転生武田義信
第84話持久戦
1月美濃長良川左岸の鷹司陣:義信視点
「このまま一気に稲葉山城まで進む、大弩砲を打って打って打ちまくれ! ここに散乱している十文字大竹矢を繋ぎ直して、もう一度使えるようにしろ!」
俺は素早く計算して、清水山と権現山の隘路(あいろ)に、連合軍が築陣する前に、突破する事にした。
雪で伊那との輸送が止まっている今、火薬を浪費するわけにはいかない。さっきの戦闘で、一益は大量の発砲を強いられた。
信長は強かだ、単に反信長勢力を俺たちに殲滅(せんめつ)させただけじゃない。美濃では補給できない、火薬を使わせるように仕向けて来た。
俺も攻め取った城砦に派遣した黒鍬輜重に、古土法で硝石を集めさせてはいるが、時間と労力が馬鹿にならない。
古土法の硝石作りだけは、元難民で固めた黒鍬輜重に教えているが、培養法は伊那の各城砦の奥深くで、股肱(ここう)の臣に任せている。
支援砲射で、一向宗が築いた柵・盾・槍衾を粉砕してから、配下の武士団に突撃させた。
さすがに騎射と近接戦は、子供の頃から鍛え上げた配下の武士団が、圧倒的強さを見せた。
最初の隘路(あいろ)を突破した武士団は、三峰山と舟伏山の間にある次に隘路(あいろ)に突入して、一気に稲葉山城砦群下を確保しようとした。
中央突破を許してしまった一向宗は、恐慌状態となった。背後を取られた者たちは逃げ出し、清水山と権現山に取り残されそうになった者たちも、抵抗する事なく逃げ出した。
一向宗の中には、稲葉山城とその支城群に逃げ込み籠城する者も出た。
後方に陣取り、指揮の行き届いた一向宗たちは、三峰山と洞山の隘路に陣地を再構成しようとした。
俺は本格的に稲葉山城を攻略するために、付城を築くことにした。洞山・三峰山・舟伏山・芥見影山・清水山・北山・権現山に、協力連動する砦群とし築城した。
さらに砦群に守られた盆地も確保し、橋頭保と橋も築くことにした。
築城と同時に行ったのが、何時もの矢文三種を、稲葉山城砦群に射込む事だ。道三を直ぐに殺すことはできなくても、少しでも同士打ちで守備兵が減ってくれればいい。
1月一向宗:下間視点
「願証寺に戻る」
「しかしそれは、信長殿との約束に背く事に成るのではありませんか?」
「3日防いだ、これ以上宗徒に無理はさせられん」
「はい!」
「宗徒以外の民からの喜捨(きしゃ)は進んでいるか?」
「はい、素直に喜捨(きしゃ)しない者には手荒く致しました」
「美濃のために多くの宗徒が傷つき死んだのだ、宗徒以外の美濃の民が喜捨(きしゃ)するのは当然だ! 逆らう者は打ち殺し奪っても構わんのだ」
「は!」
「義信は、稲葉山城を落として美濃を手に入れる事を優先するだろう。我らを追撃すれば、斉藤に後ろを襲われる。斉藤には、我らが撤退する振りをするから、義信の背後を突けと伝えてある。義信が愚かにも我らを追撃して斉藤に負けそうなら、引き返して斉藤と共に義信を叩く。稲葉山城攻めを優先して、我らを追撃しないようなら、そのまま尾張を通って河内に帰る。信長殿には馳走(ちそう)してもらわねばならぬからな、尾張統一の手伝いに尾張の城砦を脅(おど)して周ろう。上手く立ち回れば、尾張を加賀の様にできるかもしれん」
「は!」
1月美濃長良川左岸の鷹司陣:義信視点
一向宗が撤退して行く、俺がそんな見え透いた罠に、引っかかると思っているのだろうか?
圧倒的な兵力を持つ一向宗の釣り野伏を、俺が警戒しないと思っている?
稲葉山からの挟撃を、俺が考慮しないと思ってる?
だが追撃しないと、一向宗は損害を受ける事なく撤退してしまう。
そうだな、一向宗は俺が追撃したら、釣り野伏や挟撃をしかけて、俺を討ち取る心算だろう。
俺がそれなりの知恵者なら、追撃を諦めるから、損害を受ける事なく、撤退できると計算したのだな。
だが俺は、そのどっちに方法もとらない!
