転生武田義信
第10話食料確保
躑躅ヶ崎館:善信私室
「うぁっ!」
へ?
また夢かよ!
何でいまさら、親父にジベ漬けをさせられてる夢を見るんだ?
葡萄(ぶどう)の種を抜くためのジベラリン?
ホルモン剤を使って、まだ小さな葡萄(ぶどう)の実を手で漬けるんだよな。
葡萄の開花時期に限定されるから、短期間に漬けないといけない。葡萄棚(ぶどうだな)に生った小さな小さな葡萄の房を、ジベラリンを入れた容器に漬ける。1日中腕を上げっぱなしでつらかった!
種(たね)を抜くために1回、粒(つぶ)を太らすために1回。乾燥や雨で効果が無効になるから、不安な時は3回漬ける人もいるけど、残留ホルモンが問題なんだよな!
3回漬けるな!
そうJAは指導していたし、少しでも漬け損ねると、葡萄の枝に近いほうだけ種が残ってしまう。
デラウエアやマスカットベリーAを漬けさせられたけど、俺個人は大粒な巨峰、香りのよいカメことキャンベラ、家で親戚が作ってなかった本葡萄が好きだったな。地元の土壌では、巨峰は美味しい味になるけど、皮の色が薄くて売り物にならないと作らなくなった。本来は本葡萄が土壌にあい絶品のできなんだけど、晩生(おくて)のため蜜柑(みかん)の時期に重なり売れにくいし、台風で全滅した事もあって、廃(すた)れちまったんだよな。また喰いたいよな!
でも最近見る夢は、俺の深層心理でこの時代に役立つ物が反映してるんだよな。葡萄か・・・・・葡萄・・・・・本葡萄・・・・・甲州葡萄か!
よっしゃ~、葡萄ならワインが作れるから、濁酒(どぶろく)用の米を民に食べさせてやれる。水田にできないような急斜面でも、葡萄棚を作ることもできる。庭に植えて屋根の部分に蔦(つた)を伸ばせば、屋敷地全体を無駄なく生産地にできる。懐かしいな!
子供の頃は、家の屋根を覆うほどの葡萄棚だった。小学校に通う通学路も、葡萄畑から伸びた蔦(つた)に覆(おお)われていた。一度だけ蛇が降って来たのは恐怖だったが!
躑躅ヶ崎館に籠っていては、思い違いや無知を正すことはできない!
水腫の病を知ることができたのも、福与城攻めに館を出たお陰だ、これからは積極的に各地を回り、味噌蔵や酒造も見学しないとな、先ずは甲州葡萄を探し出すことだ。
躑躅ヶ崎館:厩
「与兵衛、また来たぞ」
「お待ちしておりました、今日はこれだけ搾(しぼ)れました」
与兵衛は、自分で桶(おけ)に絞った乳を見せてくれた。乳量が分かる様に、甲州桝・せんじ桝・なからせんじ桝・小なからせんじ桝を用意してくれていた。甲州桝は俺の知っている一升桝(1・8リットル)よりはるかにデカイ!
どうやら3升桝(5・4リットル)の事を甲州桝と言うようだ。せんじ桝は2・7リットル。なからせんじ桝は1・35リットル。こなからせんじ桝は0・625リットル程度だろう。戦国時代は地方によって桝の大きさが違うようだ。
「馬一頭当たりどれくらいの乳が搾(しぼ)れた?」
俺は牝馬の搾乳量(さくにゅうりょう)を尋ねた。母上や信玄に蘇(そ)や醍醐(だいご)を食べさしてあげるため、厩(うまや)に授乳中の牛馬を5頭ずつ預けていたのだ。
「大体、小なからせんじ3分目です、若様の仰るように、日に何度も搾ってみましたが、全部でなからせんじ一杯でした」
そうか、一日で1350cc程度か、仔馬の分も必要だから600cc程度、年中搾乳できないが、四頭の牝馬で大人一人くらいは栄養学的に養える計算だな。
「牛の方はどうだ?」
「牛も日に何度も搾りましたが、こっちはもっと少なかったです。牛ごとに差はありましたが、1日で少ない奴で小なからせんじ3分目、多い奴で小なからせんじ5分目です」
駄目だ、俺の感覚の乳牛と違いすぎる。品種改良なんてしていたら、気の長くなるような年月がかかってしまう。俺自身が大好きな乳製品を楽しむのと、農作業使役の合間に、少しだけの栄養補給程度に搾乳できたら儲けものだな。
「ありがとう、今日も台所に運んでおいてくれ。」
「承りました」
躑躅ヶ崎館:味噌蔵
「味噌の検分をいたす、開けよ」
俺は近習と料理人たちを率いて味噌蔵に来ていた。俺は味噌を自作したことがない。祖母が壺で白味噌を造っていたのを、わずかに覚えているだけだ。百聞は一見に如(しか)かずの方針で、実際に見てみることにした。
デカイ!
