転生武田義信
第75話一条家の思惑・越中逆撃・侵攻作戦
9月信濃青崩城砦群:義信視点
青崩城砦群には、増強改築にあわせて大量の物資を送った。野戦築陣用の柵・木塀・小屋・長屋・櫓の部材など、規格を決めて大量生産した物を送ったが、墨俣の一夜城を大規模に先取りしたものだ。
だがそれだけではなく、同時に弓矢・刀剣・具足・弩・盾・大弩砲も、青崩城砦群用と遠江侵攻用の2方面分と言う、大量の物資を送り込んだのだ。
青崩城砦群は、遠江に侵攻して拠点を築き次第、元難民の生産衆や山窩はもちろん修験者にも貸し与えられることになっている。
弩や大弩砲などの武具が貸し与えられるから、守備だけなら彼らだけでも十分やってのけてくれる。そもそも元難民は近衛将兵の予備部隊であり、元難民の城砦集落は、子供たちの訓練所的要素が大きかった。
「道為、慣れて来たか?」
「は、まだまだ慣れぬ事もありますが、誠心誠意努めさせて頂きます」
小野寺家一の知将と言われ、近隣諸将に恐れられた八柏道為が答える。参謀として使えないか連れて来たのだ。暫(しばら)く適正と能力を見て、それから正式な部隊配備を決めようと思っているが、こんな御試し将兵が結構増えた。
「励めよ」
「は、御言葉を賜り感謝いたします」
「飛影、山形・越中の黒鍬衆の移動は捗(はかど)っているか?」
「は、山形の黒鍬衆は、雪で移動が妨げられる前に諏訪に向かうとの事でございます。越中の黒鍬衆は、出羽の兵が武田家のやり方に慣れ次第、諏訪に向かうとの事でございます」
「両国の黒鍬衆が諏訪に集まり次第、遠江侵攻を開始するぞ」
9月:ある人視点
あの漢(おとこ)もよくやってのけてくれた、今後も密かに軍資金を支援してやらねばなるまい。
あの漢に自覚はないだろうが、三好のために汚名を着てくれたのだ、銭で済むなら安いものだ。
もっとも本人は、義冬様に忠義を示せたと誇っているらしいが、愚かと言う事が少々羨ましくもある。
兄上の指示で仕方なく同じ主殺しとなったが、あの漢ほどの思い込みがあれば、もっと楽な気持ちになれるのだろうが、なかなかそうは成れぬ。
義冬様も持隆様殺害に激怒され、将軍就任に難色を示されておられる。持隆様を担いで叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)そうとした国衆が出たため、仕方なかったとはいえ、常に心が晴れることがない。
だが心を決めて遣(や)って退(の)けた以上、最大の成果を上げねば持隆様に申し訳が立たん、何としても阿波を完全に支配する!
足利義冬:平島公方
細川持隆:細川讃州家当主
京の一条邸:一条房通視点
陶晴賢も不甲斐なきことよ、此方(こちら)が色々と手を打ってやっておるのに無様(ぶざま)に負けおって。
だがこれで兼定も、晴賢の傀儡(かいらい)でなくなるかもしれん、上手く余が後見すれば、大内を一条の手中に収める事ができるかもしれん、骨を折る価値はある。
覚院宮・九条稙通・鷹司公頼・鷹司義信・鷹司実信・三条公之などには、鷹司家継承以外にも色々と貸しがある。今回は此方に手を貸してもらう!
ようは公家好みの大内義隆親子を、自ら隠居するように仕向ければいい。大内家の当主を兼定に譲るなら、内大臣に任じると上洛させるか?
他の五摂家への根回しだが、近衛家には覚慶の将軍就任を認める事で話をつければいい。
内大臣の西園寺公朝(さいおんじきんとも)への根回し資金は、晴賢に出させる。
問題は二条家だな、現当主の晴良の母は九条の出だし、前当主の尹房も弟たちも、九条の縁で信濃に下向している。
鷹司と九条に話をつけさせれば、案外すんなり纏(まと)まるかもしれん。
兼定の安全を図ってやるには、大内家周辺の大名たちへの根回しが大切だが、大友義鑑は祖父に当たるからまあ大丈夫だろう。
問題は尼子だな、取りあえずは和睦の使者を出し休戦させるとして、三好討伐の上洛の命を近衛に出させるか?
