割の国衆・地侍は調略に応じた。

だが上杉憲政を担いだ、長野業正を中核とした上野衆の中には、頑強に抵抗する者が結構いた。

「松井田城の調略が不調に終わった為に、碓氷峠からの上野進入を断念された御屋形様が、上野国甘楽郡の市河家、国峯城の小幡家、南牧衆を先方に上野に侵攻されました」

「うむ、それは理解している。御屋形様が差配されている甲斐譜代衆にも、活躍の場を与えなければならないからな」

「はい、国峯城北方の庭屋、長根城に守られた小幡の地に陣を構えられて、上杉勢の動きを探られたのですが。上杉勢の動きが見えないので、手勢を分け平井城を迂回しながら、鬼石まで侵攻されました」

「本拠の平井城を直接囲まれなかったのだな」

「はい、他国である上野での初めての出陣のためか、慎重に軍を進められ、内藤修理大夫昌豊殿、原加賀守昌俊、跡部大炊助勝資殿、曽根三河守虎長殿、小宮丹後守殿の軍勢を駆使されて、上杉勢を平野部に誘い出そうとされました」

「それが上手くいかなかったのだな」

「はい、上杉勢が信頼できる者だけで、武士の意地を見せる籠城している為、御屋形様の誘いには乗ってこないようでございます」

「下手に手出しすると御屋形様や譜代衆に恥をかかせてしまう、上野は静観して他方面に専念しよう」

「承りました。」

「上杉勢の城砦」
平井城:上杉憲政
箕輪城:長野業正・長野吉業・長野業盛
厩橋城:長野道賢
上泉城:上泉信綱・大胡城主大胡氏の一族
大胡城:長野藤九郎・長野彦七郎
八束城:多胡羊太夫
松井田城:安中忠政
松井田西城
新堀城:多比良友定・箕輪城の長野業政とは従兄の関係
一郷山城:安部中務尉・多比良友定の重臣
後閑城:依田光慶・箕輪城主長野業政の娘を娶っていた
木部城:山名城・木部範虎・貞朝・父・範虎は箕輪城主・長野業正の娘婿

「武田に味方した城砦」
国峯城:小幡憲重・重定父子
天引城:甘尾若狭守・市川馬之助兄弟などの南牧地衆を付けた
内匠城:倉股氏
八幡山の砦
坂本城
愛宕山城
人見城
丹生城:新田景純
金山城
天屋高山城:高山氏
新田金山城:由良成繁・国繁親子
小串城:小串家
神保植松城:神保昌光
:小河原重清
長根城:小林重秀
倉賀野城:倉賀野行政・尚行・倉賀野十六騎
和田城:和田信景・和田業繁
島名城:長井政実・信実
赤石城:那波城・今村城・那波宗俊
力丸城:那和一族





美濃岐阜城・鷹司義信・織田信長・真田幸隆・黒影:第3者視点

雪解けと共に、陸奥鎮守府軍と近衛府軍は、静々と北上して行った。

府中城の大掾貞国殿は、南館一族衆の説得もあり、素直に臣従した。

佐竹と敵対していた小田城の小田氏治殿も素直に臣従したが、水戸城の江戸忠通は大掾貞国殿と度々合戦に及んでいたせいか、半知召し上げに不服を申したて、条件をよくしようと籠城をした。

江戸忠通の籠城に対して、方面軍司令官の滝川一益は交渉の必要を認めず、江戸家の家臣達を調略して裏切らせ、江戸忠通と家族を放逐させたので、江戸忠通と家族は北へと逃げて行った。

滝川一益軍団は江戸忠通を追いかけるように北上し、石神城の石神通長と額田城の額田盛通が境界争いで揉めているのを調停、半知召し上げを境界争いを含む地にする事で、緩衝地帯を作る事にした。

そして滝川一益軍団は、佐竹家の本拠地である太田城に入城した。

太田城で滝川一益は佐竹一門の分家・譜代衆と会い、鷹司卿への臣従と近衛府軍・陸奥鎮守軍への出仕を誓わせた。

隠居・廃嫡させた佐竹義昭と義重の親子は、美濃の岐阜城へ人質として送ることになった。

佐竹の姫達は、武田四郎(勝頼)の嫁候補として躑躅城に送られた。

佐竹家の分家・や譜代衆の嫡男も、四郎の近習や小姓候補として、躑躅城に送られる事になったが、はっきり言えばこれも人質だった。

滝川一益は佐竹家への仕置きを済ますと、さらに北上して井伊直親が高部一族が守る高部城・高部向館・河内城(鳥ノ子城)・高沢城を調略した。

海岸沿いの山尾小野崎家・小野崎義昌の守る櫛形城・山尾城・友部城は、素直に滝川軍団を受け入れた。

高萩里見家の龍子山城・小原里見家の小原城・依上城・安良川館までは、戦うことなく侵攻出来た。

だが岩城重隆が養嗣子の親隆に佐竹義昭の娘を娶らせた時に、佐竹家から化粧領として岩城家が手に入れた、山岳地帯の里美領と海岸沿い車城は頑強に抵抗した。





常陸・里美:第3者視点

岩城重隆の領域である小里城砦群は、連動して守備を固めていた。

里美の谷にある唯一の平城・小里城を中核に、小里城の弱点である東側を補う為に、東側の山の上に盾の台館とそのやや南方に羽黒山城を築城している。

更に里美盆地の南端部の山には木の上館が築かれおり、他にも大中館が盆地を守るように築かれている。

車城 :車兵部大輔義秀・岩城氏の南進拠点
月居城:野内隼人は山岳系の修験者と懇意





美濃岐阜城・鷹司義信・織田信長・真田幸隆・黒影:鷹司義信視点

「小里城砦群を落城させたと報告が入りました」

「ほう、将兵だけでなく領民まで岩城重隆に忠誠を誓っている為、調略は難しいと言う話であったが、一益殿は力攻めをされたのか?」

「いえ、修験者を使って内応させられたとの事です」

幸隆の率直な疑問に黒影が答える。

「里美の山々には修験者がいるのか?」

「はい、近くの加波山・愛宕山・男体山など、多くの山に修験者が集まっております。中でも月居城の野内隼人が山岳系の修験者と繋がりのあり、大将軍閣下の為なら喜んで御案内させて頂くと、城内の知り人を内応させてくれたそうでございます」

