転生武田義信
第72話凶行
出羽湯沢城:義信視点
俺は諏訪への帰還を急いでいたが、行軍速度と休息宿泊時間を調節して、八柏道為の守る湯沢城で休息を取った。
八柏道為は小野寺家随一の知将と近隣諸将に恐れられていたので、一度側近くでその能力を確かめてみたかったのだ。
「鷹司大将が差し向けて下さいました医者のお陰を持ちまして、『ぼやまい』で苦しんでおりました領民が助かりましてございます」
「そうか、少しは民の生活に役立ったか、蟲(むし)を全て打ち払うは無理なれど、半数の民は助けてやりたいものよ」
「『ぼやまい』が蟲(むし)の仕業とは皆知りませんでした、鷹司大将がお恵み下さいました、蟲払(むしはら)いの秘薬のお陰を持ちまして、『ぼやまい』に祟(たた)られる者自体が減っております」
「まあ蟲(むし)とは言っても人や神が祟(たた)ったものではない、山野に住む蟲(むし)がおり、その住処(すみか)に人が入った時に祟(たた)られるのだ、できれば蟲(むし)の住処(すみか)には近づかないのが1番じゃが、どうしても近づかねばならぬ時は、蟲払(むしはら)いの秘薬を使い、それでも祟(たた)られてしまった場合は毒消しの術を施すしかない」
「鷹司大将のお慈悲には、領民一同感謝致しております」
「それであれほど多くの民が、我を迎えてくれたのか」
諏訪に連絡して永田徳本先生に弟子を派遣してもらったが、早々直ぐに物理的効果があったとは思えない。越後での評判がプラセボ効果として広まったか?
重湯の経口補水塩としての効果が想定以上にあったか?
腋窩(えきか)や頸動脈(けいどうみゃく)を冷やす方法で脳炎(のうえん)を減らすことができたのか?
どちらにしても領民の心を直接つかめたら、出羽の直轄化が早まるかもしれない。
出羽岩花城(岩鼻館):義信視点
今回も雄勝峠を越えて岩花城(岩鼻館)に向かったのだが、湯沢城の手前から岩花城までには『赤虫・ぼやまい』の発生する、雄物川と最上川の流域を通らなければならない。
そこで将兵に決して寝転んだり座ったりしないように厳命して、注意深く、でも急いで進軍した。
その上で軍勢も小集団に分け、休憩は蟲の被害が出ないように、途中の城砦群で小まめに取る様に指示した。
岩花城では、小野寺家の客将から鷹司家直臣の取り立てた、佐々木貞綱が迎えてくれた。
佐々木貞綱の話を聞いても、俺の雄物川と最上川流域での評判上々だった。これなら地侍や国衆クラスは、一揆を恐れて俺に逆らえないかもしれない。
それと反吐(へど)が出るくらい嫌な手だが、鷹司家直領や味方諸将の領民は、診察売薬を16文で行い、敵対領の民は見捨てる様に指示しよう。
普通は200文で売りつけるのだが、今回は利益よりも謀略を優先する。助かりたければ、鷹司領に移民するしかないようにしよう。
本当に嫌な手段だ!
自分の行いに反吐が出る!
