閉じる

転生武田義信

克全

第116話天文25年(1556年)18歳・上総・下総侵攻

1月美濃岐阜城・鷹司義信・織田信長・真田幸隆・黒影:鷹司義信視点

「「「「「太閤殿下、明けましておめでとうございます」」」」」

「おめでとう」

「太閤殿下、新年早々なのですが、伝書鳩の知らせが届きました」

黒影の配下が、謀臣達と話し合っている所にやって来た。

もちろんの事なのだが、信長と幸隆の3人だけではない。

どのような密談の場所であろうと、幼き頃から共に学んだ影衆は警護についてくれているし、狼達は俺の側を離れない。

信長に暗殺の隙を見せるほど、俺は愚かではない。

「関東の戦況はどうなっている?」

「河越公方が降伏致しました。」

「我が軍に損害はあったのか?」

「いえ、ほぼ損害なしで攻略で出来たそうでございます。最初に飛影殿の軍が、艦隊輸送で奇襲を行い、江戸城を攻め落とされました。北条を裏切って、江戸城を横領しておりました太田康資は、碌な抵抗も出来ず捕縛され捕虜と成っております。その後飛影殿は2万1000兵の軍を率いられ、河越まで攻め込れました。それに呼応(こおう)した周辺の国衆と地侍が次々と馳せ参じ、瞬く間に軍は3万を越えたそうでございます。それに対して河越には、ほとんど兵が集まらなかったそうでございます」

「それで関東公方は、戦う事なく降伏したのか?」

真田幸隆は呆れたように確かめる。

「そう書かれてあります」

「無能で臆病、家柄だけを誇る公方など無用の産物だな」

幸隆は吐き捨てるように断言する。

「佐竹」

信長が言葉少なに問いかける。

「調略は順当に進んでいるそうです。佐竹北家、佐竹義廉、佐竹東家・佐竹義堅、佐竹南家、佐竹義里は、佐竹義昭の隠居と佐竹義重の廃嫡に加え、武田家から養嗣子を認めております」

「しかし御屋形様の実子に、適当な年齢の男子はおられまい。信実様は出羽の浅利家に養嗣子の行かれる事になっている」

「姫を全て人質に取ればよい」

幸隆の言葉に対して信長は簡潔に答える。

「ふむ、確かに太田城に入らねば危険も少ないが、佐竹の家臣共との君臣の契りが薄くならないか?」

「佐竹の一門譜代から厳選した子供を、小姓や近習として躑躅ヶ崎にでも来させればいい」

「なるほど、その手も有るな。だが佐竹に養嗣子に入れるのもよいが、同じ常陸の大掾貞国や江戸忠通は、家臣と言うより同盟相手であろう。大掾貞国と江戸忠通は敵対して睨み合っておるし、小田氏治等とは完全に敵対しておろう」

「大丈夫だ」

「信長はもう少し丁寧に説明する癖を付けた方がいい、皆が信長の様に賢い訳ではない。幸隆なら分かってくれるが、今のままでは兵を預ける事は出来んぞ」

「承りました。今でもやりようによっては、常陸の全ての大名、国衆、地侍を佐竹の寄騎にする事は出来ます。だが何より大切なのは、太閤殿下の弟や叔父であっても、力を持たせ過ぎない事です」

「確かに織田殿の言う通りだな。3つの分家を独立させた程度の佐竹家の方が、養嗣子先としては都合がいい」

史実の佐竹義重は、豊臣秀吉の北条攻め当時は、常陸を統一などしていなかった。

佐竹義重を盟主とする、「東方之衆」と呼ばれる連合体を形成しているだけだった。

府中城主の大掾清幹、江戸城主の江戸重通などは互いに争い、豊臣秀吉の小田原参集に応じることが出来ないほどだった。

佐竹義重は小田原参集時に、江戸重通と大掾清幹から不参の詫状を預かっていたそうだ。

だがこれを常陸統一の好機と見た佐竹義重は、江戸重通と大掾清幹から預かった詫状を渡さず、江戸重通と大掾清幹を秀吉の敵対勢力に仕立てあげ、秀吉から常陸の支配権を認めて貰った。