俺の疑問の対して、黒影は周辺情報を交えて返答してくれる。

「直接の取次は狗賓善狼が行ったのか?」

「仰られる通りでございます」

「褒美に関しては何か言って来たか?」

「南北朝の頃に築城され、現在は放棄されている急峻な山城、金砂山城と武生城を、山窩衆と修験者衆に、褒美として与えて欲しいとの事でございます」

「分かった、修験者の領域は厳密なものだと聞いている。近隣の修験者と領域を争う事にならないように、よく話し合った上で、自由に築城する権利を与えよう」

「承りました、後々近隣の修験者と争いの起こらないように、境界を明確にした上で築城するように伝えます」

「大館城(飯野平城)の岩城重隆を一気に攻めるのですか?」

「出来れば敵味方の損害は少なくしたい、今後の為にも戦力と労働力は確保しておく必要がある」

幸隆が戦略方針を確認してきたので、誤解のないようにはっきり答えておく。

「確保した後で何時やるのです?」

「相手次第だ、これは別で話す」

信長が西上による三好討伐の時期を聞いてきた、幸隆と黒影以外の近習衆と小姓衆は、陸奥の完全制圧の話だと思っているようだが、俺達にとっては陸奥制圧は確定事項であって、既に議論の余地はない。

だが未熟な連中の前でこの話は出来ない。

未熟な近習や小姓の中には、酒や女を使った情報収集に引っかかる愚か者がいるかもしれない。

闇影が内諜を取り仕切ってくれているが、俺が緩めば全てが緩む。

「信長はもう少し内部の事も気をつけるように」

「承りました」

史実の信長は、部下を信じすぎる傾向があったのかもしれない。

それとも裏切りなど日常茶飯事で、不利になったら裏切りや逃亡をする者でも取り込まなければ、戦力を揃える事が出来ない時代だったのかもしれない。

俺達が滝川軍団の戦況報告を受けている頃、上野の信玄は激戦を繰り返していた。

表向きの総大将は、平井城の上杉憲政ではあるが、実質的な大将は箕輪城の長野業正だ。

最初信玄は甲斐から近い平井城を囲んだが、そこに精鋭を率いた長野業正が夜襲を仕掛けて来た。

初めての上野進攻で、降伏臣従して来た地元の国衆と地侍に先方を任せていたが、後方の武田勢を狙い撃ちした夜襲に、地理不案内の武田譜代衆は十分な対応が出来なかった。

史実の歴戦の武田軍ですら、長野業正の守る箕輪城を落とす事が出来なかった。

武田軍は史実より圧倒的に有利な状況ではあったが、残念ながら今の武田軍は史実より実戦経験がないのだ。

多くの損害を出しながら、餓死から逃れる為に古強者になった武田農民兵とは違うのだ。

史実とは比べ物にならないくらい豊かになり、戦に参加せずとも餓える事も凍える事も無い農民が、強制動員されているのだ。

武田譜代衆の軍とは言え、不利になれば命惜しさに逃げ散ってしまう。

だが流石に信玄は、今の武田軍の特性をよく知っていた。

本陣周りの近習衆と旗本衆は、人質も兼ねた一門譜代の若武者だけで固めてあった。

伝令役の百足衆を各部隊に派遣して動揺を鎮静化させ、河越夜戦のような全面崩壊につながらないようにした。

素早い鎮静化により、一旦降伏臣従した上野衆の寝返りを未然に防ぎ、逃亡した譜代衆配下の農民兵に見切りをつけた。

素早く手元の将兵だけで軍勢を再編成した信玄は、恥を雪(すす)がんと夜襲してきた軍勢に逆撃を仕掛けた。

夜襲を仕掛けた長野業正は、残念ながら戦国大名ではない。

あくまでも上野上杉衆の纏め役に過ぎず、ただの国衆の1人なのだ。

信玄の逆撃を受けた上野国衆は、各個に後退と逃亡を始めてしまったのだ。

寄り合い所帯での攻撃では、大損害を覚悟して武田の総大将を討ち取る本陣突入が出来なかった。

長野業正は、万に一つの成功を狙った武田本陣突入を行わなかったが、それは好機は再度あると信じていたからだろう。

長野業正の基本戦略は、守勢防御と思われる。

敵を自分の勢力圏に引き入れた上で、敵の隙を突いて攻撃撃退するのが得意なのだろう。

味方の損害を減らす為に殿を務めながら、闇の中を箕輪城に帰っていったらしい。

この日から、武田勢の眠れぬ夜が続いた。

長野業正は少人数の攪乱部隊を投入して、夜襲をする振りをさせたのだ。

初日に大損害を受けた武田勢は、再度の闇の中からの鬨の声に恐怖して、飛び起きる事になる。

毎夜の嫌がらせに、眠れぬ武田勢は消耗して行った。

一方平井城に籠城している上杉勢は、毎夜味方の鬨の声が聞こえる事に勇気づけられ、士気を維持する事が出来た。

元々厳選した者だけを籠城させた事もあり、鷹司・武田が得意とする調略による内応に、応じる者が出なかった。

流石に長野業正が相手だと、信玄が仕掛ける調略は成功しないのだな。

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