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転生武田義信

克全

第108話制圧

9月信濃諏訪城の奥殿:鷹司義信視点

俺自身が何所に攻め込むかの判断は難しかったが、気持ち的には近江を優先したかった。

大好きだった大叔父が、皇室アルバムを正座して視聴する元近衛騎兵だったから、皇室の守護者になりたいと言う思いが強い。

皇室を将軍家や三好家から護り、経済的にも軍事的にも支援するために、今では椿叔母上が方仁親王に入内し、菖蒲叔母上が覚院宮正室として御所におられる。

だが近江に侵出するには、問題もいくつかあって、1つは三好との関係だ。

一応話はついているが、直接領地を接するとなると、色々と問題が起きる可能性が有る。

特に現場の将兵同士の緊張が高まり、偶発的な戦闘が起きてしまい、それが取り返しのつかない全面戦闘に突入してしまったら、四方に敵を抱える今は大幅な後退を余儀なくされてしまうかもしれない。

戦略的には、緩衝地帯として中小大名を間に置くべきだろう。

何より俺に恨みを持つ主殺しが三好にいる、近づく時は決戦を覚悟すべきだろう。

もう1つは、これから雪の季節で、峠が通行不能になれば近江に閉じ込められることだ。

今の六角相手に負けるとは思わないが、移動の自由を失った状態で、一向衆・三好・六角・朝倉・若狭武田に包囲される、近江盆地に閉じ込められるのは気持ちが悪い。

関東方面に出る手だが、此方から関東平野に出て決戦を挑めば、相応の損害を覚悟しなければいけない。

武具の性能は圧倒的に此方に分があるが、相手は小笠原騎馬隊だ、平地を縦横に駆け巡られたら、こちらも対応に騎馬隊を動かす事に成る。

機動中では鉄砲の次発装填は不可能で、敵に置き去りにされ弱い所を、面制圧騎射で突かれてしまう。

次発装填を諦めて追いかければ、振り返りの騎射で一方的に叩かれる。

俺は史実の大日本帝国軍の様な馬鹿ではない、20歳の武士を失えば、純粋に回復するのに産み育てて20年掛かるのだ、それくらいの計算は出来る。

一方待ち受けて戦えば、山間部を確保している此方が有利だ。

何より一番の難敵である、小笠原騎馬隊が使えない。

先頭を受け持った国衆を2つ3つ叩けば、侵攻を躊躇(ためら)う可能性がある。

そんな愚かなことはしないだろうが、小笠原騎馬隊が先頭を務めてくれれば、難敵を有利な場所で一方的に叩く事が出来る。

何より関東軍は、寄せ集めなのだ。

北条憎しと欲で集まってはいるが、最低でも河越公方・関東管領・佐竹・小笠原の、4つの思惑(おもわく)を擦り合わせなければいけない。

それに4大勢力の拡大を嫌う、中小国衆も多くいる。

此方が攻め込んで、中小国衆を一致団結させるほど、俺は馬鹿では無い。

海軍戦力も、里見水軍を圧倒的に凌駕する事に成ったのだから、農繁期で手薄になった小田原包囲網を海岸線から破って、武具・兵糧・軍資金を小田原城に運び込めばいい。

もちろん八王子方面に遊撃軍を出して、小笠原騎馬隊を引き付ける囮は必要に成るが、素早く山間部に戻って、狙撃銃で戦力を削り取る事が出来れば最高だ。

最後に問題になるのは、野戦で勝った後の占領統治だ。

小笠原騎馬隊を殲滅できればいいが、今までの行動から考えて、不利と判断すれば戦略的撤退をするだろう。

当然今まで通り、略奪夜襲を繰り返して来るだろう。

今この時代に、敵の略奪夜襲を逸早く知り、迎撃部隊に連絡して対応する事は不可能だ。

それに関東平野は広いから、落とした城に兵を入れて行けば、此方の動かせる戦力が徐々に減っていく。

降伏した国衆に任せれば、何時裏切るか分からない者を背後に置くことになる。

関東に攻め入るときは、圧倒的戦力を整えてからがいいだろう。

特に必要なのは、小笠原騎馬隊を凌駕する騎馬弓隊だ。

騎馬鉄砲隊では質量ともに凌駕しているから、騎馬弓隊も凌駕出来れば、味方の損害を抑える事が出来る。

更に占領の為の足軽衆の増員も大切だ、最低でも生産力は現状維持したまま、戦力を増員しなければいけない。

戦力的に敵を圧倒しており、雪に閉じ込められる恐れもなく、攻守何方を取っても敵の戦意は変わらず、攻め取る事が出来れば今まで張り付けていた正面防衛戦力を減らし、他方面に動かす事が出来る場所。

