転生武田義信

克全

第55話祝言・対外交易

6月信濃諏訪城の北二之郭:義信視点

俺と九条卿の姫君の祝言が、新築中の諏訪城で執り行われた。諏訪湖畔に、俺の金城湯池とすべく築かれている諏訪城の縄張りは、日々拡大強化されている。諏訪湖を輸送・防衛・生産などの全てで活用すべく、俺と家臣団で考えながら作り上げている。特に物心ついてから全力で取り組んで来た、淡水真珠の養殖に重点を置いた縄張りにしてある。

「鷹司卿、末永くお願い申し上げます」

「こちらこそよろしく頼む、鷹司卿と言っても一時的なことだ。我には武田家の嫡男としての、武家の務めがある。だから朝廷の事は、九条の義父上と鷹司のお爺様にお任せせねばならん。これから我は、公家衆の荘園を横領しておる、大名や国衆の討伐で忙しくなるだろう、姫にも寂しい思いをさせると思うが、武家に嫁いだ宿命と思い諦めてくれ」

「お気を使わないでくださいませ。私とて乱世(らんせ)の公家の娘でございます。困窮(こんきゅう)に耐えて生きて参りました。家のため父のため、いずれは武家に嫁ぐ覚悟はできておりました。正直甲斐は遠国の山国と期待せず旅してまいりましたが、望外の豊かさに驚いております」

まあそうだろうな。質実剛健で築いてきた城砦群だから、雅(みやび)さには欠けるが、食事にだけは力を入れてきた。二郎や三郎を史実の失明や夭折(ようせつ)から救おうと、医食同源(いしょくどうげん)を率先垂範(そっせんすいはん)してきたからな。まあ俺が食いしん坊と言うのが、1番の原因だが。

「何より驚いたのが、伊那に入った時の家々の景色でございます! 屋根が全く見えず、全ての家が葡萄の下にありました。たわわに実った美しい葡萄に覆われた家々を見た感動は、今も忘れられません。」

確かにな、俺も前世ではこの目で見た訳ではなかったが、その感動は理解できる。今東光と写真家が、合作で出した写真集を見せて頂いたことがあるのだが。若き大叔父と曾祖母が、葡萄のサビ取りをしている写真があったのには驚いた。

特に感動したのは、山頂からの俯瞰(ふかん)写真だった。幼き頃の記憶の中にだけ残っている、生まれ育った村の家々が、全て葡萄棚の下にあったのだ。緑の葡萄の葉に覆われた景色の中に、高く濃い色になっている所があった。

その場所は記憶の中にある、旧村の農家のあった場所だ。屋根の上にまで蔦(つた)を這(は)わせて、少しでも多くの実りを得ようと努力していたのだろう。白黒の写真なのに、心の中で美しく着色されていた。

鮮やかな紫紺(しこん)に熟し、たわわに実った葡萄棚(ぶどうだな)の下で、蝉(せみ)を追って駆け回った記憶がよみがえった。

まあ史実で葡萄の棚架け法が考案されるのは、江戸時代に入ってからだったはずだ。だから俺がかなり早く取り入れたことになる。考えたのは永田徳本先生だったかな?

「葡萄は食べられたのですか?」

「はい! 農夫が献上してくれました。甘く酸っぱく、頬が痛くなるほどの刺激と美味しさでございました! あの美味しさと感動は、今も忘れられません。肌の色と同じ美しい実を今も思い出します」

ああそうか、そうだよな。俺の原風景は室戸台風の後で、金になる商品作物のベリー種の葡萄に転作した時代だから紫色だ。でもここ伊那では、俺の1番好きだった甲州葡萄が作られているから、実の色が違うんだよな。

「他に食べ物で不自由はありませんか? 京よりも海から遠いせいで、お好きな物が手に入らないようでしたら、できる限り手配しましょう」

「先ほども申し上げましたが、困窮(こんきゅう)に耐えて生きて来ました。ですから今は、日々の食事の豊かさに驚いております。何の不自由もございません。それどころか、朝昼晩と尾頭付きの一汁五菜の膳が出るのです、満ち足りております。こんな事は、京の暮らしでは考えられなかったことでございます」