館で使用する分だけじゃなく、出陣や籠城も考慮してるのか?
祖母が造ってた壺とは比較にならない巨大さだ。覗いてみたら、俺の記憶と違いえらく水分が多い?
これって、絞ったら醤油が採れないかな?
「かわらけを持て!」
「は!」
俺の突飛(とっぴ)な行動に慣れている料理人の弟子は、素焼きの皿を取りに台所に走った。
味噌を皿で押し、わずかな液体を掬(すく)い台所に向かう。生醤油で味見したいのは山々だが、水腫の病を知った以上生食は厳禁だ。火で加熱した僅かな液体を舐めると、うん、醤油だ。量は少ないが、これで醤油は確保できた!
躑躅ヶ崎館:台所
さて、今日は何を作るかだが、牛乳から蘇を作るより、全部を使えるホワイトソース擬(もど)きを作るか?
小麦粉に牛乳を加えて、1時間程度放置する、時々混ぜて球に成らないようにする。バターを作ると乳清がもったいないから、バター作りは封印。牛乳をそのまま使うから、俺が前世で食べてたホワイトソースよりは乳脂肪分は低い。あくまでも、民の食生活を少しでも豊かにする試作料理!
その間に、料理人たちを指揮して具材を準備させる。戦国時代に手に入る夏野菜は限られているようで、今ある冬瓜(とうがん)と茄子(なす)を一口大に切りそろえさせる。難民たちの常用食にするのだがら、粟餅(あわもち)と黍団子(きびだんご)を主食分として試してみる。美味しくするためには、淡白な鹿肉を加える試作分も作ろう。生肉を使うのは当然だが、山桜で燻製した鹿肉の入ったものも試作してみる。
信玄の耳に試作料理の話が入れば、持って行かなかったら嫌みを言われるかもしれない。だが信玄に試食してもらうとなれば、かなり吟味しなければならないな。岩魚の燻製や、各種味噌漬け肉など加えた試作シチューを作ってみる。塩味の利いた各種燻製と、味噌味の利いた肉は、食べる直前に炙ってシチューに加えてみる。
躑躅ヶ崎館:最外縁難民小屋
「みんな~差し入れだよ~」
俺は近習衆に大鍋を持たせて難民小屋を訪問した。
「若様~、何持って来てくれたの!?」
「牛の乳と小麦粉を煮たものだよ、甘くておいしよ!」
「「「「「わぁ~い、早く頂戴!」」」」」
子供たちは、木の椀(わん)を持って集まって来た。近習たちは俺に感化されて、身分に関係なく子供たちにシチューを振る舞ってくれた。
「「「「「美味しい~」」」」」
うん、大丈夫だな。具は粟餅と黍団子がほとんどで、風味付けに鹿の味噌漬けを炙って削った物を少量だけ加えている。
確か沖縄では山羊が飼育されていたよな?
沖縄まで素破を派遣できるかな?
南蛮貿易で乳牛や乳山羊を手に入れられるか?
もう一度民のために考えてみよう!
俺は信玄に、秋山虎繁を近習の1人に欲しいと願い出た。かなり駆け引きが必要かと思ったが、意外とあっさり認めてくれた。飯縄坊の息子も近習として仕えることになったが、流石に「飯綱使い」の子供と言う訳にはいけないので、飯富虎昌の猶子(ゆうし)とした。名前は狼使いにする以上、あの名前を授(さず)けたかったが、我慢して狗賓善狼とした。まあこの方が、山岳信仰を大切にしている彼らには喜ばれるだろう。もちろん善の字は諱を与えたのだ。
躑躅ヶ崎館:難民小屋改め小人小屋
「どうだ、分からないことはあるか?」
「へい、あの~その~何が何だか」
「まあ良い、儂の言うようにこの箱を管理すればよい、分からぬ事や異常があれば館に聞きに来い」
「そんな、お館に行くのは恐ろしいです」
「門番にはよく言い聞かせて置く、大丈夫だ」
「でもやっぱり恐ろしいです」
「分かった、なら儂か使いの者が毎日必ず確認に来よう」
「分かりました、若様」
俺は養蜂の技術を難民に指導した。テレビで男性アイドルが農業をする番組を観ただけの知識だが、巣箱を使い女王蜂の世代交代と健康管理、巣箱の量産を試行錯誤させる心算だ。今回に関しては指導だけにして、俺は絶対携わらない!
