転生武田義信
第46話金子城総濠着工・鷹司家復活
8月10日花岡城の義信私室:義信視点
俺は花岡城の増強改築が終わり、城下町の形成も順調に進んでいるので、金子城を中心とした大城郭群の着工を始めた。ついに以前からの構想である、大城下町を総濠で護る工事を開始したのだ。
琵琶湖から取り寄せた池蝶貝(いけちょうがい)の養殖は、俺の拠点城砦軍の水濠で順調に進んでいた。だがもっと生産量を増やすため、諏訪湖を最大の養殖場にするのだ。
池蝶貝(いけちょうがい)が手に入るまで母貝にしていた、カラスガイやドブガイでの養殖も続けている。だがよりよい真珠養殖の環境を求める事と、養殖真珠の品種を多様化するためにも、母貝は多種ある方がよい。
採取が始まった淡水真珠は、カラスガイとドブガイを母貝としているが、俺の知る海水真珠とは違った。色はホワイト・オレンジ・ワインと一定せず、形も楕円形の物がほとんどだ!
漢方薬の材料にするなら、色や形に関係なく金貨1両の価値がある。だが真珠に治療効果がない事を知っている俺には、漢方薬の材料として国内売買するのは抵抗がある。明国や南蛮に装飾品として売りたいが、1両以上の価値がつくだろうか?
それに海外に輸出できるなら、対価として手に入れたい物が多いのだ。限りある金銀ではなく、養殖可能な真珠を大量売買できる湊が欲しい。海が欲しい!
早期に川中島に侵攻して謙信を誘い出すか?
飛騨の江馬を早々に攻略して越中に出るか?
8月15日躑躅城義信郭の義信私室:義信視点
信玄との密談が終わった。海を渇望(かつぼう)する思いは、俺も信玄も同じだ。ならば一番海に近くなった、飛騨に戦力を集中させて、江馬家を滅ぼして神通川を下るか?
それとも降伏して傘下に入った、帰雲城の内ヶ島氏理を信じて、庄川を下り越中にでるか?
どちらにしても、ゲリラ戦を展開する村上義清や小笠原長時よりも、楽に戦える。
それに義清と長時を滅ぼしたとしても、川中島には高梨政頼が居り、その後ろには謙信がいる!
とてもじゃないが、湊を手に入れるのに、時間が掛かり過ぎる。だが越中なら、松倉城主の椎名康胤と、越中富山城主の神保長職が激しく争っているから、どちらかと手を組めばよい。
長年の越中内乱は、越後守護代である長尾為景(上杉謙信の父)の介入を招き、勝利した為景は、越中国新河郡分郡守護代に任命されている。つまり長尾景虎(上杉謙信)は、越中にも影響力がある事になる!
俺が何より危険視したのは、長尾景虎(上杉謙信)の介入だ。これだけは絶対防がねばならない!
今の俺に使える手段は、長尾三家の守護代争いだ。謙信の三条長尾家と、謙信実母の実家で古志長尾家の長尾景信と、上田長尾家の長尾政景を相争わせる。具体的には長尾政景に資金援助を行い、謙信が越中に手出しできない状況を創りだす!
史実でも長尾政景は、謙信の守護代就任当初は、激しく対抗している。資金援助を行い、それを煽(あお)りに煽(あお)る。
次に行ったのは、軍用道路の整備だ。信濃の村上義清と小笠原長時に、越中の椎名康胤と神保長職のどちらかと、同時に戦うことになる。信濃と越中の二正面戦闘になるのだ!
それを行うためには、武田領内で素早く兵力を移動迎撃させられる、軍用道路が必要に成る。史実で信玄が整備させた、躑躅ヶ崎館から素早く川中島に出陣するための棒道がある。これを躑躅城・花岡城・小鷹利城・萩町城の間に創り出す!
