転生武田義信
第82話長島一向宗・年末棚卸
12月美濃河内の上流輪中:第3者視点
居住区の一部を奪われた、長島一向宗の反撃は激烈を極めた。
河内の輪中(わじゅう)は自治自営地域であったため、民といえども、住民全員が足軽並みの武具を装備していた。上級階層に属する一向宗は、もはや武士と変わらぬいでたちだ。
一向宗の反撃を迎え討つ鷹司軍美濃衆の中には、わずかながらも鉄砲を持っている国衆もいた。
普段は国衆単位で部隊を編制して戦うのだが、今回は鉄砲と弓に関しては、近衛府としで集中運用を指示されていた。
鷹司軍は、輪中を水害から守るために築かれた、堤防兼用土塁の上に柵や木塀を設置し、射程距離に達した一向宗に、面制圧弓射を喰らわせた。
弓矢を掻い潜り近づく敵には、柵や木塀を挟んで長柄で叩いたり、槍衾で防いだ。
さらに投石に優れた者で投石隊を編制し、数に限りがある矢を節約するため、投石による迎撃も戦術に加えた。
12月美濃長良川左岸:織田信長視点
一向宗の離脱で逆撃は厳しくなったが、義信軍の兵力を分断する事には成功した、これで舅殿(しゅうとどの)も一息ついただろう。
義信も慎重な性格のようで、無理な渡河攻勢はかけてこないし、春までに川沿いに柵と土塁を築けば、少なくとも現状維持ができる。
だが今の兵数では、義信が味方の損害を恐れず、1点に我攻めを仕掛けた場合、渡河されてしまう可能性がある。
それを防ぐには、離脱した一向宗の半数には、こちらに戻ってもらわないとならぬ。願証寺の証恵殿で話がつかなければ、石山本願寺の証如殿と、直接交渉せねばならん。
舅殿が力を失えば、信勝などの家中の者が謀反(むほん)に動くだろう。
だからと言って、このまま美濃に我が手勢を取られるのも問題が多い。長期間本拠地を離れていると、織田信安はもちろん、織田信清や織田信友も我が居城を攻めてくるかもしれん。
「政秀!」
「は!」
「義信が打ち込みおった竹と同じ物を、職人に作らせよ!」
「あの大きな竹で出来た矢でございますな、あれは現物がございますから作れましょうが、飛ばすための仕掛けがわかりませんが?」
「一向宗に奪わせよ!」
「一向宗は河内を守るために戻っておりますが? それにそのような危険で益のない話を、あの強欲な一向宗は聞き入れますでしょうか?」
「あれを放置すれば河内を失う事になるから、奪い取り共に同じものを作り備えようと伝え。それと同時に、弓師に大きな弓を作らせてみよ」
「承りました」
しかし何故義信は、信勝や信安・信清・信友と手を組まない?
あやつらと手を組めば、勝てる見込みが高くなるだろうに?
義信は、あんなやつらと組まなくとも勝てると思っているのか?
まだ何か新しい武器や軍略を、隠し持っているのか?
それもあるかもしれないが、尾張の国衆と手を組まないのは、尾張を完全に直轄化するためだろう。尾張一国を蔵入り地にできれば、義信の力はさらに増すだろう。
美濃の国衆の中には、城地を安堵された者もいる。だがこれは、土岐家に叔父を嗣養子に送り込んだから、叔父に力を待たせ過ぎない意味もあるだろう。
義信の奴は、今から天下を統一してからの事を考えているのか?
馬鹿にしてやがる、そう易々と尾張美濃を取られてたまるか!
舅殿に我を美濃の後継者に指名させて、尾張と美濃を手に入れ、天下に打って出るのは我だ!
