転生武田義信

克全

第79話齟齬

11月美濃大桑城:義信視点

俺たちが大桑城で、宴会の警備をしている間に、織田信長が動いた。事もあろうに、俺に降伏臣従した、各遠山領の村々を襲ったのだ。

俺に味方した遠山一族を動揺させ、民心が鷹司家や武田家に向かわないようにするためだろう。

当初から武田家と斎藤家、もしくは武田家と土岐家の両属であった遠山家だが、俺は厳しい処置を取り、一部の城砦を取り上げて扶持化している。

ここで遠山家に援軍を出さないと、他の美濃国衆の信用と信頼も失ってしまう。何よりもこれから侵攻する国々の、国衆や地侍への調略が遣り難くなる。

「一益、鉄砲騎馬4000騎を預ける、遠山家を助けよ」

「承りました」

「家財や兵糧を奪われた民には、福原城、小田子砦、下村砦の増改築に雇い、銭か玄米を与えて雇ってやれ。小田子砦から飯田街道を抜けて、根羽城までの行く街道の道普請、根羽城から三州街道を抜けて伊那まで行く街道の道普請など、極力仕事を作って雇ってやれ」

「承りました。若殿のため、美濃の民草の暮らしを守るため、誠心誠意奉公させて頂きます」

「任せたぞ」






11月駿河:今川義元視点

「御屋形様、竹千代殿を元服させてはどうか?」

「竹千代はまだ10歳であろう? 少し早くはないか雪斎殿?」

「義信殿が美濃を切り取っておる、何時三河に攻め入るかもしれん。松平勢には最前線で働いてもらわねばならん、少しは希望を持たせねば、義信殿に調略されてしまう恐れがある」

「瀬名との縁組も早めると言う事か?」

「松平の一族や譜代衆を切り崩されては困るのではないか、御屋形様?」

「それはそうだな、ならば預かっている領地の一部を返さねばならぬな」

「義信殿は、今川が預かっている領地を返す条件で、松平の一門や譜代衆を調略するやもしれぬ。それに松平宗家の松平太郎左衛門家を担ぎ上げられたら、一族譜代の寝返る体裁が整ってしまう。此方も相応の対応を、松平にせねばなぬのではないか」

「力ずくで松平に対していては、今川を離れて義信に走ると言いたいのか、雪斎殿」

「儂ならばそうするな」

「ふむ、ならば竹千代は、駿河から一歩も外には出せぬな」

「左様、竹千代殿には、駿河から松平家を差配してもらう事に成る」

「直ぐに元服と婚儀の準備をさせよう、それと北条との縁組はどうなっておる?」

「北条新九郎殿を御屋形様が毒殺したとの噂があるが、それでも纏(まと)めよと申すのか?」

「あれは今川と北条を仲違させるために、晴信殿が遣ったのよ」

「氏康殿がそのような話を信じると申されるのか?」

「現に武田は三家の縁組を壊したではないか、余は纏(まと)める気であったぞ、それが証(あかし)ではないのか? 何より今川に力があれば、氏康も余の話を信じるであろう?」

「確かに力ある方の話が信じられるのが戦国の世だが、今の今川に義信を超える力があるのかな?」

「北条が武田と組んで今川を攻めても、どれほどの利があるのかな? それよりも余と組んで武田を攻めれば、甲斐一国に信濃佐久と越後と手に入るぞ」

「そうなれば御屋形様には、伊那、諏訪、木曽、飛騨と、義信殿が手塩にかけた地が手に入るか。だがそれを実現するには、北条を助けるために、佐竹と上杉を牽制せねばならぬな。伊達、結城、蘆名とは話をつけておるのか?」

「義信は朝廷の和睦を受け入れたのだ、名目もなく伊達、結城、蘆名を攻め込むことはできぬ。伊達らも下手に境目に兵を置けまい、ならば佐竹と上杉に向けて兵を動かせさせればいい」