「鷹司大将、寒河江では飯富虎昌殿が、伊達、最上、八盾に大勝なされました。今は諸城を攻略された後、最上義守が籠城する山形城を囲まれておられます」
「八盾の者たちはどうしている?」
「それぞれ自分の城に戻り、領民を動員して籠城しております」
「それでは今年の収穫に差し障りがあるのではないか?」
「それは国衆も自覚しております、農繁期は自然と休戦しております」
「成る程、それなら我は民が城を出た後で、もう1度城に戻れぬようにすればよいのだな」
「まさか民を害されるのですか?」
「そのような事はせぬよ、城攻めに巻き込まれぬ様にするだけじゃ」
「安心致しました」
ここまで南下できれば、余程の不測の事態が起こらない限り、諏訪に帰る日数も逆算できる。
真っ向から逆らって攻撃を仕掛けてきやがった、伊達・最上・八盾を潰して直領化できれば、日本統一への大きな一歩となる。
最低でも鉱山だけは奪い取って、武田家の直轄にしないといけない。まずは延沢銀山を支配している、延沢城主の延沢満重を攻め滅ぼす事にしよう。
延沢城を含む近隣諸城館全てに、何時もの降伏勧告矢文を射た。城主一族全員の切腹を条件に、家臣領民を助命する。城門を開けた者には、1人当たり100貫文を与える。城主一族以外は、城壁や柵を乗り越え逃げて来た場合、助命すると言う内容だ。
降伏勧告矢文の効果は絶大で、わずか数日で多くの城砦が、落城したり開城したりした。
中には寒河江広種や佐々木貞綱に、降伏臣従の仲介を頼んで来る城主一族もいた。
その場合は寒河江広種と佐々木貞綱の顔を立てて、降伏臣従は認めないものの、私財を持って伊達家に逃げる事を許した。
この影響もあったのだろう、延沢城・楯岡城・長瀞城・尾花沢城・飯田館・佛向寺(僧兵)と八盾の大半を、予定以上の早さで攻略することができた。
今回の主要攻略経路から外れていたため、後回しになっていた小国城主の細川直元、志茂手館主の細川直茂兄弟は、山刀伐峠を越えて350兵を率いて臣従の誓いにやってきた。
細川直元と細川直茂の兄弟は、奥州細川家の末裔で、本家の細川晴経は将軍家や細川晴元に仕えている。その関係で許されると思ってやって来たのだろうが、俺は許さなかった!
「直元、直茂、この度の私戦は将軍家の命か、それとも管領の命かどちらじゃ!」
「は! 将軍家の御内書を賜り仕方なく」
「直元、直茂! 我は近衛左大将として、今上帝の民を思う心を説いて私戦を禁じた。その命に逆らうは今上帝と朝廷に逆らった逆賊、我に逆賊として成敗されるか、将軍家の忠臣として腹切るか選ぶがよかろう」
俺の周りにいた近習と犬狼が、俺の抑えきれない殺気を感じて、一気に緊張した。直元と直茂の兄弟が、逆上して俺に襲い掛かってこないか、身構えているのだろう。
「鷹司大将、我ら2人の命で一族郎党の助命を約束して頂けますか!」
直元が決意の籠った眼差しで問いかけて来たが、ここで甘い顔をすれば後で弊害が出てしまう。将軍家の御内書をもらった戦は、負けても許される前例は作れない。
だからと言って、さすがにここに来た350兵全員を、皆殺しにするのも躊躇(ためら)われる。
「うむ、己が命で一族郎党の助命を請うとは天晴(あっぱれ)である。見事切腹して見せたら、一族郎党は助命いたそう。但し城地は召し上げて扶持(ふち)を与えるゆえ、近衛府の兵として諏訪での奉公を命じる。それでよいかな?」
「「有り難き幸せ!」」
吐きそうになりながらも、必死で我慢して切腹を検分した。こんなものを見て喜ぶ趣味はないのだが、武士としての矜持(きょうじ)を示し、一族郎党の助命のための大事な儀式なのだ。
それを命じた俺には、2人が切腹する姿を見届ける義務と責任がある。
近江堅田の称徳寺:第3者視点
「おのれ偽公方! 事もあろうに帝に強訴するとは許すまじ、馬引け! 者共ついて参れ!」