俺には前世の知識と、育て上げた騎馬鉄砲隊がある。色々な作戦を駆使して、逃げた一向宗に損害を与えることができる。
だが問題はそこじゃない、大切なのは信長が尾張確保に動いたことだ。
連合軍の尾張撤退は、信長の尾張統一の確定を意味する。農繁期まで一向宗が信長の勢力圏で踏ん張れば、尾張は確実に信長の物になる。
対抗策としては、信長の直属兵力が少ない内に、滝川一益の部隊を分派する。
そして一益の部隊に、直接信長の首を狙わすか、尾張統一を阻ますか、とにかく何か手を打つべきだ。これは戦略上の大問題なのだ。
もし俺が稲葉山城攻略を優先して、信長の邪魔をしなければ、奴は尾張を統一するが、決定的に兵力不足のままだろう。
この合戦で、反信長勢力の主力軍は壊滅したが、これは尾張武士団の5割が壊滅したことを意味する。
俺の出現で、雑兵集めも資金力勝負になったが、それでも信長ならば、ある程度の雑兵なら集められるだろう。
だが熟練の下級指揮官は別だ、尾張では最前線で指揮を執る徒歩武者が、決定的に不足している。史実で言われている、尾張の弱兵がさらに弱くなるだろう。
一方俺が、稲葉山城包囲に抑えの兵だけを残し、全力で追撃した場合はどうだろう?
負けると分かっていて、あの信長が、直臣だけで迎撃をするだろうか?
信長はそんな馬鹿ではない、俺を撃退できれば、尾張50万石が手に入るのだ。熱田湊と津田湊と言う、資金源があるのだ。
後々の問題は棚上げにして、一向宗の僧兵を直臣に取り立ててでも、生き残る手を講じるだろう。
俺の曲げられない基本戦略がある!
恥ずかしながら矜持(きょうじ)と言ってしまうが、民を餓えさせないことと、政教分離、象徴天皇制を構築堅持することだ。
戦国時代の日本で、基本戦略を達成するためには、どう言う戦略戦術をとるべきか?
まずは信長の置かれている状況を知り、信長がとるだろう全ての戦略と戦術を予測し、その戦略戦術に対抗する方法を考える。
今の信長は、土地と銭はあるが、将がいない状態だ。
だから信長は、雑兵を雇い鉄砲を買い集めて、戦力増強を計るだろう。
だが信長がこの方法を取った場合、俺の方が鉄砲の性能と数で勝っている。しかも幼少より鍛え上げた直臣と、歴戦の武士団を持っているから、俺が勝てるだろう。
もし信長が、一向宗を直臣としたらどうだろう?
歴戦の指揮官と、死を恐れぬ狂徒が家臣となるのだ。雑賀と根来の鉄砲衆も、傭兵ではなく直臣となるだろう。
当然だが、紀伊・伊勢・尾張・美濃・三河・飛騨・加賀・越中の一向宗が連動して、俺と敵対するだろう。もちろん石山本願寺を筆頭とする、畿内の一向宗全てが敵に回るだろう。
だが一向宗を直臣にすれば、信長も大きな危険を抱え込む事に成る。
一向宗は何時謀反するか分からないし、主君の信長よりも、証如を優先する家臣が過半数を占める事に成るのだ。
史実でも三河一向一揆では、犬の様に従順と言われた徳川譜代衆が、家康に背いている。その時の戦いでは、家康自身が鉄砲を撃ち戦わねばならぬほど苦戦したはず。
本多信正や本多正重などの譜代衆の多くも、一向宗として家康と敵対している。
一向宗の家臣が家中の過半を占めてから、信長を暗殺して幼君を傀儡(かいらい)にすれば。尾張を加賀の様にできる。
俺は熟考を重ねて、今後の戦略を決定した。
「友和! 武士団を率いて釣り野伏に注意しつつ、一向宗を追撃せよ。優先は味方の損害を出さない事、一向宗の鉄砲迎撃に注意しつつ、遠距離面制圧騎射で追い討ちせよ。追撃は木曽川まで、尾張に入る事は許さん!」
相良友和:歴戦の古参侍大将
「承りました」
「飛影! 稲葉山城からの挟撃に備えよ。山から下りて来る勢いが、息切れする辺りに陣を構えよ、指揮下の騎馬鉄砲隊4000騎で迎え撃て!」
「承りました」
「一益! 一向宗を迂回して尾張に入れ、極力戦闘は回避して、斯波義達と義統の親子を救い出してくれ。だが味方に損害が出る位なら、救出は諦めろ。斯波家を継げる者は、探せばいくらでもいる。だがお前たちの代わりはおらん! 決して無理はするな」
「あ、あ、有り難き御言葉! 決して将兵を無駄死にさせません。」
「敵地に入るのだ、弾薬を惜しむな! 射程外から威嚇(いかく)射撃をしてでも、将兵を守れ。弾薬が半数になったり、雨などで濡れた時点で、無理をせず戻って来い!」
「承りました。」
さてと、今苦しいからと言って、将来絶対敵対する相手と手を組むのは嫌だ。だが基本戦略の邪魔にならないなら、無暗に大名家を攻め滅ぼす必要もないだろう。
そうなると、今組むべきは伊勢北畠家になるが、北畠晴具と具教の親子は、俺をどう見ているだろう?