「それはよかった、ならば他に日々の暮らしで困っている事はないですか? 甲斐信濃の寒さは大丈夫ですか?」

「大丈夫でございます、京も底冷えのする寒さでございましたから。何より今は、暖を取る薪や炭に不自由することがなくなりました」

ああそうなんだ、笑い話にして話してくれているが、困窮(こんきゅう)して薪や炭を買う銭がなかったのか。俺は恵まれた生まれ変わりができたんだな。もし農民や下級武士や下級公家に産まれていたら、産まれて直ぐに死んでいたかもしれないのだな。

「もう何の不自由もさせませんから、ご安心ください」

「鷹司卿、贅沢を申し上げさせて頂きますが、私はこのような生活を失いたくないのです! ここにある絹の布団など、帝でさえ御持ちではありません。私もですが、何より産まれてくるであろう私たちの子供に、この生活を続けさせてあげたいのです。ですから決して死なないでください! いかなる困難や恥を受けることになっても、生きて生きて生き抜いていただきたいのです!」

「誓いましょう、何があっても生きてあなたの元に帰ってきましょう」





6月越中放生津城の主郭:武田信繁視点

まさかこれほどの大船団が、明国からやってくるとは思わなかった!

1000石を超えるジャンク船53艘の艦隊は、海が船で覆われるような、驚くべき光景であった!

半数の船から荷揚げされた玄米が3万余石、これだけの米が甲斐信濃に持ち込まれたら、昨年から高騰が続く食料相場が一気に下落するだろう。これで甲斐の民の暮らしも、少しは楽になるだろう。

しかし5歳の頃から、この事を予期して真珠を集めていたとは、我が甥ながら驚きだ。いや、真珠が己の手で作りだせるとは、今でも信じられぬ!

だか実際に真珠を作りだしているのだから、鷹司卿が神仏の生まれ変わりと言う噂も、あながち間違いではないのかもしれない。ならば御指示は絶対に守らねばならん!

越中で預かっている全戦力を投入してでも、この度の交渉は成功させる!

玄米6万石の対価は真珠6万個、ただし30艘の中古ジャンク船を、真珠1万5000個で売り渡すことが絶対条件だ!

そのジャンク船に乗船する船員を雇い、反乱や海賊に対抗するための兵を乗せて、米を積んだまま蝦夷に交易船として送る。次回の交易からは、米の対価は真珠ではなく蝦夷の産物で行う。真珠は新造ジャンク船購入の対価だけにしか応じない!

鷹司卿が作りだした真珠は、よほど明国で価値があるのだろうな。そうでなければ、これだけの船団を組んで、わざわざ明国からやって来るはずがない。ここは強気の交渉でいく!





6月越後春日山城の主郭:武田信廉視点

「飛影殿、越中や飛騨の鉱山開発は順調に進んでいるようだが、この越後にも鉱山はあるのか?」

「はい、配下の者たちが、すでに調べ上げております。それに応じて国衆から召し上げる土地を、若殿からご指示いただいております。鉱山は全て武田の直轄地とするように、若殿から命じられております」

「そうか、それ故に若殿は、国衆に反乱されて時を失うより、扶持を与えて1日でも早く鉱山開発に着手されたいのだな?」

「はい、そのようにお聞きしております」

「だが官位官職を活用する様にとも言われておられたのだが、具体的にはどうするのだ?」

「まずは守護として、国衆に対して地頭・地頭代の地位を与えます」

「国衆に地頭や地頭代の地位を与える権限は、将軍家の専任ではなかったか?」

「関係ありません、将軍家であろうと武田の領国内に口出しはさせません! 武田が認めた国衆以外は、地頭や地頭代に任じられなくするのです」

「武田が国衆を地頭に任じて家臣とするのはまだ分かるが、地頭代の扱いはどうなる?」

「地頭の中には複数の城砦を持ち、家臣を城代としている者や、城主領主を家臣としている力ある者もおります。そのような陪臣を、武田が認めなければ持てないことにするのです」

「ほう! 有力国衆が勝手に城砦を持つことを防ぎ、他の国衆を支配下に置くことを防ぐのだな?」

「はい、上手くすれば有力国衆の家臣が、武田との直接主従関係を求めてくるかもしれません。そこまでの事はなくとも、有力国衆の近隣国衆は、陪臣にされるよりは武田を頼りましょう」