万が一、蜜蜂を餌にしている雀蜂(すずめばち)に刺されて、アナフィラキシーで死ぬような事があったら洒落(しゃれ)にならない。いや、正直になろう。俺は蜜蜂でも恐ろしいのだ、あれは前世で幼稚園児だった頃だ、幼稚園児の集団登園では、農道を1時間も掛かった登園だったな。
寝惚け眼でタイツを履いた直後、感電したような激痛に襲われたのだ。自然豊かな地元では、洗濯物に虫が混じるのは当たり前だったが、蜂がタイツの中に入り込んでいたのは不幸だった。あの幼児体験は忘れられない、だから蜂は大嫌いだ!
そう言うトラウマがあるので、養蜂は食料として当たり前の様に蜂を取っていた、河原者や山窩に託した。伊那方面の福与城・荒神山城・竜ケ崎城・高遠城へは、狼狩りが終わってから指導に行く心算だ。
甲斐武田家領内の農家
「百姓、この葡萄の木を増やしたい、やれるか?」
「へい、種をお分けすればよろしいのでしょうか?」
「それも欲しいが、春に枝を切らせてもらう」
「枝でございますか? 木全部を堀起こして、持って行ってしまわれる訳ではないのですよね!」
「うむ、枝だけじゃ! 安心せよ」
俺は甲州葡萄の木を持つ家を全て訪ねてた。そして来春に種と枝を徴発すると宣言した。上手くやれるかどうかは分からないが、挿し木と接ぎ木を試してみる。知識はあるが、実際にやったことはない。だが何としても、甲斐の山々を果樹園に変えていく。すでに養蚕に必要な桑の木の植樹は大量に行ったし、桃・梨・柿・林檎(りんご)・栗(くり)・石榴(ざくろ)・銀杏(ぎんなん)・胡桃(くるみ)なども植樹した。だが林檎は俺の知る大きなものではなく、サクランボと同じ大きさの小さいものだった。
躑躅ヶ崎館:小人小屋
「若様~、ご馳走だよ~、一緒に食べよ~」
「おお~分かったよ~」
桔梗ちゃんが、嬉しそうに両手に何かを持ってかけてくる。危なっかしいな、こけるなよ。
「おんじぃたちがとって来てくれたの~」
「そうか~、よかったね~」
無邪気なものだな、心が洗われる。しかし、お爺さんが捕って来たご馳走てなんだ?
木の枝に刺してるようだが?
え・・・・・まさか・・・・・まさか!
う、う、う、う嘘だろ?
来るな、止めてくれ、助けてくれ、だれか!
「若様! 見て見て見て、美味しそうな蛙(かえる)だよ!」
駄目だ、冷汗が出てきた、勘弁して!
爬虫類と両生類は生理的に駄目なんだ!
記憶深くに沈めたはずの、おぞましい過去が沸き上がって来た。小学生の頃、俺の一番楽しみはザリガニ捕りだった。自宅の前は、砂利道を挟んで葡萄畑だった。毎日学校から帰ったら、ランドセルを投げ捨てて葡萄畑に直行した。畑の周囲は全て水路で、その水路ではたくさんのザリガニが住んでいた。手を挟まれ出血するのも厭(いと)わず、手掴みでバケツ一杯集めたものだ。
親父の時代の様に、茹でて食べたりはしなかったが・・・・・。あの日は、大きなザリガニを掴み損ねてしまい、そのせいで泥が舞い水が濁ってしまった。だがぼんやりと水底の泥が盛り上がり、その膨らみでザリガニが泥の中に逃げ潜んだのが分かった。素早く手を入れ、挟まれるのも厭(いと)わず握りしめると「ぶにゅ」と、絶対ザリガニではあり得ない手応え。恐る恐る泥から手を出すと・・・・・蟇蛙(いぼがえる)が手の中にいたのだ!
