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転生武田義信

克全

第67話苦戦1

若狭後瀬山城:武田信豊視点

「信高、如何(いか)にすべきか?」

「難しい決断にございます。将軍家、管領殿、六角殿の連名による出兵要請を、断る事などできませぬ。しかしながら、三好長慶や一色義幸に背を向けて、全軍を越前との国境に向ける事も難しゅうございます」

「さようだな、それに越前と戦にでもなれば、我らだけで勝つのは難しい」

「六角殿も御出陣とは言われておられますが、三好に対抗する兵は近江に残されましょう。それに何よりもこの出兵要請は、甲斐武田家に向けての事、本宗家との戦になるやもしれません」

「甲斐武田家との戦は避けたいのが本音じゃ、せっかく甲斐武田家との交易で、莫大な利益が出ておるのじゃ。越前朝倉家と、越中、越後、出羽の湊を支配する甲斐武田家と事を構えると言う事は、交易が途絶えることになる」

「その通りでございます。されどもし出兵要請を断れば、我らが将軍家から攻撃されまする。将軍家の兵が1万余、浅井を加えた六角殿の兵が3万余となりましょう。その全てが我が家に向けられる事になれば、とても勝ち目はございません」

「将軍家の兵は、甲斐武田家の銭で雇われていると評判だ。事が起これば、甲斐武田家からの銭が止まり、1万の兵も散り散りになるは必定だ。それを防ぐには、領地を切り取るしかない。それが我らになる恐れもある。何よりも義統は六角家の血を引き、将軍家の妹君を妻としておる」

「殿は若殿が代替わりを迫ると思っておられますのか?」

「この出兵要請を断れば、将軍家と六角は、自分たちに都合がいい義続を守護にしようとするだろう。有り得る話ではないか?」

「ならば今回の出兵要請を受けるしかありますまい」

「では、どれくらい出す?」

「三好と一色に備えために、白井光胤殿に一色との国境を守らせましょう。越前との国境には、我が2000の兵を率いますゆえ、殿は城に残られて三好に備えてください」

「うむ。」

将軍家にも困ったものだ!

さんざん支援してもらった甲斐武田家を裏切るなど、自分の首を絞めるのと同じではないか!

こんな事を繰り返していたら、もう誰も将軍家を信じなくなるし、支援しようとは思わなくなる。

まあ将軍家の裏切りは、当代様に始まった事ではない、代々の将軍家が忠義を尽す者を裏切ってきた。

我も心せねばなるまい。





近江観音寺城:六角義賢視点

「宗滴殿にも困ったものよ。何も一向宗と一緒に、越中に攻め込んでくれと言っている訳ではないのだ。ただ一向宗が越中を攻めるのを、黙認してくれと言っているだけなのだがな」

「されど御屋形様、朝倉家にとって一向宗は不倶戴天の敵でございます。黙認した後で一向宗が越中越後を手に入れ、越前にも攻め寄せて来たら困りましょう」

「その時は我らも朝倉殿に味方すると約束しておるではないか」

「今の世で、約束程当てにならない物はございますまい」

「それはそうだがな、越中は畠山殿、越後は長尾殿を守護にすると、将軍家と管領殿が話を進めておる」

「しかしながら、三好に身を寄せている景虎殿は色よい返事をなされておられぬとか」

「馬鹿な奴よ! 怨敵武田と戦えると言うに、越後守護職を武田に与えた将軍家は認めぬ、平島公方こそ真の将軍家と申してきおったわ! しかも三好を離れるは、義に反するとも申してきおったわ! 主殺しが義とは片腹痛いわ!」

「御屋形様、三好と武田が通じている事はございませんか?」

「定持、大丈夫なのだな?」

「はい、京と堺には多数の武田忍びがおりますが、三好と手を結ぶ様子はございません」

「定持殿の甲賀衆が調べて何もないなら、大丈夫でございますな」

「だが三好がここを好機と、単独で攻めてくる事はあろう。越前との国境には、浅井と将軍家の兵2万を送ればよい。別に越前に攻め込む訳ではない、あくまでも牽制じゃ。賢豊、戦目付として同行し、浅井が朝倉と通じぬ様に差配いたせ」

「承りました」

この機会は我が六角家には好機と言える。

将軍家の権威で朝倉家を威圧し、近江との連絡を絶つ!

浅井を完全に家臣として取り込むには、背後にいる朝倉を抑え込まねばならん。





越前一乗谷:朝倉宗滴視点

将軍家・細川晴元管領・六角殿から、一向一揆の直前にそれぞれの使者が来た。

その内容は、加賀の一向宗が越中に侵攻するので、それを黙認するようにと言う勝手極まりない内容だ。

将軍家も管領も何も分かっていない!

一向宗が力を持つことが、どれほど恐ろしいか。

あの三好義元や畠山義堯が、一向宗に攻められ自害に追い込まれてるのだ!