8月16日京の三条屋敷:第3者視点
「虎繁、どういたすのじゃ?」
三条公頼卿は、三条家の家司を務める事になった、秋山虎繁に確認する。
「皆さまには、信濃伊奈郡吉岡城に下向して頂きます。武田の支配下の荘園収入と家職収入は、武田家が保証いたします。武田領内に、荘園収入と家職収入のない皆様も、武田家が金穀を支援いたします。下向路に領地を持つ、近江の六角家や浅井は、朝廷に忠誠を誓っております。美濃の斎藤道三も、安全を保証いたしました。下向の護衛も、我が武田家が資金を出して整えた、将軍家の軍勢が行います。斎藤も武田、六角、朝倉、織田の全てを敵に回して、下向される皆様を害することはありますまい。ですから皆様には、安心なされて下向して頂くようお話ください」
「うむ、そのように伝えよう」
京の治安は最悪だった!
細川晴元と三好長慶の争いは、京の町を荒廃させ治安を悪化させていた。いくら武田家が雇った三条家の兵が取り締まろうとしても、雑兵共の乱暴狼藉が後を絶たなかった。
高位高官で政治力や縁故のある公卿は兎も角、下級公家の生活は成り立たなくなっていた。下級公家は三条屋敷を始めとする、有力者の屋敷に逃げ込んだが、全員を京で護り養うことはできなかった。
史実では、多くの公家たちが、周防の大内家や越前の朝倉家に下向した。だがこの世界では、武田家の方が大内家や朝倉家より待遇がよく、武名も鳴り響いている。
京の三条家で受けた待遇のよさで、大半の公家は武田家への下向を渇望していた。
しかし公家も馬鹿ではない。できるだけ大きな手土産を持っていく方が、さらに待遇がよくなることは、海千山千の公家なら分かっている。
武田が最も欲しがっているのは、三条公頼による鷹司家の復活だった。これが肝心なところなのだが、武田直接の官職ではなかった。
公家たちも天皇に奏上しやすいし、清廉潔白な後奈良天皇も、これならばお認めになりやすい。たとえ後で、武田二郎か三郎が鷹司家を継ぐことが薄々分かっていてもだ!
認められやすかった原因の1つに、後奈良天皇の武田への心証(しんしょう)が、とてもよかった事もある。これは武田家が銭の献金をせず、常に生活必需品の献納を積み重ねてきた結果だった。
武田家は季節に応じて、麦焼酎・米・干椎茸・蜂蜜・漢方薬・白絹などを送り続けた。換金性が高く、後々堺商人が引き取り、銭に変え朝廷費用にしていたとしても、朝廷や公家には建前が大切なのだ。
次に行われた朝廷工作は、後奈良天王の第五皇女・普光女王(1537誕生)と、第一皇子・方仁親王(1517誕生)の・第二王女・永高女王(1540誕生)の親王宣言だ。
余り露骨な動きは逆効果だし、可能性も凄く低いが、親王宣下から武田家へ降嫁まで持ち込めれば、皇室と縁が強くなる。
普光女王の実母である藤原量子様は、橘氏唯一の堂上家である橘以緒・正三位参議の実子だ。橘家から高倉永家の養女となり、その後で後奈良天皇の典侍となられ、普光女王を御生みに成っている。
橘家には男子がいない。結果がどう転ぶか分からないが、唾を付けて置いて武田家に損はない。
義信の叔父上たちや弟たち、いずれ産まれるかもしれない義信の子を、橘家の養子に送る。国司や守護職を得てから、各地の国衆に養子や婿として送り込む。
遠国ほど、家柄・官位官職を有難がる国衆が多い。敵対する大名配下の国衆に、養子や婿を送り込む事で切り崩せるなら、これほど楽な話はない。
武田家の血を引く公家大名が創り出せれば上々、駄目でも銭の損で済むだけの事だった。
義信が工作する公卿家の1つに、高倉家がある。高倉永家卿は、衣紋道(えもんどう)高倉流の宗家で、この家も縁を結び恩を与えておいて損はない。
武田家が永倉流家元の1つとなり、国衆に衣紋道を伝授することで、国内支配の一助になるかもしれないからだ。田舎ほど、朝廷や公家の権威が効果的だ。
さらに後奈良天皇の女院である藤原(万里小路)栄子様の父は、万里小路賢房殿だった。この方はもともと勧修寺教秀の三男だ。つまり勧修寺教秀の娘が母親であり、後奈良天皇は姪を女院にしたのだ。
しかも後奈良天皇と栄子様の間に産まれられた方仁親王は、万里小路賢房の娘である御伊茶様(叔母)を典侍に向かえられている。さらに万里小路賢房の嫡男である万里小路秀房の娘、万里小路房子様(従姉妹)も、典侍に迎えられている。もはや訳が分からない、血縁の錯綜(さくそう)と濃さは理解不能なのだ。
義信は、近親婚の弊害(へいがい)を熟知している!