そして秀吉の後押しもあり、常陸中部に勢力を振るっていた江戸重通を攻め水戸城から追い出し、府中の大掾氏を滅した。

また天正19年(1591年)2月には、鹿島と行方の両郡割拠する、南方三十三館と称される鹿島氏など大掾氏一族の国人領主を太田城に招いて、卑怯な謀殺を行いようやく常陸国内を統一した。

実際に大田城で殺害されたのは9氏16人、鹿島父子・嶋崎父子・玉造父子・中居・烟田兄弟・相鹿・小高父子・手賀兄弟・武田信房だったが、彼らを殺す事で家臣を含めて鹿島と行方の2郡33城を手に入れたのだ。





1月上総庁南城:滝川一益視点

「御初に御目にかかります、庁南吉信でございます」

「丁寧な御挨拶痛み入ります、総大将を務めます滝川一益と申します」

「それで今回の鷹司卿の臣従条件ですが、やはり半知召し上げなのでしょうか?」

「はい、これは武田の一門譜代であろうとも同じでございます。しかしながら召し上げた領地分は、扶持として支給いたします。これは奉公の為に国元を遠く離れて、各地を転戦する武士には必要な処置でございます」

「それは分かっているのですが、武士にとって領地は特別なのも、どうしても納得出来ない所がございます」

「しかし敵対した者は城地を全て失う事になります、今上帝の下で天下泰平を成し遂げる為には、城地の半分召し上げは必要な事なのです」

「その事は頭では分かっているのですが、先祖伝来の土地を失う事に心が痛むのです」

「これからは近衛府武士団や鎮守府武士団として、各地を年中戦い歩く事になります。領地に残るも女子供は別にして、戦える男子は戦地で直接兵糧や銭を受け取れないと、行軍に大きな不利となりますよ」

「そういうことなら武田一門として、率先垂範して半知扶持化を受けるしかありませんな」

「左様ですな、今回の仕置きは平等を旨としておます。しかしながら、武田一門としての軍資金の援助は別です。その軍資金で足軽を雇い武具を買い揃え、功名を上げられれば褒美は大きいでしょう」

「それは有り難い話です」

「それで調略の方は難しいのですか?」

「それが諸将は本領安堵を望んでいます、なかなか色よい返事をしてくれません」

「ならば攻め滅ぼしましょう」

八柏道為が庁南吉信の動きの悪さに業を煮やしたのだろう、いきなり会話に割って入って来た。

「八柏殿、それは幾らなんでも乱暴では有りませんか?」

「吉信殿、今上帝の矢止めに違反した朝敵の一味同心の者共です、半知召し上げた分を半治扶持化するのは温情もはなはだしいのです、それを難色を示すなど恩知らずとしか言いようがありません」

「それはそうなのですが」

「いったい誰が拒んでいるんですか?」

「それは・・・・・」

「如何に武田一門の吉信殿でも、余り朝敵を庇うと処分されますよ」

「いやそのような心算はないのだ、率直に言えば半知を召し上げ扶持化するのを認めているのは、江戸崎城の土岐治頼殿と万喜城主の土岐為頼殿だけでございます」

「ならば御二方以外は攻め滅ぼしましょう」

「それは、八柏殿・・・・・」

「話は決した! 今上帝を命を蔑ろにして、太閤殿下の下知に逆らう者を許す訳にはいかん。明日払暁に出陣して、上総の全ての城砦を攻め滅ぼす。皆の者は直ぐに準備いたせ!」

「「「「「おう~」」」」」

狗賓善狼も、話が進まない事にいらっだっていたのだろう、庁南吉信が口籠った隙に、一気に決戦に話を決めた。

伝令役の者達が騎馬で、各地に戦の準備を伝えにはしる。

各部隊は、庁南城だけでは野営の為に家を確保出来ず、移地山砦・真里谷城・椎津城主・久留里城などに分宿していた。

椎津城主 :真里谷信政
庁南城主 :庁南吉信
移地山砦主:白井信方・武田宗信の次男

「主な敵性国衆・地侍」
土気城主:酒井胤治
東金城主:酒井胤敏
坂田城主:三谷大膳亮胤興・千葉氏の重臣
大台城主:井田因幡守友胤・山室常隆配下だが千葉家からも重用
山中城主:和田五郎左衛門尉胤信・山室常隆配下
飯櫃城主:山室常隆