我ももう歳だ、我亡き後の朝倉家の行く末が案じられる。

朝倉家のために、将軍家からの使者を無視して、加賀に攻め込む準備をしていたら、若狭との国境に2万余の兵が集結して来た。

将軍家も管領も愚か極まりない!

自分たちが何度も何度も家臣を裏切っているのに、家臣は自分たちに忠義を尽くして当たり前と思い上がっている。

将軍家が集めた兵は、全て武田殿が支援してくれた銭で集め養っているのだ。このような愚挙を行えば、今後将軍家や管領に忠義を尽くす者はいなくなるだろう。

いや、だからこそ、兵を養うための領地を欲しているともいえる。そうだとしたら、この越前を本気で切り取ろうとするかもしれない。ならばどうする?

加賀国境には警戒の兵を置き、若狭国境に主力を置くしかないか?

一向宗から逃げてくる船を、朝倉家で保護してやるくらいしかできそうにないな。





越中放生津城:義信視点

俺は海岸沿いの親不知を越えて越中に入り、信繁叔父上が守る放生津城に急いだ。途中で襲ってくる一向宗を、鉄砲で撃破しつつ進軍した。

特に魚津城を囲んでいた一揆勢を、背後から急襲した。

この攻撃は奇襲となり、先手を打つことができたので、鉄砲の火薬を温存するため、太刀で撫で斬りにした。

一向宗の主力10万は、放生津城を包囲していた。

信繁叔父上は、湊を確保するために、不利と知りつつ放生津城に籠られていた。

本来なら堅固な山城である、守山城に引くべきなのだが、一向宗が攻め寄せる直前まで民を船で逃がすために、命懸けで湊を守られたのだ。

だが城には、こんなこともあろうかと、弩が大量の矢と共に配備されていた。

信繁叔父上は、逃げ込んできた民にも弩を貸し与えて、必死の防戦を指揮されていた。

近衛足軽槍隊も、一向宗が近づくまでは弩を撃ち、近づけば槍衾で付け入る隙を与えない戦法を駆使して、何度も何度も一向宗を撃退していた。

「構え! 放て!」

俺の号令で、横一線に並んでいた4000騎が、鉄砲の一斉斉射を放った!

城攻めに夢中だった一向宗は、その轟音と撃ち倒された味方に数に驚いていた。

「固定! 抜刀! 掛かれ~!」

俺の号令で、鉄砲を鞍に固定して腰の太刀を抜いた騎馬隊は、馬を操り突撃を開始した。

決して馬を止めて戦うことはない、あくまでも馬の勢いで一向宗を圧倒し、その勢いを太刀に加えて一向宗を撫で切りにして行く。

太刀は元々自らの膂力(りょりょく)だけで切るのではなく、馬の勢いを利用して切るものだからだ。

「下がれ!」

雲霞(うんか)の如(ごと)く城を囲んでいた一向宗を切り倒していたが、馬に疲れが見えたため、一旦引くことにした。

一向宗から安全な距離を取ってから、早合を使って火縄銃に弾薬を装填(そうてん)しつつ、馬に一息入れて休ませた。

「「「「「うぉ~~」」」」」

俺たちが馬に一息入れている事を、疲れて戦えなくなったのだと誤解したのだろう、一向宗の一部が城の囲みを解いて向かってきた。

「四段構え!」

俺の号令一家、騎馬隊が陣構えを変える。

4000騎が、少しずつ前後に離れ四段構えを取り、一向宗に狙いを定める。

俺が作らせ貸与している火縄銃は、全て士筒と言われる大口径銃だ。敵が完全武装の武士であっても、50m以内なら鎧を貫通して撃ち殺せる。

ましてろくな装備をしていない一向宗なら、200m離れても致命傷になるだろう。

だから足軽衆の盾や槍衾の防壁のない今は、危険を冒すことなく150m程度から発砲を命じた。

四段に分かれて鉄砲を繰り撃ちし、一向宗に距離を詰められたら、馬首を返して引く。

鉄砲に怯んで一向宗が引けば、騎馬で一気に突撃して、太刀で切り倒すことを繰り返しているうちに、放生津城から信繁叔父上が討って出られた!

弓が使える武者と弩を使う民に、大手門前の一向宗を射らせ、一向宗が後退した隙に騎馬武者を先頭に切り込まれたのだ。

普通なら俺と叔父上の挟撃を受けたら、敵軍は壊乱しただろう。しかし宗教への狂信は、逃げることを許さず戦い続けさせた。さらに10万と言う数の暴力は、一向宗には大きな力となった。

信繁叔父上が城門から離れると、一向宗は城に押し入ろうとした!

