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転生武田義信

克全

第117話大内義通・下総侵攻

美濃岐阜城・鷹司義信・黒影・織田信長・真田幸隆:鷹司義信視点

「大将軍閣下、大内が荒れております」

「何があった?」

年が明けて正式に俺の鎮守府大将軍就任が朝廷で決まった。
もちろん同時に足利義冬が征夷大将軍となり、大内義通も兵部卿・大宰大弐・侍従への就任が決まった。
大内義通に関しては、朝廷の記録を遡って改竄すると言う、常套手段が取られたのは言うまでもない。

「陶隆房、内藤興盛、杉重矩等の武断派と、相良武任、杉興連、冷泉隆豊等の文治派が対立しているようで御座います」

「相良武任等の文治派は、大内義隆と京に移ったはずだろ?」

「それが山口に残った二条尹房様、二条良豊様に誘われて、山口に戻ったようで御座います」

「二条家は大内を一条家が支配するのを邪魔する心算か?」

「何とも申し上げられません」

「家臣達を集めよ」

大内を探らせている影衆の知らせを受けて、軍師役の織田信長と真田幸隆だけではなく、視点を変える意味で見習いの近習衆も集めた。
どうにも情勢が読めないので、まずは信長と幸隆の視点で問題を見させることにした。

「尼子晴久と国久の動きはどうなっている?」

信長は尼子の介入も考慮しているようだ。

「尼子ですが、どうも晴久と国久が反目しているようです」

黒影が最新の情報を披露する。

「直接合戦になりそうなのか?」

「いえ、国久が独立を図っているようでございます。ただ合戦になると大内につけ込まれるので、互いに密かに国衆と地侍の調略を行っています」

俺の質問に黒影が答えてくれる。

「大内が内乱にまで発展すれば、その隙を突き侵攻する可能性があるのだな?」

「大内が動けぬうちに内部の敵を粛正するか、或いは弱った大内を喰って国衆と地侍に己の力を見せつけ、内部の敵を抑え込むか、晴久と国久の判断次第ですな」

信長は随分長く喋るようになった。

若者を教育して役立つ人材を育てるようにと伝えたのが、意外と利いたのかもしれない。

「大友義鎮と晴英の動きも調べた方がいい」

真田幸隆は、一時大内義隆の猶子となっていた大友晴英を擁して、大友義鎮が介入を画策している可能性を考慮しているのだな。

確かに土佐一条家5代当主である一条兼定の母親は大友義鑑の娘だ、大友晴英が大内義隆の猶子となっていた経緯もあるし、一条本家と土佐一条家を切り離して抱き込む策を使うかもしれない。