長尾景虎は京に落延びて以来、三好家の客将として大小の合戦で武名を鳴り響かせていた。
曹洞宗(そうとうしゅう)の下級武士・野武士・地侍・足軽を中心に、今では3000もの兵を集め、統率の取れた軍勢に仕立て上げていた。
軍勢を整える軍資金も、曹洞宗の豪農や国衆から支援を受けているため、急速に独自で動かせる兵を養う事ができるようになっていた。
本来なら長尾景虎を止めるべき目付の松永久秀は、独断でこの動きを見逃した。いやむしろ積極的に長尾景虎に情報を流して、暴発するように仕向けた。
三好家に汚名を着せるわけにはいかないが、ここが勝負所だと判断したのだ。
公方が大失態を犯したので、今直ぐに動く事で、朝敵討伐の大義名分を手に入れようとしたのだ。今回の合戦だけは、時間が経ってからでは駄目なのだ。
松永久秀は、公方殺しを決断したものの、主君である三好長慶に汚名を着せるわけには行かない。最悪の場合は、自分が汚名をかぶる覚悟はしているが、避けられるものなら避けたいのが人情だ。
そこで『主殺し』の2つ名を持つ、長尾景虎にやらせればいいと考えたのだ。世情も長尾景虎ならやりかねないと、納得すると判断したのだ。
大山崎を怒りに任せて出陣した長尾景虎だったが、本庄実乃と地元の侍たちの献策を受け入れることにした。
山科本願寺の一向宗に見つからないように、夜間に逢坂関(おうさかのせき)を越えたが、この時に地理に明るい地侍が大いに役立った。
急ぎに急いで、夜明け前に近江堅田の称徳寺に着いた長尾景虎は、史実で行った、気に喰わない村を兵で囲んで焼滅ぼしたのと同じ凶行を行った。
称徳寺の出入り口を兵で厳重に封鎖した上で、四方八方から火をかけたのだ。
寺の中にいた公方たちは、一向宗から酒池肉林の接待を受けていたので、前後不覚の泥酔状態だった。
公方と近臣の奉行衆や御供衆の大半は、眠ったままガスで意識を失い焼き殺された。酔いの浅かった僅かな者だけが、逃げ惑いながら生きたまま火に撒かれて焼け死ぬか、門前で切り殺されることになった。
凶行から逃れられたのは、領地の差配に戻っていた朽木稙綱と、越前国境で軍の指揮をしてる細川晴元との連絡に行っていた、細川藤孝だけだった。
上忍の和田惟政さえも、称徳寺の城壁を越えて逃げようとした所を、長尾兵の槍に突かれて討ち取られた。
長尾景虎は、これで2代4度の主殺しに加えて、公方殺しの汚名悪名を受けることになった。
だが独自の正義感を持つ長尾景虎は、平島公方と呼ばれる足利義冬と、帝への忠義を尽くしたことに大変満足していた。
しかし長尾景虎独自の正義感は、称徳寺襲撃を中途半端にし、画竜点睛を欠くことにもなる。
公方の2人の弟、一乗院門跡の覚慶(かくけい)と、相国寺塔頭で鹿苑院主の周暠に、何の注意も向けなかったのだ。
公方の死を知った者たちの動きは劇的だった!
面目を潰され激怒した六角義賢は、急ぎ兵を集めて三好との決戦を決意した。
越前国境で陣を張り、朝倉を牽制して加賀一向宗を支援していた細川晴元は、若狭武田勢と共に陣払いをして、急ぎ六角との合流を目指した。
細川勢の陣払いを知った朝倉宗滴は、軍を編制して加賀を攻める決意をした。
だがこの情報が今川と北条に届くには、今暫くの時間が必要だった。
出羽山形城:義信視点
いよいよ最上八盾の盟主である、天童頼貞の天童城を囲んだ。
しかし天童城は、舞鶴山・八幡山・越王山が連なる山全体を城郭とした堅固な山城の上に、天童頼貞が家臣領民に慕われているので、他の城砦のように直ぐに内部から開城落城とはいかなかった。
影衆の集めた情報と現況を判断すると、天童頼貞が相手だと、野戦に引きずり出して鉄砲の一斉斉射を行い、決着を付けた方が早い。
そこで天童城は放置して、山形城を囲んでいる、飯富虎昌と合流する事にした。
「若殿、お久しぶりにございます」