近衛は覚慶のために三好を叩きたいだろう。我が一条が表に出るのは、雅(みやび)なやりかたではない。
備後など尼子にくれてやればよい、播磨摂津で尼子が三好と争えば、大内に手出しする余裕もなくなるだろう。
一条兼定:土佐一条家当主(1543誕生・10歳)
近衛晴嗣:近衛家次期当主・足利義藤・覚慶・周暠の義兄であり従兄でもある。
二条晴良:二条家現当主・母は九条尚経の長女・経子
10月越中:武田信繁視点
若殿に、朝廷から和睦の使者が参られたそうだ。若殿は腸(はらわた)の煮えくり返る想いであっただろうが、全てを呑み込んで御受けになられた。鷹司家の当主として、仕方ない事だったのだろう。
信虎父上と弟たちも、今川の人質に取られているから、彼らを無事に伊那に送り届けることが条件であったが、今川は素直に手放さなかった。
さすがにこの点だけは若殿も譲られず、伊那に4万を超える軍勢を集められたので、今川もようやく応じたようだ。
だが今回の休戦は、武田家として受けた訳ではない!
御屋形様からは、越中を完全に取り戻した上で、加賀に侵入せよと伝書鳩が届いた。若殿からお預かりした1万6400兵は、農繁期でも戦える専業兵だ。
農兵が多い国衆の7000兵は、万が一越中に攻め込まれた時の守備に使うとして、今は農作業に専念させればいい。
儂は一向宗を討ち滅ぼし、礪波郡を取り戻すために出陣した。
和睦が纏(まと)まったと油断している安養寺城(勝興寺)を、夜明け前に奇襲した。
御屋形様が差し向けてくれた忍びが、内から城門を開いてくれたお陰で、ほとんど抵抗なく城内に討ち入ることができた。
情け容赦をせず、手当たり次第に切り殺し、本城と総囲い内の門前町でも根切りを断行した。
安養寺城は、近衛足軽鉄砲隊1000兵・近衛足軽弓隊1000兵・近衛槍足軽3000兵に守らせた。
彼らには、加賀の一向宗に知らせに行く者を倒してもらう。それが叶わず、加賀から一向宗の援軍が来た場合には、安養寺城で一向宗を押し止める役目を与えた。
まあ朝倉が加賀に侵攻しているから、そう容易く越中に援軍を送り込めることは思えないが、武田の動きを加賀に知られるのは少しでも遅い方がよい。
その後で井波城(瑞泉寺)に転進したが、逃げのびた者が知らせたのであろう、城門を閉じて迎撃態勢を整えていた。
こうなる事は予想していたので、若殿が行われたように、狂主の悪口雑言を全将兵に言わせた。
教主を悪し様に罵られた事で怒り狂った一向宗が、生死を忘れて討って出る所を、弓を使える兵で射殺した。
中には戦のいろはが分かる者もいるのだろう、何度も門前で宗徒が射殺されるのを見て、どれほど悪口雑言を繰り返しても出てこなくなった。
狂主の悪口雑言を繰り返しても、一向宗が討って出て来なくなったので、準備していた大弩砲で、肥松に火を付けた大矢を城内の建物に向けて撃ち込んだ。
肥松とは、松の木の枝や幹の脂の多い部分で、よく燃え続けるので今回の火攻めに使う事に成った。
本当は油を使いたかったのだが、若殿から食用にできる物は極力戦で浪費しないように言われている。
若殿の民を餓えさせない信条には、少々呆れる所もあるが、代用品を指示して下さるので、できる限り従わねばならん。
そのお陰で民の忠誠心を得られるのであれば、儂が率先して弟や譜代衆に範を示さねば、家中の和が保てない。
若殿の命に逆らい、どうしても外道の所業をやってのけ、汚名を着ねばならぬ時もあるだろう。
だがそんな時は、今回の御屋形様の様に、儂が汚名を着れば済むことだ。
次々に肥松大火矢を城内に射込むと、城内の建物が燃え出したので、次の段階に移る事にした。
