転生武田義信

克全

第98話三河攻防・水軍優劣

5月三河の織田信長と平手政秀主従:第3者視点

「殿、松平殿と岡部殿の言われる事を、全て受け入れられるのですか?」

「仕方あるまい、一向衆にこれ以上力を持たせるわけにはいかん」

「しかしそれでは折角三河を取っても、十全の支配とは言えぬのではありませんか?」

「松平一門も、そう容易く清定の言い成りにはならぬ、それぞれ儂に直結させる」

「成程、無血開城させる方便でございますか?」

「一向宗でない兵は貴重だ、一向衆に殺させるわけにはいかん。松平諸家も、陪臣より直臣を選ぶ」

「納得いたしました、それでは今川勢も同じ理由でございますか?」

「ほぼ同じだが、松平諸家よりも切実であろうな。今川はもうだめだ、滅ぶのは時間の問題だ。そうなれば、奴らは帰る所がなくなる。おめおめと武田や鷹司に仕えるわけにもいかんから、ここで助命しておけば、後々儂に仕える事に成るだろう」

「成程、今は今川家の兵として協力させておいて、後々は家臣に取り込むのでございますな。それは妙案でございます」

信長は一向衆と手を組み、伊勢と尾張の一向衆が三河に攻め込んだのと同時に、三河一向衆に蜂起させた。

一向衆が、最前線で熾烈な戦いを展開している間に、尾張と支配下に置いた三河の、内部統制に全力を注いだ。その一環として、知多半島に勢力を持つ水野信元と佐治為景に圧力を掛け、出兵を強要した。

水野信元は、鷹司家・今川家・織田家の争いが決着するまで、静観する心算であった。だが今逆らえば、一向衆を背景とした信長の軍事力に潰されると判断し、仕方なく出兵に応じた。

一方水軍衆を率いている佐治為景は行動範囲が広く、海運を利用した交易も盛んに行い、支配地以上の兵力を持っていた。

津島と熱田の湊を支配する織田家とは、長らく友好を保っていた。だが信長が、一向衆の力に頼る過ぎることと、佐治家にとって警戒すべき隣家の水野と手を組んだことに、不信と不安を持っていた。

その状況で鷹司卿の美濃電撃攻略と、三河と遠江侵攻が始まり、佐治家の去就に苦悩していたのだ。

そこに近江の白拍子が、鷹司卿からの文を持って来たのだが、佐治為景に届いた文の内容は驚くべきものだった。

鷹司卿は、佐治為景に織田との両属を認め、陸戦で織田勢として参戦し弓矢を交えようとも、一切咎めないとの内容だった。

しかしながら条件として、渥美半島若しくは浜名湖に知行地5000貫を与えるから、その地で分家を立てて、海賊衆は移動させ増強拡大させよと言うものであった。

しかも分家が使う船の建造費は、全て鷹司家で負担すると言う、破格の内容だった。

佐治為景は熟考の末に、一族の1人に海賊衆の半数を預けて、遠江に送り出した。

織田信長は破竹の勢いで三河を進軍した。

城主一族が逃亡した城地は直領とし、降伏した国衆と地侍は本領安堵を許して取り込み、自軍の一向衆の比率を下げる努力をした。

山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)は、攻め落とすことも調略する事もできなかったが、海岸沿いの地域の制圧には成功した。

「織田軍」
一向衆
弾正忠家:譜代
弾正忠家:一向衆取り立て
弾正忠家:元尾張国衆直臣化
尾張国衆:元反信長勢力
尾張国衆:親信長勢力
水野信元:知多半島に勢力を持つ有力国衆
佐治為景:海賊衆を率いる知多半島の独立勢力 3~6万石 甲賀系
花井惣五郎:藪城主・知多半島の弱小今川勢
三河国衆:松平家勢・松平清定・松平家次など
今川勢 :近藤景春・葛山長嘉・岡部元信・浅井政敏・朝比奈輝勝・三浦義就など
吉良義昭:吉良家当主
富永忠元:室城主・吉良義昭の家老