「昌景(山県昌景)も元気で何よりだ、虎昌はどうしておる?」
「兄は寒河江兼広殿、白鳥長久殿と軍議でございます。」
「昌景も今度の戦では大活躍であったな、そろそろ虎昌の元を離れて、独自で軍勢を差配してもらわねばななんな」
「有り難きお言葉、これからも若殿のため武田家のため、粉骨砕身奉公させて頂きます」
「うむ、期待しておるぞ」
山形城は比較的堅固ではあるが平城で、野戦で大敗した後なので士気も低い。しかも雑多な勢力が山形城に逃げ込んだため、籠城兵全体の纏まりもない。
そこで既に俺の名で射込んでいた、何時もの三種の矢文に加えて、飯富虎昌の名で新たな矢文を大量に射込ませた。
その内容は、最上義守の首を持参した者に、銭5000貫文を与えると言う、悪辣極まりない内容だった。
俺の名に傷が付くのは拙(まず)いが、できるだけ味方の損耗を減らしたいし、早期に諏訪に戻るためには仕方なかった。
だがその効果は絶大で、疑心暗鬼になった兵たちの殺し合いが勃発したのだ。
もはや誰も信じられず、ろくに眠る事すらできなくなった最上義守は、妻子の助命を条件に切腹開城しようとした。
だがその噂を聞いた雑兵たちは、切腹されては5000貫文が泡と消えると考え、皆で5000貫文を分けるを相談して、二之丸から本丸に攻め込んだ。
哀れな最上一族は、家臣や雑兵共に攻め殺され滅亡する結末となった。
特に最上義守は無残なもので、最後に欲に駆られた雑兵同士が最上義守の首の奪い合い、義守の首は判別不可能なほど千切り取られてしまい、見るも無残な有様となった。
さすがにそんな首を見たら悪夢にうなされそうだったので、全責任を虎昌に押し付けて、山上城の攻略に向かう事にした。
5000貫文は約束通り虎昌が支払ったが、義守の首だと肉片を持って来た皆に公平に分配したため、1兵当たりの額が激減した。
肉片でも銭が分配されると言う噂を聞いた雑兵全てが、その辺に転がっている死体の顔の肉を引き千切って持って来たからだ。
だが虎昌が銭の支払いを証書の形にしたため、兵たちは銭を受け取る為に日本海沿岸の湊に行くしかなくなり、自然に伊達家からも山形の地からも引き離されることになった。
俺は諏訪への帰還を急いでいたが、行軍速度と休息宿泊時間を調節して、八柏道為の守る湯沢城で休息を取った。
八柏道為は小野寺家随一の知将と近隣諸将に恐れられていたので、一度側近くでその能力を確かめてみたかったのだ。
「鷹司大将が差し向けて下さいました医者のお陰を持ちまして、『ぼやまい』で苦しんでおりました領民が助かりましてございます」
「そうか、少しは民の生活に役立ったか、蟲(むし)を全て打ち払うは無理なれど、半数の民は助けてやりたいものよ」
「『ぼやまい』が蟲(むし)の仕業とは皆知りませんでした、鷹司大将がお恵み下さいました、蟲払(むしはら)いの秘薬のお陰を持ちまして、『ぼやまい』に祟(たた)られる者自体が減っております」
「まあ蟲(むし)とは言っても人や神が祟(たた)ったものではない、山野に住む蟲(むし)がおり、その住処(すみか)に人が入った時に祟(たた)られるのだ、できれば蟲(むし)の住処(すみか)には近づかないのが1番じゃが、どうしても近づかねばならぬ時は、蟲払(むしはら)いの秘薬を使い、それでも祟(たた)られてしまった場合は毒消しの術を施すしかない」
「鷹司大将のお慈悲には、領民一同感謝致しております」
「それであれほど多くの民が、我を迎えてくれたのか」
諏訪に連絡して永田徳本先生に弟子を派遣してもらったが、早々直ぐに物理的効果があったとは思えない。越後での評判がプラセボ効果として広まったか?
重湯の経口補水塩としての効果が想定以上にあったか?
腋窩(えきか)や頸動脈(けいどうみゃく)を冷やす方法で脳炎(のうえん)を減らすことができたのか?
