転生武田義信
第90話撤退侵攻
3月美濃稲葉山城:義信視点
激烈に忙しい3月も終わろうとしている。
何とか一通りの準備は終わったが、何か見落としがないか、思い上がっているところはないか、とても心配になる。
もう場所によったら田起こしが始まっているので、今なら諏訪に戻っても大丈夫なはずなのだが、それでも心配だ。
農繁期に入り、いよいよ本格的に始まる今回の合戦については、武田家の全力で当たる事に成った。
加賀と越中の信繁叔父上は、専守防衛に全力を尽くす。
越後の信廉叔父上も専守防衛だが、四方が味方の領地なので、農繁期でも動員できる専業武士3000兵を、今川侵攻の援軍として甲斐送った。
反対に甲斐からは、美濃土岐家庶流の原昌胤が、専業武士1000兵と、莫大な軍需物資を運ぶ商人と共に、美濃の援軍として移動してきた。
西美濃には、相良友和に預けた2000騎の騎馬鉄砲隊を残留させた。彼らは関ヶ原に駐屯し、万が一細川と六角が美濃侵攻を企てた場合、馬上4段後退連続射撃で、安全圏から撤退漸減迎撃を行い、徐々に稲葉山城にまで引く予定だ。
美濃全体の城砦群には、包囲された場合は籠城するように命じた。
稲葉山城には鉄砲足軽1000兵を残したし、大桑城・揖斐城・揖斐城は道三の猛攻にも長年耐え抜いてきたのだ、1年間は籠城が可能だろう。
徹底抗戦を命じても、国衆たちの中から多少の裏切り者が出たり、落城していまうのは仕方がないだろう。
そうなるだろうと分かってはいるが、甘い顔をする事はできないので、国衆の妻子は全て諏訪に人質として連れて行く。
残る男たちには、相手が大軍で自城での籠城は無理と判断したら、自城を放棄して稲葉山に撤退せよと言ってある。
だがまあ大丈夫だろう、国衆に残した城は、戦略上不要な城が少しだけだ。
戦略上大切な城は、全て直轄化して黒鍬衆が守備に入っている。細川や六角相手なら、黒鍬衆の防御を突破できないだろうし、城攻めに熱中している所を、騎馬鉄砲隊に背後を襲わせれば楽勝だ。
三河方面は、滝川一益に預けた4000騎に任せたが、副将に田上善親(井伊直親)を抜擢した。
彼らには自由裁量権を与え、三河と遠江の国衆や地侍を指揮させた。2人は適宜(てきぎ)に国衆を調略蜂起させ、今川に開戦を決意させる予定だ。
俺は残った兵を連れて諏訪に戻ることにした。
4月三河:第3者視点
滝川一益が調略してきた三河国衆が、一斉に今川から離反した。
松平宗家の松平親長、福釜松平家の松平親次、桜井松平家の松平清定の離反は、三河国衆に衝撃を与え、著しく動揺させた。
松平庶流各家は、竹千代を駿河に囚われている安祥松平家以外は、引き続き今川家に臣従する振りをして、実際には中立状態だった。
庶流である今川義元への隷属を強いられていた吉良家は、進んで鷹司卿へ臣従する使者を一益に送って来た。
その行動を知った三河の国衆は、過半数が鷹司家へ臣従の使者を送った。
今川義元に攻め滅ぼされた国衆縁の者たちが蜂起し、三々五々滝川一益の下に集まり、復権の機会を窺った。
水野一族は慎重で、勝敗の帰趨を見定めるまでは中立を保ち、軍を動かす事を止めた。鷹司・今川・織田を秤に掛けて、確実に勝てる方に付く。強大な大名の境目にいる国衆は、そうしなければ生き残れないのだ。
そな事は滝川一益も田上善親(井伊直親)も重々承知しているので、中立を保つ国衆を無理矢理味方に加えようとはせず、阿吽の呼吸で包囲と籠城の演技をした。
一連の武田家の行動に今川義元は激怒して、配下の国衆に大動員令を命じたが、駿河・遠江・三河の国衆の動揺は激しく、兵の集まりは著しく悪かった。
その状況を見た滝川一益は、設楽城まで一気に軍を進めて、三河と遠江の国境まで進出した。
4月駿河:第3者視点
三河国衆の今川離反は、駿府に下向している公家衆に衝撃を与えた。
