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転生武田義信

克全

第28話年末決算・棚卸

躑躅ヶ崎館:小人郭の永田徳本屋敷(施療院兼用)

「若君、このような立派な屋敷を賜(たまわ)り、感謝の言葉もございません」

「いえいえ、徳本先生は水腫病の治療研究など、甲斐の民のために働いてくださっています。私事(わたくしごと)としても、二郎の眼病治療に加え、漢方薬や薬酒の研究も御願いしております。また先生は、諏訪と甲斐を往復し、領民の診察治療をしてくださっています。諏訪にも甲斐にも、入院する民もいると弟子に送った者からも聞き及んでおります。そのような先生に対して、甲斐守護の武田の一門である私が、甲斐に先生の屋敷を建てるのは当然の事でございます。感謝されるようなことではありません、どうかお気になされますな」

そうだよ、感謝されると心が痛い。確かに俺には不完全な良心回路と、祖母に躾(しつけ)けられたお天道様に恥ずかしくない生き方が根本にはある。だが戦略的に損得を考えている所もあるのだ。

甲斐の病が減れば、生産力も戦力も向上する。眼病の薬ができれば、大きな資金源にできると言う思惑もある。漢方薬や薬酒の研究開発生産も同じで、資金源としても考えているのだ。何よりも、武田の躑躅ヶ崎館の中で、俺の郭に施術院を作り民を診ることが肝だ!

民の武田に対する印象、特に俺に対する感謝と忠誠が養えるなら、屋敷の建築など安いものなのだ。ものには表裏がある。信玄程には清濁併せ呑むことはできないが、俺にだって裏表の事情はあるのだ。

「若君、誠に申し訳なきことながら、水腫病の治療は捗(はかど)っておりません」

「お気に召さるな先生、病とは一生の戦いです。いや、我ら一代では病に勝てぬとも、子孫や弟子に繋(つな)ぐ道標(みちしるべ)だけでも作ってやれれば、それで良いではございませんか」

「有り難きお言葉、若様からお預かりしている弟子たちを、必ず立派な医者に育てまする!」

「子供たちの事、よろしくお願いいたす」

「は、承りました。それと若様、二郎様の目薬の事でございますが、これができあがりました」

徳本殿は素焼きの壺を差出してきた。

「これが目の病の薬ですか? どのように作り処方するのですか?」

「これは、目薬の木の樹皮と小枝を春から夏にかけて採取し、日干しすることで作ります。それを煎(せん)じたものを、飲んだり目を洗ったりいたします」

「徳本先生、煎じる時の量はいか程ですか?」

「これくらいの樹皮や小枝を、こなからせんじ桝半分の水で3分の1ほどに煎じます」

ふむ、300ccくらいの水に、20g程度の樹皮と小枝を入れて、100ccくらいにまで煮詰めるのか。俺は手に樹皮や小枝を持って確かめる。

「それを、1日で服用いたす方法と、直接目を洗う方法があります」

「目を洗う場合の量は?」

「それは若様、適量でございます」

それはそうか、点眼する道具などないだろうし・・・・・うん?

点眼器作れないか!

細い細い点眼用の出口付きの素焼きの急須(きゅうす)を試作させるか。

「益体(やくたい)もないことを申しました、どうかお忘れを。しかし上手く使うには、点眼に便利な道具を作らねばなりませんな、試作研究させましょう」

「それはようございますな。さて、次に薬酒でございますが。持って来ておくれ」

俺が修行に出した子供たちが、沢山の壺を持って入って来た。数が多い、これを荷役に持たすと嵩張(かさば)るな。各地に薬酒造りの拠点を設けて、そこで造らすべきだな。

忍冬酒・タラノ木酒・車前子酒・現の証拠酒・金柑酒・山査子酒・木通子酒・石菖酒・遠志酒・桂皮酒・木瓜酒・明日葉酒・枇杷葉酒・淫羊霍酒・桑白皮酒・地膚子酒・紫蘇子酒・当帰酒・蒲公英根酒・木香酒・柿の葉酒・車前子酒・蓮肉酒・五加皮酒などなど、俺の理解を超えている。

確かに薬効成分を抽出(ちゅうしゅつ)するには、水で煎じるよりアルコールで煎じた方が効率的だったような?

