転生武田義信

克全

第68話苦戦2

越中増山城:義信視点

一向宗との戦いを繰り返していた俺は、兵馬を休ませるために、一旦増山城に入る事にした。

増山城は越中三大山城の1つだったが、越中を治める拠点として大増改築されていた。

理由は簡単な話で、庄川を挟んで越中一向宗の二大拠点の1つ、井波城(瑞泉寺)があるからだ。

井波城(瑞泉寺)を抑えるべく大増改築されていた、最前線城砦の千代ヶ様城・隠尾城・鉢伏山城を、後方から支援する最大の拠点なのだ。

今後の展開は、一向宗の決意に左右される。

奴らが今年の収穫を重視するかどうかで、俺が取るべき戦略戦術も変わってきてしまう。

越中には2年に渡って莫大な資本投下を行ったが、それが今回の一向一揆で破壊若しくは強奪されたのだ。

奪った銭と食料で1年間食い繋ぐ心算なら、一向宗は加賀に帰らないだろう。

いやこれからも他宗派の民から奪い続け、支配者として君臨する心算なら、加賀に帰る必要はない。

加賀では御布施を収める末端信徒だった者が、越中・越後・信濃と戦い続ければ、御布施を集める立場に成れるのだ。

以前に一向宗が越前に攻め込んだ時の総数は、30万だと聞いている。誇張もあるだろうから、頭から信用する事はできないが、今回は10万と言っている。

加賀に生産者を全く残していない訳ではないだろうが、加賀の生産量・収穫量は激減するだろう。

だが石山本願寺が、加賀の門徒に本山布施を免除すれば、まだまだ戦い続けられる可能性もある。

俺としては最悪の可能性を考慮すべきだろう。





陸奥の戦況:義信視点

俺が戦地を転戦していたから、連絡が錯綜し時間軸が交錯しているが、一向一揆の影響は各地で起こっていた。

時間的には雪解けと同時に、動けるところから反武田大同盟が奇襲を仕掛け、今回の戦が始まった。

俺たちに味方してくれる者たちは、反撃若しくは籠城戦を展開し、最前線の周辺諸国は援軍を送りだした。

俺は国境線の峠が雪解けするまでは、諏訪城から動くことができず、援軍に駆けつけられなかったため、1手も2手も遅れてしまった。

陸奥では南部家が動いた。

南部晴政(なんぶはるまさ)が総大将となり、実弟の石川高信を陣代として、九戸信仲・北信愛・南信義・東重康・八戸政栄・七戸家国・大浦守信など一門家臣を総動員して、6000兵で鹿角郡に襲い掛かった。

これに対して、本来援軍を送るべき比内浅利家は、安東連合の攻撃を受けて籠城戦を展開していたので、動くにに動けなかった。

一方岩手郡を治める高水寺斯波家の斯波経詮(しばつねあき)は、反南部を表明した。高水寺城(斯波御所)を拠点に、雫石城主で弟の雫石詮貞と、猪去館主で弟の猪去詮義と連携して、南部軍の隙を伺っていた。