消火の邪魔をすると同時に、大量殺戮(たいりょうさつりく)を成すのために、横棒を付けて大量殺戮用に作られた、十文字大竹矢をどんどん撃ち込んだ。
大量の十文字大竹矢に追い立てられ、火にも撒かれて逃げ場を失った一向宗たちが、遂に城門を開いて逃げ出したが、これを次々と射殺した。
10月信濃伊那の吉岡城:義信視点
御屋形様からは、遠江侵攻の打診があった。
昔の俺なら御屋形様の歓心を買い、切腹街道を避けるために、唯々諾々と従っただろう。しかし実績を積み戦力も有した今なら、ある程度の意見具申も許させる。
何より越中・越後・出羽を支配下に置いたことで、武田は海を手に入れた。御屋形様が喉から手が出るほど欲していた海を、俺がお与えした。だからこそ、駿河と遠江を後回しにする案が通った。
遠江を手に入れるの当たって必要な大義名分が、尾張に落ちている。
だからそれを拾ってから、正々堂々と遠江に攻め込めばいい。
斯波義統の養子に、弟の四郎か五郎を送り込んで、正当に遠江守護を譲り受ける!
足利義晴と義藤が認めた今川義元の遠江守護職は、三好の担ぐ平島公方を将軍に押してやれば、斯波家に戻って来るだろう。
いや覚慶の将軍就任を五摂家として押してやる代わりに、代償として覚慶に遠江守護職を要求する手もある。
今確実に使えるカードは、鷹司家と九条家、それに二条家も条件次第で味方してくれるだろう。
今遠江でやるべきことは、何を差し置いても調略だ。
手元には大きなカードが有るのだから、それを大切にしつつ、伊那口を抑える遠江国衆を味方に引き込む。
天竜川より西側を、戦をせずに手に入れるためにも、奥山・平賀・日名地の一族には、味方した場合に永年3000貫文で別家を立てる事を誓約しよう。
裏鹿城 :日名地家
平賀屋敷 :平賀助太夫
高根城 :奥山民部少輔貞益
水巻城 :奥山美濃守定茂
大洞若子城:奥山加賀守定吉
小川城 :奥山兵部丞定友
俺は密かに3万4000兵を率いて吉岡城を出陣、青崩城砦群には8000兵と生産衆を入れて今川に備えさせた。御屋形様にも、何時でも駿河に攻め込む擬態を取ってもらった。
その上で木曽・飛騨を通り、予(かね)てから土岐家に忠誠を示していた家、仕方なく斎藤に付いた家、武田と斎藤に両属していた家を味方に加え、一気に美濃に攻め込んだ。
総大将:鷹司義信
大将 :三条公之
陣代 :猿渡飛影
軍師 :滝川一益
侍大将:相良友和・今田家盛・加津野昌世・米倉重継・狗賓善狼
足軽大将:市川昌房・田上善親・田村善忠
武将:酒依昌光・板垣信廣・有賀善内・武居善政・武居堯存・金刺善悦・金刺晴長
:矢崎善且・小坂善蔵・守矢頼真・松岡頼貞・知久頼元・山村良利・山村良候
:贄川重有・大祝豊保・沢房重・鵜飼忠和・両角重政・山中幸利・座光寺為清
:小原広勝・小原忠国・武居善種・花岡善秋・諏訪満隆・千野光弘・千野昌房
:千野靭負尉・大祝右馬助・座光寺頼近
『美濃侵攻軍』
信濃衆 :3000兵
近衛騎馬鉄砲隊:8000騎
近衛武士団 :3000兵
近衛足軽鉄砲隊:1000兵
近衛足軽弓隊 :1000兵
近衛足軽槍隊 :1000兵
近衛黒鍬輜重 :9000兵
僧兵 :8000兵
総計 :3万4000兵
『美濃侵攻時の部隊配置』
「信濃・青崩城砦群」
青崩城砦群代:楠浦虎常
近衛武士団 :1000兵
近衛槍足軽団:5000兵
信濃国衆 :2000兵
「信濃・諏訪城」
大将 :鷹司実信
陣代 :於曾信安
近衛武士団:1200兵
出羽新兵 :4000兵
「信濃国・妻籠城」
妻籠城代 :甘利信忠
近衛武士団 :1000兵
「美濃」
土岐頼芸援軍:一条信龍・馬場信春
武田子飼い兵: 220騎
:1100兵
近衛槍足軽隊:3000兵
