転生武田義信

克全

第43話武田義信誕生・長尾景虎(上杉謙信)守護代就任

9月22日深夜南熊井城外:神田将監視点

「うぉ~ん、うぉ~ん、うぉ~ん」

矢張り番犬の対応が早い、これでは火矢が郭に届かない。だが味方の士気を維持するには、馬防柵だけでも焼かねばならん!

「突撃!」

「止まれ!」

「射よ!」

大型の弩が飛んできた!

番犬の鳴き声を聞いてすぐに、大型弩砲(バリスタ)で反撃してきやがった!

他の城に再度攻撃をかけるしかない!

「撤退! 北熊井城に行くぞ!」

武田も夜襲慣れして、弓矢の射程外に番犬を配し、馬防柵も設置している。騎馬隊が移動しやすい道には、嫌らしい落とし穴を多数掘ってやがる。

俺たちが襲い難い、武田勢力圏奥深くのこの城にも、油断する事なく、大型弩砲を配備している。これほど素早く対応されては、城内の長屋1つ焼くのも命懸だ!

長屋1つのために騎馬1騎を失っては、とてもではないが割に合わない。練達の騎馬を産み育てるには、年齢と同じだけの歳月が必要だ。例え他の騎馬武者や徒武者を抜擢訓練しても、今度はその穴を足軽で埋めなければならなくなる。そうなると、どんどん将兵の質が落ちてしまう。

すでに6人の騎士と31頭の軍馬を失ってしまった。忌々しい番犬と大型弩砲のせいだ!

特に幅広十字鏃は馬の天敵だ!

脚が深く傷ついてしまった馬は、苦しまないように殺してやるしかない。

合戦の喧騒と殺し合いを怖がらない馬は、黄金よりも貴重だ。その上で敵と切り結ぶ時に有利な、輪乗りを覚えさせるのがどれほど難しいか!

源平合戦の頃は、関東武者が輪乗りできるのに比べ、西国武者ができなかった。それが源氏の勝利に結び付いたと伝え聞いている。輪乗りで人馬息を合わせて戦うことは、それくらい難しいのだ。

まして馬に後ずさりさせて、騎射しながら戦い、攻め寄せてきた敵と切り結ぶ事を覚えさすのは、至難の業なのだ。

馬は臆病な動物で、見えない後ろには下がりたくないのだ。本能では、馬首を返して逃げたいのだ。それを敵と切り結んでいる状態で、後ずさりする事を覚えさせなければならないのだ!

本拠の林城を始め、多数の城砦と領地を失った我が小笠原には、騎馬隊の再編強化など無理だ。それどころか、300騎を維持することにさえ四苦八苦している。だから不毛とも見える夜襲を、連日続けるしかない。

なぜなら戦国時代の年貢には、境目の慣例があるからだ。本来年貢は6公4民や7公3民が多いが、それは完全に支配下に置いた地域だけだ。合戦真っ盛りの境目の地区には、独特の作法があるのだ。

それは年貢の折半制度で、敵味方双方が6公4民の年貢など徴収したら、境目の百姓は死に絶えてしまう。いや、百姓はそれほど弱くない、村ごと他国に逃散してしまう。だからこそ折半なのだが、善信の偽善者が!

武田との密かな交渉で、奴らは6公4民の折半を提案して来た。つまり小笠原・武田で3公ずつの年貢だ。今の小笠原の現状では、その条件を飲むしかなかった。

だからこそ我らは危険を覚悟で、南熊井城を攻めている。この領域も合戦中の境目だと交渉するためにだ。なのに善信の偽善者は、境目の年貢免除を発布しやがった!

我ら小笠原には、免除する余裕がないのを見越してだ!

これで信濃の民の心は、完全に武田に傾いてしまう。銭に余裕がある善信の、嫌らしい策だが、分かっていても対応できない。民の心が離れていくのを知りながら、少しでも年貢を増やすために、危険を冒して合戦地域を武田勢力圏に広げるしかない。信玄相手ならもう少し楽に戦えたものを!





