転生武田義信

克全

第70話苦戦4

陸奥大仏ヶ鼻城(石川城):義信視点

さて南部はどう出る?

津軽4郡の城砦群を助けるためにやってくるのか?

来てくれれば平野部で決戦して、完膚なきまで叩きのめして、後を浪岡中将に任せることができる。

しかし武田包囲網を上手く利用して持久戦に持ち込まれたら、雪が降るまでに諏訪に帰らなければいけない俺は苦戦することになる。

大仏ヶ鼻城の城兵は、俺と浪岡中将からの降伏勧告に応じなかった。さすがに名将の石川高信が、自分の居城を任せた家臣団だ。

仕方ないので、今回は火攻めをする事にした。まあ火責めと言っても、簡単に火災を起こせるとは思っていない。

此方は交代で休みながら、1日中火矢を射かけて、城兵を休ませず眠らせない攻撃をするのだ。

まあ拷問の様な攻撃を繰り返し、敵兵を疲労困憊(ひろうこんぱい)にした上で、我攻めする作戦だ。

だが我攻めを行う前に、4日目に城兵の中から裏切り者が出た。火矢と一緒に射込んだ、矢文の効果がでたのだ。

裏切って城門を開けた者は、助命の上で1人当たり100貫文与えると言うものだ。まあそんな裏切り者など家臣にする気はないが、味方の損害を銭で減らせるなら安いものだ。

開いた城門への突撃は、浪岡勢に任せた。俺たちは鉄砲で支援射撃に専念したが、士筒でしっかり狙いを定めての狙撃に、敵兵は恐慌状態になった。

まあ合戦のない時には、訓練と実益を兼ねて狩り三昧(ざんまい)に日々だから、その射撃能力は名人級だ。

獲物に比べて動きの遅い人間を狙う方が、気配を察知されない遠距離から鳥や獣を撃つより、遥(はる)かに容易(たやす)い。

この卑怯(ひきょう)な方法で、古屋敷館・杉館・五日市館と落城させていくと、雪崩現象(なだれげんしょう)が起こった。

籠城している城砦群のほとんどで、疑心暗鬼が生じて殺し合いが始まったのだ!

「浪岡中将、街道を抑える城は我が支配するが、他は全て卿が差配(さはい)されよ」

「有り難き幸せ、帝のためにも津軽4郡に平安をもたらして見せます」

「頼み置くぞ」

この地は俺が軍を返せばまた乱れるのは必定だが、味方を決して見捨てない姿勢は取り続けないといけない。だが同時に、裏切り者は許さない苛烈(かれつ)さも見せねばならない。

向背(こうはい)定まらない者は、できるだけ諏訪に連れて行き、扶持武士化して徐々にでも遠隔地の安定を計る事も大切だ。





駿河今川館:今川義元視点

今日は太原雪斎と朝比奈泰能を呼び寄せて、今後のことを率直に話し合わねばならん!

「御屋形様、このまま戦を続けられては、今年の実りに影響が出ます。伊那の焼き討ちも成果はあったものの、国境を破るには至りませんでした。そろそろ和睦の使者を立てられては如何に?」

「されど雪斎殿、足軽や扶持武士が主力で、何時でも遠江に討ち入れる義信が、容易(たやす)く和睦に応じますかな?」

「義信は帝を押し立てて軍を推し進めております。将軍家を使って、帝から和睦の使者を出させれば宜しかろう」

「将軍家に帝を脅かさせるのですな、雪斎殿の僧とは思えぬ人の悪さですな」

「乱世を鎮め、民に安寧を持たらせるには、方便も必要ですよ。しかしながら御屋形様には、申し訳ない事をしでかしてしまいました。義信の力を見誤り、このような仕儀となり申した」

「それは仕方ありますまい。幕府の役目を返上し、我ら今川家との婚儀の話を踏み躙(にじ)り、皇室や九条家と婚姻を通じて、諸国を切り取りだしたのです。今動かねば、取り返しのつかぬことになったことでしょう。義信が東国にいて動けぬ内に、和睦の話を進めましょう。夏には今1度、一向宗が越中に攻め込みましょう。秋の農繁期のには、和議が纏まる様に手配しましょう」

「そうする他ありますまいな、後は銭で集められる足軽と野武士を集め、農繁期でも攻め込まれぬようにして置かねば成りますまいな」

2人の意見も出そろったようだし、この方法で進めるしかあるまい。最初の予定では、伊那郡を切り取る心算であったが、何とも情けない話だ。せめて伊那郡の職人を根切りにできればよかったのだが、伊賀者は頼りにならぬな。