俺を鷹司家当主として、自分たちより上の存在として、見てくれているだろうか?
それとも武田家の者として、同等もしくは下の存在とみているか?
俺が伊勢神宮の式年遷宮再開資金を援助した時の遣り取りは、とても好意的だった。遠い一族とは言え、俺は浪岡家とも昵懇(じっこん)にしている。
伊勢北畠家が北伊勢に侵攻してくれれば、長島の一向宗も尾張に全戦力を投入できなくなる。将来的には紀伊・大和・伊賀への牽制にもなる。
伊賀甲賀の野郎どもめ、俺は執念深い所もあるのだ。非戦闘員の伊那の人々を焼き討ちしたことは、今でも忘れてないからな!
信長の伊賀攻め程度では許さん、伊賀衆だけじゃない、甲賀衆も根切りしてやる!
1月美濃稲葉山城:斎藤道三視点
随分と裏切りが出てしまったが、これまでの儂の行状を思い起こせば、それも致し方なし。勝つ事、生き残る事が正しいのだ、忠義を守って死ぬのは愚かなことだ。
だがこれほど追い詰められた儂に、忠義を尽くしてくれる者たちを、道づれにして滅んでいいものか?
儂と息子たちの命と引き換えに、家臣たちの助命を願うべきか?
生き残るためには、忠義の家臣を捨て石にしてでも、囲みを打ち破って落延びるべきか?
西美濃に逃げるとしたら、誰を頼るべきだ?
曽根城主の稲葉良通、大垣牛屋城主の氏家直元、西保城主の不破光治の、誰を頼れば裏切られないだろう?
そのまま西美濃に留まるよりも、近江まで逃げて、六角を頼るべきか?
それとも尾張に逃げて、信長を頼るべきか?
いっそ河内長島まで逃げて、一向宗の願証寺を頼るべきか?
ここで斉藤一族が滅亡すれば、信長は儂の娘婿として、美濃の領有を主張するだろう。信長は天下を望んでおる、美濃は喉から手が出るほど欲しいはずだ。
そんな信長を頼り、尾張に逃げたら、機会を見て儂や一族を皆殺しにして、美濃を手に入れるだろう。
願証寺ならば表面上は斉藤家を立てるだろうが、儂を殺して一族から幼い者を傀儡(かいらい)に立てて、加賀の様に一向宗の国を目指すだろう。
六角を頼ったとしても、俺は幽閉されるか殺されるかだろう。そして美濃は、六角の属国として扱われるだけだ。
再起の可能性がわずかでもあるのは、六角家と一向宗を等分に頼る事だろう。
六角は直接義信と敵対する事は避けたいはずだから、近江までは逃げ込まず、西美濃に踏みとどまる。
六角に背後を守らせ、六角と河内の一向宗を連携させて、義信の攻撃を防ぐ。六角は儂と西美濃衆を支援して、義信の上洛を防ごうとするはず。
それに六角は、北伊勢に大きな影響力を持っているから、側面攻撃も心配しなくていい。いや、逆に北伊勢衆を使って、側面攻撃を仕掛けてくれるかもしれなん。
一向宗は、俺を暗殺して幼君を担ぎ、美濃を支配しようとするだろうが、そう容易く暗殺などさせるものか!