9月22日深夜北熊井城外:神田将監視点

「うぉ~ん、うぉ~ん、うぉ~ん」

北熊井城も、馬防柵を焼くくらいしかできぬか・・・・・

だからと言って、元々小笠原の領民だった村々を、略奪することはできない。そんなことをすれば、雪崩を打つように国衆が離反するだろう。半農半武の地侍に背かれては、国衆の首が危うい。

地侍が武田方について一揆を起こす事は、小笠原方国衆の悪夢以外の何物でもない。善信の配下になれば豊かになれると、すでに近隣諸国では評判だ。何時まで国衆や民は、小笠原に忠誠を示してくれるだろう・・・・

いっそ甲斐に行って略奪するか?

村上勢に見せかけて佐久から甲斐に乱入すれば!

「突撃!」

「止まれ!」

「射よ!」

だが今はここで全力を尽す!





犬甘城外:武田善信視点

稲の取入れが終わった。大盤振る舞いで、境目の年貢免除もやった。1度でも小笠原騎馬隊の侵攻があった地域すべてに、年貢の免除をおこなった。軍資金と兵糧に余裕のある俺にしかできない、いやらしい人心掌握策だ。これでさらに小笠原を追い詰めることができるだろう。

その上で、初雪を待って犬甘城を包囲した。今からではとてもではないが、城を落とすことはできない。そんな事は百も承知している。

だが5000の将兵が守る犬甘城を我攻めすれば、武田軍は大損害を受けるだろう。嶽影の城砦攻略部隊を投入すれば、大損害を出して撃退されたうえ、影衆の信頼と忠誠を失い、俺はただの戦国大名に成り下がってしまうだろう。そこまで俺は愚かではないので、今回の包囲はただの囮だ!

俺が全軍で犬甘城を囲んでいると、近隣諸国に噂が広まればいい。そうすれば飛騨の三木直頼と江馬時盛も、油断してくれるだろう。油断しなければ、油断するまで待てばいい。俺にはそれだけの余裕があるのだから。

飛影指揮下の特別足軽3000兵は、密かに木曽妻籠城から出陣した。飛騨勢に発見されないように、険(けわ)しい獣道を歩いて進軍する。事前に多数の物見を送り、道案内できる人材を確保しておいた上でだ。

もちろん山中泊ができる様に、山の民を動員して秘密の里も新設した。と言うか木曽を手に入れた時点で、山の民が狩猟採集のために飛騨方面に入り込んでいた。すでに猟師小屋や木地師の小屋はあったのだ。それを3000兵規模に拡大増強したのだ。

特別足軽3000兵は、夜明けと共に出陣し、山中で一泊して、さらに進軍する。彼らは日暮れ前までに、御前山の山麓に到着していた。物見を出し警戒しつつ仮眠を取り、夜が更けてから静かに山を下りて桜洞城を包囲した。城砦攻略部隊に城壁を越えさせ、城門を開けさせる。そして一気に城を落とした。逆臣・三木直頼と、その一族を皆殺しにした。

翌朝、宮地城・大威徳寺城・為坪城・楢尾山城・桜谷城・中根城・今井城・松倉城・伊波那谷城に、松尾信是改め姉小路信綱の名で降伏の使者を送った。三木直頼に付いていた者たちも、武田より姉小路に降る方がまだ体裁がいい。武士としての対面も保たれるし、忠義の心がある武士にとっても、心理的罪悪感が著しく軽くなる。

降伏の使者が携える書状には、添えの署名と花押を押させた。前姉小路当主で、現飛騨田向家当主・従三位参議の田向重継と俺だ。実質武田の支配下に入る事を意味しながら、朝廷と国司の体裁が整えられている。実に降伏しやすくなっていると思う。

全ては影衆に鮎川善繁を加えた極秘メンバーで、練りに練った作戦だ。





躑躅城義信郭の善信私室:善信視点

桜洞城攻略の知らせを受けた俺は、犬甘城の包囲を解いた。急いで扶持武士団500兵を桜洞城守備兵に送り、特別足軽兵団3000兵を花岡城に戻した。危険な桜洞城の守備を、特別足軽兵団にさせるわけにはいかない。彼らへの褒美は、一律騎士への昇格にした。善信騎馬隊の誕生だ!

全将兵に軍馬を与えることはできないが、騎乗資格だけは与えた。後は独自で軍馬を購入してもらうか、今は訓練と農耕に使用している、俺個人の所有馬を貸し与えるかで対応する。

足利義藤将軍は、俺の桜洞城攻略を知って、素早く対応して来た。もしかしたら細川晴元伯父上が、俺を後押ししてくれたのかもしれないし、日々の足利義藤将軍への付け届けの効果かもしれない。俺に飛騨守護職と諱を与えると言ってきた、これで飛騨守護・武田義信の誕生だ!