近衛弓足軽隊:1000兵
「出羽」
小野寺家目付:漆戸虎光
近衛槍足軽隊:2000兵
近衛弓足軽隊:1000兵
「出羽・山形」
山形城代 :飯富虎昌・鮎川善繁
近衛武士団 :1000兵
信濃武士団 :1500兵
近衛足軽弓隊:1000兵
「陸奥」
山之内一族援軍:曽根昌世
近衛槍足軽隊 :2000兵
近衛弓足軽隊 :1000兵
「越後」
総大将 :武田信廉
近衛武士団 :2400兵
近衛槍足軽隊:3000兵
出羽兵 :3000兵
越後国衆 :7000兵
「越中国」
総大将 :武田信繁
近衛武士団 :2400兵
近衛足軽鉄砲隊:1000兵
近衛足軽弓隊 :1000兵、
近衛槍足軽隊 :3000兵
飛騨木曽諏訪衆:2200兵
出羽兵 :5000兵
越中国衆 :7000兵
横谷入城:浅間孫太郎
三才山城:赤羽大膳
北条城等:三村勢
福応館 :福山善沖勢
丸山館 :丸山善知勢
殿館 :殿勢
荒井城 :島立貞知
櫛木城 :櫛置当主
波多山城:櫛置勢城代
淡路城 :櫛置勢城代
伊深城 :後庁重常
村井城(小屋館):諏訪満隣勢
花岡城:元難民が統治
金子城:元難民が統治
その他統治地域の城砦は元難民が統治
青崩城砦群には、増強改築にあわせて大量の物資を送った。野戦築陣用の柵・木塀・小屋・長屋・櫓の部材など、規格を決めて大量生産した物を送ったが、墨俣の一夜城を大規模に先取りしたものだ。
だがそれだけではなく、同時に弓矢・刀剣・具足・弩・盾・大弩砲も、青崩城砦群用と遠江侵攻用の2方面分と言う、大量の物資を送り込んだのだ。
青崩城砦群は、遠江に侵攻して拠点を築き次第、元難民の生産衆や山窩はもちろん修験者にも貸し与えられることになっている。
弩や大弩砲などの武具が貸し与えられるから、守備だけなら彼らだけでも十分やってのけてくれる。そもそも元難民は近衛将兵の予備部隊であり、元難民の城砦集落は、子供たちの訓練所的要素が大きかった。
「道為、慣れて来たか?」
「は、まだまだ慣れぬ事もありますが、誠心誠意努めさせて頂きます」
小野寺家一の知将と言われ、近隣諸将に恐れられた八柏道為が答える。参謀として使えないか連れて来たのだ。暫(しばら)く適正と能力を見て、それから正式な部隊配備を決めようと思っているが、こんな御試し将兵が結構増えた。
「励めよ」
「は、御言葉を賜り感謝いたします」
「飛影、山形・越中の黒鍬衆の移動は捗(はかど)っているか?」
「は、山形の黒鍬衆は、雪で移動が妨げられる前に諏訪に向かうとの事でございます。越中の黒鍬衆は、出羽の兵が武田家のやり方に慣れ次第、諏訪に向かうとの事でございます」
「両国の黒鍬衆が諏訪に集まり次第、遠江侵攻を開始するぞ」
9月:ある人視点
あの漢(おとこ)もよくやってのけてくれた、今後も密かに軍資金を支援してやらねばなるまい。
あの漢に自覚はないだろうが、三好のために汚名を着てくれたのだ、銭で済むなら安いものだ。
もっとも本人は、義冬様に忠義を示せたと誇っているらしいが、愚かと言う事が少々羨ましくもある。
兄上の指示で仕方なく同じ主殺しとなったが、あの漢ほどの思い込みがあれば、もっと楽な気持ちになれるのだろうが、なかなかそうは成れぬ。
義冬様も持隆様殺害に激怒され、将軍就任に難色を示されておられる。持隆様を担いで叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)そうとした国衆が出たため、仕方なかったとはいえ、常に心が晴れることがない。
だが心を決めて遣(や)って退(の)けた以上、最大の成果を上げねば持隆様に申し訳が立たん、何としても阿波を完全に支配する!