願証寺や那古野城に逃げ込めば、暗殺されてしまうだろう。だが西美濃に留まり、不破関当たりに新たな砦を築いて入れば、暗殺にも西美濃衆の裏切りにも対応できる。
「皆の者! 西美濃に落ちるぞ、付いて参れ!」
「「「「「お~!」」」」」
1月美濃長良川左岸の鷹司陣:義信視点
斎藤道三の野郎、案の定逃げ出しやがった。まあ蝮と言われる道三が、素直に滅ぶはずがないと思っていた。
俺も色々考えたが、暗殺や傀儡(かいらい)を警戒して、西美濃に逃げるだろうと思っていた。まあ他の方面に逃げた場合の対策も、ちゃんと取っていたけどね。
要所要所に大弩砲と弓隊を配備して、面制圧射で殲滅(せんめつ)する準備は整えていた。
それでも討ち漏らした場合に備えて、足軽鉄砲隊による面制圧射撃とも準備していた。
それも運よく突破するかもしれないから、狙撃ポイントに鉄砲名人を伏せさせ、道三を待ち伏せさせている。
騎馬隊のような高機動を要求されない足軽鉄砲隊の名人は、ライフリングした狙撃用の狭間筒を、駄馬の背に乗せ運んでいた。
逃げようとした美濃勢を殲滅(せんめつ)し、稲葉山城砦群を手に入れた。
道三の一族一門も、全員逃げようとした者たちの中にいた。
家臣に加えるか迷っていた明智光秀も、逃げようとしていた者たちの中にいて、道三と一緒に死んでくれた。下手に家臣に加えて謀反されたら困るし、これも天命と考えて良しとしよう!
「このまま一気に稲葉山城まで進む、大弩砲を打って打って打ちまくれ! ここに散乱している十文字大竹矢を繋ぎ直して、もう一度使えるようにしろ!」
俺は素早く計算して、清水山と権現山の隘路(あいろ)に、連合軍が築陣する前に、突破する事にした。
雪で伊那との輸送が止まっている今、火薬を浪費するわけにはいかない。さっきの戦闘で、一益は大量の発砲を強いられた。
信長は強かだ、単に反信長勢力を俺たちに殲滅(せんめつ)させただけじゃない。美濃では補給できない、火薬を使わせるように仕向けて来た。
俺も攻め取った城砦に派遣した黒鍬輜重に、古土法で硝石を集めさせてはいるが、時間と労力が馬鹿にならない。
古土法の硝石作りだけは、元難民で固めた黒鍬輜重に教えているが、培養法は伊那の各城砦の奥深くで、股肱(ここう)の臣に任せている。
支援砲射で、一向宗が築いた柵・盾・槍衾を粉砕してから、配下の武士団に突撃させた。
さすがに騎射と近接戦は、子供の頃から鍛え上げた配下の武士団が、圧倒的強さを見せた。
最初の隘路(あいろ)を突破した武士団は、三峰山と舟伏山の間にある次に隘路(あいろ)に突入して、一気に稲葉山城砦群下を確保しようとした。
中央突破を許してしまった一向宗は、恐慌状態となった。背後を取られた者たちは逃げ出し、清水山と権現山に取り残されそうになった者たちも、抵抗する事なく逃げ出した。
一向宗の中には、稲葉山城とその支城群に逃げ込み籠城する者も出た。
後方に陣取り、指揮の行き届いた一向宗たちは、三峰山と洞山の隘路に陣地を再構成しようとした。
俺は本格的に稲葉山城を攻略するために、付城を築くことにした。洞山・三峰山・舟伏山・芥見影山・清水山・北山・権現山に、協力連動する砦群とし築城した。
さらに砦群に守られた盆地も確保し、橋頭保と橋も築くことにした。
築城と同時に行ったのが、何時もの矢文三種を、稲葉山城砦群に射込む事だ。道三を直ぐに殺すことはできなくても、少しでも同士打ちで守備兵が減ってくれればいい。
1月一向宗:下間視点
「願証寺に戻る」