「若様、今はこれらを組み合わせた養生酒(ようじょうしゅ)を研究しております」

「なるほど、それはよいことですな。必要な費用や材料は幾らでもお渡しさせていただきますので、これからも武田の民のこと、よろしく御願い申します」

「御任せ下さい」

さて、前世でダイエット中に便秘で苦しんだが、整腸薬も大切だな。

苦参(じんく)は健胃・利尿・止瀉薬が基本で解熱・消炎・解毒・殺虫にも応用できたな。

車前子(しゃぜんし)は既に先生が薬酒にしてくださっていたが、消炎・利尿・止瀉薬を基本に夏季の下痢・眼疾・膀胱炎・血尿・鎮咳・去痰にも応用されていたし。

俺も先生とは別に、修験道系の薬種研究を続けさせよう。

先生が諏訪まで出張施療されているのだし、施療院は高遠城・荒神山城・松尾城・吉岡城・妻籠城・須原城にも設けよう。伊那木曽の民の心も掴む必要があるから、諏訪まで患者を連れていくか、先生に全ての施療院を巡回していただくかだな。それとも、新たな修験道系の医術者を探し出すか?

先生と相談しなければいけないな。





躑躅ヶ崎館:善信郭の善信私室

今日は俺・鮎川・飛影・黒影で軍議だ。

「黒影、京の様子はどうだ?」

「若殿、細川晴元様方の三好軍は、舎利寺から高屋城に逃げ込んだ遊佐軍を追撃し、若林に陣取っておられます。それに対して細川氏綱、遊佐連合軍は、足軽を出撃させて何度も小競り合いをしているようでございます。しかしながら決定的な勝敗はついておらず、三好軍が包囲を続けているとの報告でございます」

「ふむ、晴元伯父上が勝利されることも大切だが、何より大切なのは、京の静謐(せいひつ)が保たれることだ。三条屋敷が戦乱に巻き込まれるようでは、安心して二郎を送れないし、何より帝が心配じゃ」

「いざという時のために、帝を御動座していただけるだけの手勢を、三条屋敷に集めましょうか?」

「うむ・・・・諸勢力に気取(けど)られ、武田家が敵視されないように気を付けてやってくれ。費用は幾らかかっても構わん」

軍資金大丈夫だよな?

貨幣の鋳造でぼろ儲けできるだろうし、大丈夫だな。

「次に今川と織田の三河での争いですが、織田信秀が嫡男の信長と、美濃の斎藤道三の娘、濃姫の輿入れを進めようとしていると、報告が入っております」

「ならば織田は、背後の憂(うれ)いをなくし、三河に戦力を投入する準備をしているのだな」

「左様でございます」

さてどうする?

俺はこの辺りの史実を知らない。だが桶狭間の合戦時点で松平が今川勢なのを考えると、織田が負けるのだろうな。しかし、バタフライ効果で歴史が変わっているとしたら、織田が勝つ可能性もある。そうなると、桶狭間の合戦はなくなってしまい、俺の戦略が根本から瓦解(がかい)してしまう。ならば織田が勝った時点で動くべきだろう。

もし織田が勝ち、三河奥深くまで侵攻する様なら、俺が尾張を切り取る!

「何時でも尾張に動けるように準備せねばならんな、鮎川どう思う?」

「若殿、三河でなく尾張なのは、今川への配慮でございますか?」

「そうだ、どう思う」

「御屋形様の御考え次第ではございますが、よい策かと思われます」

「では御屋形様と相談いたそう」

「若殿、戦力、軍資金、兵糧でございますが」

「うむ、聞こうか」

「耕作地ですが、甲斐の水田が1100町(1万1000反)・畑が700町(7000反)、伊那郡の水田が900町(9000反)・畑が1400町(1万4000反)です。これは合戦で直轄領としたものと、新規開墾、土石流で放棄された耕作地の再開墾を含めたものです」

「今年の収穫は?」

「未入りが悪かったせいで、玄米1万4000石、雑穀3万8000石です。ただし、若殿が麦焼酎を米麦との交換でしか売らないと言われたおかげで、兵糧備蓄が積み上げられました」

「どれくらいに成る?」

「各城砦に分散備蓄いたしておりますが、玄米が20万石・麦が40万石です」

ほえ~酒飲みの執念はすごいね。

「それだけあれば兵糧の心配はないな、麦は焼酎用に作れるだけ回してくれ」

「承りました。今年は杜氏1人当たり3石甕1000個前後でしたが、来年は杜氏見習いも育っておりますので、1500個は大丈夫と報告を受けております。さらに壱岐の職人6人が参りますと、もっと醸造が可能に成りますので、甕の生産が間に合いません。他国より甕を購入してもよろしいですか?」

