転生武田義信

克全

第86話近江猿楽

2月美濃稲葉山城:義信視点

「若殿、松平清定殿からの援軍要請はどうされますか?」

「春まで待てと、一益を通じて言っておいてくれ。今後の清定との連絡は、一益か飛影経由で行う」

「清定殿が、軽く見られたと怒りませぬか?」

「おいおい、俺は一応鷹司家の当主だぜ、側室の養父とは言え、直接会話は身分違いだろ?」

「若殿がそのような事を気になさるとは、今初めて知りましたが?」

「武田善信の頃からの盟友や家臣たち、戦場での遣り取りならともかく、平時に知り合ったばかりの者とは、身分差を明らかにしておくべきだろう。場合によったら、上洛せねばならぬ場合もあり得るから、俺自身少し練習しておかないといけないんだ」

「上洛される御心算ですか?」

「いや、上洛はしたくない。したくはないが、行かねばならない状況に、追い込まれるかもしれない。その時の事も考えておかないとね。ものすごく気が重いけどね」

「左様ですね、若殿は幼い頃から身分や格式が大嫌いでおられましたから。唯一御屋形様にだけは、礼儀正しくおられましたな」

(仕方ないだろ、父親に切腹させられる史実を知ってたんだから)

「だからさ、できる事なら朝廷での事は、全て御爺様や御義父上にお任せしたい」

「それが宜しゅうございますな、若殿が公卿様たちを叩きのめして問題なるなど、あってはなりませぬからな」

「そうなのだ、戦場の空気を嗅ぎ続けたせいか、それとも妻たちから離れてるせいか、どうも怒り易く成っておる。春には一度諏訪に戻る心算だから、美濃、尾張、三河の事は公之と飛影に任せたい」

「公之様でございますか?」

「神輿状態とは言え、公之も一方の大将として、常に戦場に立って学んでおる。降嫁までに、もっと実績を積ませてやりたい。京に近い場所で、公卿どもに公之の戦場指揮を見せつけておきたいのだ」

「左様ですな、公之様の事は承りました。若殿の片腕に成れるように、御鍛え致します。それと色々話が逸れましたが、清定殿には春には援軍を送ると約束して宜しいのですね?」

「清定殿には、我らの指揮下に入ってもらう。指揮権は此方で持たねば、大切な将兵を無駄死にさせるかもしれん。三河衆は一益の下に置きたいから、一益を従六位上・将監を任じて置く」

「一益は喜びましょうが、清定殿はどう思われるでしょうか?」

「清定の動員兵力は300から600程度であろう? その程度の兵力で、4000騎を率いる一益の上に立てると思うほどの愚者ならば、問答無用で滅ぼしてしまえ。三河には松平宗家も吉良家もある、旗頭に成れるのは桜井松平家だけではないのだ、そのこと少し釘を刺しておけ」

「それが宜しゅうございますな、承りました」





2月甲斐躑躅城で武田信玄と鷹司簾中(三条夫人):第3者視点

「御屋形様、いかがいたしましょう?」

「永高内親王が薨御(こうぎょ)なされるとはな。これだけでも驚きなのに、近衛稙家卿から婚姻の話が来るとは思わなかった、近衛卿は足利将軍家を見捨てる心算か? それとも我が武田家と将軍家を秤(はかり)に掛けているのか? 簾中(れんちゅう)はどう思う?」

「今の公家は摂関家といえども、家を保ち生き残る事に必死でございます。暮らし向きを支えられず都落ちするのは、実家の三条家でも度々あった事でございます。九条稙通卿ですら、経済的に困窮され、堺や九州に都落ちされておられます。今も大半の公卿が、伊那と駿河に下向しております。近衛卿としては、将軍家が盛り返せばよし。武田家が隆盛を極めてもよし。将軍家と武田家の橋渡しができれば、さらによしと考えておられるのでしょう」

「簾中もそう思うか、武田と将軍家の間を調停できれば、近衛卿は朝廷で確固たる地位を築けような。だが武田と将軍家が争えば、姫たちが敵味方に分かれる事になろう。武家ならばそれも致し方ない事だが、近衛卿にもその覚悟があると言う事だな」