足利義冬:平島公方
細川持隆:細川讃州家当主
京の一条邸:一条房通視点
陶晴賢も不甲斐なきことよ、此方(こちら)が色々と手を打ってやっておるのに無様(ぶざま)に負けおって。
だがこれで兼定も、晴賢の傀儡(かいらい)でなくなるかもしれん、上手く余が後見すれば、大内を一条の手中に収める事ができるかもしれん、骨を折る価値はある。
覚院宮・九条稙通・鷹司公頼・鷹司義信・鷹司実信・三条公之などには、鷹司家継承以外にも色々と貸しがある。今回は此方に手を貸してもらう!
ようは公家好みの大内義隆親子を、自ら隠居するように仕向ければいい。大内家の当主を兼定に譲るなら、内大臣に任じると上洛させるか?
他の五摂家への根回しだが、近衛家には覚慶の将軍就任を認める事で話をつければいい。
内大臣の西園寺公朝(さいおんじきんとも)への根回し資金は、晴賢に出させる。
問題は二条家だな、現当主の晴良の母は九条の出だし、前当主の尹房も弟たちも、九条の縁で信濃に下向している。
鷹司と九条に話をつけさせれば、案外すんなり纏(まと)まるかもしれん。
兼定の安全を図ってやるには、大内家周辺の大名たちへの根回しが大切だが、大友義鑑は祖父に当たるからまあ大丈夫だろう。
問題は尼子だな、取りあえずは和睦の使者を出し休戦させるとして、三好討伐の上洛の命を近衛に出させるか?
近衛は覚慶のために三好を叩きたいだろう。我が一条が表に出るのは、雅(みやび)なやりかたではない。
備後など尼子にくれてやればよい、播磨摂津で尼子が三好と争えば、大内に手出しする余裕もなくなるだろう。
一条兼定:土佐一条家当主(1543誕生・10歳)
近衛晴嗣:近衛家次期当主・足利義藤・覚慶・周暠の義兄であり従兄でもある。
二条晴良:二条家現当主・母は九条尚経の長女・経子
10月越中:武田信繁視点
若殿に、朝廷から和睦の使者が参られたそうだ。若殿は腸(はらわた)の煮えくり返る想いであっただろうが、全てを呑み込んで御受けになられた。鷹司家の当主として、仕方ない事だったのだろう。
信虎父上と弟たちも、今川の人質に取られているから、彼らを無事に伊那に送り届けることが条件であったが、今川は素直に手放さなかった。
さすがにこの点だけは若殿も譲られず、伊那に4万を超える軍勢を集められたので、今川もようやく応じたようだ。
だが今回の休戦は、武田家として受けた訳ではない!