翌早朝に各分宿地を出陣した部隊は、それそれが割り当てられた城を攻略する為に進んだ。

圧倒的な軍勢で押し寄せる鷹司鎮守府大将軍の軍勢に、対抗できる城など上総にはなかった。

九十九里浜側を侵攻する狗賓善狼部隊は、土気城主の酒井胤治をあっさり降伏させた。

城を囲まれた酒井胤治、は半知召し上げて扶持化する条件での降伏臣従を申し入れたが、今更そのような事が認められるはずもない。

酒井胤治は私財の持ち出しだけを許されて、関東から追放された。

椎津城を出陣して東京湾側を侵攻する井伊直親部隊は、、千葉家家臣の原胤清が守る小弓城(生実城)を囲んだ。

原胤清は北条家の支援を受けて、第一次国府台合戦で足利義明を攻め殺している。

原胤清は親北条の立場で、主家の千葉家で専横を欲しいままにしていたが、その為に主君の千葉親胤から憎まれていた。

千葉親胤は北条と手を組む原胤清に対抗する為、古河公方の足利晴氏と手を結んでいた。

その状態で北条家が没落した為、原胤清は鷹司家武田家の支援を得ようとしていたが、本領安堵の条件でも、庁南吉清や真里谷信政を通して交渉出来ると思いこんでいた。

しかし甘い予想は外れてしまい、原胤清も私財の持ち出しだけを許されて、関東から追放された。

士気酒井家と原家は、当主と家族だけが城地を離れ、家臣領民は鷹司家と武田家に臣従を誓った。

狗賓善狼部隊が土気酒井家の領内内政を行う間に、真田綱吉部隊が東金城の酒井胤敏を包囲する。

各部隊が各個侵攻する為、軍全体としては侵攻速度が遅くならない。

坂田城主の三谷大膳亮胤興を常田隆永が囲み、大台城主の井田因幡守友胤を川部時貞が囲む、山中城主の和田五郎左衛門尉胤信を下条信俊が囲み、飯櫃城主の山室常隆を跡部昌秀が囲んだ。

この一帯は千葉家に属する山室家が支配していた。

山室城に拠って勢力を拡大した山室家は、山室常隆の代の天文元年(1532)に、飯櫃城を築いてそちらに本拠を移した。

以後、山室家は大台城主の井田因幡守、山中城主の和田伊賀守らを配下として、徐々に勢力を伸ばしていった。

最盛期には芝山を中心として五万石程度の土地を領し、この地方有数の大名となっていた。

太閤殿下に抵抗する各城砦では、無理矢理動員された農民兵や雑兵の逃亡が続いていた。

俺の軍に逃げて来た者は生命を保証した上で、望む者は実力に応じて召し抱えると大音声で呼ばわれ、それを証明する紙を結んだ矢文も射込まれたからだ。

籠城していた主将も、次に自分の首に賞金が賭けられるのが読めた。

太閤殿下の軍が使う3種の矢文の定石は有名で、各地の城砦に籠る小名や国衆も、このままでは味方に殺されると理解した。

全ての城砦は翌日には降伏する事になった。

「下総千葉家」
千葉親胤:本佐倉城
千葉胤富:森山城

「千葉家家臣団」
粟飯原文二郎常定:千葉神主家
原式部大夫胤清 :筆頭家老
本庄伊豆守胤村
原大蔵丞胤安
馬場又四郎胤平
本庄新太郎胤里
粟飯原源公
海上山城守胤秀
原九郎右衛門尉胤行
金親兵庫正能
鏑木長門守胤義
牛尾左京胤道
牛尾孫二郎胤貞(原胤貞)
小川外記政俊
原隼人祐胤次
斎藤源太左衛門尉清家

「転生武田義信」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「歴史」の人気作品

コメント

コメントを書く