「しかしそれは、信長殿との約束に背く事に成るのではありませんか?」
「3日防いだ、これ以上宗徒に無理はさせられん」
「はい!」
「宗徒以外の民からの喜捨(きしゃ)は進んでいるか?」
「はい、素直に喜捨(きしゃ)しない者には手荒く致しました」
「美濃のために多くの宗徒が傷つき死んだのだ、宗徒以外の美濃の民が喜捨(きしゃ)するのは当然だ! 逆らう者は打ち殺し奪っても構わんのだ」
「は!」
「義信は、稲葉山城を落として美濃を手に入れる事を優先するだろう。我らを追撃すれば、斉藤に後ろを襲われる。斉藤には、我らが撤退する振りをするから、義信の背後を突けと伝えてある。義信が愚かにも我らを追撃して斉藤に負けそうなら、引き返して斉藤と共に義信を叩く。稲葉山城攻めを優先して、我らを追撃しないようなら、そのまま尾張を通って河内に帰る。信長殿には馳走(ちそう)してもらわねばならぬからな、尾張統一の手伝いに尾張の城砦を脅(おど)して周ろう。上手く立ち回れば、尾張を加賀の様にできるかもしれん」
「は!」
1月美濃長良川左岸の鷹司陣:義信視点
一向宗が撤退して行く、俺がそんな見え透いた罠に、引っかかると思っているのだろうか?
圧倒的な兵力を持つ一向宗の釣り野伏を、俺が警戒しないと思っている?
稲葉山からの挟撃を、俺が考慮しないと思ってる?
だが追撃しないと、一向宗は損害を受ける事なく撤退してしまう。
そうだな、一向宗は俺が追撃したら、釣り野伏や挟撃をしかけて、俺を討ち取る心算だろう。
俺がそれなりの知恵者なら、追撃を諦めるから、損害を受ける事なく、撤退できると計算したのだな。
だが俺は、そのどっちに方法もとらない!
俺には前世の知識と、育て上げた騎馬鉄砲隊がある。色々な作戦を駆使して、逃げた一向宗に損害を与えることができる。
だが問題はそこじゃない、大切なのは信長が尾張確保に動いたことだ。
連合軍の尾張撤退は、信長の尾張統一の確定を意味する。農繁期まで一向宗が信長の勢力圏で踏ん張れば、尾張は確実に信長の物になる。
対抗策としては、信長の直属兵力が少ない内に、滝川一益の部隊を分派する。
そして一益の部隊に、直接信長の首を狙わすか、尾張統一を阻ますか、とにかく何か手を打つべきだ。これは戦略上の大問題なのだ。
もし俺が稲葉山城攻略を優先して、信長の邪魔をしなければ、奴は尾張を統一するが、決定的に兵力不足のままだろう。
この合戦で、反信長勢力の主力軍は壊滅したが、これは尾張武士団の5割が壊滅したことを意味する。
俺の出現で、雑兵集めも資金力勝負になったが、それでも信長ならば、ある程度の雑兵なら集められるだろう。
だが熟練の下級指揮官は別だ、尾張では最前線で指揮を執る徒歩武者が、決定的に不足している。史実で言われている、尾張の弱兵がさらに弱くなるだろう。
一方俺が、稲葉山城包囲に抑えの兵だけを残し、全力で追撃した場合はどうだろう?
負けると分かっていて、あの信長が、直臣だけで迎撃をするだろうか?
信長はそんな馬鹿ではない、俺を撃退できれば、尾張50万石が手に入るのだ。熱田湊と津田湊と言う、資金源があるのだ。
後々の問題は棚上げにして、一向宗の僧兵を直臣に取り立ててでも、生き残る手を講じるだろう。
俺の曲げられない基本戦略がある!
恥ずかしながら矜持(きょうじ)と言ってしまうが、民を餓えさせないことと、政教分離、象徴天皇制を構築堅持することだ。
戦国時代の日本で、基本戦略を達成するためには、どう言う戦略戦術をとるべきか?