三河・尾張に攻め込む事にした。





10月三河と尾張方面:鷹司義信視点

最初に遠江軍の楠浦虎常に豊川左岸で威勢を上げさせ、何時でも渡河侵攻出来る状態を整えさせた。

当然複数の渡河地点を選別確保し、浮橋を事前に十分用意し、援護射撃用の大弩砲を配備した。

これに対して織田・一向衆連合は、農繁期にも関わらず兵を掻き集めて対抗した。

次に鷹司海軍を動員して、三河海岸線の手薄な場所に、狗賓善狼指揮下の僧兵8000を上陸させて拠点を築かせ、織田・一向衆連合引き付けさせた。

僧兵たちは、転戦中に大弩砲の使い方にも習熟し、拠点設営後は敵を近寄らせなかった。

勿論設営中の支援は、海岸線に出来るだけ接近した、関船搭載の大弩砲が受け持った。

これによって左右海岸線の安全が担保され、陸側に戦力を集中させる事が出来た。

その状態を創り出した上で、俺は秘かに直轄軍を率いて、三州街道から攻め下った。

これの急襲で、三河は麻の様に乱れた。

俺達は情け容赦なく一向衆を撫で斬りにしたが、一向衆の乱暴狼藉を受けて抑圧されていた、他宗派の人々が蜂起した。

勿論この地に残っていた旧今川勢も、生き残りを懸けて、鷹司に寝返るものが多く出た。

更に俺が、松平太郎左衛門家の松平親長と東条吉良家の吉良義安を伴っていた為、両家の一門譜代家の寝返りも拍車が掛かった。

降伏して来た国衆と地侍への対応はまちまちであったが、多くは城地召し上げの上で半知分扶持化で近衛府出仕とした。

次は城と半知召し上げで半知安堵であった。

かなり厳しい条件だったが、多くの家臣が鷹司家への直臣化を望み離反する中では、後々の再起を期して受け入れるしかなかったようだ。

「若殿、お久しぶりにございます」

「会いたかったぞ虎常、貴様が青崩城砦群を遺漏無く守り切ってくれたことが、今この大勝利に繋がっておる、心から感謝しておるぞ」

「勿体無い御言葉、心から嬉しく思います。これからも若殿の為、粉骨砕身働かせて頂きます」

「うむ、頼み置くぞ」

俺達は僅かに抵抗の気配を見せる国衆を、いつもの3種の矢文で内部崩壊させた。

だが一向衆が籠る城砦と寺だけは、火攻めで容赦無く焼き払い、瞬く間に矢作川左岸の三河を制圧した。

織田・一向衆連合は、急遽尾張の兵を動員して、矢作川右岸に防衛線を構築しようとした。

ここで予定通り、六角と浅井が逼塞した事で余裕が出来た、美濃鷹司軍が動いた。

木曽川沿いに戦力を集めて、尾張に渡河侵攻する動きを見せたのだ。

特に西美濃衆が、一向衆の拠点である河内を伺う動きを見せた事で、一向衆の一部が反転撤退したのだ。

この動きによって、信長が必死で再建していた、国衆地侍部隊と足軽部隊が著しく動揺した。

後々の事を考えて、一向宗以外で編成していた虎の子の部隊の士気が、著しく低下してしまったのだ。

更にここで、知多に大きな勢力を持つ佐治家が、鷹司方として蜂起した。

これが連鎖反応を勃発させ、美濃攻防で当主を信長の罠に嵌められ殺された、反信長の尾張国衆地侍の離反が起きた。





11月尾張知多:鷹司義信視点

「信元、降伏の条件が半知召し上げと言う事は分かっているな」

「はい、家臣領民の事を思えば、降伏するが領主の道と思い至りました」

表情は神妙だが、内心に叛意を隠している。

こいつを信じて背中を預けるのは愚の骨頂だが、このタイミングで降伏して来た者を受け入れなければ、今後の調略が難しくなるかもしれないし、水野家に仕える戦力を無駄に殺す事に成る。