「許可する、買えるだけ買え」

「承りました。ただ焼酎を兵糧購入に回したため、軍資金の積み上げは少しに成りました」

「幾らほどだ」

「白絹・蜂蜜・漆器は、京の有力者に送ったり重臣達への恩賞に回したため、利益は少なくなりました。漢方薬・傷薬・荷役輸送による銭の相場差益も、武具甲冑の購入や御屋形様への献上銭5万貫、牛馬の購入費・荷役への歩銭、領民の労務銭、動員兵への恩賞などで、ほとんど残りませんでした」

「うむ、それで」

「21万2897貫文でございます」

「まあ仕方なかろう。今年の実入りが悪かったから、来年の甲斐信濃の米相場は高騰するだろう。ならば恩賞は、玄米で与える方が皆も喜ぶだろう」

「左様でございますな、それがよろしゅうございます」

「それで武具の備蓄はどれほどだ?」

「は、鉄砲1008丁、三間槍4000本、弓4000張、打ち刀8000振り、足軽具足1万3000具です」

「1年で随分増えたな、職人が増えたのか?」

「左様でございます。鉄砲鍛冶31人、刀鍛冶33人、野鍛冶81人、弓師31人、甲冑師33人、皮革職人143人、竹細工職人211人、木地師(きじし)285人、大工29人、塗師75人でございます」

「刀鍛冶と野鍛冶が増えたか?」

「は、鉄砲が増える割に硝石の購入が上手くいきません。故(ゆえ)に他国より逃げてきた鍛冶は鉄砲鍛冶にせず、刀鍛冶として打ち刀や槍先を作らせております。野鍛冶と木地師には、生産力を増やすために農具を作らせております。若殿が開発し名付けられた、車馬鍬・谷馬鍬・草刈大鎌・稲扱・麦扱・水かき桶・大黒鍬・中黒鍬・小黒鍬・備中田起こし鍬・備後鋤先鍬・若狭鍬・因幡鋳鍬・相模鍬・紀伊鍬・近江鋤・関東鋤・金ざらえ・地ならし・木ざらえ・熊手・油揚万能・杏葉万能・角万能・草削・木起・堀あげおこし・あ~などなどを試作量産させております」

さすがに鮎川も面倒になったか、俺も面倒だったよ。だが少しでも農業生産性を上げるには、地味だがここで頑張るしかなかった。母校の図書館で処分された、「農具便利論・耕作絵巻」を愛読していてよかった。

「難民数と兵力はどうなっている?」

「難民ですが、甲斐の開拓地に5356人、福与城内に1000兵、荒神山城に2512人、竜ケ崎城に2437人、高遠城に2502人です。あと上之平城、大出城、箕輪城、松島城、北の城、下の城、大草城、的場城、春日城、殿島城など新たに接収した伊那木曽の城砦に、700人規模の難民を住まわせております。訓練された兵ですが、弓1200兵、槍800兵、伊奈木曽兵3800兵です。若殿秘蔵の小人兵2000の内1000は鉄砲兵です」

「牛馬はどうなっている?」

「今年も御指示通り、購入価格を3貫文にしましたところ、順調に購入できました。牝馬が928頭、牝牛が532頭です。春に産まれた子馬が891頭、子牛が510頭、1歳の子馬481頭、子牛が198頭、2歳馬が196頭、2歳牛が101頭でございます」

「子馬の軍用訓練はどうだい?」

「御指示通り、鉄砲兵の鍛錬と同時に行い、発砲音に慣れさせております。合戦時に使用する、鉦(かね)や太鼓(たいこ)はもちろん、鬨(とき)の声にも慣れさせております」

「それでよい、任せたぞ」

「承りました」

前世で乗馬やっていた時、子供が笑って駆けだしただけで、馬場は大パニックだった。大量の落馬事故が起こり、骨折や脳震盪(のうしんとう)を起こした人もいた。もし馬に頭を踏まれる人がいたら、死亡者が出ていたかもしれない。あの惨劇を、武田家で繰り返したくない。完全装備の甲冑姿で落馬したら、頚を折って即死もあり得る。将来敵が鉄砲隊そろえた時のことも考え、南蛮鎧の導入は確定なのだから、今から馬にも完全装備の武者を乗せる訓練が必要だ。

「そうだ、試作させていた、南瓜(なんきん)・じゃが芋・薩摩芋(さつまいも)はどうなっている?」

「荒地でも悪天候でも収穫が見込める、よい結果が出ております。ただ結果が好過ぎて、種や種芋が大量に余りそうです」

「では、伊奈と木曽の民にも栽培法を教えて、種や種芋を配ってやってくれ」

「承りました」

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