あの気持ち悪い手の感触!
心臓が口から飛び出すかのような恐怖感!
い・い・い・い・嫌だ~!
「はい、若様の分!」
あ~、何の疑問も悪気もない満面の笑み・・・・・
大切な大切な食料を分けてくれる優しさ・・・・・
逃げる訳にはいけない!
拒むこともできない!
だが神様、せめて足だけを焼いてくれていたら、これほど恐怖しなかっただろう。
あああああ、思い出した。
中学校の頃、同級生の1人が弁当箱に蛙の姿揚げを入れていたな。
あれも恐怖だった!
桔梗ちゃんの両手に握られているのも、尻から口に枝を突き刺し姿のまま焼き上げられている!
「桔梗ちゃん、もう少し焼こうね。ちゃんと焼かないと病に成るからね」
「え~これくらいが美味しいのに!」
「でもね、ちゃんと焼かないと、御腹が膨らむ病に成るんだよ! 大好きな桔梗ちゃんが病気に成ってしまうと、儂はとても悲しいよ」
「分かった、じゃあもう少し焼きに行こう!」
俺と桔梗ちゃんは手を繋(つな)いで小屋の方に向かった。せっかくの「お手つないで」だが、全く感覚がない。蛙を食べなければならない恐怖感で、手の感覚がなくなっているのだろう。永遠に小屋に辿(たど)り着かなければいいのにと思うが、だがそんなことは不可能だ。小屋の外では大勢の人が焚火(たきび)を囲んでいた、皆が手に蛙や鮒(ふな)を枝に刺したものを持って、火でそれを炙(あぶ)っていた。
「若様が来たよ~」
桔梗ちゃんが嬉しそうに皆に声を掛けた、もはや逃げようがない。
「しっかり焼かないと、お腹が出る病に成るんだって、若様もっと焼きたいって!」
皆がさっと火の周りを開けてくれた、もう観念するしかない。せめて粘膜だけでもしっかり焼いて食べよう!
神様!
「若殿!御屋形様がお呼びです! ささ、急いでください」
飛影!?
ありがとう、この働きは一生忘れん!
「桔梗ちゃん、僕の分も食べて!」
俺は蛙の串刺しを桔梗ちゃんに渡し、脱兎のごとく逃げ帰った。
「うぁっ!」
へ?
また夢かよ!
何でいまさら、親父にジベ漬けをさせられてる夢を見るんだ?
葡萄(ぶどう)の種を抜くためのジベラリン?
ホルモン剤を使って、まだ小さな葡萄(ぶどう)の実を手で漬けるんだよな。
葡萄の開花時期に限定されるから、短期間に漬けないといけない。葡萄棚(ぶどうだな)に生った小さな小さな葡萄の房を、ジベラリンを入れた容器に漬ける。1日中腕を上げっぱなしでつらかった!
種(たね)を抜くために1回、粒(つぶ)を太らすために1回。乾燥や雨で効果が無効になるから、不安な時は3回漬ける人もいるけど、残留ホルモンが問題なんだよな!
3回漬けるな!
そうJAは指導していたし、少しでも漬け損ねると、葡萄の枝に近いほうだけ種が残ってしまう。
デラウエアやマスカットベリーAを漬けさせられたけど、俺個人は大粒な巨峰、香りのよいカメことキャンベラ、家で親戚が作ってなかった本葡萄が好きだったな。地元の土壌では、巨峰は美味しい味になるけど、皮の色が薄くて売り物にならないと作らなくなった。本来は本葡萄が土壌にあい絶品のできなんだけど、晩生(おくて)のため蜜柑(みかん)の時期に重なり売れにくいし、台風で全滅した事もあって、廃(すた)れちまったんだよな。また喰いたいよな!
でも最近見る夢は、俺の深層心理でこの時代に役立つ物が反映してるんだよな。葡萄か・・・・・葡萄・・・・・本葡萄・・・・・甲州葡萄か!
よっしゃ~、葡萄ならワインが作れるから、濁酒(どぶろく)用の米を民に食べさせてやれる。水田にできないような急斜面でも、葡萄棚を作ることもできる。庭に植えて屋根の部分に蔦(つた)を伸ばせば、屋敷地全体を無駄なく生産地にできる。懐かしいな!