それでは軍事的に損失だし、人としてもやりたくない。

殺すなら信元1人を暗殺すべきだが、変な噂が立てば後々遣り難い。

銭を与えて常に最前線で使い、磨り潰すのが最良だろう。

「よくぞ申した、先陣の名誉を与えるゆえ、見事信長の首を取って参れ」

水野信元:尾張国知多郡東部および三河国碧海郡西部を領する。徳川家康の伯父

今回は鷹司海軍艦艇に僧兵を乗せて、佐治家の領地に後方上陸させたが、これが決定打となって水野家は降伏していた。

正面に俺の主力軍が陣取り、後方に僧兵部隊が上陸した事で、水野家内の動揺が激しかったのだろう。

水野家が降伏臣従した事で、矢作川右岸に築かれた織田・一向衆連合の防衛線は、将兵の離反逃亡で穴だらけとなり崩壊した。

俺達は易々と渡河侵攻し、一気呵成に尾張に攻め進んだ。

織田家・根来衆・一向衆が必死で掻き集めた鉄砲は6000丁にも及んでいたが、常に鷹司軍を機動的に展開し、織田連合が鉄砲を有効使用できないようにした。

織田連合が鷹司軍の侵攻地点と考え、鉄砲隊を重点配備したところには、絶対攻めないようにした。

先手を取る事で、攻撃地点の自由度を常に確保し、織田連合に主導権を与えないことが肝心だった。

史実の長篠の戦いのように、罠に飛び込まなけれないけない状態にまで追い込まれるのは、愚の骨頂なのだ。

流石に尾張内部に切り込む程、抵抗する城砦も出て来たが、同時に降伏臣従して来る城砦も多くある。

尾張国内では、鷹司家に臣従する地域が、虫食い状態で現れた。

この状態で、鷹司海軍は河内海上を封鎖した。

抵抗しようとする一向衆艦船を、大弩砲で撃破・拿捕し、更に河内にも大弩砲を射込んだ。

同時に西美濃衆が確保した木曽三川上流に、美濃駐屯大弩砲隊を移動させて、河内に大矢を射込んだ。

この状態にまで追い込まれた一向衆は、尾張の戦線を放棄して、河内の確保を優先した。

並みの城に籠城していて完全包囲されたら、火攻めで滅ぼされるのは、過去の鷹司軍の戦歴で理解しているのだろう。

全面撤退はしなかったものの、河内上陸を阻止する為に、鉄砲隊と過半の戦力を後退させた。

更に鷹司海軍の木曽三川遡上攻撃に対抗する為、残った小舟に藁や柴を乗せ、何時でも火舟として突入させれる用意を整えた。

「義達、義統、よくぞ参ったな、今後は京におられる今上帝の為に働く心算なのだな?」

俺は信長の隙を突いて清洲城から逃げて来た、斯波義達と義統の親子に対して、高飛車に出る事にした。

ここまで勢力が拡大し、四方に敵を抱えた状態なら、白黒はっきりした方がよいだろう。

関東軍との妥協は有り得ないし、伊勢の北畠には、将軍家を立てるより今上帝を報じた方が友好を結べるだろう。

「鷹司卿?! いったいどう言う意味でございますか?」

義達にとっては寝耳に水であろう。

俺が子供の誰かを義達の嗣養子に押し込み、管領職得ると考えていたのだろう。

だが最早その段階は過ぎているのだ。

九条の義父上・一条卿・二条卿とは、貴重な伝書鳩を通して話し合い、三好長慶とも妥協して下した結論だ。

「今上帝の下で、新しき世を開くと言う事だ! 義達が足利の世を望むなら、摂津に送ってやろう。平島公方の下で、足利の忠臣として今後も生きていける。だが河越公方の下に行くのは賛成できん、奴らは殲滅する心算じゃ」

斯波義達と義統親子は、茫然自失となっていた。

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