さらに朝廷に対しても、足利幕府の権威を主張したかったのだろう。飛騨国司の姉小路信綱叔父さんを、飛騨守護代に任命してきた。飛騨国司が飛騨守護より格下と、天下に示したかったのだろう。まるでお子ちゃまだ!

これで武田一門の官職は以下の様になった。

姉小路信綱:飛騨国司・従六位下
:足利幕府・飛騨守護代
三条実信 :従五位下・侍従に任官
三条三郎 :

武田信玄:従四位下・大膳大夫兼甲斐守
:足利幕府の礼式奉行・国持衆・甲斐守護
武田義信:従五位下・大膳亮
:足利幕府の准国持衆・飛騨守護・善信から義信に改名

田向重継:従三位参議・飛騨田向家当主

今気づいたけど、これって家内融和に悪くないかな?

信繁・信廉・信顕・信龍・宗智の叔父さんたちは、何か官職をもらっていたっけ?

駿河で信虎爺ちゃんと一緒にいる信顕叔父さんや、姉小路信綱の弟・信龍・宗智叔父さんはまだいい。だが兄である信繁・信廉叔父さんが、姉小路信綱叔父さんを嫉妬しないだろうか?

信玄と相談しよう!

信玄と相談の上で、信繁叔父さんには正六位下・左馬助を、信廉叔父さんには従六位上・大膳大進をもらえるように、朝廷工作することにした。実に面倒だが、この辺を手抜きすると、武田が不利になった時に、手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。当主就任を約束して、子弟に裏切り工作するのは、戦国時代の常套手段(じょうとうしゅだん)、叔父さんたちへ目配り手配りするのは当然なのだ。





1月4日躑躅城義信郭の義信私室:義信視点

ついに長尾景虎(上杉謙信)が、越後守護代に就任した。昨年末の12月30日に、守護である上杉定実の調停で、兄の晴景養嗣子と体裁を整えた上で、晴景が隠退し景虎が三条(府内)長尾家の当主となった。

長尾景虎が春日山城に入り、弱冠19歳で守護代となってしまった!

これで武田信玄の最大の障壁が誕生してしまったが、俺はどうするべきか?

川中島と桶狭間のどちらを歴史転換点にすべきか?

今直ぐ決めるべきことではないが、常に四方に気を配り、敵味方の国力差・戦力差を正確に把握しなければならない。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は守らなければならない。

新しく俺の下に来た焼酎杜氏や難民を、生産力・戦力化した。境目の年貢を免除した結果が以下だ。

『義信直轄力』

甲斐水田:1100町(1万1000反)
甲斐畑 :700町(7000反)
信濃水田:1900町(1万9000反)
信濃畑 :2400町(2万4000反)

取れ高
玄米:3万0000石
雑穀:6万2000石

備蓄兵糧
玄米:25万石
麦 :60万石

焼酎生産力
杜氏20人
杜氏1人当たり3石甕1000個前後
20×3×1000=6万石
6万石×(1合卸値45文)=270万貫文

鉄砲  :1728丁
三間槍 :4000本
三間薙刀:3000本
弓   :5000張
大型弩砲: 200基
打刀  :8000振
太刀  :3000振

足軽具足:1万3000具

足軽弓隊 :1200兵
足軽槍隊 :2500兵
扶持武士団:4900兵
騎馬隊  :3000兵
工夫兵  :4000兵

繁殖牝馬:1423頭
訓練育成中の軍馬
0歳馬:1406頭
1歳馬: 877頭
2歳馬: 467頭
3歳馬: 188頭

繁殖牝牛:824頭
育成中の牛
0歳牛:803頭
1歳牛:510頭
2歳牛:198頭
3歳牛:101頭

合戦・牛馬・武具・米麦・恩賞・裏工作費用など歳出
90万貫文

『軍資金』
使用不能な武田貨幣
金銀銅貨合計:2000万貫文(10文黄銅貨が特に使えない・半分は信玄保有)

使用可能な精銭・永楽銭
170万貫文

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