転生武田義信
第83話天文23年(1554年)16歳・信長勃興
天文23年(1554年)1月美濃稲葉山城下:義信視点
信長の辣腕(らつわん)は凄まじいものだった。
彼は願証寺の有力者に、まめに手紙を書き使者を送り、徐々に彼らの心証をよくしていった。一向宗を味方にすると決めた時点で、その対応は情愛に満ちきめ細やかなものだった。
一向宗が俺に奪われていた河内を全て取り返した時には、祝いの使者と祝いの品を送ると同時に、戦死戦傷した者への見舞いの使者と品も送らせていた。
その上で内密に約束をしたのだ。
信長が尾張の支配者となった暁には、河内の地を公的に自治独立の地と認め、対等の同盟を結ぶと言う誓約だ。
信長は一向宗と誓約する事で、ある程度は長島一向宗をコントロールできるように成った。一向宗の軍事力を取り込んだ信長は、かねてから共同で義信と戦おうと打診していた尾張衆に、強く出陣を催促した。
長島からの一向宗7万兵と共に、出陣せねば攻め滅ぼすぞと無言の圧力を掛けながら、織田信友の清州城に迫り、ついに織田信友を屈服させ軍の先陣に加えた。
織田信友に味方していた国衆と地侍の城砦を、一向宗の軍事力を背景に全て脅して廻り、俺との決戦に参陣させた。
織田信友勢を全て屈服させた後で、末森城に移動して次弟の信勝と、その家臣たちを屈服させて先陣に加えた。
その後で同じように、岩倉城の織田信安と周辺の国衆、犬山城の織田信清と周辺国衆を屈服させ、俺との決戦の先陣に加えた。
信長と一向宗の連合軍7万余は、圧倒的な力を示した。それは表面戦力だけでなく、尾張の国衆や地侍の領民の中にも一向宗がいると言う、影の圧力もあったようだ。
しかも降伏せよと言う要求ではなく、尾張に攻め込もうとする共通の敵である、俺に対する出陣要請であった。
実際には信長と一向宗の連合軍に屈服したのだが、自分たちのプライドを守り、配下の国衆や地侍はもちろん、領民への言い訳が必要だった。体裁を整えないと、今後の統治に悪影響が出てしまうのだ。
尾張古渡城での織田信長と一向宗の会見:第3者視点
「証恵殿、下間殿、御願いがあるのですが」
信長は伊勢・美濃・尾張の三州一向宗総大将の証恵と、石山本願寺の代弁者と言える下間に配慮して、常に同時に話を通すようにしていた。
「何でござろうか? 信長殿」
一向宗総大将の証恵が答える、下間は信長がいる前では、証恵を立てるように振る舞う。
「先陣を任せている尾張衆の督戦を、一向宗にお願いしたい」
「督戦でございますか?」
「はい、今回初めて参陣した尾張衆が、万が一義信に通じ、裏切ったり逃げ出した場合には、一向宗に攻め滅ぼしていただきたい」
「そのような恐れがあるのですか?」
「義信の軍は精強、特に鉄砲隊の破壊力は、先の越後、信濃、出羽の合戦で明白です。今回嫌々参陣した尾張衆は、寝返ったり敵前逃亡したりする恐れがあります」
「それを我ら一向宗が遣らねばならぬ理由は何ですか? 信長殿が遣られれば宜しかろう」
「私も彼らと同じ織田一門、裏切ったからと言って攻め滅ぼすは外聞が悪い。そんな事になれば、後の城受け取りと尾張統治に支障が出ます。証恵殿にやって頂ければ、尾張統一が早く進み、美濃の事も易々と行えましょう」
「信友殿、信勝殿、信安殿、信清殿が裏切ったり逃げ出した場合は、我ら一向宗が攻め滅ぼすのですな? その後は信長殿が尾張を代表して、我ら一向宗と同盟する。さらに斉藤殿よりよい条件で、美濃を代表して同盟すると言われるのですね」
「そうです、織田家は上洛を目指します。伊勢・近江へ出る心算です。証恵殿と下間殿は、義信によって一向宗が迫害されている、飛騨、信濃、甲斐へと向かわれては如何ですか?」
「御本山に御伺いをせねばなりませんが、尾張と美濃での布教を助けて頂き、美濃から越前、飛騨から越中に向かう事を認めて頂ければ、御本山も否(いな)やはないと思われます」
「それと下間殿、三河をどうされるのですか? 竹千代殿は今川義元に囚われたまま、一向宗を信じる松平家家臣団の方々も、心を痛めておられるのではありませんか?」