「御屋形様、もし武田と将軍家が争えば、近衛卿は京を離れて様子を見られるでしょう。その上で両家に、娘と孫の得度(とくど)助命を内々に申し入れる事でしょう」

「娘と孫を僧にする代わりに、助命を願うのだな。まあ摂関家の血縁を殺すのは気が引けるから、大抵の武家はその条件を飲むであろうな。近衛卿が娘を義信の側室ではなく、公之の正室に持って来たことが問題だな。譜代衆の中に、公之を担ごうとする者が現れるかもしれん」

「まさかそのような事が起こり得るのでしょうが? 同じ腹から産んだ子に差を付けるのは心が痛みますが、義信殿と公之殿では明らかに力に差がありましょう?」

「だからこそなのだ。譜代衆の中には、国を押領しようと、幼君や愚か者を当主に就けようする者が多いのだ。一族一門譜代とは言っても、わずかでも国衆に隙を見せれば、そこを突かれるのだ。万が一にも義信が若くして亡くなるようだと、義信の嫡男である太郎と、弟である三条公之で、家中が割れかねんのだ」

「そこまで考えておかねばならないのですね。ならばお断りなられますか? 北条からも、実信と公之に側室を送りたいと、申し込みがあったと聞きました? 北条の姫を、公之の正室として御迎えになられますか?」

「難しい所よな、朝廷工作する上での力関係もある。近衛卿も婚儀の話を持って来た以上、武田にも利があるから、断られないと判断しているのだろう。それを断れば、後々問題も出てこよう。ここは義信の意見も聞きたいところだな」


「左様でございますね、義信の考え次第でございましょう。それにそもそも義信が長生きしてくれれば、譜代衆も策謀のしようがありますまい」

「うむ、それが全てであろう。義信には諏訪でじっくり構えさせ、儂が動くことにいたそう」

「それが宜しゅうございますね。雪解けして、義信が諏訪に帰ってから、全てを決めれば宜しゅうございます」





2月近江日吉大社:第3者視点

「山階の、どうすればよかろうの?」

「どうもこうもあるまい。興福寺の後押し受けた大和四座に押されて、我ら近江六座は衰退しておる。ここは我ら賤民を大切にし、武家にまで御取り立て下さる、鷹司卿に御助力すべきであろう」

「鷹司卿には、一門の者を甲斐信濃で座を開かせていただいている、恩があるからな」

「その通りだ比叡の、今までも色々情報を流してきたのだ。六角様が禁止しようと、今更止めれるものではない!」

「だがな敏満寺の、我らは近江に住み座を開いておるのだ。六角様の意向を、全く無視する事は不可能であろう?」

「表向き従う振りをしておればよい。漂白の者たちが、各地を周って芸を売る事を、止めさすなどできん。そんな事をすれば、皆が飢え死にしてしまうわ!」

「そうよな、今の近江六座では、鷹司卿の手の者たちがくれる褒美がなくては、全ての座員を喰わしてやれぬ」

「そうよな比叡の、美濃に行って芸を披露すれば、たんと褒美が頂ける」

「だがな大森の、それに見合う情報を持って行かねばなるまい」

「それは当然であろう酒人(さこうど)の、儂は寧ろ酒人の者たちが羨ましいよ。甲賀衆と懇意の者が多いから、褒美に成る情報が多く手に入るであろう?」

「だがな、その分命懸けだぞ? 甲賀衆と伊賀衆は、伊那にある非人の里まで襲ったと言うではないか。そのような掟破りをする者たちの情報を流すなど、命がいくらあっても足りぬわ!」

「そうそこよ! 公方も細川も六角も、我らを人とは思っておらん! あの焼き討ちでは、我が下坂座配下の小屋まで焼かれてしもうたわ! 命ずる奴らも許せぬが、唯々諾々と掟を破って実行した者たちが許せぬ!」