越中増山城:義信視点

諏訪を出て以来、急速移動と連戦で疲れた将兵を休ませるため、丸1日完全休養にあてた。

もちろん増山城の物見には、信繁叔父上が籠城されている放生津城の状況を、常時偵察させていた。

少しでも危険を感じたら、即座に救援に出陣する覚悟だけはしていたが、信繁叔父上と守備兵は、見事に一向宗を撃退し続けてくれていた。

休養を終えた俺たちは、負傷者を増山城に預けて出陣した。夜明け前に密かに庄川を渡り、井波城(瑞泉寺)を朝駆けしたのだ。

俺は一向宗の本拠地を奇襲する事で、放生津城の囲みを解けないかと考えたのだ。

心を鬼にして門前町を焼き払い、幅広の水堀と土塁で守られた城外を駆け回り、手当たり次第に周辺の家を焼き払った。

この時俺たちは「破戒僧の証如」「殺傷坊主の証如」「仏敵は本願寺」と叫びながら、井波城(瑞泉寺)攻撃した。

狂主を馬鹿にされた一向宗は、怒り狂って討って出て来た。だが俺たちは、農民兵に後れを取るような鍛え方はしていない。

怒りに我を忘れた一向宗を、太刀を抜いて撫で斬りにして、城内に突入しようとした。

だが一向宗も戦慣れしているようで、即座に仲間を見捨てて城門を閉じてしまったため、これ以上の攻撃は断念することになった。

俺は即座に攻撃目標を安養寺城(勝興寺)に変えて、奇襲の連絡が届かないうちに移動しようとた。

俺たちが安養寺城(勝興寺)に到着して時には、まだ奇襲の連絡は届いていないようで、戦支度はされていなかった。

安養寺城(勝興寺)の主郭は、空堀と土塁で囲まれた約200mの方形で、主郭から東側は「寺町」と呼ばれていた。

そうなのだ、安養寺城(勝興寺)は一向宗によって町割りが行われており、寺内町を内包した惣構えを有する城なのだ。

俺たちは心を鬼にして、寺町に焼き討ちを仕掛け、多くの家々を焼き払った。

この時にも俺たちは、「破戒僧の証如」「殺傷坊主の証如」「仏敵は本願寺」と叫びながら攻撃した。

ここでも狂主を馬鹿にされた一向宗は、怒り狂って討って出て来た。出て来た一向宗を撫で斬りにしては罵詈雑言(ばりぞうごん)を続け、その度に怒り狂って出てくる一向宗を撫で斬りにした。

さんざん一向宗を殺した俺たちだが、騎馬隊で急いで奇襲したため、城攻めを行う歩兵部隊は随伴(ずいはん)していなかった。

貴重な騎馬鉄砲隊を城攻めで損耗したくないので、今回は城取を諦めて、一旦休養すべく増山城に戻る事にした。





甲斐躑躅城:信玄視点

「虎綱、信友の素振(そぶ)りはどうじゃ」

「今のところ、穴山殿に今川との内通の素振りはございません。ですが些(いささ)か戦意が乏(とぼ)しいようにも見られます。疑って見れば、戦況によっては寝返ろうとしているとも考えられます」

「伊那口の状況次第と言う事か」

「はい、伊那口を突破され、若殿が築き上げられた成果を今川が手に入れたら、今川の国力は一気に高まり、勢力が逆転するやもしれません」

「愚かなことよ! 河原者や山窩が義信以外の者に従う筈がなかろう! そんな簡単な道理も分からんとは、義元を買被って攻撃はないと思っていた儂も愚かよ!」

「御屋形様!」

「まあよいわ。北条の動きはどうなっておる?」

「影衆の伝書鳩と伝令の知らせでは、戦支度をしているとの事でございます」

「さて氏康は甲斐を狙うか、駿河を攻めるか、関東統一に専念するか?」

「信智様に援軍を送られますか?」

「小山田備中守と虎満の親子が指揮を取っておるから大丈夫だ、それよりも伊那口の戦況はどうだ?」

「伝書鳩、伝令共に今川を撃退しているとの報告でございます」

「ならば今川が諦めるまで守備に専念させよ、今年の実りは考えなくてよい! 武田貨幣と兵糧を放出するから、収穫がなくても1年は大丈夫じゃ。今川が農兵を帰農させてから、我らも農兵を帰農させる」

「承りました」





陸奥会津若松城:第3者視点

蘆名盛氏は、山之内家の支援に入った武田勢を警戒して、中通の田村隆顕への攻撃を控えていた。だが武田家苦戦の知らせを受けて、田村隆顕への攻撃を再開した。

田村隆顕はここで決断し、山之内家支援軍大将の曽根昌世に、田村家への援軍を要請した。

曽根昌世はこれを受けて、岩谷城を固く守ると共に、遊撃軍2000兵を山之内家の兵と合わせて編制し、手薄になった会津盆地の城砦を奇襲した。

だがその奇襲は今後の統治を考え、村々への攻撃は行わず、中通りに出陣した蘆名軍を引き返させるための攻撃であった。





越中放生津城:義信視点

俺の井波城(瑞泉寺)と安養寺城(勝興寺)への攻撃は、想像以上の効果があった。

特に安養寺城は、加賀への主要な街道を押さえる最重要拠点だから、ここを取られたら武田軍が加賀へ逆撃する可能性もあると見たのかもしれない。

一向宗は放生津城の囲みを解き、礪波郡の確保と田植えのために加賀へ戻っていった。

しかし一向宗内にも専業兵士がおり、その多くが越中に集められていたので、1万兵が庄川沿いに配置され、主要城砦寺院にも配置されたりした。

俺はやっと信繁叔父上と、放生津城内で会う事が出来た。

だがここで、信繁叔父上から重大な報告を受けることになった。それは信濃吉岡城を初めとする、伊那地方各地で放火が起こったことだ!