「成経! 馬鹿どもに、義信が織田家一門の根切りを狙っておると伝えてこい」
佐々成経:織田弾正忠家家老
12月美濃稲葉山城:斎藤道三視点
「光安、細川と六角は動きそうか?」
「確かな言質は与えませんでしたが、国境に兵を集める準備はしておるようでございます」
「細川と六角は、美濃に入った後で居座る可能性はあるか?」
「細川は義信からの銭が止まり、蔵入り地を欲しがっております。西美濃衆を追い出し、美濃に居座る可能性が高いと思われます。ですが六角は、西美濃衆に城地の安堵を約束して、味方に引き込もうとするでしょう」
「西美濃に六角が入れば、西美濃衆が離反する恐れがあるが、細川なら合戦になるというのだな」
「はい」
こちらとしては、細川が西美濃に入った方が有利だ。西美濃衆の離反も防げるし、義信の圧力を減らせる。
だが細川も強かだ、先の反鷹司包囲網でも将軍家に御内書を出させて、自分は御教書を出さなかった。
事が失敗しても、義信に言い訳できるようにしていた。だが今回の動きを見れば分かるが、義信が細川を許す事はないだろう。
しかし細川の今までのやり方を見れば、和議の可能性を残すために、美濃に入って直接義信と争うのは嫌うだろう。
六角はどうする?
六角軍を美濃に入れる事なく、西美濃衆に城地安堵の条件をだして、六角家の取り込むか?
西美濃を支配下に置いた上で、義信に同盟を申し込み、共に我を攻撃して来るか?
六角から同盟を申し込まれた場合、義信はそれを受けるか?
先代の六角定頼なら、美濃に攻め込み西美濃衆を配下に加えたうえで、儂と組んで義信を叩いただろうが、当代の六角義賢は動きが遅い。
奴なら観音寺に残ったまま、西美濃衆を調略しようとするだろう、ならばまだ打つ手はある。
頼芸の大桑城と揖斐城を、一向宗にくれてやろう。自力で城を落とすことを条件にすれば、強欲な一向宗なら、いく万の信徒を犠牲にしようとも、城を落とすことだろう。
だがそれだけでは、少々こちらに分が悪すぎるな。大竹矢を打ち出す仕掛けを、義信から奪って我に渡すことも条件に加えよう。
大桑城と揖斐城だけでは、強欲な一向宗が受け入れないかもしれん。そうだ、苗木城と周辺の城砦領地を暮れてやろう。あそこを一向宗に与えれば、再度義信が美濃に攻め込んできた場合、最初に一向宗と戦う事になるだろう。
そうだな、それなら大桑城と揖斐城を一向宗に与えるのは惜しい。与える城は、飛騨・木曽・信濃との国境の城にしよう。平野部の城を一向宗に渡すと、後々義龍が困ることになるな。
信長もよく来てくれたな、早く孫を儲けて欲しいものよ。そうなれば隙を見て殺して、弾正忠家を手に入れられる。
信長が尾張を統一してから、弾正忠家を乗っ取る心算だったが、今のままでは信長に尾張統一は無理だな。
取りあえず今は、我のために信長には精々働いてもらわねばならん。命懸けで働いてくれるのなら、将来は美濃を譲り渡すと持ち上げておくに限る。
12月河内願証寺:第3者視点
「下間殿、どう思われるか?」
「証恵殿、御本山に相談せねばなりませんが、何時でも動けるように準備だけはしておきましょう」
「だがな下間殿、城を寺地に譲ると言っておるが、そもそも義信に奪われておる城ではないか。しかも我らが奪った城の大半は、斉藤に譲らねばならん。あの大竹を打ち出す仕掛けも差し出せとは、勝手すぎるではないか?」
「まあまあ証恵殿、御本山におられる御門跡様の御判断次第ではありますが、道三殿は美濃国内での布教を支援すると約束しております。それに我らも、奪った城を約束通り易々と返すこともございますまい。その時の状況次第で、居座るも渡すもこちら次第でございます」
「なるほど、独自で城を奪って居座り、さらに良い条件を引き出すのですな」
