閉じる

転生武田義信

克全

第63話椿姫(つばき)入内

10月1日信濃諏訪城:義信視点

今回の出羽遠征は、俺が当初想定していた以上の好結果が出た。この状況を京の朝廷と幕府に奏上した結果、武田一族の官位官職が上がることになった。

信玄は朝廷で、従四位上・兵部卿になった。幕府では、新たに佐渡と出羽の守護を兼任することになり、ついに准管領に任じられた。

美濃土岐家の土岐頼芸の嗣養子となった土岐信龍は、朝廷で従六位下に任じられた。

俺は朝廷で、正二位・内大臣・左近衛大将となり、甲斐・信濃・越中・越後の国司を兼任することになった。

次弟の鷹司実信は、従三位・権中納言・左近衛権中将となり、出羽の国司に任じられた。

三弟の三条公之は、従三位・権中納言・右近衛権中将となり、佐渡国司に任じられた。

「現時点の武田一門官位官職」
武田信玄:正四位上:兵部卿
:足利幕府:礼式奉行・国持衆・准管領
:甲斐・信濃・飛騨・越中・越後・佐渡・出羽守護
武田信繁:従五位下:大膳権大亮
:足利幕府:越中守護代
武田信廉:正六位下:左馬助
:足利幕府:越後守護代(長尾為景が魚沼郡分郡守護代)
姉小路信綱:従六位下:飛騨国司
:足利幕府:飛騨守護代
土岐信龍:従六位下:

鷹司義信:正二位:内大臣・左近衛大将・甲斐・信濃・越中・越後国司
鷹司実信:従三位:権中納言・左近衛権中将・出羽国司
三条公之:従三位:権中納言・右近衛権中将・佐渡国司

「武田家石高」
甲斐:20万石(穴山・小山田以外は完全支配)
信濃:40万石(完全支配・生産拠点)
飛騨: 4万石(完全支配・鉱山開発)
越中:30万石(一向宗以外は支配下)
越後:30万石(反抗的・独立心旺盛な国衆多し)
佐渡: 1万石(鉱山開発最優先)
出羽:20万石(表面的に従ってるだけ・最上・最上八盾・伊達は敵)

俺と鷹司実信と三条公之が、佐渡と出羽の2カ国で、赫々かくかくたる成果を挙げている頃、武田家は慶事が続いた。叔母上たちが、京に嫁いでいかれたのだ。

だがこのための下準備に、信玄と鷹司簾中(元三条夫人)はもちろん、九条卿や鷹司卿(元三条公頼)を中心とした、武田派公家衆が奔走することになった。

京まで安全に西上するためには、街道の通る大名や国衆と、事前に交渉しなければならない!

だが美濃では、土岐頼芸と斎藤道三が反目しているので、事前交渉が決裂してしまった。

そこで3国同盟締結交渉中で、親戚でもある今川家の駿河を通り、さらに陸路で三河の渥美半島まで行く。

そこからは、朝廷から尾張の織田信長に話を通してもらい、海路で襲われないように保険を掛けた上で、船を使って海路で伊勢の津に上陸する。

津の長野藤定にも朝廷から話を通してもらい、近江の甲賀を通り、近江の草津に出て京に入ることになった。

近江の六角義賢は、細川晴元伯父さんと土岐頼芸の義兄弟だから、2人を通して話をつけてもらった。

戦国時代の管領家の当主だから、伯母さんが亡くなった後で後妻を持つのは仕方がない。いや、伯母さんが生きていたとしても、男児が産まれなければ、多くの妻妾を持つのが当然だ。

だが今後の戦略を考えると、細川晴元伯父さんが六角義賢の姉を継室に迎えたことは、同盟関係に大きく影響するだろう。

ただ今回事前交渉したのは、姫行列の通る経路を支配する、大名と国衆だけではない。

彼らと敵対する、伊勢の北畠晴具をはじめとする敵対勢力にも、朝廷から話を通してもらった。万が一にも姫行列が襲撃されることのないように、幾重にも安全策を講じた。

まあ北畠晴具は公家大名と言えるので、万が一にも入内する姫行列を襲う事はないと思いたいが、伊勢神宮を放火したと言う前科があるので、安心はできない。

史実の徳川家康も、義母の父である戸田康光に捕まり、織田信秀に売られてしまっているのだ!