どちらにしても領民の心を直接つかめたら、出羽の直轄化が早まるかもしれない。
出羽岩花城(岩鼻館):義信視点
今回も雄勝峠を越えて岩花城(岩鼻館)に向かったのだが、湯沢城の手前から岩花城までには『赤虫・ぼやまい』の発生する、雄物川と最上川の流域を通らなければならない。
そこで将兵に決して寝転んだり座ったりしないように厳命して、注意深く、でも急いで進軍した。
その上で軍勢も小集団に分け、休憩は蟲の被害が出ないように、途中の城砦群で小まめに取る様に指示した。
岩花城では、小野寺家の客将から鷹司家直臣の取り立てた、佐々木貞綱が迎えてくれた。
佐々木貞綱の話を聞いても、俺の雄物川と最上川流域での評判上々だった。これなら地侍や国衆クラスは、一揆を恐れて俺に逆らえないかもしれない。
それと反吐(へど)が出るくらい嫌な手だが、鷹司家直領や味方諸将の領民は、診察売薬を16文で行い、敵対領の民は見捨てる様に指示しよう。
普通は200文で売りつけるのだが、今回は利益よりも謀略を優先する。助かりたければ、鷹司領に移民するしかないようにしよう。
本当に嫌な手段だ!
自分の行いに反吐が出る!
「鷹司大将、寒河江では飯富虎昌殿が、伊達、最上、八盾に大勝なされました。今は諸城を攻略された後、最上義守が籠城する山形城を囲まれておられます」
「八盾の者たちはどうしている?」
「それぞれ自分の城に戻り、領民を動員して籠城しております」
「それでは今年の収穫に差し障りがあるのではないか?」
「それは国衆も自覚しております、農繁期は自然と休戦しております」
「成る程、それなら我は民が城を出た後で、もう1度城に戻れぬようにすればよいのだな」
「まさか民を害されるのですか?」
「そのような事はせぬよ、城攻めに巻き込まれぬ様にするだけじゃ」
「安心致しました」
ここまで南下できれば、余程の不測の事態が起こらない限り、諏訪に帰る日数も逆算できる。
真っ向から逆らって攻撃を仕掛けてきやがった、伊達・最上・八盾を潰して直領化できれば、日本統一への大きな一歩となる。
最低でも鉱山だけは奪い取って、武田家の直轄にしないといけない。まずは延沢銀山を支配している、延沢城主の延沢満重を攻め滅ぼす事にしよう。
延沢城を含む近隣諸城館全てに、何時もの降伏勧告矢文を射た。城主一族全員の切腹を条件に、家臣領民を助命する。城門を開けた者には、1人当たり100貫文を与える。城主一族以外は、城壁や柵を乗り越え逃げて来た場合、助命すると言う内容だ。
降伏勧告矢文の効果は絶大で、わずか数日で多くの城砦が、落城したり開城したりした。
中には寒河江広種や佐々木貞綱に、降伏臣従の仲介を頼んで来る城主一族もいた。
その場合は寒河江広種と佐々木貞綱の顔を立てて、降伏臣従は認めないものの、私財を持って伊達家に逃げる事を許した。
この影響もあったのだろう、延沢城・楯岡城・長瀞城・尾花沢城・飯田館・佛向寺(僧兵)と八盾の大半を、予定以上の早さで攻略することができた。
今回の主要攻略経路から外れていたため、後回しになっていた小国城主の細川直元、志茂手館主の細川直茂兄弟は、山刀伐峠を越えて350兵を率いて臣従の誓いにやってきた。
細川直元と細川直茂の兄弟は、奥州細川家の末裔で、本家の細川晴経は将軍家や細川晴元に仕えている。その関係で許されると思ってやって来たのだろうが、俺は許さなかった!