義信は、信玄の娘か妹を皇室に嫁がす工作を始めた!
建前上受け入れやすくするために、三条家の血が入った義信の全妹を、鷹司家の養女として送り込めれば上々と、駄目元で工作させていた。
8月25日小鷹利城:武田義信視点
俺はここを勝負時と決めた!
鉄砲の一斉射撃は封印するにしても、飛騨の完全攻略は今年中に成しとげる。雑兵や扶持武士団を磨り潰してでも、飛騨の敵対勢力を攻め潰す!
飛騨完全制圧に動員した兵力は、先陣に降伏して来た飛騨衆1000兵を使った。次陣には小笠原長時勢から逃げ出した足軽を加えた、槍足軽隊2500兵を使った。本陣には、虎の子の騎馬隊3500兵を使った。後陣は、工夫兵改め黒鍬輜重隊4000兵を使った。合計すると1万1000兵だ!
これまでの飛騨国内の合戦では考えられなかった、1万を超える大軍で侵攻した。これに恐れをなしたのだろう、江馬時盛と弟・麻生野直盛は家臣の河上光久らを伴い、慌てて臣従の挨拶(あいさつ)に来た。
越中侵攻を控えた俺は、今回は厳しく対応することにした!
帰雲城の内ヶ島氏理より臣従の挨拶(あいさつ)が遅れた事を理由に、江馬一族の城砦と所領の大半を召し上げた。越中攻略に必要な城砦の直轄化のためだった。
棒道(軍用道路)の安全確保のために、これは絶対必要な処置だった。だが恨みが深くならないように、城地の代わりに家臣を養えるだけの扶持を支給した。さらに躑躅城・金子城・高遠城・吉岡城の4カ所に、国衆としての面目が立つ屋敷を与えた。
江馬時盛から召し上げた城砦は、江馬時盛の高原諏訪城、麻生野直盛の洞城、八幡山城・岩ヶ平城・石神城・下坪谷の狼煙(のろし)台・尻高城・田谷城・堂殿城・土城・塩屋城・忍城・角川砦・小谷城の14城砦だ。
江馬時盛に残した城砦は、棒道の安全に関係のない東街道沿いの、傘松城・寺林城・下山田城・政元城・奥政元城の5城砦だ。
さらに棒道安全のために、内ヶ島氏理の荻町城も召し上げて、代替地を信濃に与えた。内ヶ島領でもここだけは、庄川を攻め下るには、絶対確保する必要があったのだ。
内ヶ島氏理や江馬時盛には、戦功次第で越中に領地を与える約束をして、恨みを希望に変えて納得させた。
だが今から越中侵攻したのでは、冬までの時間が短く、活動期間が限られてしまう。よって来春の越中侵攻に向け、て国境の城砦の整備と兵の駐屯を行った。
小鷹利城を中心に、荻町城・小谷城・角川砦・忍城・塩屋城・土城に足軽と黒鍬兵を配備し、俺は騎馬隊と共に花岡城に戻った。
9月1日柴宮砦:村上義清
功を焦った侍大将が、愚かな選択をしやがった!
