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転生武田義信

克全

第20話畿内騒乱

11月躑躅ヶ崎館の善信私室:善信視点

11月、俺が新たに支配下に置いた5城と、板垣信方の上原城に挟まれ、圧迫された国衆や地侍が俺の元に臣従してきた。彼らにとっては、俺に臣従するか御屋形様に臣従するかで、待遇と将来性が全く違ってくる。だが俺にとっては、信玄に要らぬ疑念を抱かれるのは避けねばならない。

よって俺が取次役(とりつぎやく)として、躑躅ヶ崎館に連れて行ってやった。

信玄は硬軟使い分けなのか、飴(あめ)と鞭(むち)なのか、強面(こわもて)は自分が務め、降伏窓口は俺に努めさせるようだ。さすがに父親を追放したり、義兄を殺した前科はなしにできない、これが適材適所だろう。

ちなみに降伏してきたのは。武居城の武居氏、妙義山城の三村長親、中原館の中原氏、本山城の本山氏などだ。戦国時代は、村同士の水利や境界争いが多い上に、略奪や人攫(ひとさら)いが多かった。公然とした敵だけでなく、同じ守護の元に仕える国衆同士でも、勢力争いによる反目(はんもく)は当たり前、それは当然支配下の村同士の争いを産む。

500石程度の国衆と言うか地侍でも、それなりの城(現代人の感覚では砦)を持っている。敵から襲撃を受けたら、百姓はその城に逃げ込む。そうでなければ、無報酬(むほうしゅう)で城普請(しろぶしん)に参加などしてくれない。500石の領主では、攻撃に動員できる兵力は50兵程度でも、籠城時は老若男女の百姓も籠(こも)るので、守備兵力は500人程度に成る。

足利義晴将軍は、12月に近江に逃れて、嫡子の菊童丸を元服させた上で将軍職を譲られた。この際に六角定頼が管領代に任じられ、本来は管領が行うべき加冠役(烏帽子親)を管領代理に務めさせたそうだ。

13代足利将軍、足利義藤(初名)(史実では1554年義輝と改名)の誕生だ。

三好長慶は、弟の三好実休や阿波守護の細川持隆らと共に、摂津原田城や三宅城の三宅国村などの将軍方の城を落とし、摂津を奪い返した。これにより細川晴元伯父上は、12月に三好長慶の居城である摂津越水城から北の神呪寺へ移られた





12月5日躑躅ヶ崎館の信玄私室:善信視点

「ようやく京も落ち着いたようだな」

「はい、三条屋敷からの報告では、晴元伯父上が勝利されたそうです。戦勝祝の品として、麦焼酎(むぎじょうちゅう)、蜂蜜(はちみつ)、漢方薬、傷薬などを送っておきました」

「麦焼酎とは、お前が造らせている透明の酒か!」

「はい、御屋形様にも毎日食事の時にお出ししている、あの透明の酒です」

「あれは、強くて美味い酒だ、他所(よそ)に送るほどあるのか?」

「軍資金獲得用の売り物として、大量に作らせております。帝にも将軍家にも、後日お送りする心算です」

「それ程あるなら、正月の宴や重臣団への贈答用に、主郭の酒蔵に収めておけ」

「承りました」

「今日の分はまだあるか」

「料理長、焼酎と肴(さかな)をもっとお持ちしろ!」

黙って廊下に控えていた、料理長の相賀光重に命じた。

ちなみに今日の料理は。

1:鰻蒲焼(うなぎかばや)き
:鰻・たまり醤油・焼酎
2:鹿腿肉(しかももにく)の大蒜(にんにく)味噌焼き
:鹿(しか)・葱(ねぎ)・大蒜(にんにく)・唐辛子(とうがらし)・麦味噌
3:山菜ぬた
:茹大根・茹人参・塩抜き筍(たけのこ)・銀杏(ぎんなん)・白味噌
4:玄米飯
:玄米
5:澄まし汁
:たまり醤油・干椎茸・油揚げ・葱
6:梅干
:梅・塩・紫蘇(しそ)
7:蜂蜜黍団子
:蜂蜜・黍団子(きびだんご)

木気:梅干
火気:筍・銀杏
土気:大豆・玄米・蜂蜜・鰻・人参
金気:葱・大根
水気:塩・麦味噌・たまり醤油・白味噌

「肴(さかな)は鯖(さば)のヘシコを焼いてもて!」

これこれ、そんな塩辛いものばかり食べてたら卒中で死ぬぞ!