「細川管領を使うか?」

「将軍家は愚かにも主殺しに討ち取られたからな、細川に御教書を出させるしかあるまいな。後は信長に頑張(がんば)ってもらわねばならんから、尾張に同盟の使者を出す」

「御屋形様は上洛を諦めるのか?」

「伊那を取るまではな」

「全ては伊那を取ってからか、で、北条氏政には誰を嫁がすのだ?」

「義信に嫁ぐはずだった定でよかろう、北条には氏綱の娘を氏真の正室を寄越させよう」

松平竹千代は人質兼政務見習いとして、今川家の居館のある駿河に送られていた。

松平竹千代に付き従うのは、酒井忠次・鳥居元忠・松平忠正・高力清長・石川家成・石川與七郎数正・天野三之助康景・上田萬五郎元次入道慶宗・金田與三右衛門正房・平岩七之助親吉・榊原平七郎忠正・江原孫三郎利全ら二十八人と、雑兵五十余。

他には松平竹千代の遊び相手として、阿部甚五郎正宣の息子徳千代( 阿部伊予守正勝)六歳が一緒に駿河に来ていた。





11月尾張:木下藤吉郎視点

こんな大切な御役目を与えてくださった、鷹司卿の御期待に堪えなきゃならね!

川筋の土豪たちを、何としても調略せねばならね!

後見人として立派な武士も付けて頂いた、おっとうやおっかあの縁をたどって、何としても役目をはたさなきゃならね!

鷹司卿から御指示のあったのは、亘利城主の松原内匠(まつばらたくみ)は、道三の命で主筋の土岐八郎頼香様を暗殺しているから、絶対許しちゃいけないこと!

松倉城の坪内勝定と坪内光景(前野長康)親子と、宮後八幡社社家の三輪吉高(みわよしたか)に、織田信安の家臣である稲田大炊助貞祐を調略する事!





11月近江の四本商人(しほんしょうにん)と保内商人:第3者視点

「さて今回の御屋形様からの通達の事じゃが、皆の者はどう思うか?」

「どうもこうもあるまい、我らは御屋形様や延暦寺の庇護(ひご)のお陰で、五箇商人を押しのけて繁栄しておるのじゃ、下知に従い武田との商いを行わないことじゃ」

「「「「「そうじゃ、そうじゃ」」」」」

「うむ、それが基本じゃ、それに間違いはない。特にそなたらは六角家の被官にもなっておる、御屋形様の下知に従うが道理じゃ」

「ならばもうこれでよいな?」

「だがな、保内商人としてそれでいいのかな?」

「何を言っておるのじゃ? 御屋形様を裏切って武田と商いせよと言うのか? それこそ保内郷が御屋形様に攻められ、五箇商人に取って代わられてしまうぞ!」

「そのような事を言っておるのではない、よく天下を見て見よ。将軍家が近江国中で三好の客将に討ち取られている。御屋形様は義信を武田と言うが、朝廷は鷹司と認めておる。甲斐、飛騨、信濃、越中、越後、出羽を支配し、今また美濃の半分を瞬く間に切り取っておる。御屋形様が勝たれればよい、されどもしもの場合はどうする? 鷹司は日本海交易で若狭商人と昵懇(じっこん)だ、御屋形様の裁定で我らに負けた五箇商人が、このまま黙っていると思うか? 鷹司の産物は日本海を通り若狭に入り京を目指すぞ。尾張の津島湊と熱田湊が鷹司の手に落ち、鷹司が安宅水軍を擁して堺商人を抑えている三好と結べば、鷹司の産物は津島湊と熱田湊を出て、伊勢、紀伊の海を越えて堺に入るぞ。その時には我ら保内商人に生きる道はなくなるぞ」

「おいおい随分と可笑しな事を言う。確かに将軍家は近江で亡くなられたが、それは一向宗が守り切れなかったのであって、御屋形様の所為ではあるまい。甲斐武田の精強は認めるが、若狭武田の嫡男は六角の姫を正室に迎えているではないか。この度も御屋形様の味方をしているではないか。五箇商人の動きは確かに心配じゃな、お主の言う通り気をつけようではないか。だが尾張の織田がそう易々と負けるとも思えんし、我らが六角家と織田と斎藤の間で荷を運べば戦も有利になり、我らも随分と利が出るのではないか? 合戦ほど儲かる物はなかろう。武田と三好が手を組むなど噂にも聞いたことがない、想像だけで値も葉も無い事を言うのは止めたほうがよいのではないか」

