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転生武田義信

克全

第76話美濃攻略

10月美濃御嵩城近くの中山道沿い鷹司野陣:義信視点

以前から物価上昇に悩みながら、それでも投資して来た道普請が、今回の美濃侵攻には大いに役立った。

吉岡城から駒場城に移動して美濃に入り、武田と斎藤の両属姿勢であった、丸山城と霧ケ城を接収した。

丸山城と霧ケ城の城主と一族一門家臣には、本領に相当する銭をその場で与えたうえで、一族家臣の家族を人質として木曽妻籠城に送った。

翌日は霧ケ城と丸山城に直属の守備兵を残し、霧ケ城と丸山城の武士・足軽・農民兵の全てを配下に加えて、次の城を落とすべく侵攻した。

次に攻略したのは、遠山直廉の支配下にある落合城と苗木城だが、抵抗する事なく城門を開き、臣従を誓った。

落合城と苗木城に兵を分けて休息していると、下野砦・広恵寺城・大井城などを支配下にいおいている、藤井宗常などの国衆や地侍が臣従を誓いに集まって来た。

その多くは苗木遠山家の一族一門家臣であったが、今回は冷徹に対応することにして、苗木遠山家の一族一門家臣の家族に本領相当の銭を与えて、人質として妻籠城に送った。

翌日は下野砦・広恵寺城・苗木城に直属の守備兵を残し、遠山家の武士・足軽・農民兵の全てを配下に加えた。

そして伊那・木曽・飛騨への安全な道を確保するため、次の目標である大井城に移動し降伏臣従させて、木曽川の右岸城砦と左岸の大井城・阿寺城・丸山城・霧ケ城を直轄化した。

斎藤家に味方するよりも、俺に降伏臣従した方が生き残れる可能性が高いと判断したのだろう。俺が休息している大井城に、遠山三家とか遠山七頭と呼ばれる、全ての遠山一族が臣従にやって来た。

これで遠山十八子城を傘下に加えることになったが、必要な城を直轄化するにあたって必要な銭は、惜しまずばら撒いた。

岩村城主:遠山景前
苗木城主:遠山直廉
明知城主:遠山景行
高山城主:平井頼母
小原城主:平井頼母

遠山三家:岩村遠山家・苗木遠山家・明知遠山家
遠山七頭:岩村・明知・苗木・飯羽間・串原・明照(馬籠)・安木(大井)
遠山十八子城:明知城・苗木城・阿寺城・阿木城・千旦林城
:串原城・飯羽間城・信城・高山城など

俺の美濃侵攻を受けて、遠山一族だけではなく、斎藤道三の美濃支配を快く思っていなかった、土岐末流の国衆や地侍が臣従にやって来た。

鶴ヶ城(神篦城・国府城・高野城)の延友信光や明知城主の遠山景行の娘を、嫡子の光次の嫁に迎えていた小里光忠などだ。

鶴ヶ城主:延友信光・土岐氏庶流
小里城主:小里光忠・土岐氏庶流

だがさすがは斎藤道三だ、俺が今川を攻めると見せて美濃に討ち入る可能性も考慮していたのだろう、素早く軍を集めて迎撃に出陣して来た。

斎藤道三が事前に準備していた事は、俺が神輿に担いでいる、大桑城の土岐頼芸勢が討って出てこれないようにしたことでもわかる。

大桑城の城門前に幾重にも砦を設けて、弓で十字射を浴びせる構えを構築していた。この事前準備の所為で、大桑城の5500兵は身動きが取れなく成ったが、斎藤勢も弓兵を多数含む2000兵が使えなくなった。

美濃は50万石を超える豊かな国ではあるが、斎藤道三は50万石に相当する兵を集めることができなかった。

まず農繁期であった事が原因の1つだが、土岐頼芸を慕う国衆がいたことや、遠山氏の様に鷹司(武田では無い)に臣従した国衆が完全に敵対した事もある。

だが1番多かったのは、保身を考えて、どちらにも味方せず日和見(ひよりみ)する国衆や地侍だ。

どの国衆や地侍だって、命が惜しい。いや、負ければ一族一門の男の命だけではなく、女子供が奴隷として売られる可能性すらあるのだ。中立が許されるのなら、日和見(ひよりみ)して当然なのだ。

その結果として、斎藤道三の金山城に集まったのは、1万余の兵だけだった。

そこで斎藤道三は、久々利城・御嵩城・顔戸城・明知長山城に、周辺の民を避難させ不足する守備兵を補い、御嵩城の少し後方中山道沿いに本陣を構えた。

この陣構えは、俺と長期対陣になった場合でも、城に閉じ込められることなく、補給と休養を取れる態勢だった。

久々利城 :久々利頼興
顔戸城
御嵩城  :小栗教久
明知長山城:明智光安・妹が斎藤道三の継室で濃姫の母。
:明智秀満・明智光秀
烏峰城(金山城)