今直ぐ駿府から逃げなければ、裏切った鷹司義信に皆殺しにされると思ったのだろう。海岸線を鷹司卿が抑える前に逃げるため、危険を覚悟で船を仕立てて西を目指した。
だが駿河・遠江・三河・尾張には、完璧に安全な場所などない。
伊勢も北畠が鷹司卿寄りだと噂があり、逃げ込む事が出来ない。紀伊まで逃げて一向宗を頼るか、摂津を抑える三好を頼るか、さらに西に落ちて大内を頼るほかなくなった。
公家衆の形振り構わない逃亡劇は、今川方国衆の動揺をさらに助長させてしまった。
今川義元・寿桂尼・太原雪斎は、必至で国衆の動揺を抑え、鷹司と武田の侵攻を迎え討つ体制を整えようとした。
同時に鷹司包囲網を構築する、尾張の織田信長・一向宗、近江の細川と六角に、共に美濃に侵攻し、鷹司義信を挟撃しようと使者を送った。
4月近江:第3者視点
鷹司義信の撤退を知った細川晴元と六角義賢は、今後の対応で意見が分かれた。
史実でも動きと判断力が悪かった六角義賢は、大山崎の三好に備えつつ、美濃国衆の調略による美濃支配を望んだ。
だが細川晴元は、直接侵攻による美濃支配を望んだ。
両者は何度も話し合い、貴重な時間を浪費した上で、細川軍単独での美濃侵攻直轄化で話が纏まった。
六角義賢にしても、軍資金が切れた細川軍が霧散し、その将兵が近衛府に集まる事は避けたかったのだ。
しかし細川晴元の窮状を身近で知る将兵は、美濃侵攻直後に、相良友和旗下の騎馬鉄砲隊の一斉射撃を受けて、何の抵抗もせずに潰走した。
長年の戦乱で、足軽などの雑兵は戦慣れしており、勝てぬ戦で命を懸ける馬鹿などいないのだ。まして彼らは、表向きは細川管領軍だが、実際には鷹司卿の銭で雇われている事を知っている。
鷹司卿と敵対した細川晴元には、扶持や日当どころか、兵糧すら支給できなくなり、勝ち目のない事など百も承知していたのだ。
だがそうは言っても、六角軍の居る近江にいる間は、離反すれば死罪になる。だが美濃に入って合戦中に逃げれば助かる、いや銭主の鷹司卿の下に逃げ込めば、今まで通り銭も兵糧も支給される。
細川晴元は1万の兵をほぼ全て失い、命辛々近江に逃げ帰った。
4月尾張:第3者視点
織田信長は、鷹司義信撤退の好機を受けて、美濃侵攻を開始した。
尾張の反信長勢が壊滅したため、動員できる国衆兵力が半減してる。銭で雑兵を集めようとしたが、資金力で鷹司義信には勝てず、ほとんどの雑兵が鷹司軍に加わった。
仕方なく信長は、一向宗の戦闘専業要員を直臣化して、戦死させる心算の棄兵として先陣を命じたのだが、一向宗も強かで死地への突入は拒否した。
今の信長には、一向宗と手切れする余裕はなく、一向宗の被害の出ない、勝算のある戦闘しかできなくなってしまった。
長島など河内からの美濃侵攻は、鷹司軍の大弩砲・大弓・鉄砲による迎撃に阻まれた。
木曽川右岸に築かれた堤防兼用の土塁に阻まれ、信長が指揮する軍も、美濃に乱入する事ができなかった。
しかし明智家や遠山家が支配していた領地は、自然の濠である川の防御がない。そこで信長は、直接稲葉山城を攻略する事を諦め、室原城・塩河城・今城の攻略に向かった。
4月美濃室原城主の可児秀行:第3者視点
室原城主の可児秀行は、鷹司家の直轄城となった塩河城や今城と連携しつつ、必死の防戦を行った。
鷹司家から、豊富な兵糧と軍資金を支援され、3年間実りがなくても暮らして行ける保証を得た秀行は、領内の民百姓を全て城内に収容して籠城戦を行った。
領民分の武具まで支援を受けた秀行も必死で、ここまで厚遇してもらって容易く裏切れば、鷹司卿が戻って来た時の報復が、凄惨(せいさん)を極める事は理解できるのだ。
万が一負けて死ぬ事になっても、死力を尽くして戦えば、諏訪に人質として送られた妻子が厚遇される。
最前線の城砦が多少落とされようとも、今の鷹司家が容易く負けるとは思えない。戦国時代の慣例では、領地を奪われるような負け戦でない限り、戦死した武士の子弟は最低でも本領安堵、普通は多少の加増がされる。