御屋形様からは、越中を完全に取り戻した上で、加賀に侵入せよと伝書鳩が届いた。若殿からお預かりした1万6400兵は、農繁期でも戦える専業兵だ。
農兵が多い国衆の7000兵は、万が一越中に攻め込まれた時の守備に使うとして、今は農作業に専念させればいい。
儂は一向宗を討ち滅ぼし、礪波郡を取り戻すために出陣した。
和睦が纏(まと)まったと油断している安養寺城(勝興寺)を、夜明け前に奇襲した。
御屋形様が差し向けてくれた忍びが、内から城門を開いてくれたお陰で、ほとんど抵抗なく城内に討ち入ることができた。
情け容赦をせず、手当たり次第に切り殺し、本城と総囲い内の門前町でも根切りを断行した。
安養寺城は、近衛足軽鉄砲隊1000兵・近衛足軽弓隊1000兵・近衛槍足軽3000兵に守らせた。
彼らには、加賀の一向宗に知らせに行く者を倒してもらう。それが叶わず、加賀から一向宗の援軍が来た場合には、安養寺城で一向宗を押し止める役目を与えた。
まあ朝倉が加賀に侵攻しているから、そう容易く越中に援軍を送り込めることは思えないが、武田の動きを加賀に知られるのは少しでも遅い方がよい。
その後で井波城(瑞泉寺)に転進したが、逃げのびた者が知らせたのであろう、城門を閉じて迎撃態勢を整えていた。
こうなる事は予想していたので、若殿が行われたように、狂主の悪口雑言を全将兵に言わせた。
教主を悪し様に罵られた事で怒り狂った一向宗が、生死を忘れて討って出る所を、弓を使える兵で射殺した。
中には戦のいろはが分かる者もいるのだろう、何度も門前で宗徒が射殺されるのを見て、どれほど悪口雑言を繰り返しても出てこなくなった。
狂主の悪口雑言を繰り返しても、一向宗が討って出て来なくなったので、準備していた大弩砲で、肥松に火を付けた大矢を城内の建物に向けて撃ち込んだ。
肥松とは、松の木の枝や幹の脂の多い部分で、よく燃え続けるので今回の火攻めに使う事に成った。
本当は油を使いたかったのだが、若殿から食用にできる物は極力戦で浪費しないように言われている。
若殿の民を餓えさせない信条には、少々呆れる所もあるが、代用品を指示して下さるので、できる限り従わねばならん。
そのお陰で民の忠誠心を得られるのであれば、儂が率先して弟や譜代衆に範を示さねば、家中の和が保てない。
若殿の命に逆らい、どうしても外道の所業をやってのけ、汚名を着ねばならぬ時もあるだろう。
だがそんな時は、今回の御屋形様の様に、儂が汚名を着れば済むことだ。
次々に肥松大火矢を城内に射込むと、城内の建物が燃え出したので、次の段階に移る事にした。
消火の邪魔をすると同時に、大量殺戮(たいりょうさつりく)を成すのために、横棒を付けて大量殺戮用に作られた、十文字大竹矢をどんどん撃ち込んだ。
大量の十文字大竹矢に追い立てられ、火にも撒かれて逃げ場を失った一向宗たちが、遂に城門を開いて逃げ出したが、これを次々と射殺した。
10月信濃伊那の吉岡城:義信視点
御屋形様からは、遠江侵攻の打診があった。
昔の俺なら御屋形様の歓心を買い、切腹街道を避けるために、唯々諾々と従っただろう。しかし実績を積み戦力も有した今なら、ある程度の意見具申も許させる。
何より越中・越後・出羽を支配下に置いたことで、武田は海を手に入れた。御屋形様が喉から手が出るほど欲していた海を、俺がお与えした。だからこそ、駿河と遠江を後回しにする案が通った。
遠江を手に入れるの当たって必要な大義名分が、尾張に落ちている。
だからそれを拾ってから、正々堂々と遠江に攻め込めばいい。
斯波義統の養子に、弟の四郎か五郎を送り込んで、正当に遠江守護を譲り受ける!