10月美濃御嵩城外:第3者視点

「殿、義信は越中と奥羽の戦いでは、鉄砲をよく使ったと聞きます、野戦での決戦はお控え下さい」

「光秀、その事は儂も知っており以前から手を打っておる。足軽共には竹で作った大盾を持たせ、騎馬に対抗すべく柵も築かせておる、心配いたすな」

「織田殿の後詰はまだでございますか?」

「婿殿も尾張統一に苦労しておるようじゃ、援軍を寄越す余裕はあるまい」

「しかしそれでは、濃姫に嫁いでいただいた意味がございません」

「それは違うぞ光秀、当てにしていて来なければ戦術戦略に齟齬(そご)をきたす、来てくれれば儲けもの思っておれば、来なくても慌てることがなくなる」

「愚かなことを申しました、お許し下さい」

「貪欲に文武を修めよ」

「殿、光秀の愚かな問いに答えて下さり、有り難き幸せにございます。されど武田の攻勢にどう対応致しましょう?」

「中山道を土塁と柵で防ぎ、間に合わぬ所は大竹盾で封鎖する。それでも近づく武田には、弓鉄砲を馳走(ちそう)してやればよい。確かに武田は圧倒的な鉄砲を持っておるが、馬を降り地に足を付けて迎え討てば、さほど怖いものではないのだ光安」

「3万余の兵力は侮(あなど)れぬのではないでしょうか?」

「今までの忍びの報告では、武田勢の3割弱は荷駄兵だ。3万余と言うが、1万は戦いには加わらぬのだ。野戦で適当に武田勢を削って雪を待ち、必要なら繰り引きしつつ烏峰城に籠って雪を待つ。武田は常に冬には諏訪に帰っておる、野陣で冬を越すなど無理な話じゃ」

「左様でございましたな、雪まで大桑城が持たぬと判断して、我らの囲みを解くのが目的でございますな。されど遠山の城で冬を越す事はありませぬか?」

「その可能性はあるだろうが、そうなれば今川が黙っておるまい。勅命(ちょくめい)で和睦(わぼく)したとは言え、元々今川が将軍に御内書を書かせて攻め込んだのだ。武田が伊那に戻れぬと知れば、必ず又攻め込む。伊達や南部の陸奥勢も、それに呼応(こおう)して武田領に攻め込む。さすれば武田勢3万は、帰る家なき子になろう」





10月小田原城:第3者視点

「御本城様(ごほんじょうさま)、義信殿が和睦に応じられたようでございます」

「義信は応じても晴信が応じるとは限るまい、晴信が義信の兵を指揮して駿河に攻め込むとは、幻庵殿は思われぬか?」

「その手もあるだろうが、そうすると鷹司の名にも傷が付く。近衛大将として、朝廷を敬う姿勢を押し立てて、越中・越後・出羽の国衆を従えたのじゃ、ここで勅命を蔑(ないがし)ろにするのは、後々不利となろう。寧(むし)ろ土岐頼芸を助ける建前で、美濃に入るだろうよ。美濃を手に入れれば、六角や細川管領に圧力を掛けることもできるだろうしな」

「なるほど、美濃なら土岐家支援の大義名分も立つし、何時でも近江に討ち入れる拠点を手に入れる事ができる。義信から長年に渡り多額の支援を受けながら、それを踏み躙(にじ)った細川管領も、管領に継室を送り込んだ六角も、心穏やかではおられまい」

「それ故に、細川・六角・浅井が美濃に援軍を送る可能性もあるが、同時に朝倉に近い浅井が、これを好機と義信に近づく事もあり得る。もはや近隣諸国の動静を考えるだけでは、北条の舵取りはできぬのではないか、御本城様」

「そうだな幻庵殿、義信が負ければ北条は安泰じゃ、武田と手を組んで今川・佐竹・関東管領上杉と対峙すればよい。美濃で負けても、武田は甲斐・信濃・飛騨・越中・越後を確保するだろうが、威勢は衰え北条との同盟を必要とするだろう。だが勝った場合は問題だ、その威勢で出羽勢が義信の下を離れる事はなくなり、陸奥・上野・武蔵の国衆も多くが鷹司の下に集うであろう。越前の朝倉宗滴殿は、一向宗と対峙するために鷹司の下に付くかもしれん。そうなれば北条との同盟など、義信は必要としなくなる事もあり得る」