「御屋形様、焼酎用の麦が必要なのですが、甲斐領内で買取ると相場が上がってしまうのですが、構いませんか?」

「構わん、米相場さえ安定しておればよい。高値になれば、他国からも入ってこよう」

「それと戦乱や土石流のせいで、国衆の支配地内で多くの耕作放棄地(こうさくほうきち)があります。その土地を開墾(かいこん)したいのですが、支配関係や境界で揉(も)めたくないのです。何かよい方法はありませか?」

「年明けに分国法を発布(はっぷ)する心算であったが、国衆や地侍の支配地内であっても、放棄地を再開墾したり新規開墾した土地は、開墾した者の領地としよう」

「ありがとうございます」

「ただし、あらかじめ守護武田家に申請することとする」

「承りました。」

年明けに発布(はっぷ)された甲州法度次第の内容は、史実では以下のようなものだ。

1:国人・地侍が、罪科人の所領跡という名目で土地を処分することを厳禁とし、領国全体を武田家が領有することを定めている。

2:国人・地侍が、農民から理由なく田畑を取り上げるようなことを禁止して、農民を保護している。
:訴訟時において暴力行為に及んだものは敗訴とする。

3:年貢の滞納(たいのう)は許さず、その場合には地頭に取り立てさせる。

4:家屋税として貨幣で徴収(ちょうしゅう)する棟別銭について、逃亡しても追って徴収(ちょうしゅう)する。
:あるいは連帯責任制により同じ郷中に支払わせる。

5:隠田があった場合には、何年経っていても調査により取り立てる。

6:被官について、武田信玄の承諾なく盟約を結ぶことを禁ずる。

7:他国に勝手に書状を出してはならないことを定め、内通の防止を図っている。

8:喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)。

9:浄土宗と日蓮宗の喧嘩禁止(けんかきんし)

分国法は分国内のいかなることも拘束し、末尾の条文には、当主である武田信玄自身も法度に拘束されると記され、法度(はっと)の主旨(しゅし)に反する言動に対しては、身分の別を問わずに訴訟を申し出ることが容認されていた。

当主自身を拘束する条文や、守秘義務のあることの多い分国法だが、これは広く領民に知らされた。

俺は信玄と相談して少し改変した。

9:浄土宗と日蓮宗だけでなく、あらゆる宗教対立を禁止し、意見の相違(そうい)があれば、衆目の場で奉行検視役の前で論戦することとした。違反した場合は、寺領神領の全てを没収することとした。

10:事前に守護武田家に申請した場合、国衆や地侍の支配地内であっても、放棄地を再開墾したり、新規開墾した土地は開墾した者の領地とする。





12月15日躑躅ヶ崎館の善信私室:善信視点

俺は、飛影・甘利信忠・曽根昌世・滝川一益・相良友和・今田家盛ほか、近習衆を集めて会議をした。そろそろ名門出の近習も、徹底的に鍛えなければいけない。もちろん元難民の小人衆の子供たちは、最初から徹底的に鍛えている。その内容は読み書き算盤から武芸十八般に及び、5年後の成長がとても楽しみだ。

「今、儂の開拓地の石高がわかる者」

「甲斐の水田が9000反、畑が5000反、伊那郡の水田が6000反、畑が9000反です」

相良友和が間髪入れず答える、優秀だな。

「今年の収穫は?」

「玄米1万5000石、雑穀2万9000石です」

負けじと甘利信忠が答えた、兵糧の大切さを知る古参らしい。田畑の広さに興味はなくても、採れた作物は覚えているか。

「足軽に採用した難民の数は?」

「槍兵500兵です、福与城の弓1000兵は除いております」

曽根昌世も負けじと答える、武に関してはよく知っている。

信長の力を削がないように、積極的に足軽を集める事はしなかったのだが、勝手に集まる者は仕方がない。下手に野放しにしてしまうと、野盗や野武士になってしまい、民が大いに迷惑する。

