転生武田義信

克全

第32話信濃攻略

6月1日、信玄の命令で俺が小笠原長時攻略の総大将となった。諏訪方面総代官に任命されてから、前任の板垣信方のやり方を改め、国衆地侍の城を取り上げ扶持武士団として再編成してきた。多少の抵抗はあったものの、伊那木曽地方での実績で、天候や合戦に左右されず、知行武士でいるよりも収入がよくなり、生活が楽になる実例があったので、名誉を重(おも)んじる者以外は応じてくれた。

諏訪大社大祝家の諏訪一族一門は、諏訪満隣を筆頭に、頼菊と千代宮丸からの文で一応納得して味方してくれた。しかし諏訪大社神官長の守矢頼真は、今一つ信頼できない。

諏訪扶持武士団1500兵を加えて、総兵力4100兵の侵攻部隊であったが、虎の子の小人兵団3000兵を、他の城から花岡城守備に移動させてから、4100兵全力で出陣した。前もって侍大将・足軽大将級の、戦慣れした者を前線と守備部隊で入れ替えていた。

総大将 :武田善信
軍師  :鮎川善繁
副将  :松尾信是
相談役 :楠浦虎常・漆戸虎光
侍大将 :加津野昌世・米倉重継・於曾信安・板垣信憲
足軽大将:狗賓善狼・市川昌房
武将  :諏訪満隣・諏訪満隆・千野靭負尉・守矢頼真・酒依昌光・板垣信廣・三村長親など

信玄は、躑躅城で村上義清に睨みを利かせている。

曽根昌世が1500の兵を率いて和田城、中山城、矢ヶ崎城に籠り楔(くさび)となり、村上と小笠原の連携を阻んでいる。

6月2日、夜明け前に花岡城を出陣、払暁(ふつぎょう)に浅田城に到着、諏訪衆を先方(せんぽう)に急襲した。1時間ほどで、あっさりと守備兵を討ち取るか降伏させて城を落とした。浅田城には、活躍した諏訪衆から100兵をほどを守備に残して、降伏兵を先方(せんぽう)に加えて小池砦に転進した。

1時間後に小池砦を急襲、先方に加えた降伏兵と諏訪衆の奮戦であっさり落城、ここでも活躍した諏訪衆100兵ほど守備兵に残して、小池砦降伏兵を諏訪先方衆に加えて村井城(小屋館)に転進。

1時間後に村井城に到着するも、流石に村井城(小屋館)も武田侵攻の情報を得ており、急遽(きゅうきょ)周辺の農民を城に入れて籠城体制を整えるとともに、林城の小笠原長時に援軍の伝令を送っていた。

「満隣、籠城しておる者どもに矢文を打ち込んでくれ」

「は、文面はどういたしましょうか?」

「降伏して武田に加わる者は、本領と同じ扶持を与えて召し抱える。小笠原長時に忠誠を尽くしたい者は、林城への帰還を許す。そう書いてくれ」

俺は諏訪衆の諏訪満隣他、全ての諏訪衆に矢文の指示を出した。

「重兵衛、お前たち浅田城と小池砦の降伏兵が、本領分の扶持を保証されたこと、先方の感状と褒賞銭(ほうしょうせん)をもらった事を文に書き、矢文を打ち込んでくれ」

「承りました」

俺は矢文を打ち込んでから1時間後に、林城方面以外の村井城(小屋館)城門を厳重に囲んで、一斉に鬨(とき)の声をあげさせた。鬨(とき)の声を聞いて、百姓が村井城から逃げ出した。それを見て怖気づいた足軽や地侍も、持ち場を捨てて逃げ出した。俗に言う裏崩れに近い状態となり、城主と一族もたまらず逃げ出した。

「動くな! 逃げる事を許しておる、決して追い討ちをするでない、追い討ちをした物は死罪じゃ!」

小笠原軍は、守備力強化と領民保護のため、村井城に百姓衆を入れたが、これが裏目に出たようだ。もし攻め寄せたのが信玄なら、百姓衆も死に物狂いで抵抗しただろう。だが今回攻め寄せたのは俺だった。

俺は百姓衆に評判がいい。板垣信方の圧政で逃げ出した百姓衆を、温かく迎えた噂は甲斐信濃で評判だ。他の甲斐領や信濃の百姓衆に比べて、俺の領内の百姓衆は豊かになっている。この実績と噂は、俺の大切な財産だ!

俺たちは籠城兵が逃げた後に、ゆうゆうと村井城(小屋館)に入城した。だが油断大敵だから、残留する刺客が居ないか1時間かけて入念に調べた。その後で先方の諏訪衆から100兵を守備兵に残し、足軽大将が指揮する100兵隊を本隊から先方に組み入れ、丸山氏の館に向けて転進した。

丸山館に到着した時には、丸山政知が一族一門あげて降伏してきた。さらに農民たちが、俺たちを歓迎して迎えてくれた。俺は丸山一族を先方に組み入れ、百姓衆に丸山館を預けて福応館へ即時転進した。