叔父上は、城内の民を見捨てて、俺と合流して逃げるような方ではない。兵を返して、城との間に割って入った一向宗を、討ち果たそうとされた。

しかしそれは、一向宗の大軍に背を見せることでもあり、恐ろしく危険な事だった。

「突撃!」

俺は叔父上の背中を守るために、危険を承知で一向宗の奥深くに切り込むことにした。叔父上たちの軍が城内に収容されるまでは、一向宗の注意を此方に引き付けなければならない!

しかも、できるだけ大手門の近くでなければ、叔父上支援の意味がない。さすがにこの突撃は、味方人馬の中から傷つく者があらわれた。

長年かけて育成訓練した軍馬ではあるが、苦渋の決断を下して放棄した。だが人間を見捨てる事だけはできないので、余力のある馬に2人乗りさせて、騎馬隊で囲んで守った。

馬に一息入れさせるため、外周部の騎馬は輪乗りで一向宗と戦い、中心部の騎馬は火縄銃の装填を行った。

秘蔵の鉄砲騎士が傷つき倒れて行く事は、純粋に戦力として惜しい。だがそれ以上に、幼き頃より共に文武を学んだ者たちを失うことは、心が切り裂かれるような痛みを伴う。

だがそれでも、越中の民を見殺しにはできない!

畿内や北陸での一向一揆では、一向宗以外の民は家財を奪われ、犯され殺されて塗炭の苦しみに曝(さ)された!

一向宗から越中の民を守るための犠牲は、歯を食いしばって耐えねばならない。

叔父上たちを城内に収容する際に、命を惜しまない一向宗狂徒の一部が、城に入り込んだ。

殿(しんがり)を務めた者を見捨てることができず、最後まで城門を開いていたためだが、民に銭を払って城を強化していたことが幸いした。

馬出(うまだし)と内枡形(うちますがた)を造っていたお陰で、何とか馬出を奪われるだけで済んだ。

叔父上が城を守りっ切ったのを確かめて、俺は軍を返して魚津城に補給に戻ることにした。


『越中救援時の指揮系統』

総大将:鷹司義信
大将 :三条公之
陣代 :飯富虎昌・猿渡飛影
軍師 :鮎川善繁・滝川一益
侍大将:相良友和・今田家盛・加津野昌世・米倉重継・狗賓善狼
足軽大将:市川昌房・田上善親・田村善忠
武将:酒依昌光・板垣信廣・有賀善内・武居善政・武居堯存・座光寺頼近
:金刺晴長・矢崎善且・小坂善蔵・守矢頼真・松岡頼貞・座光寺為清
:知久頼元・山村良利・山村良候・贄川重有・大祝豊保・千野靭負尉
:両角重政・山中幸利・小原広勝・小原忠国・武居善種・大祝右馬助
:諏訪満隆・千野光弘・千野昌房・沢房重・金刺善悦・鵜飼忠和・花岡善秋

『越中援軍』
飛騨木曽諏訪衆:2200兵
信濃衆    :3000兵
近衛騎馬鉄砲隊:8000騎
近衛武士団  :3000兵
近衛足軽鉄砲隊:1000兵
近衛足軽弓隊 :3000兵
近衛足軽槍隊 :6000兵(後に5000兵を青崩れ城砦群支援に行かす)
近衛黒鍬輜重 :9000兵
総計   :3万5200兵

『越中援軍時の部隊配置』

「信濃諏訪城」
大将   :鷹司実信
陣代   :於曾信安
近衛武士団:1200兵

「美濃」
土岐頼芸援軍:一条信龍・馬場信春
子飼い兵:220騎:1100兵
槍足軽      :3000兵
弓足軽      :1000兵

「出羽」
小野寺家目付:漆戸虎光
槍足軽  :2000兵
弓足軽  :1000兵

「陸奥」
山之内一族援軍:曽根昌世
槍足軽  :2000兵
弓足軽  :1000兵

「越後」
総大将  :武田信廉
近衛武士団:2400兵
槍足軽  :3000兵
越後国衆 :7000兵

「越中国」
総大将  :武田信繁
近衛武士団:2400兵
槍足軽  :3000兵
越中国衆 :7000兵

「信濃国」
妻籠城  :甘利信忠:近衛武士団:1000兵
青崩城砦群:楠浦虎常:近衛武士団:1000兵

横谷入城:浅間孫太郎
三才山城:赤羽大膳
北条城等:三村勢
福応館 :福山善沖(ふくやまよしおき)勢
丸山館 :丸山善知(まるやまよしとも)勢
村井城(小屋館):諏訪満隣勢
殿館  :殿勢
荒井城 :島立貞知
櫛木城 :櫛置当主
波多山城:櫛置勢城代
淡路城 :櫛置勢城代
伊深城主:後庁重常

花岡城:元難民が統治
金子城:元難民が統治
その他統治地域の城砦は元難民が統治

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