「守護職の活用は分かったが、官位官職はどう生かすのだ?」

「若殿の左近衛権中将の下には、官位のない番長や近衛の役職がございます。また官位のある従六位上の将監や、従七位下の将曹もございます。これらの役職を権官として、自由に若殿の下に置ける様に、朝廷に願い出ております」

「認められるのか?」

「落とし所は、支配下の国衆の朝廷への奏上権を、若殿が手に入れる事でございます」

「なるほど、正式な任官がしたければ、武田を通さなければ得られないようにするのか」

「はい、ですが自由に任じることができるのが最良でございます。さらに御屋形様が任じられておられる、大膳大夫配下の官位である、従六位下・大進、正七位上・少進、正七位下・主醤(ひしおのつかさ)、正八位上・大属(だいさかなん)、従八位上・少属や、官位のない、史生(ししょう)・職掌(しょくしょう)・膳部(かしわでべ)・使部・直丁 ・駈使部 ・鵜飼・江人・網引・未醤戸の役職を、上手く使う事を若殿はお考えです」

「国衆の望みは飛影殿の配下が探っているのだな?」

「左様でございます」

「ならば与える役職は、飛影殿に一任しよう」

「承りました」





7月1日甲斐諏訪城の西二之郭:義信視点

朝廷と幕府は俺の要求を全て飲んだ。

今上帝は、俺や信玄が、自由に権官を任命する事ができるようになることに、多少不愉快に思われたようだ。だが結局は御認め頂けた。甲斐・信濃・飛騨・越中・越後で、御禁裏領や公家衆の荘園を回復し、家職銭と共に堺で交換できる割符(わっぷ)として御送りした。その事が、京に残っている公家衆に、大きく影響したようだ。

今後も全国の御禁裏領・荘園・家職銭を回復していくには、実際に土地を横領している国衆と地侍の掌握は必要不可欠だ。それを成し遂げさせるには、武田に官位官職の任命権を与えるべきだと、京に残った公家衆が説得してくれたのだ。

これによって、六位以下の権武官だけは、武田家で自由に任命できるようになった。他にも武田一族で、左右の衛門督や兵衛督を独占したい。だが左兵衛督は、代々の鎌倉公方や斯波氏の当主が任官する役職だ。左衛門督は、代々の畠山氏の当主が任官する役職だ。その前例が邪魔するのなら、右の権官を複数置けないだろうか?

左馬頭は、将軍後見人か次期将軍が任じられるから無理だ。右馬頭と右馬助は、代々細川典厩家が任官しているから無理だ。でも史実で信繁叔父さんが左馬助に任官できているのだから、工作次第で権右馬頭を得られるのではないだろうか?

そうだ!

京で上皇の院を作るのは無理でも、伊那の吉岡城を増改築すれば可能だよな?

帝の下向は無理でも、御退位された上皇なら可能なのだろうか?

その辺の所を、九条の義父上と相談してみるか?

京の鷹司屋敷・三条屋敷・九条屋敷の家令たちにも動いてもらって、京に残っている公家衆の反応も探らそう。

まあ将軍家の方は、どうにでもなる。先の将軍である足利義晴公も、すでに亡くなられた。今の将軍家は、俺が支援している軍資金なしでは、将兵を維持する事もできなく成っている。

与えるべき領地をほとんど失った将軍家は、俺の支援を失えば、将兵に扶持も兵糧も支給できなくなる。そんな事になったら、全将兵は三好に寝返ってしまうだろう。

だから守護職なら、ある程度の要求なら通るだろう。佐渡侵攻前には、佐渡守護職は手に入れておきたい。今回は強めに要求しておこう。

後はどうすべきだろう?

羽州探題の最上家に対抗するための羽州守護職と、陸奥国守護の伊達家に対抗するための奧州探題を、将軍家に要求すべきか?

いっそのこと奥州管領を要求するか!

そうだ!

鎮守府将軍があった!

今の俺なら、陸奥鎮守府大将軍に成れるんじゃないか?

だが慎重な公家が、簡単に陸奥鎮守府大将軍を任官してくれるはずはない。要求を通すには、まず実績が必要だよな。そうなると、奥羽の切り取りも考えていかないといけないな。

もう1つ手に入れるとしたら、湊安東家が名乗り続けている蝦夷管領が魅力的だ。日本海交易の安全確保のために、有効的に交流を続けている、安東堯季殿は世継ぎに恵まれていない。思い切って武田家の誰かを養子に送り込めないかな?

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