そうでなければ、誰が命を懸けて戦うものか。
可児秀行が戦死することになってたとしても、子弟が幼くても加増されて当主となるだろう。配下の将兵は、陣代が指揮を執れば済むことだ、無駄死にになる事だけは無いだろう。
4月遠江井伊谷:第3者視点
「伯父上、悪い話ではないと思うのですが?」
「御前はそれでよいのか? 直親」
「伯父上や二郎法師殿には申し訳なく思っておりますが、すでに奥山親朝殿の娘を妻に迎え、鷹司家で侍大将に取り立てて頂き、2000貫文の扶持を頂いております。 田上善親の諱も賜り、十二分に評価して頂いております」
「なんと! 2000貫文の扶持と諱まで賜っておるのか?」
「はい、このように鷹司卿は、直筆の誓紙まで私に預けて下さっております。鷹司卿は今川義元と違って、約束を反故(ほご)にされるような方ではありません。義元の様に猜疑心が強く、国衆を理不尽に征伐される事もありません。二郎法師殿も大切にして下さいますでしょう」
「う~む、確かに御屋形様の仕打ちに恨みがないとは言わぬ。いや、我が弟たちが小野めの讒言(ざんげん)で討たれた事は、今でも腸が煮え繰り返る思いじゃ! しかし我ら国衆が生き残るためには、我慢せねば仕方のないことと思っておる。直親が鷹司卿の元で栄達(えいたつ)したのであれば尚更じゃ、我らは今川に残り、何方が勝っても井伊の血脈が残るようにした方がいいのではないか?」
「事ここに至っては、その心配は御座いません。今川に勝ち目がない事は、公家衆の逃亡や三河国衆の動きを見ても明白でございます。井伊家が他の遠江国衆に先駆けて鷹司家に御味方すれば、褒美(ほうび)は厚くなりましょう。二郎法師殿が男子を御産みになれば、井伊家は鷹司家の分家として、高き地位を約束されます。ここは二郎法師殿を鷹司卿の側室に送られ、鷹司家と縁を結ばれるのが最善でございます」
「う~む、確かに悪い話ではない、いやむしろこれほど厚遇(こうぐう)して頂けるとは思えなかったくらいじゃ。だが今川殿が、井伊家討伐に出てきたらどうする? 周りの国衆が全て敵に回る事もあり得るぞ?」
「その心配は御座いません、三河や美濃の事、越中、越後、出羽と鷹司卿が動かれる時は、国境(くにざかい)の国衆を調略した後でございます。こうして伯父上の下に我を使わされたのは、三河と信濃の国衆が御味方すると決まったからでございます。義元の様に調略しておいて見捨てたり、君臣相争(くんしんあいあらそ)わせるような真似はされません」
「それは言い過ぎであろう、儂も鷹司卿の事は調べておる。幼き頃は暗殺を多用されたとの噂もあれば、出羽で籠城する城に矢文を送り、銭で君臣争わせたことも知っておる」
「いやそれは伯父上・・・・・」
「まあ待て! それが悪いと言っている訳でもないし、信用できぬと言っておる訳でもない。鷹司家の援軍が国境の今川方城砦を越えるまでは、容易く御味方する約束はできんと言っておるだけじゃ」
「残念では御座いますが、伯父上が井伊家のために慎重になられるお気持ちも、重々理解できます。では二郎法師殿の側室の件はどういたしましょう? 御受けになられますか? お断りになられますか?」
「率直に尋ねるが、この縁組は井伊家を裏切らせぬための人質ではないのか? 儂が早々に味方せぬと言った以上、反故(ほご)に成る話ではないのか?」
「私が承ったのは、二郎法師殿を側室に迎えたい事と、叔父上を近衛府・従六位上・将監(しょうげん)に迎えたいとの事でございます。その時期は特に限られておりませんが、鷹司卿より全権を預けられておられる、滝川殿から我が任せて頂いております。一度御伺いに戻りますが、鷹司家が遠江の国境を越えてからでも、何も問題はないと思います」