「三河ですか信長殿? 松平の御家来衆も、竹千代殿が囚われていては、何もできないのではありませんか?」
「城代として三河を我が物顔で支配している、今川の家臣を捕えて交渉する事もできるのではありませんか?」
「それこそ御本山に御伺いせねばなりません。ですが信長殿は、三河も気にかけておありなのですね?」
「一向宗の方々が、飛騨、信濃、甲斐に進まれて布教を開始された時に、今川義元がどうするかが気懸りなのです。松平家を一向宗で支えてあげれば、遠江と駿河への布教も進むのではありませんか?」
「左様ですな、遠江と駿河への布教を考えれば、松平家への支援は考える価値がございますな、早急に御本山に御伺いを立てましょう」
1月美濃長良川左岸:義信視点
俺の本軍は、織田と一向宗の反攻に対して、素早く伊木山城と鵜沼城などを放棄した。この行動は最初から決めっていた事で、大切な将兵を無駄死にさせるような事は、絶対にしない!
さらに敵が反攻してきて後退する場合には、長山城の守備兵と合流し、猿啄城も敵の大軍が現れれば撤退すさせ予定だ。
一方関城の守備隊には、津保川右岸に陣を構え、敵軍の渡河時の迎撃をするように指示してある。
滝川一益の騎馬鉄砲隊には、権現山の長山城を後方拠点として、清水山と長良川の間に陣を構えさせた。具体的には塹壕を掘り、出た土を藁俵に詰め土嚢とし、それを積み重ねて土塁としていた。
「掛かれ!」
反信長勢力で編成された、尾張の国衆地侍が先陣となり、遮二無二前進してきた。しかし土塁と塹壕に守られた、滝川一益指揮下の騎馬鉄砲隊は、馬を安全圏に繋いで徒歩で迎え撃った。
攻めかかって来る織田勢先陣が、自分たちから100mを切った時点で、1000騎4部隊に分かれて、順番に狙撃する様に射撃した。
滝川鉄砲隊の圧倒的な打撃力で、指揮すべき織田軍の上級武士から順に狙撃させた。
この攻撃を受けた織田軍先陣は、完膚なきまで打ちのめされ、一斉に後方に逃亡しようとした。
しかしここで一向宗の督戦隊が、織田勢先陣に攻撃を加えた。
盾と槍衾で壁を作り、織田軍先陣が後方へ逃げられないようにして、弓兵で織田軍先陣を射殺して行ったのだ。
山と川の隘路(あいろ)で、敵味方から挟撃された織田勢先陣は、絶望の内に壊滅した。ある将は自暴自棄になり、滝川部隊の方へ突撃した。またある将は、信長を呪う言葉を吐きながら切腹した。命を惜しむ雑兵は、わずかな光明を求めて、権現山や長良川に逃げ込んだ。
「進め!」
一向宗で編成された督戦隊は、織田勢先陣(反信長)が壊滅してから、その役割を変えた。盾の厚みを増して、徐々に滝川陣に近づいて来た。圧倒的な人数と盾による防御力で、滝川鉄砲隊を押し潰す役割となったのだ。
1月美濃長良川右岸:義信視点
「若殿、何とか間に合いましたな」
「しかし信長は凄いな、ここまで思い切った手を使うとは考えもしなかった」
「尾張内の敵を、若殿を使って殲滅(せんめつ)するとは、外道と言うべきか智者と言うべきか判断に苦しみます。それにしても、信長と一向宗の結びつきが心配です」
「そうだな、今後は美濃、尾張、伊勢、三河、加賀などの一向宗が、連動して敵対して来る事を考えなければいけないな飛影」
「鷹司卿、河内の一向宗への備えはあれでよかったのですか?」
「道為は8000の僧兵だけでは心配と申すのか? 心配はいらぬ、3万の一向宗が残っていると言うが、ほとんどは女子供だ。こちらから攻め込むのは難しいが、一向宗から攻め込んでくる心配は少ない。西美濃衆の渡河も一向宗の攻撃も、善狼に任せておけば大丈夫だ」
俺は揖斐城・相羽城・北方城などを拠点に、西美濃衆と一向宗の渡河反攻を防ぐ大将に狗賓善狼を任じ、引き続き僧兵8000を指揮させた。
そして急いで長良川右岸を駆け上がり、対岸で戦う一益たちの支援を行った。
竹を束ねた盾で身を守りつつ、一益たちに近づく一向宗に十文字大竹矢の雨を降らせたのだ。対陣中に山から竹を切り出し、増産に増産を重ねた十文字大竹矢を惜しむ事なく撃ち込んだ。