まずは信長の置かれている状況を知り、信長がとるだろう全ての戦略と戦術を予測し、その戦略戦術に対抗する方法を考える。
今の信長は、土地と銭はあるが、将がいない状態だ。
だから信長は、雑兵を雇い鉄砲を買い集めて、戦力増強を計るだろう。
だが信長がこの方法を取った場合、俺の方が鉄砲の性能と数で勝っている。しかも幼少より鍛え上げた直臣と、歴戦の武士団を持っているから、俺が勝てるだろう。
もし信長が、一向宗を直臣としたらどうだろう?
歴戦の指揮官と、死を恐れぬ狂徒が家臣となるのだ。雑賀と根来の鉄砲衆も、傭兵ではなく直臣となるだろう。
当然だが、紀伊・伊勢・尾張・美濃・三河・飛騨・加賀・越中の一向宗が連動して、俺と敵対するだろう。もちろん石山本願寺を筆頭とする、畿内の一向宗全てが敵に回るだろう。
だが一向宗を直臣にすれば、信長も大きな危険を抱え込む事に成る。
一向宗は何時謀反するか分からないし、主君の信長よりも、証如を優先する家臣が過半数を占める事に成るのだ。
史実でも三河一向一揆では、犬の様に従順と言われた徳川譜代衆が、家康に背いている。その時の戦いでは、家康自身が鉄砲を撃ち戦わねばならぬほど苦戦したはず。
本多信正や本多正重などの譜代衆の多くも、一向宗として家康と敵対している。
一向宗の家臣が家中の過半を占めてから、信長を暗殺して幼君を傀儡(かいらい)にすれば。尾張を加賀の様にできる。
俺は熟考を重ねて、今後の戦略を決定した。
「友和! 武士団を率いて釣り野伏に注意しつつ、一向宗を追撃せよ。優先は味方の損害を出さない事、一向宗の鉄砲迎撃に注意しつつ、遠距離面制圧騎射で追い討ちせよ。追撃は木曽川まで、尾張に入る事は許さん!」
相良友和:歴戦の古参侍大将
「承りました」
「飛影! 稲葉山城からの挟撃に備えよ。山から下りて来る勢いが、息切れする辺りに陣を構えよ、指揮下の騎馬鉄砲隊4000騎で迎え撃て!」
「承りました」
「一益! 一向宗を迂回して尾張に入れ、極力戦闘は回避して、斯波義達と義統の親子を救い出してくれ。だが味方に損害が出る位なら、救出は諦めろ。斯波家を継げる者は、探せばいくらでもいる。だがお前たちの代わりはおらん! 決して無理はするな」
「あ、あ、有り難き御言葉! 決して将兵を無駄死にさせません。」
「敵地に入るのだ、弾薬を惜しむな! 射程外から威嚇(いかく)射撃をしてでも、将兵を守れ。弾薬が半数になったり、雨などで濡れた時点で、無理をせず戻って来い!」
「承りました。」
さてと、今苦しいからと言って、将来絶対敵対する相手と手を組むのは嫌だ。だが基本戦略の邪魔にならないなら、無暗に大名家を攻め滅ぼす必要もないだろう。
そうなると、今組むべきは伊勢北畠家になるが、北畠晴具と具教の親子は、俺をどう見ているだろう?
俺を鷹司家当主として、自分たちより上の存在として、見てくれているだろうか?
それとも武田家の者として、同等もしくは下の存在とみているか?
俺が伊勢神宮の式年遷宮再開資金を援助した時の遣り取りは、とても好意的だった。遠い一族とは言え、俺は浪岡家とも昵懇(じっこん)にしている。
伊勢北畠家が北伊勢に侵攻してくれれば、長島の一向宗も尾張に全戦力を投入できなくなる。将来的には紀伊・大和・伊賀への牽制にもなる。
伊賀甲賀の野郎どもめ、俺は執念深い所もあるのだ。非戦闘員の伊那の人々を焼き討ちしたことは、今でも忘れてないからな!
信長の伊賀攻め程度では許さん、伊賀衆だけじゃない、甲賀衆も根切りしてやる!
1月美濃稲葉山城:斎藤道三視点
随分と裏切りが出てしまったが、これまでの儂の行状を思い起こせば、それも致し方なし。勝つ事、生き残る事が正しいのだ、忠義を守って死ぬのは愚かなことだ。
だがこれほど追い詰められた儂に、忠義を尽くしてくれる者たちを、道づれにして滅んでいいものか?
儂と息子たちの命と引き換えに、家臣たちの助命を願うべきか?