事もあろうに、要害堅固な砦を襲撃しやがったのだ!
無防備な村々を略奪すればいいものを、警戒厳重な砦に手を出しやがったのだ!
最も夜間は村に民は居らず、めぼしい財貨も城砦に収容されているのだが。それはこの際関係がない。
侍大将は、素早く砦に火矢を射(い)かける心算だったのだろうが、それは愚かな考えと言うものだ。義信から派遣された犬狼部隊に、弓の射程内に入る前に発見されやがった!
砦には、大型弩砲(バリスタ)50基が配備されていて、犬狼部隊の遠吠えと同時に面制圧連射された。この迎撃で、100騎の軍馬の大半が脚に傷を負い、もはや騎馬隊としての戦闘力は失われてしまった。
9月2日北条城:小笠原長時視点
俺は連日連夜、信濃の村々を略奪することを繰り返していた。事ここに至っては、信濃守護として領民の生活を考えることは止めた!
林城と犬甘城を放棄するほどまでに追い込まれ、平瀬城に籠ってからも兵糧の確保に汲々としている。兵糧確保のための村々略奪であったが、城砦群、特に山城(やまじろ)守備兵の油断を誘う事も理由の1つだった。
俺は3000兵で北条城を夜襲したが、これは裏切った西牧信道に対する報復だ!
損害を考えない我攻めで、一気に城門を打ち壊し、斜面を攀(よ)じ登り、板塀や柵を越えて攻め込んだ。夜明けまでの攻防で、憎っくき西牧信道を討ち取った!
これは西牧信道の近隣国衆である、中塔城主の二木重高が、北条城の縄張りと攻め口を知っていたからできた事だ。俺たちは北条城のめぼしい財貨を全て奪って、勝ち鬨を上げて撤退した。
だが残念ながら、平瀬城では守りきれないと判断して、要害堅固な中塔城に拠点を移すことにした。
俺は花岡城の増強改築が終わり、城下町の形成も順調に進んでいるので、金子城を中心とした大城郭群の着工を始めた。ついに以前からの構想である、大城下町を総濠で護る工事を開始したのだ。
琵琶湖から取り寄せた池蝶貝(いけちょうがい)の養殖は、俺の拠点城砦軍の水濠で順調に進んでいた。だがもっと生産量を増やすため、諏訪湖を最大の養殖場にするのだ。
池蝶貝(いけちょうがい)が手に入るまで母貝にしていた、カラスガイやドブガイでの養殖も続けている。だがよりよい真珠養殖の環境を求める事と、養殖真珠の品種を多様化するためにも、母貝は多種ある方がよい。
採取が始まった淡水真珠は、カラスガイとドブガイを母貝としているが、俺の知る海水真珠とは違った。色はホワイト・オレンジ・ワインと一定せず、形も楕円形の物がほとんどだ!
漢方薬の材料にするなら、色や形に関係なく金貨1両の価値がある。だが真珠に治療効果がない事を知っている俺には、漢方薬の材料として国内売買するのは抵抗がある。明国や南蛮に装飾品として売りたいが、1両以上の価値がつくだろうか?
それに海外に輸出できるなら、対価として手に入れたい物が多いのだ。限りある金銀ではなく、養殖可能な真珠を大量売買できる湊が欲しい。海が欲しい!
早期に川中島に侵攻して謙信を誘い出すか?
飛騨の江馬を早々に攻略して越中に出るか?
8月15日躑躅城義信郭の義信私室:義信視点
信玄との密談が終わった。海を渇望(かつぼう)する思いは、俺も信玄も同じだ。ならば一番海に近くなった、飛騨に戦力を集中させて、江馬家を滅ぼして神通川を下るか?
それとも降伏して傘下に入った、帰雲城の内ヶ島氏理を信じて、庄川を下り越中にでるか?