「我が今川は、将軍家の命で仕方なく従弟殿や甥と合戦に至っただけで、やりたくてやった訳ではないのだ。御内書を出した将軍家には、責任を取ってもらわねばならん」

「左様ですな、今川家に都合のよい渡りの船の御内書ではありましたが、我らから求めた物ではありませんな。まあ御内書を得るまでに、奉行衆に随分と銭を使いましたが」

「それは言わぬが花でござるよ、雪斎殿」





常陸太田城:第3者視点

関東管領の上杉憲政は、河越夜戦で敗北した時に、佐竹義昭に関東管領職と家名の継承を条件に保護を求めたが、断られてしまっていた。

これは佐竹家12代当主の佐竹義人が、上杉家から婿養子に入っていたため、父系で言えば佐竹は上杉家の分家となるからだ。

しかし史実の佐竹義昭は、母系の清和源氏義光流の末裔としての誇りを優先して、関東管領職と家名の継承断ったと言われている。

だがこれは疑わしい、戦国期で生き抜くうえで、藤原氏より源氏の方が有利と判断したのだろう。

現に義人の婿養子に反対した一門家臣が、反乱を起こしているのだ。もし家名を変えたら、大義名分を得た分家が反乱を起こしたり、分家を担いだ家臣が謀反を起こす恐れがあると言う判断だろう。

だがここで、越後を頼る道を断たれた上杉憲政が、考えに考え抜いた抜け道が功を奏した。

自分の保護を条件に、佐竹義昭を武蔵守護代に任じたのだ!

さらにこの状況下で、将軍家から反武田包囲網の御内書が届いたのだ。

上杉憲政と佐竹義昭は、反武田包囲網に参加するに当たり、2つの条件を出した。その内容は、佐竹義昭を関東管領代に任ずることと、北条家を討伐する御内書を出すと言う事だった。

ここでまた今川家が介入する!

今川家とすれば、武田家と争うにあたり、武田家と北条家が同盟して駿河に攻め寄せる事だけは回避したい。そのためには、関東管領の上杉家が北条を牽制する事は必要不可欠だったのだ。





相模小田原城:北条氏康視点

「殿様、真(まこと)に持って腹立たしき事ながら、新九郎様は毒殺されたと思われます」

「やはりあの噂は本当であったか!」

北条氏康は、不動明王の憤怒(ふんぬ)の相(そう)もかくやという表情で、怒り狂っていた。

居並ぶ一門諸将は、氏康の余りの怒りに言葉を掛ける事もできず、その場で身じろぐ事すらできずに、互いに目配せするだけだった。

最初に新九郎が毒殺されたと言う噂が流れても、氏康は鵜呑(うの)みにする事はなかった。鷹司義信が何度も毒殺されかけていると言う噂も、武田晴信の謀略の可能性もあると信じることはなかった。

しかし将軍家からの反武田の御内書が届き、今川の伊那侵攻が実施されるに至(いた)って疑惑(ぎわく)が生じて来た。全てが今川義元の描いた絵図ではないのかと。

今川とは、河東郡を巡って2度の戦をしている。次代の当主の明暗によって、今川と北条の行く末は大きく違ってくるだろう。

毒殺された新九郎と、次の当主になるだろう松千代丸では、器量に差がある事は否めない。新九郎の死因を確かめない事には、今後の北条の戦略を決められない状況となっていた。

「兵を集めよ! 今直ぐ今川を攻め滅ぼしてくれる!」

「殿! 御待ち下され、義元殿がやったと確証がある訳ではございません。それこそ晴信殿や、関東管領と佐竹、他にも里見など誰でも反間の計を施す可能性はありますぞ」

「そんな事など分かっております幻庵殿、しかしこの状況を見れば、義元以外に考えられませぬ!」

「殿よ、儂もその事は分かって言っておるのじゃ。たが新九郎の敵を討つにしても、北条の行く末を見据た上で動かねばならぬ、それが末世の生き方じゃ」

「それは例え新九郎が義元に毒殺されていようが、北条家のためならば、義元と手を結べと言う事か!」

「哀しき事成れど、そういう事じゃよ殿、今単独で今川と合戦になれば勝てるかの?」

「単独ではなかろう、武田と共に戦うことになろう」

「武田と今川は幾重にも縁を結んでいるぞ、何度も戦っては和議を結んでおる。今度も和議を結んで、共に北条に矛を向けぬとも言えぬぞ」

「う~む、それは今川を攻めるなと言う事ではなく、今川を攻めるなら、武田と今川を超える縁を結べと言う事か?」

「左様でござる。それに我が北条が今川を攻めてきた時の手立てを、あの義元が講じておらぬと思われておられるのか?」

「山内上杉と佐竹、里見の事を言っておられるのか?」

「儂が義元や雪斎なら、北条を抑えるために将軍家を使って、関東管領と佐竹、それと里見にも北条討伐を命じさせるがな」

「武田討伐ではなく、北条討伐なのか?」

「殿にも武田討伐の御内書は来ておった、だが我が北条は関東を優先して応じなかった。まあ武田に付け入る隙がなかったと言う事ではあるがな。楽に攻め込めるなら、甲斐を切り取ってもよかったが、とても無理だと判断した。それは関東管領も同じじゃよ、武田に攻め込むよりは北条を攻めたい。何より佐竹や里見からみれば、甲斐は遠くて攻め込むなど無理じゃ。まあ上総の武田を攻め滅ぼすよい口実とはなるだろうがな」