「そうか、下坂座の者たちの小屋も焼かれたのか。実はな、我が山階座の白拍子が伊那の侍に見初められてな、座を抜け妻に迎えてもらって下さっておるのだ。その折もな、白拍子が座を抜ける承諾を求めて、鷹司卿が直々に丁寧な手紙を送ってくださったのだ。あの焼き討ちの時に、その元白拍子が家を焼かれた上に。顔に火傷してしもうてな」

「なに? それは許せんな。だが侍の館まで焼かれたのか? 伊那の被害は、吉岡城以外はそれ程酷くはなかったはずだか?」

「うむ、何やら武具を作っておる郭が狙われたそうじゃ」

「その白拍子の旦那は、郭の長屋に住んでおったのか?」

「いや、元々が弓師であったのだが、鷹司卿に士分に取り立てて頂き、郭の主となったそうだ」

「なんと! 弓師が士分で郭の主じゃと?」

「まあそこが問題ではないのじゃ、顔を火傷したにも関わらず、旦那は白拍子をそのまま妻に置いてくれておる。しかも白拍子には、鷹司卿から直筆の見舞いの手紙が届いてな、さらに見舞いとして、生涯1人扶持を頂く事に成っておるのじゃ!」

「なに! 真か山階の? 確かに噂では、鷹司卿が我ら賤民を庇護して下さると聞いてはいたが、そこまで手厚くして下さっておるのか!」

「のう皆の衆、これは言おうかどうか迷っておったのだがな。」

「今更何を言っておるのだ酒人の、この場は近江六座の生末(いくすえ)を決める大切な話し合いの場ぞ、隠し立てなど許されぬぞ!」

「いや余りに信じ難い話であったのでな。公方や六角が、鷹司卿を貶めるために広めた嘘と言う事もあるでな」

「ああ、あの話であろう。鷹司卿の側室が、賤民の河原者だと言う話であろう。いくらなんでもそれは嘘であろうよ」

「いや実はな、それが本当だと言う話だそうだ。教えてくれた懇意の甲賀衆も、本心から驚いておった。今は鷹司卿の副将を務めておられる、猿渡飛影の養女と言う体裁に成っておるが、そもそも猿渡と言う苗字で分かるであろう。表向きは修験者出身と申しておるが、猿楽の流れを汲んでおるのは明白じゃ。しかも鷹司卿が5歳のみぎりに救われた、河原者のたちのなかに側室衆がおられたそうじゃ」

「ちょっと待ってくれ酒人の、側室衆と言う事は1人ではないのか?」

「そうなのだ山階の、3人おられる側室全てが、河原者と言う話だ」

「そう言えば正室の御父上であられる九条卿は、山窩から飯綱の法を学ばれておられたの!」

「皆の衆! これで我らの道は明白になったのではないか? 六角に従っておっていいのか? 座の者たちのためにも、我ら賤民を人がましく扱ってくださる、鷹司卿のために働くべきであろう!」

「「「「「いかにも!」」」」」


「猿楽」
漂泊の白拍子、神子、鉢叩、猿引きらとともに下層の賤民であり同じ賤民階級の声聞師の配下にあった。

「近江猿楽」
中世に近江国(滋賀県)に存在した猿楽の座
日吉(ひえ)神社参勤の山階座・下坂座・比叡を上三座
敏満寺・大森座・酒人座を下三座

山階座 :長浜市山階
下坂座 :長浜市下坂
比叡座 :大津市坂本
敏満寺座:多賀町敏満寺
大森座 :東近江市大森
酒人座 :甲賀市水口町酒人

算置:占い師
傾城:遊女

「七道者」
猿楽
アルキ白拍子(漂泊する白拍子)
アルキ御子(漂白する巫女)
鉢タタキ(鉢叩)
金タタキ(鉦叩)
アルキ横行(漂白する横行人)
猿飼

声聞師座:大和四座
大和国奈良の興福寺:「五ヶ所」「十座」といった集団的居住地
日吉大社・近江猿楽の上三座・下三座

声聞師:京都では散所非人

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