どちらにしても、ゲリラ戦を展開する村上義清や小笠原長時よりも、楽に戦える。
それに義清と長時を滅ぼしたとしても、川中島には高梨政頼が居り、その後ろには謙信がいる!
とてもじゃないが、湊を手に入れるのに、時間が掛かり過ぎる。だが越中なら、松倉城主の椎名康胤と、越中富山城主の神保長職が激しく争っているから、どちらかと手を組めばよい。
長年の越中内乱は、越後守護代である長尾為景(上杉謙信の父)の介入を招き、勝利した為景は、越中国新河郡分郡守護代に任命されている。つまり長尾景虎(上杉謙信)は、越中にも影響力がある事になる!
俺が何より危険視したのは、長尾景虎(上杉謙信)の介入だ。これだけは絶対防がねばならない!
今の俺に使える手段は、長尾三家の守護代争いだ。謙信の三条長尾家と、謙信実母の実家で古志長尾家の長尾景信と、上田長尾家の長尾政景を相争わせる。具体的には長尾政景に資金援助を行い、謙信が越中に手出しできない状況を創りだす!
史実でも長尾政景は、謙信の守護代就任当初は、激しく対抗している。資金援助を行い、それを煽(あお)りに煽(あお)る。
次に行ったのは、軍用道路の整備だ。信濃の村上義清と小笠原長時に、越中の椎名康胤と神保長職のどちらかと、同時に戦うことになる。信濃と越中の二正面戦闘になるのだ!
それを行うためには、武田領内で素早く兵力を移動迎撃させられる、軍用道路が必要に成る。史実で信玄が整備させた、躑躅ヶ崎館から素早く川中島に出陣するための棒道がある。これを躑躅城・花岡城・小鷹利城・萩町城の間に創り出す!
8月16日京の三条屋敷:第3者視点
「虎繁、どういたすのじゃ?」
三条公頼卿は、三条家の家司を務める事になった、秋山虎繁に確認する。
「皆さまには、信濃伊奈郡吉岡城に下向して頂きます。武田の支配下の荘園収入と家職収入は、武田家が保証いたします。武田領内に、荘園収入と家職収入のない皆様も、武田家が金穀を支援いたします。下向路に領地を持つ、近江の六角家や浅井は、朝廷に忠誠を誓っております。美濃の斎藤道三も、安全を保証いたしました。下向の護衛も、我が武田家が資金を出して整えた、将軍家の軍勢が行います。斎藤も武田、六角、朝倉、織田の全てを敵に回して、下向される皆様を害することはありますまい。ですから皆様には、安心なされて下向して頂くようお話ください」
「うむ、そのように伝えよう」
京の治安は最悪だった!
細川晴元と三好長慶の争いは、京の町を荒廃させ治安を悪化させていた。いくら武田家が雇った三条家の兵が取り締まろうとしても、雑兵共の乱暴狼藉が後を絶たなかった。
高位高官で政治力や縁故のある公卿は兎も角、下級公家の生活は成り立たなくなっていた。下級公家は三条屋敷を始めとする、有力者の屋敷に逃げ込んだが、全員を京で護り養うことはできなかった。
史実では、多くの公家たちが、周防の大内家や越前の朝倉家に下向した。だがこの世界では、武田家の方が大内家や朝倉家より待遇がよく、武名も鳴り響いている。
京の三条家で受けた待遇のよさで、大半の公家は武田家への下向を渇望していた。
しかし公家も馬鹿ではない。できるだけ大きな手土産を持っていく方が、さらに待遇がよくなることは、海千山千の公家なら分かっている。
武田が最も欲しがっているのは、三条公頼による鷹司家の復活だった。これが肝心なところなのだが、武田直接の官職ではなかった。
公家たちも天皇に奏上しやすいし、清廉潔白な後奈良天皇も、これならばお認めになりやすい。たとえ後で、武田二郎か三郎が鷹司家を継ぐことが薄々分かっていてもだ!