事もあろうに、今川家の斡旋で伊那に下向している公家衆の家人が、放火して周ったのだ!

彼らはこの時のために潜入していた伊賀者で、今川義元の指示を受けて動いたのだ。

だが影衆は、各勢力から送られている忍びを把握はしていた。各勢力から送り込まれた忍びが、俺や俺の家族を害する事がないように、事前準備はしていたのだ。

しかし同じ忍に繋がる集落を襲うことは、禁忌に近い行為だったため、警戒が甘かった。

確かに影衆やその家族の命を奪うまでの行為はなかったが、生産拠点となる家屋敷が放火されてしまった。

「若殿、吉岡城が今川義元の忍びに放火されました」

「叔父上、公家衆の被害はどうなっていますか? 亡くなられた人はおられますか?」

「詳しいことは分かっておりません。ただ今川に取り込まれた公家衆は、避寒と称して今川館に留まっておったそうです。留守を守ると吉岡城の公家屋敷に残っていた家人が、自分たちの屋敷に火をかけたため、類焼で若殿を心底頼っておられる公家衆が焼けだされてしまいました」

信繁叔父上は常に俺を立てて下さる!

俺を立てる事で、武田家中で後継争いが起きないようにして下さっているのだ!

実力人望が抜きんでいる叔父上が、俺に対して辞を低くして下さることで、譜代衆の俺への反感を抑えてくれてくださっている。

信繁叔父上が信玄父ちゃんや俺を立てて下されれば、他の叔父上たちや弟たちを担いで国衆が反乱を起こしても、領民が全く付いてこないからだ。

この場合の領民とは農兵の事であり、謀反を起こした譜代国衆は、逆に一揆で殺されてしまうだろう。

「叔父上、飛騨、木曽、諏訪衆2200兵、近衛足軽鉄砲兵1000兵、近衛足軽弓隊1000兵、近衛黒鍬輜重3000兵を残して行きます。今は礪波郡奪還は考えず、残った領地と民を守る事に専念しましょう」

「承りました。しかし礪波郡以外に潜む一向宗はどういたしましょう?」

「越中から逃げた他宗派の民が、今回の復讐に狩り出してくれます。彼らの恨みは、決してなくならないでしょう。我らが少し支援すれば、草の根分けても一向宗を探し出してくれます」

「確かにそうですな、そのように致しましょう。それと頼みがあるのですが、越中を逃げた民を呼び戻すにしても、彼らには当面の食料がありません、兵糧を放出して貸してやってもよろしいですか?」

「そうしてやってください。それと真珠と金銀を諏訪から送りますので、倭寇から穀物を買い取って下さい」

「しかし若殿、加賀、若狭、出羽の沿岸を抑えられては、如何(いか)に倭寇といえども、越中と越後には辿り着けないのではありませんか?」

「これまで通り危険を冒して日本沿岸を北上して来てくれる倭寇には、今後も交易に訪れてくれそうな高値でジャンク船と穀物を買い取ってやって下さい。越中の事は叔父上にお任せすれば大丈夫なので、我は鉄砲騎馬隊を率いて北上し、安東を滅ぼす事にします。その上で蝦夷から大陸沿いにジャンク船を派遣し、穀物と蝦夷の産物の交易を行います」

「それはよい手でございますな! 承りました」

「それと叔父上、農閑期になったら庄川に城壁代わりの堤を築きましょう。そのための報酬は1日雑穀5合を支給し、民が食い繋げるように致しましょう」

「承りました。それならば破壊された塩田や城砦の修築なども、今から始めて雑穀を支給してやってもよいでしょうか?」

「何故ですか叔父上?」

「戻ってくる者の中には、耕すべき田畑のないものもおります。また田畑が礪波郡にある者もおりましょう。そのような者のために、直ぐに食べる事ができる職を与えてやりたいのです」

「これは我が迂闊(うかつ)でございました! 叔父上のお陰で助かる民が増えます。全て叔父上にお任せいたします。必要な兵糧や銭・真珠・金銀は全て送る様に諏訪に指示しておきます

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