「直元、直茂、この度の私戦は将軍家の命か、それとも管領の命かどちらじゃ!」
「は! 将軍家の御内書を賜り仕方なく」
「直元、直茂! 我は近衛左大将として、今上帝の民を思う心を説いて私戦を禁じた。その命に逆らうは今上帝と朝廷に逆らった逆賊、我に逆賊として成敗されるか、将軍家の忠臣として腹切るか選ぶがよかろう」
俺の周りにいた近習と犬狼が、俺の抑えきれない殺気を感じて、一気に緊張した。直元と直茂の兄弟が、逆上して俺に襲い掛かってこないか、身構えているのだろう。
「鷹司大将、我ら2人の命で一族郎党の助命を約束して頂けますか!」
直元が決意の籠った眼差しで問いかけて来たが、ここで甘い顔をすれば後で弊害が出てしまう。将軍家の御内書をもらった戦は、負けても許される前例は作れない。
だからと言って、さすがにここに来た350兵全員を、皆殺しにするのも躊躇(ためら)われる。
「うむ、己が命で一族郎党の助命を請うとは天晴(あっぱれ)である。見事切腹して見せたら、一族郎党は助命いたそう。但し城地は召し上げて扶持(ふち)を与えるゆえ、近衛府の兵として諏訪での奉公を命じる。それでよいかな?」
「「有り難き幸せ!」」
吐きそうになりながらも、必死で我慢して切腹を検分した。こんなものを見て喜ぶ趣味はないのだが、武士としての矜持(きょうじ)を示し、一族郎党の助命のための大事な儀式なのだ。
それを命じた俺には、2人が切腹する姿を見届ける義務と責任がある。
近江堅田の称徳寺:第3者視点
「おのれ偽公方! 事もあろうに帝に強訴するとは許すまじ、馬引け! 者共ついて参れ!」
長尾景虎は京に落延びて以来、三好家の客将として大小の合戦で武名を鳴り響かせていた。
曹洞宗(そうとうしゅう)の下級武士・野武士・地侍・足軽を中心に、今では3000もの兵を集め、統率の取れた軍勢に仕立て上げていた。
軍勢を整える軍資金も、曹洞宗の豪農や国衆から支援を受けているため、急速に独自で動かせる兵を養う事ができるようになっていた。
本来なら長尾景虎を止めるべき目付の松永久秀は、独断でこの動きを見逃した。いやむしろ積極的に長尾景虎に情報を流して、暴発するように仕向けた。
三好家に汚名を着せるわけにはいかないが、ここが勝負所だと判断したのだ。
公方が大失態を犯したので、今直ぐに動く事で、朝敵討伐の大義名分を手に入れようとしたのだ。今回の合戦だけは、時間が経ってからでは駄目なのだ。
松永久秀は、公方殺しを決断したものの、主君である三好長慶に汚名を着せるわけには行かない。最悪の場合は、自分が汚名をかぶる覚悟はしているが、避けられるものなら避けたいのが人情だ。
そこで『主殺し』の2つ名を持つ、長尾景虎にやらせればいいと考えたのだ。世情も長尾景虎ならやりかねないと、納得すると判断したのだ。
大山崎を怒りに任せて出陣した長尾景虎だったが、本庄実乃と地元の侍たちの献策を受け入れることにした。
山科本願寺の一向宗に見つからないように、夜間に逢坂関(おうさかのせき)を越えたが、この時に地理に明るい地侍が大いに役立った。
急ぎに急いで、夜明け前に近江堅田の称徳寺に着いた長尾景虎は、史実で行った、気に喰わない村を兵で囲んで焼滅ぼしたのと同じ凶行を行った。
称徳寺の出入り口を兵で厳重に封鎖した上で、四方八方から火をかけたのだ。
寺の中にいた公方たちは、一向宗から酒池肉林の接待を受けていたので、前後不覚の泥酔状態だった。
公方と近臣の奉行衆や御供衆の大半は、眠ったままガスで意識を失い焼き殺された。酔いの浅かった僅かな者だけが、逃げ惑いながら生きたまま火に撒かれて焼け死ぬか、門前で切り殺されることになった。
凶行から逃れられたのは、領地の差配に戻っていた朽木稙綱と、越前国境で軍の指揮をしてる細川晴元との連絡に行っていた、細川藤孝だけだった。
上忍の和田惟政さえも、称徳寺の城壁を越えて逃げようとした所を、長尾兵の槍に突かれて討ち取られた。
長尾景虎は、これで2代4度の主殺しに加えて、公方殺しの汚名悪名を受けることになった。
だが独自の正義感を持つ長尾景虎は、平島公方と呼ばれる足利義冬と、帝への忠義を尽くしたことに大変満足していた。
しかし長尾景虎独自の正義感は、称徳寺襲撃を中途半端にし、画竜点睛を欠くことにもなる。
公方の2人の弟、一乗院門跡の覚慶(かくけい)と、相国寺塔頭で鹿苑院主の周暠に、何の注意も向けなかったのだ。
公方の死を知った者たちの動きは劇的だった!