「ならば御本城様、義信の勝ちが定まる前に晴信に同盟を申し込んではどうじゃ?」

「義信が勝てば儂としても強気には出れぬな、長女の早を義信の側室に送り込むか? 武田五郎は5歳であったな、ならば浄・林・曲の誰でもよい。武田五郎の正室に送ればよい。こちらは武田の姫を氏政の正室に迎えればよかろう」

「随分と北条家に不利な婚姻じゃが、よいのか、御本城様」

「格は大切じゃが、それに拘(こだわ)って北条を滅ぼす訳にはいかん。そう申し込んでおいても、義信が負けたら条件を改めればいい。今直ぐ嫁ぐ訳ではないから、義信には帝のためにも上洛を急ぐように勧めればいい。斎藤・細川管領・六角・三好と戦えば、その隙に今川が再度伊那に攻め込もう。その時こそ新九郎の敵を討つときじゃ、運がよければ北条が伊那を盗れるやもしれん」

「その為にも、今は関東平定に力を注がねばならんぞ、御本城様」





10月美濃御嵩城近くの中山道沿い鷹司野陣:義信視点

準備が整った俺は、新たに傘下に加わった美濃勢に先陣を命じ、大竹盾を持たせて斉藤勢ににじり寄らせた。

先陣が斉藤勢の弓鉄砲の攻撃を受けだした頃合いに、僧兵に守らせ黒鍬輜重兵に操らせた、移動式大弩砲を一気に近づけた。

敵に大きな損害を与える様に、横棒を付けた大竹矢を、斉藤勢が密集する辺りに射込んだ。

竹を十字に組んだだけの大矢は、安価に量産できた。しかも着地してから跳ね回るため、1本で複数の敵を縦横の竹で打ち据え戦力を削ってくれる。

敵が即死する事はなくても、骨折や重度の打撲を与えてくれれば十分なのだ。たまに直撃してくれれば、敵を串刺しにしてくれるから、移動さえ容易(ようい)になれば重宝(ちょうほう)する武器だ。

黒鍬輜重の荷馬に分解した大弩砲を運ばせ、持久戦に持ち込もうとした斎藤勢に合わせて、大弩砲と大矢を万全の準備で整えてから攻め寄せたのだ。

もし斉藤勢が短期決戦に持ち込もうと攻め寄せて来たら、鉄砲騎馬隊8000騎を、1000騎8段に分けて、絶え間なく鉄砲を撃ってやるつもりだ。

斉藤勢の弓鉄砲の反撃が絶えた頃合いに、先陣に盾を持ったまま距離を詰めさせた。そして盾に守らせて、初めて実戦に加わる新人鉄砲兵1000と、全軍から選抜した弓兵も斉藤勢に近づけた。

そして斉藤勢を射程距離に収めた弓鉄砲で、面制圧攻撃を行った。

圧倒的な遠距離攻撃戦力に、斎藤勢はただただ圧倒された。

手も足も出ない斉藤勢の後ろ備えからは、逃げ出す農兵や雑兵が出た、裏崩れがおこったのだ。

これで斉藤勢は終わった!

次々と国衆が逃げ出し、斎藤勢は全面潰走となったが、斎藤孫四郎龍重と斎藤喜平次龍定が殿(しんがり)を引き受け、御嵩城主の小栗教久も城を討って出て横槍を入れて来た。

しかし最初から御嵩城の横槍には備えの兵を置いていたので、小栗教久は簡単に撃退する事ができた。

決死の殿(しんがり)を引き受けた斉藤兄弟も、鷹司家での生き残りを懸ける遠山勢が、損害を恐れずに攻撃を仕掛けたので、わずかな時間を稼いだだけで討ち取ることができた。

斉藤勢は中山道を必至で逃げ、顔戸城の脇を通り、勝手知った木曽川の浅瀬を渡っていった。

俺たちは、顔戸城・烏峰城(金山城)・明知長山城・久々利城からの横槍や、黒鍬輜重への攻撃を警戒する必要もあり、木曽川手前で一旦追撃を中止した。

そしていつもの降伏3か条の矢文を、籠城している斉藤方城砦に射込む事にした。

今回はどれくらいの出費で、美濃の城砦群を降伏させることが出来るだろう?

斉藤親子に、5000貫文の賞金を懸けるのは、確実に稲葉山城を囲んだ後でいい。今は冬を越えるための、予備兵糧を銭にあかせて高値で買い漁る!

大量の兵糧を運んで来ているが、高値で買い漁れば斉藤方の裏切り者が、籠城用兵糧をこちらに売りに逃げて来るかもしれない。そうすれば容易く城を落とせるかもしれない。

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