生き残るためには、忠義の家臣を捨て石にしてでも、囲みを打ち破って落延びるべきか?
西美濃に逃げるとしたら、誰を頼るべきだ?
曽根城主の稲葉良通、大垣牛屋城主の氏家直元、西保城主の不破光治の、誰を頼れば裏切られないだろう?
そのまま西美濃に留まるよりも、近江まで逃げて、六角を頼るべきか?
それとも尾張に逃げて、信長を頼るべきか?
いっそ河内長島まで逃げて、一向宗の願証寺を頼るべきか?
ここで斉藤一族が滅亡すれば、信長は儂の娘婿として、美濃の領有を主張するだろう。信長は天下を望んでおる、美濃は喉から手が出るほど欲しいはずだ。
そんな信長を頼り、尾張に逃げたら、機会を見て儂や一族を皆殺しにして、美濃を手に入れるだろう。
願証寺ならば表面上は斉藤家を立てるだろうが、儂を殺して一族から幼い者を傀儡(かいらい)に立てて、加賀の様に一向宗の国を目指すだろう。
六角を頼ったとしても、俺は幽閉されるか殺されるかだろう。そして美濃は、六角の属国として扱われるだけだ。
再起の可能性がわずかでもあるのは、六角家と一向宗を等分に頼る事だろう。
六角は直接義信と敵対する事は避けたいはずだから、近江までは逃げ込まず、西美濃に踏みとどまる。
六角に背後を守らせ、六角と河内の一向宗を連携させて、義信の攻撃を防ぐ。六角は儂と西美濃衆を支援して、義信の上洛を防ごうとするはず。
それに六角は、北伊勢に大きな影響力を持っているから、側面攻撃も心配しなくていい。いや、逆に北伊勢衆を使って、側面攻撃を仕掛けてくれるかもしれなん。
一向宗は、俺を暗殺して幼君を担ぎ、美濃を支配しようとするだろうが、そう容易く暗殺などさせるものか!
願証寺や那古野城に逃げ込めば、暗殺されてしまうだろう。だが西美濃に留まり、不破関当たりに新たな砦を築いて入れば、暗殺にも西美濃衆の裏切りにも対応できる。
「皆の者! 西美濃に落ちるぞ、付いて参れ!」
「「「「「お~!」」」」」
1月美濃長良川左岸の鷹司陣:義信視点
斎藤道三の野郎、案の定逃げ出しやがった。まあ蝮と言われる道三が、素直に滅ぶはずがないと思っていた。
俺も色々考えたが、暗殺や傀儡(かいらい)を警戒して、西美濃に逃げるだろうと思っていた。まあ他の方面に逃げた場合の対策も、ちゃんと取っていたけどね。
要所要所に大弩砲と弓隊を配備して、面制圧射で殲滅(せんめつ)する準備は整えていた。
それでも討ち漏らした場合に備えて、足軽鉄砲隊による面制圧射撃とも準備していた。
それも運よく突破するかもしれないから、狙撃ポイントに鉄砲名人を伏せさせ、道三を待ち伏せさせている。
騎馬隊のような高機動を要求されない足軽鉄砲隊の名人は、ライフリングした狙撃用の狭間筒を、駄馬の背に乗せ運んでいた。
逃げようとした美濃勢を殲滅(せんめつ)し、稲葉山城砦群を手に入れた。
道三の一族一門も、全員逃げようとした者たちの中にいた。
家臣に加えるか迷っていた明智光秀も、逃げようとしていた者たちの中にいて、道三と一緒に死んでくれた。下手に家臣に加えて謀反されたら困るし、これも天命と考えて良しとしよう!
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-
341
-
841
-
-
6,205
-
3.1万
-
-
442
-
726
-
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71
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153
-
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49
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163
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1,861
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1,560
-
-
80
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281
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3,643
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9,420
-
-
985
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1,509
-
-
216
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516
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12
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6
-
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105
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364
-
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57
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89
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63
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43
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19
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1
-
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80
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138
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358
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1,672
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28
-
46
-
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3
-
1
-
-
201
-
161
-
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2,940
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7,460
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1.5万
-
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2,620
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23
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2
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2.3万
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179
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1,640
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37
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1.5万
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13
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