足利義晴と義藤が認めた今川義元の遠江守護職は、三好の担ぐ平島公方を将軍に押してやれば、斯波家に戻って来るだろう。
いや覚慶の将軍就任を五摂家として押してやる代わりに、代償として覚慶に遠江守護職を要求する手もある。
今確実に使えるカードは、鷹司家と九条家、それに二条家も条件次第で味方してくれるだろう。
今遠江でやるべきことは、何を差し置いても調略だ。
手元には大きなカードが有るのだから、それを大切にしつつ、伊那口を抑える遠江国衆を味方に引き込む。
天竜川より西側を、戦をせずに手に入れるためにも、奥山・平賀・日名地の一族には、味方した場合に永年3000貫文で別家を立てる事を誓約しよう。
裏鹿城 :日名地家
平賀屋敷 :平賀助太夫
高根城 :奥山民部少輔貞益
水巻城 :奥山美濃守定茂
大洞若子城:奥山加賀守定吉
小川城 :奥山兵部丞定友
俺は密かに3万4000兵を率いて吉岡城を出陣、青崩城砦群には8000兵と生産衆を入れて今川に備えさせた。御屋形様にも、何時でも駿河に攻め込む擬態を取ってもらった。
その上で木曽・飛騨を通り、予(かね)てから土岐家に忠誠を示していた家、仕方なく斎藤に付いた家、武田と斎藤に両属していた家を味方に加え、一気に美濃に攻め込んだ。
総大将:鷹司義信
大将 :三条公之
陣代 :猿渡飛影
軍師 :滝川一益
侍大将:相良友和・今田家盛・加津野昌世・米倉重継・狗賓善狼
足軽大将:市川昌房・田上善親・田村善忠
武将:酒依昌光・板垣信廣・有賀善内・武居善政・武居堯存・金刺善悦・金刺晴長
:矢崎善且・小坂善蔵・守矢頼真・松岡頼貞・知久頼元・山村良利・山村良候
:贄川重有・大祝豊保・沢房重・鵜飼忠和・両角重政・山中幸利・座光寺為清
:小原広勝・小原忠国・武居善種・花岡善秋・諏訪満隆・千野光弘・千野昌房
:千野靭負尉・大祝右馬助・座光寺頼近
『美濃侵攻軍』
信濃衆 :3000兵
近衛騎馬鉄砲隊:8000騎
近衛武士団 :3000兵
近衛足軽鉄砲隊:1000兵
近衛足軽弓隊 :1000兵
近衛足軽槍隊 :1000兵
近衛黒鍬輜重 :9000兵
僧兵 :8000兵
総計 :3万4000兵
『美濃侵攻時の部隊配置』
「信濃・青崩城砦群」
青崩城砦群代:楠浦虎常
近衛武士団 :1000兵
近衛槍足軽団:5000兵
信濃国衆 :2000兵
「信濃・諏訪城」
大将 :鷹司実信
陣代 :於曾信安
近衛武士団:1200兵
出羽新兵 :4000兵
「信濃国・妻籠城」
妻籠城代 :甘利信忠
近衛武士団 :1000兵
「美濃」
土岐頼芸援軍:一条信龍・馬場信春
武田子飼い兵: 220騎
:1100兵
近衛槍足軽隊:3000兵
近衛弓足軽隊:1000兵
「出羽」
小野寺家目付:漆戸虎光
近衛槍足軽隊:2000兵
近衛弓足軽隊:1000兵
「出羽・山形」
山形城代 :飯富虎昌・鮎川善繁
近衛武士団 :1000兵
信濃武士団 :1500兵
近衛足軽弓隊:1000兵
「陸奥」
山之内一族援軍:曽根昌世
近衛槍足軽隊 :2000兵
近衛弓足軽隊 :1000兵
「越後」
総大将 :武田信廉
近衛武士団 :2400兵
近衛槍足軽隊:3000兵
出羽兵 :3000兵
越後国衆 :7000兵
「越中国」
総大将 :武田信繁
近衛武士団 :2400兵
近衛足軽鉄砲隊:1000兵
近衛足軽弓隊 :1000兵、
近衛槍足軽隊 :3000兵
飛騨木曽諏訪衆:2200兵
出羽兵 :5000兵
越中国衆 :7000兵
横谷入城:浅間孫太郎
三才山城:赤羽大膳
北条城等:三村勢
福応館 :福山善沖勢
丸山館 :丸山善知勢
殿館 :殿勢
荒井城 :島立貞知
櫛木城 :櫛置当主
波多山城:櫛置勢城代
淡路城 :櫛置勢城代
伊深城 :後庁重常
村井城(小屋館):諏訪満隣勢
花岡城:元難民が統治
金子城:元難民が統治
その他統治地域の城砦は元難民が統治
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