認められやすかった原因の1つに、後奈良天皇の武田への心証(しんしょう)が、とてもよかった事もある。これは武田家が銭の献金をせず、常に生活必需品の献納を積み重ねてきた結果だった。
武田家は季節に応じて、麦焼酎・米・干椎茸・蜂蜜・漢方薬・白絹などを送り続けた。換金性が高く、後々堺商人が引き取り、銭に変え朝廷費用にしていたとしても、朝廷や公家には建前が大切なのだ。
次に行われた朝廷工作は、後奈良天王の第五皇女・普光女王(1537誕生)と、第一皇子・方仁親王(1517誕生)の・第二王女・永高女王(1540誕生)の親王宣言だ。
余り露骨な動きは逆効果だし、可能性も凄く低いが、親王宣下から武田家へ降嫁まで持ち込めれば、皇室と縁が強くなる。
普光女王の実母である藤原量子様は、橘氏唯一の堂上家である橘以緒・正三位参議の実子だ。橘家から高倉永家の養女となり、その後で後奈良天皇の典侍となられ、普光女王を御生みに成っている。
橘家には男子がいない。結果がどう転ぶか分からないが、唾を付けて置いて武田家に損はない。
義信の叔父上たちや弟たち、いずれ産まれるかもしれない義信の子を、橘家の養子に送る。国司や守護職を得てから、各地の国衆に養子や婿として送り込む。
遠国ほど、家柄・官位官職を有難がる国衆が多い。敵対する大名配下の国衆に、養子や婿を送り込む事で切り崩せるなら、これほど楽な話はない。
武田家の血を引く公家大名が創り出せれば上々、駄目でも銭の損で済むだけの事だった。
義信が工作する公卿家の1つに、高倉家がある。高倉永家卿は、衣紋道(えもんどう)高倉流の宗家で、この家も縁を結び恩を与えておいて損はない。
武田家が永倉流家元の1つとなり、国衆に衣紋道を伝授することで、国内支配の一助になるかもしれないからだ。田舎ほど、朝廷や公家の権威が効果的だ。
さらに後奈良天皇の女院である藤原(万里小路)栄子様の父は、万里小路賢房殿だった。この方はもともと勧修寺教秀の三男だ。つまり勧修寺教秀の娘が母親であり、後奈良天皇は姪を女院にしたのだ。
しかも後奈良天皇と栄子様の間に産まれられた方仁親王は、万里小路賢房の娘である御伊茶様(叔母)を典侍に向かえられている。さらに万里小路賢房の嫡男である万里小路秀房の娘、万里小路房子様(従姉妹)も、典侍に迎えられている。もはや訳が分からない、血縁の錯綜(さくそう)と濃さは理解不能なのだ。
義信は、近親婚の弊害(へいがい)を熟知している!
義信は、信玄の娘か妹を皇室に嫁がす工作を始めた!
建前上受け入れやすくするために、三条家の血が入った義信の全妹を、鷹司家の養女として送り込めれば上々と、駄目元で工作させていた。
8月25日小鷹利城:武田義信視点
俺はここを勝負時と決めた!
鉄砲の一斉射撃は封印するにしても、飛騨の完全攻略は今年中に成しとげる。雑兵や扶持武士団を磨り潰してでも、飛騨の敵対勢力を攻め潰す!
飛騨完全制圧に動員した兵力は、先陣に降伏して来た飛騨衆1000兵を使った。次陣には小笠原長時勢から逃げ出した足軽を加えた、槍足軽隊2500兵を使った。本陣には、虎の子の騎馬隊3500兵を使った。後陣は、工夫兵改め黒鍬輜重隊4000兵を使った。合計すると1万1000兵だ!
これまでの飛騨国内の合戦では考えられなかった、1万を超える大軍で侵攻した。これに恐れをなしたのだろう、江馬時盛と弟・麻生野直盛は家臣の河上光久らを伴い、慌てて臣従の挨拶(あいさつ)に来た。
越中侵攻を控えた俺は、今回は厳しく対応することにした!