射程の問題で全敵軍を攻撃できないが、この攻撃で安全圏を確保した。その安全地帯に、対陣中に山から資材を切り出し加工まで終えていた、渡河用の橋を掛ける構えを見せた。
稲葉山城近くに橋を掛けられたくない織田と一向宗の連合軍は、一益たちへの攻撃を中止して、作り始めた橋を攻撃しだした。
連合軍は火矢を使って橋を焼こうとするものの、十文字大竹矢の攻撃を受けて、大損害を出して後退して行った。
それでも架橋後に大弩砲を対岸に運ばせないよう、十文字大竹矢の届かない位置で待ち構え、我らが渡河して背水の陣になったら、徹底的に叩く準備をしているようだ。
連合軍は滝川一益たちはもちろん、長山城からの奇襲に備えようと、部隊の入れ替えを急いでいるようだった。
だが滝川一益は、連合軍が部隊移動で混乱し、備えが不十分になった所を見逃さなかった。
2000騎を陣に残して、100騎の20個部隊に騎馬鉄砲隊を分け、迂回渡河させたのだ。そして臨機応変に射撃と撤退装填を繰り返して、連合軍を翻弄(ほんろう)した。
俺たちも急いで盾隊・槍隊・弓隊の順で渡河させ、急ぎ長良川左岸に橋頭保(きょうとうほ)を確保した。その上で大弩砲を対岸に運び込み、騎馬鉄砲隊の移動も終え、連合軍を追撃する態勢を整えた。
1月美濃長良川左岸の織田一向宗連合軍の陣:第3者視点
「下間殿! 清水山と権現山の隘路(あいろ)まで引かれよ、すでに陣を構え柵を設けておる、ここで義信を迎え討つ」
「あい分かった!」
「雨に濡れぬように、屋根を設けた塀を作り鉄砲隊を置かれよ。大竹矢に備えて、清水山と権現山に砦を作られよ。木々を利用して、大竹矢の勢いを殺されよ。我は今の内に尾張を手に入れる」
「あい分かったが、約束に違いはないな?」
「下間殿たちがここで義信たちを防がねば、尾張は一気に義信に蹂躙(じゅうりん)される。先陣で討ち死にした者たちの城砦を、今確実の手に入れておかねば、城に残った者たちが義信に降伏するかもしれん」
「それもそうだな、ここは任せて尾張に向かわれよ」
「頼む!」
信長は、自分の手勢を纏めて尾張に戻っていった。
討ち死にした信友・信勝・信安・信清と、その味方衆の城砦を全て接収する心算だった。
もはや信長に正面から敵対できる戦力を持たない城砦がほとんどだが、唯一心配なのが斯波義達と義統親子だった。
斯波家は正当な尾張守護であり、今回の出陣も無理強いできなかった。
彼らに反信長勢の全滅を知られたら、残った者たちを統合すべく動いたり、逆に攻め落として支配下に置く様に動くかもしれない。
せっかく反信長勢を全滅させたのに、その成果を斯波家などに、掠め取られるわけにはいかなかったのだ。
1月美濃長良川左岸の鷹司陣:義信視点
「一益、よくやってくれた、褒めてつかわす!」
「有り難き幸せでございます」
「これからも軍を率いて我を助けよ!」
「不肖不才の身ではありますが、一軍の将に取り立てて下さった若殿の恩に報いるため、身命を投げ打って御仕えいたします!」
「頼もしく思っておるぞ!」
俺はこれからの騎馬部隊の運営育成を考え、実績を示した滝川一益に4000騎を預け、美濃尾張方面に常駐させることにした。
信長の辣腕(らつわん)は凄まじいものだった。
彼は願証寺の有力者に、まめに手紙を書き使者を送り、徐々に彼らの心証をよくしていった。一向宗を味方にすると決めた時点で、その対応は情愛に満ちきめ細やかなものだった。
一向宗が俺に奪われていた河内を全て取り返した時には、祝いの使者と祝いの品を送ると同時に、戦死戦傷した者への見舞いの使者と品も送らせていた。
その上で内密に約束をしたのだ。
信長が尾張の支配者となった暁には、河内の地を公的に自治独立の地と認め、対等の同盟を結ぶと言う誓約だ。
信長は一向宗と誓約する事で、ある程度は長島一向宗をコントロールできるように成った。一向宗の軍事力を取り込んだ信長は、かねてから共同で義信と戦おうと打診していた尾張衆に、強く出陣を催促した。