「もっと強く伊勢、尾張、美濃の宗徒に参加を呼びかけましょう。特に六角家の影響下にある北伊勢からは、地侍にも参加してもらわないといけませんな」
「では北勢四十八家(実際は全部で53の家系だそうです)に参加を呼びかけましょう。北勢衆が奪った城は、彼らに守らせればいいでしょう。斉藤殿が返せと申しても、北勢衆ならそう易々とは返しますまい」
「そうですな、梅戸殿の様に六角と縁続きの家には、斉藤殿も強くは出れますまい。間を我ら一向宗が取り持てば、約束より多くの城を寺地に譲りましょう。北勢衆の多くは信心深いので、彼らが美濃に根を張ってくれるのは、我らにとって好都合です」
12月美濃河内の上流輪中:第3者視点
一向宗10万は、損害を恐れず攻めかかって来た。
奪われた河内の地を取り返すべく、遮二無二(しゃにむに)攻めかかって来た。
満潮に時間に合わせて小舟で木曽三川を遡ったり、揖斐川右岸から5万の宗徒を上流に進撃する動きを見せ、鷹司軍の退路を断つ動きすらした。
それに対して義信は、騎馬鉄砲隊を素早く派遣し、何時でも渡河時に迎撃できるようにした。
一向宗の反撃に連動するように、西美濃衆が動いた。今までは直ぐに籠城に移れるように、守備的対応をしていたが、一向宗と合流して義信軍の本軍を突くために、渡河する姿勢を見せた。
木曽三川の中州群での戦闘は熾烈を極め、双方に数多くの死傷者がでた。大量の重軽傷者は、義信軍本軍に運ばれていった。
「重継殿、我ら僧兵が殿を務めますから陣払いされよ」
「いやそうはいかん、先陣を賜ったにも拘らず、一寸の城地を得ることなく逃げ帰るなどできん!」
「若殿の御言葉を忘れられたのか! 敵の勢いが強ければ本軍に誘き寄せ、包囲殲滅する策であったではないか。それにこれ以上美濃衆だけに被害を出すことを、若殿が御許しになると思われるのか?」
「う! それは・・・・・」
「とにかく今は下がられよ、若殿の御名に傷がついてしまう!」
「申し訳ない、後は頼む」
「任されよ!」
12月美濃の義信本陣:義信視点
「水を持て!」
俺は負傷した美濃衆の処置にとりかかった。
「痛いが我慢せい!」
この者の傷はすでに化膿していた、このままでは命の危険がある、激痛を伴うがデブリードマンをせねばならない!
煮沸(しゃふつ)消毒した鋏(はさみ)と藁たわしに糸瓜(へちま)たわしで、傷口の壊死部分をこそぎ落とした。
藁たわしは馬用に大量に持ち込んでいたし、糸瓜たわしは俺も含めた上級武士が、それぞれ自分用に持ち込んでいた。
今回の泥臭い叩き合いの戦闘で、この時代の医療の低さを改めて思い知った。今までは銭の調略で大半に戦を勝ち、合戦になっても遠距離攻撃で圧勝してきた。
だが今回の中州での戦闘は、泥まみれの組討ちが行われた。そのため身体中の傷に、不潔な泥が入り込んでしまった。
抗生物質などないこの時代に、この状態は致命的だった!
前世では、子供の頃に祖母から、破傷風を注意されていた事を思い出した。そこで清潔な水で、傷口を洗い流そうとしたのだが、煮沸洗浄した水を大量に用意する事は不可能だった。
仕方なく川の水で丁寧に傷口の泥を洗い流し、すでに傷口が化膿壊死している場合は、激痛を我慢させて、感染・壊死組織を除去し傷口を清浄化するデブリードマンを行ったのだ。
最後に高濃度麦焼酎で傷口を消毒して、できる限りの処置をとることにした。そしてその全てを、近習衆と近衛武士団に、実戦現場で学ばせた。
もはや値崩れを恐れて、焼酎を生産調整している場合じゃない、品質が落ちてでも、大量の医療用アルコールを生産しなくてはいけない!
実際に被害を受けるまで、この事を思い浮かべることができないとは、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす!