「毛利元就が動いていないか確認してくれ」

「毛利でございますか?」

俺が黒影に毛利元就を調べさせる指示をしたことを、幸隆は不審に思ったのだろう。

流石の信長も不審そうにしている。

俺は史実の元就を知っているから、大内からの独立を画策して、元就が土佐一条家や尼子家に対して、謀略を仕掛けた可能性を疑ってしまう。

いや、そもそも大内家内の対立も、元就が裏で糸を引いていないとは言い切れない。

一条が柱になった大内は怖くない、各国の守護代毎に切り崩す事が出来るし、各個撃破も可能だ。

問題があるとすれば、歴史が変わって毛利隆元が長生きした場合の毛利家が怖い。

「一条大内は必要ですか?」

信長も段々家臣らしい言葉使いが出来るようになってきた。

史実でも若い頃は、足利義輝や近衛前久とちゃんと付き合えてるから、普通に家臣として振る舞う事も出来るはずだ。

「信長が言いたいのは、一条家の後ろ盾がある大内家より、大友の影響の有る大内家の方が御しやすいと言う事か?」

「はい」

「幸隆はどう思う?」

「尼子が大内を併合したり、陶が大内を手にして尼子を併合した場合が問題です」

「情報が揃わない限り迂闊な手は打てないが、はっきり申しておく事がある、大切なのは天下の静謐だ、今上帝の下で太平の世を築きあげることだ」

「大将軍閣下が天下を平定されるのではないのですか?」

信長が挑むように探るように聞いて来る。

「必要なら断じて行う、その為にはまず関東と東国を平定する。そしてその時に西国の戦乱が納まっていないのなら、この手で西国を平定する」

「ならばこのまま西国が纏まらないようにするのが、我らの務めでしょうな」

「誰かが突出した力を待たないようにするのか」

幸隆は俺に天下を平定させたいようだ、その為には足利・三好・大内・尼子・大友の誰かが極端に勢力を広げないように画策する心算だ。

信長がどう考えているのかは分からないが、幸隆の考えは理解しているようだ。

「天下の静謐が1番だ、足利・三好など天下を乱す可能性のある者は、全て徹底的に調べよ。一条卿には全ての情報を提供して、義通殿に警戒を強めるように御勧めする、最悪忠義者の吉見正頼か杉興連を頼られるように文を書こう」

「承りました」

俺は命令と決意を伝えた。

俺の真意が黒影・信長・幸隆には伝わったはずだ、未熟な見習いの近習衆にまで伝わったかは分からない。

天下の静謐を願うと言ったのは、現状維持で誰かに極端な勢力を持たさない、何れは各個に攻め潰すとの決意だ。

「大内家家臣団」
陶隆房 :周防国守護代 陶長房は嫡男
杉重矩 :豊前国守護代
内藤興盛:長門国守護代
杉興連 :筑前国守護代
問田隆盛:石見国守護代 若山城主
相良武任:右筆・奉行人・評定衆
冷泉隆豊:大内水軍総大将・安芸佐東銀山城主
黒川隆像:宗像水軍
弘中隆兼:白崎八幡宮社家・中立・安芸槌山城主・西条鏡山城主
江良房栄:陶隆房の腹心・備後旗返城主