まあ、この時代は境界争いや水利争いで、農民も村単位で戦をしていた。

何度も合戦に駆り出されるから、男で純粋な農民などいない、皆農民兵だ。田畑を失って村を離れたとしても、足軽として何時でも戦える。

一方将来結成される、雑賀衆や根来衆のような鉄砲兵団、こいつらは傭兵団だ。個人や集団で戦闘技術を鍛え、その力を大名に買ってもらう。

もう一つ、蜂須賀小六などの野武士と言うか山賊と言うか、こいつらは合戦後の死体漁りもするが、陣借りをして恩賞をもらう者もいる。まあ、押しかけ助太刀の場合もあれば、関を設る通行税の権利を与えての参陣要請もある。無視できない独立勢力とも言える。

「武具の量は?」

「三間槍は2000本、弓2000張、足軽具足4000です」

滝川一益もよく勉強している。





1時間後躑躅ヶ崎館の善信私室:善信視点

俺は飛影だけを残して、秘密会議に入った。

「飛影、本当の焼酎生産量は幾らだ?」

「6人の杜氏が、3石の甕(かめ)300個を管理しております。それによって、5400石の焼酎が造れました」

「使った麦の量は?」

「7000石ほど掛かりました」

「幾らで売れている?」

「透明で美しく酒精も強いので、それこそ飛ぶように売れております。値段も高く、1合45文で売れております」

「1石当たり45貫文で売れているのか?」

「左様でございます」

5400石×45貫文=24万3000貫文かよ、軍資金に不足はないな。

「来年はもっと造れるか?」

「杜氏の住む城の縄張りを拡張し、弟子として小人も多く送り込みました。新たな甕も大量に焼かせておりますから、杜氏1人で100個の甕を使って生産管理をさせる予定です」

「春夏の麦の安い時期に、買える限りの麦を買い占めよう」

「承りました」

「蜂蜜はどれくらいできた?」

「蜂を増やすことが最優先とのご指示でしたので、1石ほどです」

「白絹は?」

「白絹1反当たり、繭(まゆ)が2600粒必要となります。今年生産できた白絹は1000反程でございました。」

「桑の木は成長が早いし、植樹も優先的に行っているから、来年はもっと生産できるだろう。それに桑は漢方薬、果物、茶葉としても活用できる、楽しみだな」

「は、真(まこと)に」

「牛馬はどうだ?」

「今年も購入価格を3貫文にしましたところ、順調に購入できました。牝馬が815頭、牝牛が322頭です。春に産まれた子馬が493頭、子牛が203頭おります。昨年生まれて無事育った1歳馬が202頭、1歳牛が113頭でございます」

「順調に増えているな、職人を始めとする難民は幾人になった?」

「刀鍛冶を鉄砲鍛冶に転職させましたから、以前からの職人も含めて、鉄砲鍛冶が23人、弓師が21人、甲冑師が23人、皮革職人が63人、竹細工職人が71人、木地師(きじし)が125人、大工が27人、塗師が41人でございます。難民の数は、甲斐の開拓地に5254人、福与城内に1000兵、荒神山城に2264人、竜ケ崎城に2391人、高遠城に2432人です。あと上之平城・大出城・箕輪城・松島城・北の城・下の城・大草城・的場城・春日城・殿島城などには、600人規模の難民を住まわせております」

「うむ、皆を餓えさせることなく、安心して暮らせるようにしてやってくれ」

「お任せください」

「鉄砲は何丁ある?」

「414丁です」

「軍資金は10万貫文からどれくらい増えた?」

「牛馬の購入費、御屋形様へも献上銭2万貫文、荷役への歩合銭、領民への労務賃金、武具甲冑などの購入費、全て支払ったうえで、20万6729貫文残っております。もちろん荷役が持ち出している分や、焼酎の在庫は計算しておりません」

どうする?

予定通り、歴史転換点まで攻勢を待つか?

この軍資金を活用して一気に動くか?

う~ん、もう1年様子をみよう。

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