12月年末棚卸
古くから俺の配下にあった信濃衆などが、近衛武士団と統合してほしいと言い出した。まあ確かに国衆武士団より、近衛府の武士団のほうが名乗りがいい。錬度にも問題がないので、統合することにした。
それと元難民から、続々と将兵が現れてきた、お陰で安心信頼できる部隊を多数新設できる。
「義信直轄領」
甲斐水田 :1100町(1万1000反)
甲斐畑 : 700町(7000反)
信濃伊那郡:11万石
信濃諏訪郡: 3万石
信濃木曽郡: 2万石
筑摩郡 : 4万石
水内郡 : 5万石
埴科郡 : 2万石
安曇郡 : 2万石
高井郡 : 2万石
飛騨 : 3万石
合計 :35万石以上
「影響下にある国」
美濃:27万石
加賀: 5万石
佐渡: 1万石(鉱山開発最優先)
越中:35万石
越後:35万石(反抗的・独立心旺盛な国衆多し)
出羽:30万石(反抗的・独立心旺盛な国衆多し)
陸奥: 山之内一族・浪岡一族
「取れ高」
玄米:32万5000石
雑穀:65万0000石
「備蓄兵糧」
玄米: 70万石
麦 :135万石
「焼酎生産力」
杜氏44人
杜氏1人当たり3石甕1000個前後
44×3×1000=13万2000石
13・2万石×(1合卸値18文)=237・6万貫文分
「武田海軍の艦船」
戦闘ジャンク船:108艦
交易ジャンク船:108船
小早船 : 80船
関船 : 16船
「武具甲冑」
鉄砲 :1万2315丁
三間槍 :3万4000本
三間薙刀:1万4000本
弓 :2万6000張
弩 :3万9000器
打刀 :5万2000振
太刀 :1万9000振
足軽具足:6万1000個
大型弩砲 :1100基
移動大型弩砲: 600其
「近衛府兵力」
近衛足軽鉄砲隊: 2000兵
近衛足軽弓隊 : 7000兵
近衛足軽槍隊 :1万9000兵
近衛武士団 :1万8000兵
近衛騎馬鉄砲隊:1万0000騎
近衛黒鍬輜重兵:1万1000兵
「牛馬」
繁殖牝馬:1883頭
訓練育成中の軍馬
0歳馬:1802頭
1歳馬:1723頭
2歳馬:1473頭
3歳馬:1367頭
4歳馬:1209頭
5歳馬:1184頭
繁殖牝牛:1425頭
育成中の牛
0歳牛:1401頭
1歳牛:1331頭
2歳牛:1028頭
3歳牛: 852頭
4歳牛: 697頭
5歳牛: 636頭
合戦・牛馬・武具・米麦・恩賞・裏工作費用など歳出
253万貫文
「軍資金」
使用不能な武田貨幣
金銀銅貨合計
1億1000万貫文(10文黄銅貨が特に使えない・半分は信玄保有)
使用可能な精銭・永楽銭
202万貫文
居住区の一部を奪われた、長島一向宗の反撃は激烈を極めた。
河内の輪中(わじゅう)は自治自営地域であったため、民といえども、住民全員が足軽並みの武具を装備していた。上級階層に属する一向宗は、もはや武士と変わらぬいでたちだ。
一向宗の反撃を迎え討つ鷹司軍美濃衆の中には、わずかながらも鉄砲を持っている国衆もいた。
普段は国衆単位で部隊を編制して戦うのだが、今回は鉄砲と弓に関しては、近衛府としで集中運用を指示されていた。
鷹司軍は、輪中を水害から守るために築かれた、堤防兼用土塁の上に柵や木塀を設置し、射程距離に達した一向宗に、面制圧弓射を喰らわせた。
弓矢を掻い潜り近づく敵には、柵や木塀を挟んで長柄で叩いたり、槍衾で防いだ。
さらに投石に優れた者で投石隊を編制し、数に限りがある矢を節約するため、投石による迎撃も戦術に加えた。
12月美濃長良川左岸:織田信長視点
一向宗の離脱で逆撃は厳しくなったが、義信軍の兵力を分断する事には成功した、これで舅殿(しゅうとどの)も一息ついただろう。
義信も慎重な性格のようで、無理な渡河攻勢はかけてこないし、春までに川沿いに柵と土塁を築けば、少なくとも現状維持ができる。
だが今の兵数では、義信が味方の損害を恐れず、1点に我攻めを仕掛けた場合、渡河されてしまう可能性がある。
それを防ぐには、離脱した一向宗の半数には、こちらに戻ってもらわないとならぬ。願証寺の証恵殿で話がつかなければ、石山本願寺の証如殿と、直接交渉せねばならん。
舅殿が力を失えば、信勝などの家中の者が謀反(むほん)に動くだろう。
だからと言って、このまま美濃に我が手勢を取られるのも問題が多い。長期間本拠地を離れていると、織田信安はもちろん、織田信清や織田信友も我が居城を攻めてくるかもしれん。
「政秀!」
「は!」
「義信が打ち込みおった竹と同じ物を、職人に作らせよ!」
「あの大きな竹で出来た矢でございますな、あれは現物がございますから作れましょうが、飛ばすための仕掛けがわかりませんが?」
「一向宗に奪わせよ!」
「一向宗は河内を守るために戻っておりますが? それにそのような危険で益のない話を、あの強欲な一向宗は聞き入れますでしょうか?」
「あれを放置すれば河内を失う事になるから、奪い取り共に同じものを作り備えようと伝え。それと同時に、弓師に大きな弓を作らせてみよ」
「承りました」
しかし何故義信は、信勝や信安・信清・信友と手を組まない?