「もし鷹司軍が遠江の国境を越えてからでも、鷹司卿と二郎法師の縁組が可能ならば、ぜひ直親殿の力で進めて欲しい。直親殿の生死を秘すために出家し、そなたを待ち続けた二郎法師が不憫(ふびん)でならん。責める訳ではないが、直親殿から奥山親朝の娘を妻にしたから、自分の事は忘れてくれと文が届いた時の嘆き悲しみは、親として見ていて辛かった。鷹司卿が大切にしてくれると言ってくださるのなら、親としてこれ程うれしい事はないし、井伊家当主としてはこれほど安心な事はない」
「伯父上と二郎法師殿には、重ね重ねお詫び申し上げます。父を殺した義元を許せなかった故の事とは申せ、申し訳ない事を致しました。詫びと言うのはおこがましいですが、この縁談は必ず成し遂げてみせます」
「うむ、頼んだぞ!」
激烈に忙しい3月も終わろうとしている。
何とか一通りの準備は終わったが、何か見落としがないか、思い上がっているところはないか、とても心配になる。
もう場所によったら田起こしが始まっているので、今なら諏訪に戻っても大丈夫なはずなのだが、それでも心配だ。
農繁期に入り、いよいよ本格的に始まる今回の合戦については、武田家の全力で当たる事に成った。
加賀と越中の信繁叔父上は、専守防衛に全力を尽くす。
越後の信廉叔父上も専守防衛だが、四方が味方の領地なので、農繁期でも動員できる専業武士3000兵を、今川侵攻の援軍として甲斐送った。
反対に甲斐からは、美濃土岐家庶流の原昌胤が、専業武士1000兵と、莫大な軍需物資を運ぶ商人と共に、美濃の援軍として移動してきた。
西美濃には、相良友和に預けた2000騎の騎馬鉄砲隊を残留させた。彼らは関ヶ原に駐屯し、万が一細川と六角が美濃侵攻を企てた場合、馬上4段後退連続射撃で、安全圏から撤退漸減迎撃を行い、徐々に稲葉山城にまで引く予定だ。
美濃全体の城砦群には、包囲された場合は籠城するように命じた。
稲葉山城には鉄砲足軽1000兵を残したし、大桑城・揖斐城・揖斐城は道三の猛攻にも長年耐え抜いてきたのだ、1年間は籠城が可能だろう。
徹底抗戦を命じても、国衆たちの中から多少の裏切り者が出たり、落城していまうのは仕方がないだろう。
そうなるだろうと分かってはいるが、甘い顔をする事はできないので、国衆の妻子は全て諏訪に人質として連れて行く。
残る男たちには、相手が大軍で自城での籠城は無理と判断したら、自城を放棄して稲葉山に撤退せよと言ってある。
だがまあ大丈夫だろう、国衆に残した城は、戦略上不要な城が少しだけだ。
戦略上大切な城は、全て直轄化して黒鍬衆が守備に入っている。細川や六角相手なら、黒鍬衆の防御を突破できないだろうし、城攻めに熱中している所を、騎馬鉄砲隊に背後を襲わせれば楽勝だ。
三河方面は、滝川一益に預けた4000騎に任せたが、副将に田上善親(井伊直親)を抜擢した。
彼らには自由裁量権を与え、三河と遠江の国衆や地侍を指揮させた。2人は適宜(てきぎ)に国衆を調略蜂起させ、今川に開戦を決意させる予定だ。
俺は残った兵を連れて諏訪に戻ることにした。
4月三河:第3者視点
滝川一益が調略してきた三河国衆が、一斉に今川から離反した。
松平宗家の松平親長、福釜松平家の松平親次、桜井松平家の松平清定の離反は、三河国衆に衝撃を与え、著しく動揺させた。
松平庶流各家は、竹千代を駿河に囚われている安祥松平家以外は、引き続き今川家に臣従する振りをして、実際には中立状態だった。
庶流である今川義元への隷属を強いられていた吉良家は、進んで鷹司卿へ臣従する使者を一益に送って来た。
その行動を知った三河の国衆は、過半数が鷹司家へ臣従の使者を送った。
今川義元に攻め滅ぼされた国衆縁の者たちが蜂起し、三々五々滝川一益の下に集まり、復権の機会を窺った。
水野一族は慎重で、勝敗の帰趨を見定めるまでは中立を保ち、軍を動かす事を止めた。鷹司・今川・織田を秤に掛けて、確実に勝てる方に付く。強大な大名の境目にいる国衆は、そうしなければ生き残れないのだ。