下総滝川一益軍団:第3者視点

鷹司義信が天下平定を考えている頃、その大切な戦力である滝川一益軍団は、侵攻の勢いを増していた。

志摩城を降伏させ、次いで三谷蔵人胤重の守る新村城を取り囲んだ。

新村城では、裏切る可能性の有る雑兵達は逃がし、武士の意地を見せる決死の者達だけで城に籠った。

新村城は、比高15mほどの台地上をすべて使って構築された城で、土塁、空堀、土橋等の構造は重厚で、大きく分けて6つの郭で構成されている。

特に1の郭と2の郭の間は、両側を深く掘りきった土橋で隔てられており、3の郭と4の郭との間にある空堀も、深く幅もあり防御力が高い。

1の郭は台地先端部にあり、東下の腰曲輪から上がってくる虎口は、腰曲輪上に高さ2~3mほどの小さな張り出しを出し、その上を通って虎口に接続するようになっている。

この腰曲輪は北に進むと1段高くなり、左下との間にはわずかであるが、横堀も形成されていて、横堀は堀切と接している。

1の郭(30m×50m)の南端は少し削られていて、北に張り出しその周囲を土塁が囲んでいる。

その先が2の郭に続く細い土橋となっていて、土橋は両側をえぐるように細く削られており、西側の空堀は深さ6mほどあり斜面は切岸になっている。

この辺りの防備がもっとも強いだろう。

2の郭(20m×30m)は1の郭の北側に続いており、1の郭同様に北側に土塁を置き、3の郭(50m×65m)との間には空堀(深さ5m、幅7m)がある。

3の郭には土塁は無いものの、全体を柵と木塀で囲み、敵を寄せ付けないようにしている。

3の郭の東側下には、30m×25mほどの枡形状の郭がある。

竪堀のような部分もみられ、ここに虎口が設けられている。

3の郭と4の郭との間にある空堀が、城内最大規模の空堀で、深さ8m・幅10mほどである。

この切通しの道は北に続いていき、最後に切通しがある。

4の郭は細長い郭を2つつないだ構造となっていて、斜面は高さ10m程度の切岸で防備は固い。

5の郭は城内最北東にあり、主要な郭よりも8mほど低いところにあるが、下からは比高7mほどあり、やはり斜面は切岸になっている。

この郭は丘城内で最も広く、馬屋・兵宿舎など置かれている。

6の郭は1・2・3・4郭の南西斜面下にあり、斜面の高さは10m程度の切岸で、水堀に囲まれた部分に三谷蔵人胤重の普段の屋敷がある。

平時の屋敷なので、元々あった水堀に加えて、滝川軍の侵攻に対して急遽構築された、空堀・土塁・柵・木盾で防御力を強化していた。

「滝川殿、この城を我攻めするとなると、多少の損害は覚悟しなければなりません」

「八柏殿は我攻めに反対のようだな」

「はい、鷹司卿はこのような忠義の士が大好きだと思いますが、長年卿の御側で御仕えした滝川殿は、いかが思われますか」

「同感です、ここは囲んで降伏の使者を送り放置しましょう」

「放置ですか?」

「これほどの忠義の武士たちです、降伏の使者を送ったくらいで下りはしないでしょう。適当な部隊に包囲させて逆撃を防ぎ、各部隊を分派して、千葉本家に味方する者たちを先に下しましょう」

「流石は滝川殿、その方法が最良でございましょう」

各個侵攻する滝川軍団は、新村城に抑えの兵を残して先を急いだ。

三谷一族    :137貫760文
三谷蔵人胤重個人: 88貫350文

寒風城は平手政秀が囲み降伏させた。
久方城は丹羽長秀が囲み降伏させた。
分城は長坂勝繁が囲み降伏させた。

土やぐら城・物見台城・大堀城・金原城・壷岡城・飯高城・飯高砦・新砦・大浦城・宮和田城・松崎城・次浦城・要害城などが次々と降伏して来た。

だが飯高城主の飯高貞政・八日市場城主の押田昌定と胤定の親子・南玉造城主の野平伊賀守常弘・鏑木城主の鏑木胤義は、武士の意地を見せて籠城をした。

主家をへの忠義や武士の意地を示す者は、後々は家臣として抜擢すると、常日頃から鷹司卿は配下の者たちに伝えている。

当然抑への兵は残すものの、不幸な戦闘に突入しないように、城の出入口には堀や防塁を設けて、戦闘回避を図らせていた。





常陸島崎城:第3者視点

「義幹殿以下南方衆は、鷹司卿に臣従を誓うのだな?」

「はい我ら一同、鎮守府大将軍、鷹司義信卿に忠誠を御誓い致します。」

「なれば早速検地を行い、知行地の半分は鷹司卿の蔵入り地とする。但しその半知分は、出仕地にて直接扶持として支給する」

「それは我々に常陸を離れろと言う事でしょうか?」

「先ずは関東で敵対する勢力への出陣である、これは全軍を率いて参戦して貰う。関東征伐が終われば、家中の半数は常陸を離れて貰う事になる。今後は鎮守府出仕組は出羽や陸奥に赴いてもらい、近衛府出仕組は京や近江に赴いて貰う事になる」

「承りました」

滝川一益の軍団は、下総を平定して常陸南部に到達した。

そして南方三十三館を降伏臣従させる事に成功した。

圧倒的な兵力と、勅命による降伏勧告は大きかった。

何よりも河越公方と千葉宗家のあっけない降伏と、佐竹家の分家分裂による主君強制隠居と嫡男廃嫡は、南方三十三館の意地を挫けさせた。

「南方三十三館:
島崎義幹:島崎城主四万五千石。南方三十三館主の中でも有力な国人だった
鹿島晴房:大掾一族・鹿島城主
中居秀幹:大掾一族・中居城主
札幹繁 :大掾一族・札城主
林時国 :大掾一族・林城主
烟田通幹:大掾一族・烟田城
:大掾一族・鳥名木館
武田信房:
玉造重幹:     玉造城主
飯塚重政:大掾家臣・飯塚城主
手賀景幹:     手賀城主
海老原俊之:     海老ヶ島城主
小高城
芹沢城
麻生城

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