「義元が講じている次善の策が、武田が甲斐信濃を守り切った時の、北条攻めだと言いたいのか?」

「それくらいの手筋は読んでおろうよ。我が北条が新九郎毒殺を義信の謀略と思いこみ、今川に攻撃を依頼したとか、公家衆の誰かに頼まれたとか、将軍家の命で仕方なかったとか、何とでも晴信に言い逃れた上で、共に北条を切り取ろうと言いだすかもしれぬよ。何といっても今川には、人質同然の信虎殿たちがいるのだからな」

「だが幻庵殿、武田と縁を結ぶにしても、義信殿にはすでに九条簾中と言う正室がおるぞ。しかも九条簾中との間には、嫡男まで産まれておる。此方から姫を送るにしても、相手が九条の姫となれば、正室に直してくれと要求する事もできぬ。互いの姫を側室に送り人質としても、今川を凌ぐ縁とは言えんぞ」

「殿よ、今川が伊那を領地に切り取った後の事を考えられたか。武田の快進撃は、全て義信が開発した伊那の豊かさにある。伊那を失った武田は、切り取った領地の維持すら危うくなるじゃろう。最悪甲斐一国すら維持できず、今川の属国になるやもしれん。その時今川は北条をどう扱うじゃろうの」

「今川が関東管領と手を結び、伊豆、相模、武蔵を分け取ると言いたいのか?」

「関東管領が頼った佐竹なら、下総、上総、安房を切り取れれば満足であろうよ。今川が相模と伊豆を切り取り、間の武蔵に関東管領を挟んで手打ちにするじゃろうよ」

「武田が守り切ったらどう出ると言われるのか?」

「武田は義信が表に出て以来、伊那、木曽、飛騨、越中、信濃と、一切関東東海には色気を見せておらん。晴信殿も頼まれた上野の国衆を従えただけで、関東には一切軍を動かしておらん。むしろ皇室や公家衆を支援したり、伊勢神宮遷宮や武田一門を支援する事に終始しておる」

「しかしな幻庵殿、義信や晴信も、駿河、遠江、三河を切り取れば、関東に欲が出るやもしれんぞ」

「そこでじゃ、北条は駿河攻めに兵を出し、武田は遠江を攻め今川を分け取るのよ」

「その後武田が矛を北条に向けぬと言い切れるのか?」

「まあ交渉次第ではあるがな、何処を国境にするにしても、そこは分家を入れて緩衝地帯とするがよかろうよ」

「分家? 緩衝地帯? どう言う事だ?」

「先ほど言っていただろう、義信に正室がいて縁を結べぬと。ならば弟の五郎に正室を送ればよい、此方も藤菊丸の正室に武田の姫を迎えればよい。そして五郎が遠江を領し藤菊丸が駿河を領すれば少しは安心出来るであろう」

「そのような話が纏まると思うのか?」

「少なくとも返答次第で、武田の関東への野心が測れよう」

「成る程な、交渉だけは行うべきだな!」

新九郎を毒殺された事、絶対に許せん!

幻庵殿にしても、反対派の家臣共を抑えるために、最初に反対しておいて、最後には今川を攻める方に誘導してくれたのであろう。

問題は晴信の関東への野心だが、出羽を切り取り、陸奥にまで攻め込んでいるのは気になる。だが九条簾中を正室に迎え、鷹司の家名を名乗っている以上、義信の眼は京に向かっているはずだ。

京の伊勢貞孝殿の文からも、義信の野心は京に向かっているはずだ。ならば関東に兵と時間を使うよりも、こちらの提案を受け入れて、今川を分けとる提案を受け入れるはずだ。

何としてでも新九郎の敵を討つ!





出羽独鈷城:義信視点

「では御一同は甲斐浅利家よりも、甲斐武田家からの養子を望まれるのだな?」

「は! そうして頂ければ有り難い事でございます」

一門を代表して浅利勘兵衛が即答した。

浅利牛欄の根回しが利いているのだろう

「頼治と則祐は、弟の癖に勝頼殿を害して跡目を襲おうとしていた。そのような者を浅利家の当主にはできぬ、だが、我が武田家より嗣養子を出すのが不服とあれば、浅利家の本家たる甲斐浅利家から婿養子を出してもいいのじゃぞ?」

「甲斐武田家は浅利家の宗家なれば、何の不服もございません。まして次代は浅利の娘から産まれた者に継がせると約束して頂きました。家臣一門一同感謝こそすれ、不服などございません」

俺は津軽四郡から羽州街道を南下して比内地方に移動して来た。津軽は浪岡中将に任せたと言えば体裁はいいが、率直な話が見切りを付けたのだ。

味方を見捨てない姿勢を見せた以上、その後で南部に取り返されても仕方がない。何としても移動できる間に諏訪に戻り、伊那の民を焼き討ちした今川を潰す!

今川を叩き潰した後も、安東・小野田・最上・伊達と、叩かねばいけない諸将が多い。津軽だけに時間と労力を費やす訳にはいかないのだ。

信廉叔父上との会談の後で、新たに諏訪から雄物川と最上川流域に送らせた、医者の動向も気になる。戦に巻き込まれたりしていなければいいのだが。

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