そな事は滝川一益も田上善親(井伊直親)も重々承知しているので、中立を保つ国衆を無理矢理味方に加えようとはせず、阿吽の呼吸で包囲と籠城の演技をした。
一連の武田家の行動に今川義元は激怒して、配下の国衆に大動員令を命じたが、駿河・遠江・三河の国衆の動揺は激しく、兵の集まりは著しく悪かった。
その状況を見た滝川一益は、設楽城まで一気に軍を進めて、三河と遠江の国境まで進出した。
4月駿河:第3者視点
三河国衆の今川離反は、駿府に下向している公家衆に衝撃を与えた。
今直ぐ駿府から逃げなければ、裏切った鷹司義信に皆殺しにされると思ったのだろう。海岸線を鷹司卿が抑える前に逃げるため、危険を覚悟で船を仕立てて西を目指した。
だが駿河・遠江・三河・尾張には、完璧に安全な場所などない。
伊勢も北畠が鷹司卿寄りだと噂があり、逃げ込む事が出来ない。紀伊まで逃げて一向宗を頼るか、摂津を抑える三好を頼るか、さらに西に落ちて大内を頼るほかなくなった。
公家衆の形振り構わない逃亡劇は、今川方国衆の動揺をさらに助長させてしまった。
今川義元・寿桂尼・太原雪斎は、必至で国衆の動揺を抑え、鷹司と武田の侵攻を迎え討つ体制を整えようとした。
同時に鷹司包囲網を構築する、尾張の織田信長・一向宗、近江の細川と六角に、共に美濃に侵攻し、鷹司義信を挟撃しようと使者を送った。
4月近江:第3者視点
鷹司義信の撤退を知った細川晴元と六角義賢は、今後の対応で意見が分かれた。
史実でも動きと判断力が悪かった六角義賢は、大山崎の三好に備えつつ、美濃国衆の調略による美濃支配を望んだ。
だが細川晴元は、直接侵攻による美濃支配を望んだ。
両者は何度も話し合い、貴重な時間を浪費した上で、細川軍単独での美濃侵攻直轄化で話が纏まった。
六角義賢にしても、軍資金が切れた細川軍が霧散し、その将兵が近衛府に集まる事は避けたかったのだ。
しかし細川晴元の窮状を身近で知る将兵は、美濃侵攻直後に、相良友和旗下の騎馬鉄砲隊の一斉射撃を受けて、何の抵抗もせずに潰走した。
長年の戦乱で、足軽などの雑兵は戦慣れしており、勝てぬ戦で命を懸ける馬鹿などいないのだ。まして彼らは、表向きは細川管領軍だが、実際には鷹司卿の銭で雇われている事を知っている。
鷹司卿と敵対した細川晴元には、扶持や日当どころか、兵糧すら支給できなくなり、勝ち目のない事など百も承知していたのだ。
だがそうは言っても、六角軍の居る近江にいる間は、離反すれば死罪になる。だが美濃に入って合戦中に逃げれば助かる、いや銭主の鷹司卿の下に逃げ込めば、今まで通り銭も兵糧も支給される。
細川晴元は1万の兵をほぼ全て失い、命辛々近江に逃げ帰った。
4月尾張:第3者視点
織田信長は、鷹司義信撤退の好機を受けて、美濃侵攻を開始した。
尾張の反信長勢が壊滅したため、動員できる国衆兵力が半減してる。銭で雑兵を集めようとしたが、資金力で鷹司義信には勝てず、ほとんどの雑兵が鷹司軍に加わった。
仕方なく信長は、一向宗の戦闘専業要員を直臣化して、戦死させる心算の棄兵として先陣を命じたのだが、一向宗も強かで死地への突入は拒否した。
今の信長には、一向宗と手切れする余裕はなく、一向宗の被害の出ない、勝算のある戦闘しかできなくなってしまった。
長島など河内からの美濃侵攻は、鷹司軍の大弩砲・大弓・鉄砲による迎撃に阻まれた。
木曽川右岸に築かれた堤防兼用の土塁に阻まれ、信長が指揮する軍も、美濃に乱入する事ができなかった。
しかし明智家や遠山家が支配していた領地は、自然の濠である川の防御がない。そこで信長は、直接稲葉山城を攻略する事を諦め、室原城・塩河城・今城の攻略に向かった。
4月美濃室原城主の可児秀行:第3者視点
室原城主の可児秀行は、鷹司家の直轄城となった塩河城や今城と連携しつつ、必死の防戦を行った。