あやつらと手を組めば、勝てる見込みが高くなるだろうに?
義信は、あんなやつらと組まなくとも勝てると思っているのか?
まだ何か新しい武器や軍略を、隠し持っているのか?
それもあるかもしれないが、尾張の国衆と手を組まないのは、尾張を完全に直轄化するためだろう。尾張一国を蔵入り地にできれば、義信の力はさらに増すだろう。
美濃の国衆の中には、城地を安堵された者もいる。だがこれは、土岐家に叔父を嗣養子に送り込んだから、叔父に力を待たせ過ぎない意味もあるだろう。
義信の奴は、今から天下を統一してからの事を考えているのか?
馬鹿にしてやがる、そう易々と尾張美濃を取られてたまるか!
舅殿に我を美濃の後継者に指名させて、尾張と美濃を手に入れ、天下に打って出るのは我だ!
「成経! 馬鹿どもに、義信が織田家一門の根切りを狙っておると伝えてこい」
佐々成経:織田弾正忠家家老
12月美濃稲葉山城:斎藤道三視点
「光安、細川と六角は動きそうか?」
「確かな言質は与えませんでしたが、国境に兵を集める準備はしておるようでございます」
「細川と六角は、美濃に入った後で居座る可能性はあるか?」
「細川は義信からの銭が止まり、蔵入り地を欲しがっております。西美濃衆を追い出し、美濃に居座る可能性が高いと思われます。ですが六角は、西美濃衆に城地の安堵を約束して、味方に引き込もうとするでしょう」
「西美濃に六角が入れば、西美濃衆が離反する恐れがあるが、細川なら合戦になるというのだな」
「はい」
こちらとしては、細川が西美濃に入った方が有利だ。西美濃衆の離反も防げるし、義信の圧力を減らせる。
だが細川も強かだ、先の反鷹司包囲網でも将軍家に御内書を出させて、自分は御教書を出さなかった。
事が失敗しても、義信に言い訳できるようにしていた。だが今回の動きを見れば分かるが、義信が細川を許す事はないだろう。
しかし細川の今までのやり方を見れば、和議の可能性を残すために、美濃に入って直接義信と争うのは嫌うだろう。
六角はどうする?
六角軍を美濃に入れる事なく、西美濃衆に城地安堵の条件をだして、六角家の取り込むか?
西美濃を支配下に置いた上で、義信に同盟を申し込み、共に我を攻撃して来るか?
六角から同盟を申し込まれた場合、義信はそれを受けるか?