そこまでやっても安心はできないので、甲斐武田の譜代衆で編成された3000兵が直接護衛した。

しかも今川家をはじめとする、各地の大名と国衆の護衛が、朝廷への面目をかけて、領地内では露払いとして付き従うことになった。

次に問題になったのが、入内の費用と持参金だった。

史実の豊臣秀吉が、朝廷のために湯水の如く金銀を使ったが、そこまでする必要はない。

史実の徳川秀忠が、娘の徳川和子を入内させるのに使った、莫大な費用ほどは使う気もない。

今の皇室は俺の支援で、日々の生活や朝廷費に不足はないものの、豊かな生活とは言い難い。

そんな生活だから、今上帝と方仁親王は、絹布団恋しさに度々三条屋敷に行幸されている。

だから絹布団の持参は必須なのだが、物品は兎(と)も角(かく)として、持参金を金・銀・銅貨の何にするかで頭を悩ませた。

武田家としても、無尽蔵に資金がある訳ではない。

特に日本制圧を本格化したため、必要経費が増大しているのだ。

ジャンク船購入建造費・武具調達費・内政費用・難民戦力化費用などだが、特に調略費用や武田家縁戚支援費用が莫大だ。

だからそれを賄(まかな)うために、現在は死蔵化してしまっている、武田通貨を流通させたいのだ。

問題は武田印が刻み込まれている事と、敵対勢力が黄銅製の10文銭を偽造することだった。

だが今回の入内に伴う持参銭となれば、武田印の言い訳ができる!

それと偽造10文銭に関しては、毛利元就が史実より伸び悩んでいるので、生野と石見の銀山を、有効活用できないだろうと判断した。

大内家と尼子家なら、毛利元就よりは対応しやすいと思う。それに東北の金銀銅山は、数年で切り取れると判断して、武田1文銭と武田10文銭を持参銭とする事にした。

持参銭は、武田1文銭で10万貫文と、武田10文銭で10万貫文とした。

持参する品物は、絹布団5組・白絹500疋・越後上布(えちごじょうふ)100疋・麦焼酎・蜂蜜・塩・干果物などだ。

ここで問題になりそうな、金銀銅貨の交換比率なのだが、正直俺にもどうなるかは予測できない。

恐らくは銅製の銭は、価値が低下するだろうが、史実の江戸時代の様に、金1両が4貫文から10貫文の間で収まるかもわからない。

それに武田1文銭と、精銭・永楽銭・鐚銭の交換比率がどうなるかが分からない。

しかもそれに加えて、地方地方での地域差まであるのだから、銭の相場の乱高下は出たとこ勝負に成ってしまう。

ただ武田10文銭は、武田1文銭10枚と同価値と言う約束だけは、武田家で保証する。武田家の各交換所で、何時でも交換出来るようにした。

堺にも交換所があり、京では鷹司屋敷・三条屋敷・九条屋敷の3カ所が、銭の交換所となっている。

次に叔母さんたちの住む所なのだが、京の町は足利義輝軍と三好長慶軍の合戦で荒廃(こうはい)が著(いちじる)しい。

だが武田家の支援で再建された、三条家と鷹司家と九条家の屋敷だけは、武田家の守備兵のお陰で安全が保たれていた。

また御所内も、今上帝のために、武田家によって最低限の修築は行われていた。

そして御所内には、武田家から鷹司家の養女と言う体裁で入内する、鷹司椿姫のために屋敷が新築されていた。

その屋敷には、入内に持参された品々が収められ、方仁親王の女房として嫁いでいかれた。だが皇室の濁音を嫌う伝統に従い、椿(つばき)の読みをハルと読ませ、椿姫(はるひめ)と改めることになった。