福応館に到着した時も、領主一族一門は降伏してきた。俺は降伏を受け入れ、領主一族を先方に組み入れた。福応館で遅い中食をとり、いったん赤木南城に帰還することにした。

小笠原軍の攻撃に対応するため、攻め取った諸城には以下の武将と兵を配備した。

福応館:守矢頼真:100兵
丸山館:諏訪満隆:100兵
村井城(小屋館):諏訪満隣:100兵
小池砦:千野靭負尉:100兵
浅田城:三村長親:100兵

「信安、何で呼ばれたか分かるか?」

俺は於曾信安を呼び出して、鮎川善繁、黒影、嶽影、狗賓善狼とともに話をする。

「義兄上の事でございますか・・・・・」

「信憲は先方を命じられながら、常に他の諏訪衆の後ろに隠れてまったく戦わなかった、それはお前も認めるな?」

板垣信方の嫡男板垣信憲は、戦場での行いが卑怯極まりなかった、いや、臆病と言うべきだろう。

「は、しかし義兄は、実父の板垣信方を失ったばかりでございます。心身に痛手があり、実力を発揮できなかっただけでございます」

「信方の旧功は、誰もが認めるものだ。だから諸将の面前(めんぜん)での叱責(しっせき)は控(ひか)えた。だが先方を命じられながら、それをまっとうしないのは武将失格である。戦いが恐ろしいなら、仏門に入って家督を弟に譲るのが筋であろう」

俺は何気(ねにげ)なく、義弟の於曾信安もその候補だと匂(にお)わす。

「俺の一存で信憲を処分するには、実父信方の旧功は大きかろう。其方(そなた)からも御屋形様に、この度の信憲の所業(しょぎょう)を報告し、叱責(しっせき)してくださるように願い出よ。さもなくば、そなたも義父信方の旧功を失うことになるぞ!」

「承りました、この場で書かせていただきます」

「矢立(やたて)を持て」

俺は自分が書いた板垣信憲の行状に、於曾信安の署名を加えて、躑躅城の信玄に届けさせた。

6月3日は丸1日安全な赤木南城で過ごし、将兵を休息させた。もちろん物見を多数放ち、万が一にも夜襲や奇襲を受けないようにした。油断して将兵を傷つけるなど、大将失格だからな。

6月4日の夜明け前に赤木南城を出陣し、諏訪衆(板垣部隊)に先方を任せた。もちろん板垣部隊だけでは心配なので、選抜した足軽大将部隊100兵を5組と、先日降伏してきた兵たちを加えて先方とした。

払暁(ふつぎょう)に淡路城を急襲した。先方は一気に城内に突撃するも、またも板垣信憲は出遅れた。先方部隊の最後尾を、やる気なく付いて行くだけだ。

「降伏せよ! 降伏した者は召し抱えるぞ! 降伏せよ! 降伏した者は召し抱えるぞ!」

城兵は全く抵抗せず、次々と降伏して来る。降伏してきた兵を先方に加え、ただちに山を登り櫛木城を目指した。

櫛木城(西光寺城)に到着したら、戦う事なく城主一門が降伏してきた。櫛木城が何の抵抗もせずに降伏臣従した事で、堅固な波田山城も戦う事なく降伏してきた。進んで降伏してくれたから、攻撃する必要はないのだが、波田山城は山を登って接収しなければならない。

先方部隊を城受け取りに向かわせたが、ここでも板垣信憲は最後尾を付いて行くだけだった。確かに降伏を鵜呑みにして城に入ったら、手のひらを返して攻撃される事もある。そんな嘘の降伏を信じて、打ち取られてしまった武将も多い。板垣信憲もそれを恐れたのかもしれない。

ここで俺は、いったん赤木南城に戻ることにした。赤木南城を長く空けると、小笠原長時が林城を出て攻め寄せてくるかもしれない。何より梓川を越えての城攻めは、一種の背水の陣となってしまう。そこまで危険を冒して攻め込まなくても、使者を送れば降伏する可能性が高い。淡路城、櫛木城、波田山城には、それぞれに先方を務めた足軽大将指揮の100兵を置いて、俺たちは赤木南城に帰還した。

俺は、先日降伏して扶持武士団に編入した国衆と、活躍した諏訪衆に諱を与えた。

「其方(そなた)に諱(いみな)を与え、丸山善知とする」
「其方に諱を与え、福山善沖とする」
「其方に諱を与え、花岡善秋とする」
「其方に諱を与え、有賀善内とする」
「其方に諱を与え、武居善種とする」
「其方に諱を与え、金刺善悦とする」
「其方に諱を与え、矢崎善且とする」
「其方に諱を与え、小坂善蔵とする」

これで諏訪衆の忠誠心を得られればいいのだが。

「信憲! 今日と先日の卑怯(ひきょう)な振舞(ふるま)いは何じゃ! 戦が恐ろしいなら出家せい!」

俺は連日の臆病な行いに激怒して、板垣信憲、酒依昌光、板垣信廣の3兄弟を呼び出し激しく叱責(しっせき)したが、恥をかかさないように諸将の前で怒る事は控えた。

「は、若殿、申し訳次第もございません。父亡き後体調優れず、足が萎(な)えてしまいました。次には必ず一番槍をお見せいたします」

空々しい奴!

「昌光、信廣、其方(そなた)たちは兄を諫(いさ)め、いざという時は兄に成り代わり役目に励(はげ)め!」

弟の酒依昌光、板垣信廣を叱責しつつも、暗に代替わりを匂わせる。

「さがってよい」

「「「は!」」」

「信安! 今日も御屋形様に報告書を書く。信憲の卑怯臆病(ひきょうおくびょう)を記(しる)すゆえ、其方(そなた)も署名いたせ」

板垣信憲の義弟、於曾信安を密かに呼び出し、今の遣り取りを蔭から見せた上で署名させた。

さて明日からどうする?

一気に林城を囲む手もあるが・・・・・西牧城(北条城)の西牧信道に降伏の使者を出してみるか?

史実での信玄は、村上義清に敗れた(上田原の戦い)ことで、信濃衆の一斉蜂起を受けた。そのため敗戦後の部隊編成が遅れ、反撃するまでに長い時間がかかった。だが俺がいるので、今回は余裕をもって部隊の再編ができた。もしかしたら川中島の合戦に影響が出てしまうかも知れない!

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