「若狭武田は元々甲斐武田の分家であろう、鷹司が美濃と尾張を切り取れば、長男を廃嫡して次男と鷹司の縁を結ぶ事がないとは言えぬぞ。今は御屋形様の下知に従い、織田と斉藤との商いで利を得るのも当然じゃ、だが義信はすでに左近衛大将じゃ、三好の担ぐ平島公方を西の将軍と認める代わりに、京を境に日ノ本を2つに割り、東の将軍を目指す事も有り得るのではないか?」

「東の将軍? 関東公方のようなものか?」

「名などどうでもよいが、どのような場合でも商いが出来るように、手を打っておけと言う事じゃ」

「え~い、具体的のどうしろと言うのじゃ!」

「一族の誰かを分家させて、甲斐や信濃に店を出させろと言っておるのじゃ、六角の被官に成っておるお主らだけではない、我らも保内郷に住む以上は御屋形様の下知に逆らう訳にはいかん。だが鷹司領内は、楽市楽座で誰でも商いができる。危険な美濃や尾張に店を構えなくても、鷹司領奥深く、諏訪にでも店を構えればよかろう」

「それは我ら保内商人が、若狭近江の産物を八風街道や千種街道を使って尾張に持ち込み、分家の諏訪商人に尾張で売り渡し、飛騨、信濃、甲斐に持ち込むと言う事か?」

「その逆もあるが、この事を保内商人の掟として秘し、御屋形様にも漏(も)らさぬよう誓うと言う事じゃ」

「随分と回りくどく言っておるが、要は御屋形様の下知に従ったうえで商いを広げると言う事だな?」

「左様、我もお主も御屋形様の下知には従っておる、保内郷を出た分家が勝手にやることじゃ」

「なら何の問題も無いの、のう皆の衆?」

「「「「「おうよ!」」」」」





11月京の近衛邸:近衛稙家視点

御労(おいたわ)しい事ながら、永高内親王殿下が薨去(こうきょ)なされた。

だがこれで、三条公之の正室の座が空いた。

これで娘を三条公之に嫁がせて、武田家と縁を結ぶことができる。だが帝に願い出る前に、方仁親王・伏見宮・一条卿・二条卿に話しておかねばならん。

一条卿には大内家養子を認めることを条件に、三条公之と我が娘の婚儀と、覚慶殿の将軍就任を後押ししてもらわねばならぬな。

鷹司・九条・三条・二条に対してはどうするべきか?

伏見宮貞敦親王殿下の妻は鷹司公頼(三条公頼)の妹姫、その間に産まれた姫が、二条卿の正室の嫁いでおる。

僧になられた弟君たちを還俗させ、宮家を創設する事に協力すると言えば、三条公之と我が娘の婚儀と、覚慶殿の将軍就任を認めさせる取引材料となるか?

それとも方仁親王と椿姫との間に男子が産まれたら、宮家創設に協力すると約束する方がよいか?





11月美濃大桑城:義信視点

そろそろ大桑城を出て、味方の揖斐城と相羽城に入って、稲葉山城を包囲する体制を築きつつ、西美濃四人衆に圧力を掛けるか?

それに西美濃に入るなら、竹中半兵衛を調略したいのだが、以前から影衆に調べさせていたが、竹中半兵衛が存在しないどころか竹中家がない。

俺の記憶にある、手掛かりの菩提山城も存在しない。

現実と記憶の齟齬(そご)は多いし、城に複数の呼び名があったり、武士の苗字や名が変わっている事も多い。

そこで菩提山と竹中半兵衛重治に、少しでも重なる物を探させたら、菩提山には岩手城主の岩手弾正忠誠と言う者が勢力を持っている事が分かった。

しかもその一族に、大御堂城主の岩手重元と言う者がいることが分かった。

岩手重元の「重」の字が気になるのだが、竹中半兵衛重治と関係があると言う確証がもてない。岩手重元が半兵衛のことなのか?

それも子供や一門から、竹中半兵衛重治現れるのか?

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