覚院宮として還俗(げんぞく)された、覚恕様に正室として嫁がれた菖蒲(あやめ)叔母さんも、体裁は武田家から鷹司家の養女と言う形を取った。

お住みになられる場所は、新築したばかりの鷹司屋敷が提供された。

覚院宮家への持参銭は、武田1文銭で5万貫文と、武田10文銭で5万貫文とした。

持参された品物は、絹布団5組・白絹100疋・越後上布100疋・麦焼酎・蜂蜜・塩・干果物などで、それらは旧鷹司屋敷に収められた。

莫大な持参金を得た方仁親王は、今上帝と相談され、後花園天皇以降、後土御門天皇・後柏原天皇と2代に渡って行えなかった禅譲をしたいと、椿姫を通じて武田に打診してこられた。

確かに武田に力で禅譲を成し遂げられたら、全国に武田の力を知らしめることができるだろう。

しかし同時に、全国の諸大名や国衆の嫉妬が怖い。特に今川家と北条家の嫉妬は、直接的軍事力として脅威だ!

それに足利義輝や細川晴元や三好長慶の嫉妬は、京におられる叔母さんだけではなく、今上帝や方仁親王や覚院宮の生命を脅かすかもしれない。

信玄と母上は、鷹司爺ちゃんと九条義父上を筆頭とした、伊那在住の公家衆と相談をされた。そして率直に、武田家が禅譲を主導する事の危険を、今上帝と方仁親王に御伝えする事にした。

そのお陰で、今上帝は今直ぐの禅譲は思い止まれたのだが、やんわりと鷹司軍の上洛を望まれるような御言葉を、方仁親王を通じて椿叔母さん伝えられた。

これにはさすがに信玄も困ったようだ。細川晴元殿に嫁いでいた、母上の姉上も亡くなられているから、足利義輝と細川晴元殿への支援を打ち切ることは可能だ。

だがさすがに、資金切れで崩壊する足利軍と細川軍を、そのまま秋山虎繁に引き継がせることは無理がある。

そんなことをすれば、畿内の軍事的均衡が崩壊してしまうかもしれない。だが今の武田家に、畿内の混乱を治めるためとは言え、出羽と陸奥を放り出すことはできない。

それに美濃に切り込んでの上洛や、加賀越前を通過しての上洛も、現実的に不可能だ。

そこで武田の利益と今上帝の想いを両立すべく、京を離れた公家衆の屋敷を買い取り、将来禅譲が可能となる様に、皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごてん)を建築することにした。

表向きは皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごてん)と言う体裁だが、本当は今上帝の院御殿を建築するのだ。

そしてその建築費用は、武田家が流通させたかった、武田銅貨を使うことにした。

それと方仁親王の女御となられた椿叔母さんが、将来の子女のために御殿を建てると言う体裁で、若宮御殿と姫宮御殿を、持参金を使って建築される。建築する場所は、史実の大宮御所のある場所だ。

覚院宮と鷹司家の屋敷新築も、4か所同時に行われた。どちらもいざという時には、御所を御守りする城砦としての機能を持たせる。

だから御所の四隅にある公家屋敷を購入し、その周囲に水堀と土塁を設けた。

同時に今までは細川晴元伯父さんに任せていた、畿内の兵力を武田家で整えて行く事にした。

だがあくまでも体裁として、今上帝の北面武士や西面武士としたり、近衛府の兵士や、鷹司家や九条家や三条家の青侍とした。

そして時期が来たら、今まで通り甲斐信濃に連れて行くと、足利義輝将軍と細川晴元管領には思い込ませた。

「転生武田義信」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「歴史」の人気作品

コメント

コメントを書く