先代の六角定頼なら、美濃に攻め込み西美濃衆を配下に加えたうえで、儂と組んで義信を叩いただろうが、当代の六角義賢は動きが遅い。
奴なら観音寺に残ったまま、西美濃衆を調略しようとするだろう、ならばまだ打つ手はある。
頼芸の大桑城と揖斐城を、一向宗にくれてやろう。自力で城を落とすことを条件にすれば、強欲な一向宗なら、いく万の信徒を犠牲にしようとも、城を落とすことだろう。
だがそれだけでは、少々こちらに分が悪すぎるな。大竹矢を打ち出す仕掛けを、義信から奪って我に渡すことも条件に加えよう。
大桑城と揖斐城だけでは、強欲な一向宗が受け入れないかもしれん。そうだ、苗木城と周辺の城砦領地を暮れてやろう。あそこを一向宗に与えれば、再度義信が美濃に攻め込んできた場合、最初に一向宗と戦う事になるだろう。
そうだな、それなら大桑城と揖斐城を一向宗に与えるのは惜しい。与える城は、飛騨・木曽・信濃との国境の城にしよう。平野部の城を一向宗に渡すと、後々義龍が困ることになるな。
信長もよく来てくれたな、早く孫を儲けて欲しいものよ。そうなれば隙を見て殺して、弾正忠家を手に入れられる。
信長が尾張を統一してから、弾正忠家を乗っ取る心算だったが、今のままでは信長に尾張統一は無理だな。
取りあえず今は、我のために信長には精々働いてもらわねばならん。命懸けで働いてくれるのなら、将来は美濃を譲り渡すと持ち上げておくに限る。
12月河内願証寺:第3者視点
「下間殿、どう思われるか?」
「証恵殿、御本山に相談せねばなりませんが、何時でも動けるように準備だけはしておきましょう」
「だがな下間殿、城を寺地に譲ると言っておるが、そもそも義信に奪われておる城ではないか。しかも我らが奪った城の大半は、斉藤に譲らねばならん。あの大竹を打ち出す仕掛けも差し出せとは、勝手すぎるではないか?」
「まあまあ証恵殿、御本山におられる御門跡様の御判断次第ではありますが、道三殿は美濃国内での布教を支援すると約束しております。それに我らも、奪った城を約束通り易々と返すこともございますまい。その時の状況次第で、居座るも渡すもこちら次第でございます」
「なるほど、独自で城を奪って居座り、さらに良い条件を引き出すのですな」
「もっと強く伊勢、尾張、美濃の宗徒に参加を呼びかけましょう。特に六角家の影響下にある北伊勢からは、地侍にも参加してもらわないといけませんな」
「では北勢四十八家(実際は全部で53の家系だそうです)に参加を呼びかけましょう。北勢衆が奪った城は、彼らに守らせればいいでしょう。斉藤殿が返せと申しても、北勢衆ならそう易々とは返しますまい」
「そうですな、梅戸殿の様に六角と縁続きの家には、斉藤殿も強くは出れますまい。間を我ら一向宗が取り持てば、約束より多くの城を寺地に譲りましょう。北勢衆の多くは信心深いので、彼らが美濃に根を張ってくれるのは、我らにとって好都合です」
12月美濃河内の上流輪中:第3者視点
一向宗10万は、損害を恐れず攻めかかって来た。
奪われた河内の地を取り返すべく、遮二無二(しゃにむに)攻めかかって来た。
満潮に時間に合わせて小舟で木曽三川を遡ったり、揖斐川右岸から5万の宗徒を上流に進撃する動きを見せ、鷹司軍の退路を断つ動きすらした。
それに対して義信は、騎馬鉄砲隊を素早く派遣し、何時でも渡河時に迎撃できるようにした。
一向宗の反撃に連動するように、西美濃衆が動いた。今までは直ぐに籠城に移れるように、守備的対応をしていたが、一向宗と合流して義信軍の本軍を突くために、渡河する姿勢を見せた。
木曽三川の中州群での戦闘は熾烈を極め、双方に数多くの死傷者がでた。大量の重軽傷者は、義信軍本軍に運ばれていった。
「重継殿、我ら僧兵が殿を務めますから陣払いされよ」
「いやそうはいかん、先陣を賜ったにも拘らず、一寸の城地を得ることなく逃げ帰るなどできん!」
「若殿の御言葉を忘れられたのか! 敵の勢いが強ければ本軍に誘き寄せ、包囲殲滅する策であったではないか。それにこれ以上美濃衆だけに被害を出すことを、若殿が御許しになると思われるのか?」
「う! それは・・・・・」
「とにかく今は下がられよ、若殿の御名に傷がついてしまう!」
「申し訳ない、後は頼む」
「任されよ!」
12月美濃の義信本陣:義信視点
「水を持て!」
俺は負傷した美濃衆の処置にとりかかった。
「痛いが我慢せい!」
この者の傷はすでに化膿していた、このままでは命の危険がある、激痛を伴うがデブリードマンをせねばならない!