5月駿河遠江海岸線:第3者視点

今川義元は、水軍の投入を決断した。

伊那との交易で栄える今川にとって、海路の安全は絶対条件であった。

だが戸田家の裏切りで、松平竹千代を奪われた過去も有り、駿河・遠江・三河の海を完全支配すべく、岡部貞綱率いる海賊衆の大増強に取り組んでいた。

岡部海賊衆が当初保有していた船は、関船12隻だけであった。

そこに通信連絡用の小早船を20隻建造、巡洋艦相当の関船を8隻建造増強して20隻にしていた。

その上で、戦艦相当の安宅船を2隻建造させていた。

この今川水軍に兵を乗せて、武田軍への後方上陸戦を展開したのだ。

浜名湖に入り、神出鬼没の上陸襲撃撤退を繰り返す今川水軍に対して、武田信智軍は翻弄(ほんろう)さててしまった。

今川水軍が投入されるまでは、掛川城を落城させ、高天神城主の笠原長忠への調略も順調に進んでいた。だが今川水軍よる遠江海岸線の再確保により、武田信智軍の侵攻速度は遅れることになった。

「史実の甲陽軍鑑1572年武田水軍(旧今川水軍)」

間宮武兵衛:関船10隻(武田侵攻後に北条の伊豆水軍から引き抜かれる)
間宮造酒丞:関船5隻(武田侵攻後に北条の伊豆水軍から引き抜かれる)
小浜景隆 :安宅船1隻、小早船15隻(武田侵攻後に伊勢から招かれる)
向井伊兵衛:関船5隻(武田侵攻後に伊勢から招かれる)
伊丹大隈守:関船5隻(1558年に駿河に来た、氏真時代から海賊奉行か?)
土屋豊前守:関船12隻 同心50騎(武田侵攻時は岡部を名乗っている)





5月信濃諏訪城の鷹司義信と黒影主従:鷹司義信視点

「戦線は膠着(こうちゃく)しているようだな」

「はっ、今川水軍が難敵となっております」

「海岸線以外は、今川水軍衆など無視してもいいのだろうが、心理的に無理なのかな?」

「味方には、どれほどの大軍に背後を取られたのか知りようがございません。雑兵の恐れを抑える事は、難しいと思われます」

「当面は今川軍を大井川と富士川の間に抑え込んで、此方も水軍を整えるしかないのだが、伊勢、尾張、三河、遠江の海賊衆への調略はどうなっている?」

「佐治水軍からは、半数を送ると連絡がありました。遠江と三河では、今川が船を独占していましたので、全ての船が駿河の今川水軍に合流しております。伊勢の海賊衆は、迷っているのか条件を吊り上げる心算なのか、はっきり返事を寄越しませんが、拒絶もしておりません」

「半数と言う条件が厳しかったか? 1割でも2割でも構わんから、水軍新設の為に新規召し抱えすると話してくれ」

「承りました」

「若殿、やはり越中、越後、出羽にいる海賊衆を、遠江まで送るのは難しいと御考えですか?」

「確かに日本海側で編成訓練中の海軍は強力だが、流石に遠江まで移動させるのは、危険が大きすぎる。難破喪失するだけでも大事(おおごと)だが、敵に奪われでもしたら取り返しがつかない」

「左様でございますな、愚かなことを申しました」

「信繁叔父上に、明から直接遠江にジャンク船を運べないか、王直に確認してもらおう」

「それができれば今川だけでなく、一気に織田も滅ぼす事が出来ると思われます」

「全てが既存の海賊衆次第では、今後の統制が難しくなる。我の思い通りに動く、独自の海軍を創設しなければならん。だがその為には、子飼いのお前たちが頼りなのだ。何もかも学ばせるのは心苦しいが、海軍の方へも人を回せるか?」

「お任せ下さい! 直ぐと言われると無理がございますが、若殿が創って下さった学校では、多くの者が学んでおります。徳本先生をはじめとする、御医者方々も協力してくれておられます。今では足利学校も凌ぐと評判でございます。そこで学んだ者たちが、次々と育っております!」

普段は訓練の成果で、感情を表に出さない黒影が、珍しく興奮している。共に難民・特に孤児を保護育成してきたからな、思い入れも有るのだろう。

「そうだな、学校の方は版木による書籍の印刷も順調だしな、皆の為にはなったとは思う。何者になるのかは、できれば本人の希望を優先させてやりたいが、この乱世では戦方に適性のある者は、それを優先するしかない」

「漢(おとこ)ならば、それは仕方のない事でございます。多くの孤児が、騎馬と鉄砲の技を習得しておりますが、これからは水軍の技も取り入れさせましょう。諏訪湖でも学べることはございましょう」

直ぐに感情を抑えたか?