帰雲城の内ヶ島氏理より臣従の挨拶(あいさつ)が遅れた事を理由に、江馬一族の城砦と所領の大半を召し上げた。越中攻略に必要な城砦の直轄化のためだった。
棒道(軍用道路)の安全確保のために、これは絶対必要な処置だった。だが恨みが深くならないように、城地の代わりに家臣を養えるだけの扶持を支給した。さらに躑躅城・金子城・高遠城・吉岡城の4カ所に、国衆としての面目が立つ屋敷を与えた。
江馬時盛から召し上げた城砦は、江馬時盛の高原諏訪城、麻生野直盛の洞城、八幡山城・岩ヶ平城・石神城・下坪谷の狼煙(のろし)台・尻高城・田谷城・堂殿城・土城・塩屋城・忍城・角川砦・小谷城の14城砦だ。
江馬時盛に残した城砦は、棒道の安全に関係のない東街道沿いの、傘松城・寺林城・下山田城・政元城・奥政元城の5城砦だ。
さらに棒道安全のために、内ヶ島氏理の荻町城も召し上げて、代替地を信濃に与えた。内ヶ島領でもここだけは、庄川を攻め下るには、絶対確保する必要があったのだ。
内ヶ島氏理や江馬時盛には、戦功次第で越中に領地を与える約束をして、恨みを希望に変えて納得させた。
だが今から越中侵攻したのでは、冬までの時間が短く、活動期間が限られてしまう。よって来春の越中侵攻に向け、て国境の城砦の整備と兵の駐屯を行った。
小鷹利城を中心に、荻町城・小谷城・角川砦・忍城・塩屋城・土城に足軽と黒鍬兵を配備し、俺は騎馬隊と共に花岡城に戻った。
9月1日柴宮砦:村上義清
功を焦った侍大将が、愚かな選択をしやがった!
事もあろうに、要害堅固な砦を襲撃しやがったのだ!
無防備な村々を略奪すればいいものを、警戒厳重な砦に手を出しやがったのだ!
最も夜間は村に民は居らず、めぼしい財貨も城砦に収容されているのだが。それはこの際関係がない。
侍大将は、素早く砦に火矢を射(い)かける心算だったのだろうが、それは愚かな考えと言うものだ。義信から派遣された犬狼部隊に、弓の射程内に入る前に発見されやがった!
砦には、大型弩砲(バリスタ)50基が配備されていて、犬狼部隊の遠吠えと同時に面制圧連射された。この迎撃で、100騎の軍馬の大半が脚に傷を負い、もはや騎馬隊としての戦闘力は失われてしまった。
9月2日北条城:小笠原長時視点
俺は連日連夜、信濃の村々を略奪することを繰り返していた。事ここに至っては、信濃守護として領民の生活を考えることは止めた!
林城と犬甘城を放棄するほどまでに追い込まれ、平瀬城に籠ってからも兵糧の確保に汲々としている。兵糧確保のための村々略奪であったが、城砦群、特に山城(やまじろ)守備兵の油断を誘う事も理由の1つだった。
俺は3000兵で北条城を夜襲したが、これは裏切った西牧信道に対する報復だ!
損害を考えない我攻めで、一気に城門を打ち壊し、斜面を攀(よ)じ登り、板塀や柵を越えて攻め込んだ。夜明けまでの攻防で、憎っくき西牧信道を討ち取った!
これは西牧信道の近隣国衆である、中塔城主の二木重高が、北条城の縄張りと攻め口を知っていたからできた事だ。俺たちは北条城のめぼしい財貨を全て奪って、勝ち鬨を上げて撤退した。
だが残念ながら、平瀬城では守りきれないと判断して、要害堅固な中塔城に拠点を移すことにした。
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105
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364
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58
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89
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63
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43
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19
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1
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81
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138
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358
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1,684
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28
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46
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3
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1
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202
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161
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2,940
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7,460
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1.5万
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23
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2
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1.5万
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