煮沸(しゃふつ)消毒した鋏(はさみ)と藁たわしに糸瓜(へちま)たわしで、傷口の壊死部分をこそぎ落とした。
藁たわしは馬用に大量に持ち込んでいたし、糸瓜たわしは俺も含めた上級武士が、それぞれ自分用に持ち込んでいた。
今回の泥臭い叩き合いの戦闘で、この時代の医療の低さを改めて思い知った。今までは銭の調略で大半に戦を勝ち、合戦になっても遠距離攻撃で圧勝してきた。
だが今回の中州での戦闘は、泥まみれの組討ちが行われた。そのため身体中の傷に、不潔な泥が入り込んでしまった。
抗生物質などないこの時代に、この状態は致命的だった!
前世では、子供の頃に祖母から、破傷風を注意されていた事を思い出した。そこで清潔な水で、傷口を洗い流そうとしたのだが、煮沸洗浄した水を大量に用意する事は不可能だった。
仕方なく川の水で丁寧に傷口の泥を洗い流し、すでに傷口が化膿壊死している場合は、激痛を我慢させて、感染・壊死組織を除去し傷口を清浄化するデブリードマンを行ったのだ。
最後に高濃度麦焼酎で傷口を消毒して、できる限りの処置をとることにした。そしてその全てを、近習衆と近衛武士団に、実戦現場で学ばせた。
もはや値崩れを恐れて、焼酎を生産調整している場合じゃない、品質が落ちてでも、大量の医療用アルコールを生産しなくてはいけない!
実際に被害を受けるまで、この事を思い浮かべることができないとは、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす!
12月年末棚卸
古くから俺の配下にあった信濃衆などが、近衛武士団と統合してほしいと言い出した。まあ確かに国衆武士団より、近衛府の武士団のほうが名乗りがいい。錬度にも問題がないので、統合することにした。
それと元難民から、続々と将兵が現れてきた、お陰で安心信頼できる部隊を多数新設できる。
「義信直轄領」
甲斐水田 :1100町(1万1000反)
甲斐畑 : 700町(7000反)
信濃伊那郡:11万石
信濃諏訪郡: 3万石
信濃木曽郡: 2万石
筑摩郡 : 4万石
水内郡 : 5万石
埴科郡 : 2万石
安曇郡 : 2万石
高井郡 : 2万石
飛騨 : 3万石
合計 :35万石以上
「影響下にある国」
美濃:27万石
加賀: 5万石
佐渡: 1万石(鉱山開発最優先)
越中:35万石
越後:35万石(反抗的・独立心旺盛な国衆多し)
出羽:30万石(反抗的・独立心旺盛な国衆多し)
陸奥: 山之内一族・浪岡一族
「取れ高」
玄米:32万5000石
雑穀:65万0000石
「備蓄兵糧」
玄米: 70万石
麦 :135万石
「焼酎生産力」
杜氏44人
杜氏1人当たり3石甕1000個前後
44×3×1000=13万2000石
13・2万石×(1合卸値18文)=237・6万貫文分
「武田海軍の艦船」
戦闘ジャンク船:108艦
交易ジャンク船:108船
小早船 : 80船
関船 : 16船
「武具甲冑」
鉄砲 :1万2315丁
三間槍 :3万4000本
三間薙刀:1万4000本
弓 :2万6000張
弩 :3万9000器
打刀 :5万2000振
太刀 :1万9000振
足軽具足:6万1000個
大型弩砲 :1100基
移動大型弩砲: 600其
「近衛府兵力」
近衛足軽鉄砲隊: 2000兵
近衛足軽弓隊 : 7000兵
近衛足軽槍隊 :1万9000兵
近衛武士団 :1万8000兵
近衛騎馬鉄砲隊:1万0000騎
近衛黒鍬輜重兵:1万1000兵
「牛馬」
繁殖牝馬:1883頭
訓練育成中の軍馬
0歳馬:1802頭
1歳馬:1723頭
2歳馬:1473頭
3歳馬:1367頭
4歳馬:1209頭
5歳馬:1184頭
繁殖牝牛:1425頭
育成中の牛
0歳牛:1401頭
1歳牛:1331頭
2歳牛:1028頭
3歳牛: 852頭
4歳牛: 697頭
5歳牛: 636頭
合戦・牛馬・武具・米麦・恩賞・裏工作費用など歳出
253万貫文
「軍資金」
使用不能な武田貨幣
金銀銅貨合計
1億1000万貫文(10文黄銅貨が特に使えない・半分は信玄保有)
使用可能な精銭・永楽銭
202万貫文
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