長島からの一向宗7万兵と共に、出陣せねば攻め滅ぼすぞと無言の圧力を掛けながら、織田信友の清州城に迫り、ついに織田信友を屈服させ軍の先陣に加えた。
織田信友に味方していた国衆と地侍の城砦を、一向宗の軍事力を背景に全て脅して廻り、俺との決戦に参陣させた。
織田信友勢を全て屈服させた後で、末森城に移動して次弟の信勝と、その家臣たちを屈服させて先陣に加えた。
その後で同じように、岩倉城の織田信安と周辺の国衆、犬山城の織田信清と周辺国衆を屈服させ、俺との決戦の先陣に加えた。
信長と一向宗の連合軍7万余は、圧倒的な力を示した。それは表面戦力だけでなく、尾張の国衆や地侍の領民の中にも一向宗がいると言う、影の圧力もあったようだ。
しかも降伏せよと言う要求ではなく、尾張に攻め込もうとする共通の敵である、俺に対する出陣要請であった。
実際には信長と一向宗の連合軍に屈服したのだが、自分たちのプライドを守り、配下の国衆や地侍はもちろん、領民への言い訳が必要だった。体裁を整えないと、今後の統治に悪影響が出てしまうのだ。
尾張古渡城での織田信長と一向宗の会見:第3者視点
「証恵殿、下間殿、御願いがあるのですが」
信長は伊勢・美濃・尾張の三州一向宗総大将の証恵と、石山本願寺の代弁者と言える下間に配慮して、常に同時に話を通すようにしていた。
「何でござろうか? 信長殿」
一向宗総大将の証恵が答える、下間は信長がいる前では、証恵を立てるように振る舞う。
「先陣を任せている尾張衆の督戦を、一向宗にお願いしたい」
「督戦でございますか?」
「はい、今回初めて参陣した尾張衆が、万が一義信に通じ、裏切ったり逃げ出した場合には、一向宗に攻め滅ぼしていただきたい」
「そのような恐れがあるのですか?」
「義信の軍は精強、特に鉄砲隊の破壊力は、先の越後、信濃、出羽の合戦で明白です。今回嫌々参陣した尾張衆は、寝返ったり敵前逃亡したりする恐れがあります」
「それを我ら一向宗が遣らねばならぬ理由は何ですか? 信長殿が遣られれば宜しかろう」
「私も彼らと同じ織田一門、裏切ったからと言って攻め滅ぼすは外聞が悪い。そんな事になれば、後の城受け取りと尾張統治に支障が出ます。証恵殿にやって頂ければ、尾張統一が早く進み、美濃の事も易々と行えましょう」
「信友殿、信勝殿、信安殿、信清殿が裏切ったり逃げ出した場合は、我ら一向宗が攻め滅ぼすのですな? その後は信長殿が尾張を代表して、我ら一向宗と同盟する。さらに斉藤殿よりよい条件で、美濃を代表して同盟すると言われるのですね」
「そうです、織田家は上洛を目指します。伊勢・近江へ出る心算です。証恵殿と下間殿は、義信によって一向宗が迫害されている、飛騨、信濃、甲斐へと向かわれては如何ですか?」
「御本山に御伺いをせねばなりませんが、尾張と美濃での布教を助けて頂き、美濃から越前、飛騨から越中に向かう事を認めて頂ければ、御本山も否(いな)やはないと思われます」
「それと下間殿、三河をどうされるのですか? 竹千代殿は今川義元に囚われたまま、一向宗を信じる松平家家臣団の方々も、心を痛めておられるのではありませんか?」
「三河ですか信長殿? 松平の御家来衆も、竹千代殿が囚われていては、何もできないのではありませんか?」
「城代として三河を我が物顔で支配している、今川の家臣を捕えて交渉する事もできるのではありませんか?」
「それこそ御本山に御伺いせねばなりません。ですが信長殿は、三河も気にかけておありなのですね?」
「一向宗の方々が、飛騨、信濃、甲斐に進まれて布教を開始された時に、今川義元がどうするかが気懸りなのです。松平家を一向宗で支えてあげれば、遠江と駿河への布教も進むのではありませんか?」
「左様ですな、遠江と駿河への布教を考えれば、松平家への支援は考える価値がございますな、早急に御本山に御伺いを立てましょう」
1月美濃長良川左岸:義信視点
俺の本軍は、織田と一向宗の反攻に対して、素早く伊木山城と鵜沼城などを放棄した。この行動は最初から決めっていた事で、大切な将兵を無駄死にさせるような事は、絶対にしない!