鷹司家から、豊富な兵糧と軍資金を支援され、3年間実りがなくても暮らして行ける保証を得た秀行は、領内の民百姓を全て城内に収容して籠城戦を行った。
領民分の武具まで支援を受けた秀行も必死で、ここまで厚遇してもらって容易く裏切れば、鷹司卿が戻って来た時の報復が、凄惨(せいさん)を極める事は理解できるのだ。
万が一負けて死ぬ事になっても、死力を尽くして戦えば、諏訪に人質として送られた妻子が厚遇される。
最前線の城砦が多少落とされようとも、今の鷹司家が容易く負けるとは思えない。戦国時代の慣例では、領地を奪われるような負け戦でない限り、戦死した武士の子弟は最低でも本領安堵、普通は多少の加増がされる。
そうでなければ、誰が命を懸けて戦うものか。
可児秀行が戦死することになってたとしても、子弟が幼くても加増されて当主となるだろう。配下の将兵は、陣代が指揮を執れば済むことだ、無駄死にになる事だけは無いだろう。
4月遠江井伊谷:第3者視点
「伯父上、悪い話ではないと思うのですが?」
「御前はそれでよいのか? 直親」
「伯父上や二郎法師殿には申し訳なく思っておりますが、すでに奥山親朝殿の娘を妻に迎え、鷹司家で侍大将に取り立てて頂き、2000貫文の扶持を頂いております。 田上善親の諱も賜り、十二分に評価して頂いております」
「なんと! 2000貫文の扶持と諱まで賜っておるのか?」
「はい、このように鷹司卿は、直筆の誓紙まで私に預けて下さっております。鷹司卿は今川義元と違って、約束を反故(ほご)にされるような方ではありません。義元の様に猜疑心が強く、国衆を理不尽に征伐される事もありません。二郎法師殿も大切にして下さいますでしょう」
「う~む、確かに御屋形様の仕打ちに恨みがないとは言わぬ。いや、我が弟たちが小野めの讒言(ざんげん)で討たれた事は、今でも腸が煮え繰り返る思いじゃ! しかし我ら国衆が生き残るためには、我慢せねば仕方のないことと思っておる。直親が鷹司卿の元で栄達(えいたつ)したのであれば尚更じゃ、我らは今川に残り、何方が勝っても井伊の血脈が残るようにした方がいいのではないか?」
「事ここに至っては、その心配は御座いません。今川に勝ち目がない事は、公家衆の逃亡や三河国衆の動きを見ても明白でございます。井伊家が他の遠江国衆に先駆けて鷹司家に御味方すれば、褒美(ほうび)は厚くなりましょう。二郎法師殿が男子を御産みになれば、井伊家は鷹司家の分家として、高き地位を約束されます。ここは二郎法師殿を鷹司卿の側室に送られ、鷹司家と縁を結ばれるのが最善でございます」
「う~む、確かに悪い話ではない、いやむしろこれほど厚遇(こうぐう)して頂けるとは思えなかったくらいじゃ。だが今川殿が、井伊家討伐に出てきたらどうする? 周りの国衆が全て敵に回る事もあり得るぞ?」
「その心配は御座いません、三河や美濃の事、越中、越後、出羽と鷹司卿が動かれる時は、国境(くにざかい)の国衆を調略した後でございます。こうして伯父上の下に我を使わされたのは、三河と信濃の国衆が御味方すると決まったからでございます。義元の様に調略しておいて見捨てたり、君臣相争(くんしんあいあらそ)わせるような真似はされません」
「それは言い過ぎであろう、儂も鷹司卿の事は調べておる。幼き頃は暗殺を多用されたとの噂もあれば、出羽で籠城する城に矢文を送り、銭で君臣争わせたことも知っておる」
「いやそれは伯父上・・・・・」
「まあ待て! それが悪いと言っている訳でもないし、信用できぬと言っておる訳でもない。鷹司家の援軍が国境の今川方城砦を越えるまでは、容易く御味方する約束はできんと言っておるだけじゃ」
「残念では御座いますが、伯父上が井伊家のために慎重になられるお気持ちも、重々理解できます。では二郎法師殿の側室の件はどういたしましょう? 御受けになられますか? お断りになられますか?」