確かに影衆の仕事は、感情を抑えて冷静に対処せねば務まらないものが多いからな。特に黒影の外諜は、集まってくる情報の取捨選択が重要だからな。

「そうだな、だが早いうちに、越中と越後の海軍で学ばせる様にしよう」

「承りました」

「それと美濃、三河、遠江の戦で孤児となった者や、行く場を無くした者は、これまで通り学校で保護育成してもらいたいのだが、諏訪城内だけで賄いきれそうか?」

「正直難しくなってくると思われます。若殿のお陰で救われた者たちにも、多くの子供が産まれて来ております。彼らも学校で学ぶことを望んでおりますし、若殿もそれを推奨されてこられました、幼き頃より乗馬を学ばすためには、軍馬が不可欠でございますが、馬料の確保が難しくなってきております」

「そうだな、実戦部隊部隊の馬料自体が不足しておる。早急に安全な地に、新たな学校が必要に成るな。しかし甲斐では水腫の風土病が心配だし、越後や出羽の赤虫も心配だ。水軍の訓練との兼ね合いもあるから、越後でも赤虫の心配の無い頸城郡の辺りと、越中でも一向衆から一番遠い新川郡の2か所に、新たな学校を作る手配をしてくれ」

「承りました。金沢文庫や足利学校など、足元にも寄れぬ程の蔵書を集め、水軍の修練所も整え、諏訪の学校を超える新たな学校を造り上げてみせます!」

また感情を抑えきれなく成ったな、外諜担当として誰にもまして優秀だから、直ぐに役目を外すわけにはいかない。

だがこれほど教育に情熱を持っているのなら、学校担当に変えてやりたくなるな。何れは朝廷の大学寮を復興させ、義務教育を普及させたいし、飛影を含めた影衆幹部を集めて、配置換えの相談をしよう。だが次代の黒影の育成は、役職交代の絶対条件だな。

「黒影、学校の事も大事だが、御前の担当は外諜報だ。学校の責任者になりたければ、己以上の黒影適任者を推挙して引き継いでからにしろ。今は学校の責任者に、我の意思を伝えるだけにしておけよ」

「申し訳ありません、差し出がましことを申しました、そのように伝えます」

おいおいもう少し感情を抑えろよ、普段の黒影は何処に行った、罪悪感が半端ないよ。

「闇影と相談して、今味方にいる者たちの先祖や友人を調べ上げ、少しでも海賊衆と繋がりのある者がいたら、それをたどってでも調略に用いろ。与える知行地は増やせないが、扶持銭ならば5倍まで増額してもよい。引き抜く一族も1人でも2人でもよい、何としても海賊衆を引き抜いて参れ」

「承りました」

「志摩七人衆」
九鬼、相差、甲賀、国府、青山、佐沼、浜島

「志摩十三地頭」
小浜真宗・景隆   :小浜砦主・北畠材親家臣
安楽島越中守    :英虞郡楽島砦主
浦豊後守      :英虞郡今浦砦主
甲賀雅乗楽介    :英虞郡甲賀城主
三浦新助      :答志郡国府砦主
千賀志摩守     :千賀砦主
的矢次郎左衛門   :的矢砦主
国府内膳正     :国府砦主
九鬼浄隆      :波切砦主
田城左馬(九鬼澄隆):岩倉砦主
鳥羽主水(橘宗忠) :鳥羽砦主
青山(和具)豊前守 :和具砦主
越賀隆俊(佐治隆俊):英虞郡越賀砦主
向井正重・政勝・正綱親子:北畠家の海賊衆:関船5隻

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