さらに敵が反攻してきて後退する場合には、長山城の守備兵と合流し、猿啄城も敵の大軍が現れれば撤退すさせ予定だ。
一方関城の守備隊には、津保川右岸に陣を構え、敵軍の渡河時の迎撃をするように指示してある。
滝川一益の騎馬鉄砲隊には、権現山の長山城を後方拠点として、清水山と長良川の間に陣を構えさせた。具体的には塹壕を掘り、出た土を藁俵に詰め土嚢とし、それを積み重ねて土塁としていた。
「掛かれ!」
反信長勢力で編成された、尾張の国衆地侍が先陣となり、遮二無二前進してきた。しかし土塁と塹壕に守られた、滝川一益指揮下の騎馬鉄砲隊は、馬を安全圏に繋いで徒歩で迎え撃った。
攻めかかって来る織田勢先陣が、自分たちから100mを切った時点で、1000騎4部隊に分かれて、順番に狙撃する様に射撃した。
滝川鉄砲隊の圧倒的な打撃力で、指揮すべき織田軍の上級武士から順に狙撃させた。
この攻撃を受けた織田軍先陣は、完膚なきまで打ちのめされ、一斉に後方に逃亡しようとした。
しかしここで一向宗の督戦隊が、織田勢先陣に攻撃を加えた。
盾と槍衾で壁を作り、織田軍先陣が後方へ逃げられないようにして、弓兵で織田軍先陣を射殺して行ったのだ。
山と川の隘路(あいろ)で、敵味方から挟撃された織田勢先陣は、絶望の内に壊滅した。ある将は自暴自棄になり、滝川部隊の方へ突撃した。またある将は、信長を呪う言葉を吐きながら切腹した。命を惜しむ雑兵は、わずかな光明を求めて、権現山や長良川に逃げ込んだ。
「進め!」
一向宗で編成された督戦隊は、織田勢先陣(反信長)が壊滅してから、その役割を変えた。盾の厚みを増して、徐々に滝川陣に近づいて来た。圧倒的な人数と盾による防御力で、滝川鉄砲隊を押し潰す役割となったのだ。
1月美濃長良川右岸:義信視点
「若殿、何とか間に合いましたな」
「しかし信長は凄いな、ここまで思い切った手を使うとは考えもしなかった」
「尾張内の敵を、若殿を使って殲滅(せんめつ)するとは、外道と言うべきか智者と言うべきか判断に苦しみます。それにしても、信長と一向宗の結びつきが心配です」
「そうだな、今後は美濃、尾張、伊勢、三河、加賀などの一向宗が、連動して敵対して来る事を考えなければいけないな飛影」
「鷹司卿、河内の一向宗への備えはあれでよかったのですか?」
「道為は8000の僧兵だけでは心配と申すのか? 心配はいらぬ、3万の一向宗が残っていると言うが、ほとんどは女子供だ。こちらから攻め込むのは難しいが、一向宗から攻め込んでくる心配は少ない。西美濃衆の渡河も一向宗の攻撃も、善狼に任せておけば大丈夫だ」
俺は揖斐城・相羽城・北方城などを拠点に、西美濃衆と一向宗の渡河反攻を防ぐ大将に狗賓善狼を任じ、引き続き僧兵8000を指揮させた。
そして急いで長良川右岸を駆け上がり、対岸で戦う一益たちの支援を行った。
竹を束ねた盾で身を守りつつ、一益たちに近づく一向宗に十文字大竹矢の雨を降らせたのだ。対陣中に山から竹を切り出し、増産に増産を重ねた十文字大竹矢を惜しむ事なく撃ち込んだ。
射程の問題で全敵軍を攻撃できないが、この攻撃で安全圏を確保した。その安全地帯に、対陣中に山から資材を切り出し加工まで終えていた、渡河用の橋を掛ける構えを見せた。