「率直に尋ねるが、この縁組は井伊家を裏切らせぬための人質ではないのか? 儂が早々に味方せぬと言った以上、反故(ほご)に成る話ではないのか?」
「私が承ったのは、二郎法師殿を側室に迎えたい事と、叔父上を近衛府・従六位上・将監(しょうげん)に迎えたいとの事でございます。その時期は特に限られておりませんが、鷹司卿より全権を預けられておられる、滝川殿から我が任せて頂いております。一度御伺いに戻りますが、鷹司家が遠江の国境を越えてからでも、何も問題はないと思います」
「もし鷹司軍が遠江の国境を越えてからでも、鷹司卿と二郎法師の縁組が可能ならば、ぜひ直親殿の力で進めて欲しい。直親殿の生死を秘すために出家し、そなたを待ち続けた二郎法師が不憫(ふびん)でならん。責める訳ではないが、直親殿から奥山親朝の娘を妻にしたから、自分の事は忘れてくれと文が届いた時の嘆き悲しみは、親として見ていて辛かった。鷹司卿が大切にしてくれると言ってくださるのなら、親としてこれ程うれしい事はないし、井伊家当主としてはこれほど安心な事はない」
「伯父上と二郎法師殿には、重ね重ねお詫び申し上げます。父を殺した義元を許せなかった故の事とは申せ、申し訳ない事を致しました。詫びと言うのはおこがましいですが、この縁談は必ず成し遂げてみせます」
「うむ、頼んだぞ!」
「転生武田義信」を読んでいる人はこの作品も読んでいます
-
-
2.1万
-
7万
-
-
6,645
-
2.9万
-
-
170
-
59
-
-
64
-
22
-
-
1.2万
-
4.8万
-
-
5,170
-
2.6万
-
-
5,030
-
1万
-
-
9,691
-
1.6万
-
-
8,170
-
5.5万
-
-
2,492
-
6,724
-
-
3,146
-
3,386
-
-
610
-
221
-
-
1.3万
-
2.2万
-
-
3,540
-
5,228
-
-
9,386
-
2.4万
-
-
6,176
-
2.6万
-
-
153
-
244
-
-
1,292
-
1,425
-
-
2,858
-
4,949
-
-
6,656
-
6,967
-
-
6,044
-
2.9万
-
-
1,289
-
8,764
-
-
3万
-
4.9万
-
-
341
-
841
-
-
6,207
-
3.1万
-
-
442
-
726
-
-
71
-
153
-
-
49
-
163
-
-
1,861
-
1,560
-
-
81
-
281
-
-
3,643
-
9,420
-
-
986
-
1,509
-
-
217
-
516
-
-
12
-
6
-
-
105
-
364
-
-
58
-
89
-
-
63
-
43
-
-
19
-
1
-
-
81
-
138
-
-
358
-
1,684
-
-
28
-
46
-
-
3
-
1
-
-
202
-
161
-
-
2,940
-
4,405
-
-
7,460
-
1.5万
-
-
2,621
-
7,283
-
-
194
-
926
-
-
23
-
2
-
-
9,166
-
2.3万
-
-
179
-
157
-
-
4,916
-
1.7万
-
-
1,640
-
2,764
-
-
37
-
52
-
-
59
-
87
-
-
98
-
15
-
-
86
-
30
-
-
401
-
439
-
-
33
-
83
-
-
3,202
-
1.5万
-
-
83
-
150
-
-
40
-
13
-
-
1,254
-
944
-
-
611
-
1,139
-
-
236
-
1,828
-
-
78
-
2,902
-
-
2,419
-
9,367
コメント