面目を潰され激怒した六角義賢は、急ぎ兵を集めて三好との決戦を決意した。
越前国境で陣を張り、朝倉を牽制して加賀一向宗を支援していた細川晴元は、若狭武田勢と共に陣払いをして、急ぎ六角との合流を目指した。
細川勢の陣払いを知った朝倉宗滴は、軍を編制して加賀を攻める決意をした。
だがこの情報が今川と北条に届くには、今暫くの時間が必要だった。
出羽山形城:義信視点
いよいよ最上八盾の盟主である、天童頼貞の天童城を囲んだ。
しかし天童城は、舞鶴山・八幡山・越王山が連なる山全体を城郭とした堅固な山城の上に、天童頼貞が家臣領民に慕われているので、他の城砦のように直ぐに内部から開城落城とはいかなかった。
影衆の集めた情報と現況を判断すると、天童頼貞が相手だと、野戦に引きずり出して鉄砲の一斉斉射を行い、決着を付けた方が早い。
そこで天童城は放置して、山形城を囲んでいる、飯富虎昌と合流する事にした。
「若殿、お久しぶりにございます」
「昌景(山県昌景)も元気で何よりだ、虎昌はどうしておる?」
「兄は寒河江兼広殿、白鳥長久殿と軍議でございます。」
「昌景も今度の戦では大活躍であったな、そろそろ虎昌の元を離れて、独自で軍勢を差配してもらわねばななんな」
「有り難きお言葉、これからも若殿のため武田家のため、粉骨砕身奉公させて頂きます」
「うむ、期待しておるぞ」
山形城は比較的堅固ではあるが平城で、野戦で大敗した後なので士気も低い。しかも雑多な勢力が山形城に逃げ込んだため、籠城兵全体の纏まりもない。
そこで既に俺の名で射込んでいた、何時もの三種の矢文に加えて、飯富虎昌の名で新たな矢文を大量に射込ませた。
その内容は、最上義守の首を持参した者に、銭5000貫文を与えると言う、悪辣極まりない内容だった。
俺の名に傷が付くのは拙(まず)いが、できるだけ味方の損耗を減らしたいし、早期に諏訪に戻るためには仕方なかった。
だがその効果は絶大で、疑心暗鬼になった兵たちの殺し合いが勃発したのだ。
もはや誰も信じられず、ろくに眠る事すらできなくなった最上義守は、妻子の助命を条件に切腹開城しようとした。
だがその噂を聞いた雑兵たちは、切腹されては5000貫文が泡と消えると考え、皆で5000貫文を分けるを相談して、二之丸から本丸に攻め込んだ。
哀れな最上一族は、家臣や雑兵共に攻め殺され滅亡する結末となった。
特に最上義守は無残なもので、最後に欲に駆られた雑兵同士が最上義守の首の奪い合い、義守の首は判別不可能なほど千切り取られてしまい、見るも無残な有様となった。
さすがにそんな首を見たら悪夢にうなされそうだったので、全責任を虎昌に押し付けて、山上城の攻略に向かう事にした。
5000貫文は約束通り虎昌が支払ったが、義守の首だと肉片を持って来た皆に公平に分配したため、1兵当たりの額が激減した。
肉片でも銭が分配されると言う噂を聞いた雑兵全てが、その辺に転がっている死体の顔の肉を引き千切って持って来たからだ。
だが虎昌が銭の支払いを証書の形にしたため、兵たちは銭を受け取る為に日本海沿岸の湊に行くしかなくなり、自然に伊達家からも山形の地からも引き離されることになった。
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-
442
-
726
-
-
71
-
153
-
-
49
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163
-
-
1,861
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1,560
-
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80
-
281
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3,643
-
9,420
-
-
985
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1,509
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216
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516
-
-
12
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6
-
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105
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364
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57
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89
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63
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43
-
-
19
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1
-
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80
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138
-
-
358
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1,672
-
-
28
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46
-
-
3
-
1
-
-
201
-
161
-
-
2,940
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4,405
-
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7,460
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1.5万
-
-
2,620
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7,283
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191
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23
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2
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1.7万
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1,640
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2,764
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37
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59
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87
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30
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3,202
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1.5万
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83
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13
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