稲葉山城近くに橋を掛けられたくない織田と一向宗の連合軍は、一益たちへの攻撃を中止して、作り始めた橋を攻撃しだした。
連合軍は火矢を使って橋を焼こうとするものの、十文字大竹矢の攻撃を受けて、大損害を出して後退して行った。
それでも架橋後に大弩砲を対岸に運ばせないよう、十文字大竹矢の届かない位置で待ち構え、我らが渡河して背水の陣になったら、徹底的に叩く準備をしているようだ。
連合軍は滝川一益たちはもちろん、長山城からの奇襲に備えようと、部隊の入れ替えを急いでいるようだった。
だが滝川一益は、連合軍が部隊移動で混乱し、備えが不十分になった所を見逃さなかった。
2000騎を陣に残して、100騎の20個部隊に騎馬鉄砲隊を分け、迂回渡河させたのだ。そして臨機応変に射撃と撤退装填を繰り返して、連合軍を翻弄(ほんろう)した。
俺たちも急いで盾隊・槍隊・弓隊の順で渡河させ、急ぎ長良川左岸に橋頭保(きょうとうほ)を確保した。その上で大弩砲を対岸に運び込み、騎馬鉄砲隊の移動も終え、連合軍を追撃する態勢を整えた。
1月美濃長良川左岸の織田一向宗連合軍の陣:第3者視点
「下間殿! 清水山と権現山の隘路(あいろ)まで引かれよ、すでに陣を構え柵を設けておる、ここで義信を迎え討つ」
「あい分かった!」
「雨に濡れぬように、屋根を設けた塀を作り鉄砲隊を置かれよ。大竹矢に備えて、清水山と権現山に砦を作られよ。木々を利用して、大竹矢の勢いを殺されよ。我は今の内に尾張を手に入れる」
「あい分かったが、約束に違いはないな?」
「下間殿たちがここで義信たちを防がねば、尾張は一気に義信に蹂躙(じゅうりん)される。先陣で討ち死にした者たちの城砦を、今確実の手に入れておかねば、城に残った者たちが義信に降伏するかもしれん」
「それもそうだな、ここは任せて尾張に向かわれよ」
「頼む!」
信長は、自分の手勢を纏めて尾張に戻っていった。
討ち死にした信友・信勝・信安・信清と、その味方衆の城砦を全て接収する心算だった。
もはや信長に正面から敵対できる戦力を持たない城砦がほとんどだが、唯一心配なのが斯波義達と義統親子だった。
斯波家は正当な尾張守護であり、今回の出陣も無理強いできなかった。
彼らに反信長勢の全滅を知られたら、残った者たちを統合すべく動いたり、逆に攻め落として支配下に置く様に動くかもしれない。
せっかく反信長勢を全滅させたのに、その成果を斯波家などに、掠め取られるわけにはいかなかったのだ。
1月美濃長良川左岸の鷹司陣:義信視点
「一益、よくやってくれた、褒めてつかわす!」
「有り難き幸せでございます」
「これからも軍を率いて我を助けよ!」
「不肖不才の身ではありますが、一軍の将に取り立てて下さった若殿の恩に報いるため、身命を投げ打って御仕えいたします!」
「頼もしく思っておるぞ!」
俺はこれからの騎馬部隊の運営育成を考え、実績を示した滝川一益に4000騎を預け、美濃尾張方面に常駐させることにした。
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