子供の頃は、家の屋根を覆うほどの葡萄棚だった。小学校に通う通学路も、葡萄畑から伸びた蔦(つた)に覆(おお)われていた。一度だけ蛇が降って来たのは恐怖だったが!
躑躅ヶ崎館に籠っていては、思い違いや無知を正すことはできない!
水腫の病を知ることができたのも、福与城攻めに館を出たお陰だ、これからは積極的に各地を回り、味噌蔵や酒造も見学しないとな、先ずは甲州葡萄を探し出すことだ。
躑躅ヶ崎館:厩
「与兵衛、また来たぞ」
「お待ちしておりました、今日はこれだけ搾(しぼ)れました」
与兵衛は、自分で桶(おけ)に絞った乳を見せてくれた。乳量が分かる様に、甲州桝・せんじ桝・なからせんじ桝・小なからせんじ桝を用意してくれていた。甲州桝は俺の知っている一升桝(1・8リットル)よりはるかにデカイ!
どうやら3升桝(5・4リットル)の事を甲州桝と言うようだ。せんじ桝は2・7リットル。なからせんじ桝は1・35リットル。こなからせんじ桝は0・625リットル程度だろう。戦国時代は地方によって桝の大きさが違うようだ。
「馬一頭当たりどれくらいの乳が搾(しぼ)れた?」
俺は牝馬の搾乳量(さくにゅうりょう)を尋ねた。母上や信玄に蘇(そ)や醍醐(だいご)を食べさしてあげるため、厩(うまや)に授乳中の牛馬を5頭ずつ預けていたのだ。
「大体、小なからせんじ3分目です、若様の仰るように、日に何度も搾ってみましたが、全部でなからせんじ一杯でした」
そうか、一日で1350cc程度か、仔馬の分も必要だから600cc程度、年中搾乳できないが、四頭の牝馬で大人一人くらいは栄養学的に養える計算だな。
「牛の方はどうだ?」
「牛も日に何度も搾りましたが、こっちはもっと少なかったです。牛ごとに差はありましたが、1日で少ない奴で小なからせんじ3分目、多い奴で小なからせんじ5分目です」
駄目だ、俺の感覚の乳牛と違いすぎる。品種改良なんてしていたら、気の長くなるような年月がかかってしまう。俺自身が大好きな乳製品を楽しむのと、農作業使役の合間に、少しだけの栄養補給程度に搾乳できたら儲けものだな。
「ありがとう、今日も台所に運んでおいてくれ。」
「承りました」
躑躅ヶ崎館:味噌蔵
「味噌の検分をいたす、開けよ」
俺は近習と料理人たちを率いて味噌蔵に来ていた。俺は味噌を自作したことがない。祖母が壺で白味噌を造っていたのを、わずかに覚えているだけだ。百聞は一見に如(しか)かずの方針で、実際に見てみることにした。
デカイ!
館で使用する分だけじゃなく、出陣や籠城も考慮してるのか?
祖母が造ってた壺とは比較にならない巨大さだ。覗いてみたら、俺の記憶と違いえらく水分が多い?
これって、絞ったら醤油が採れないかな?
「かわらけを持て!」
「は!」
俺の突飛(とっぴ)な行動に慣れている料理人の弟子は、素焼きの皿を取りに台所に走った。
味噌を皿で押し、わずかな液体を掬(すく)い台所に向かう。生醤油で味見したいのは山々だが、水腫の病を知った以上生食は厳禁だ。火で加熱した僅かな液体を舐めると、うん、醤油だ。量は少ないが、これで醤油は確保できた!
躑躅ヶ崎館:台所
さて、今日は何を作るかだが、牛乳から蘇を作るより、全部を使えるホワイトソース擬(もど)きを作るか?
小麦粉に牛乳を加えて、1時間程度放置する、時々混ぜて球に成らないようにする。バターを作ると乳清がもったいないから、バター作りは封印。牛乳をそのまま使うから、俺が前世で食べてたホワイトソースよりは乳脂肪分は低い。あくまでも、民の食生活を少しでも豊かにする試作料理!
その間に、料理人たちを指揮して具材を準備させる。戦国時代に手に入る夏野菜は限られているようで、今ある冬瓜(とうがん)と茄子(なす)を一口大に切りそろえさせる。難民たちの常用食にするのだがら、粟餅(あわもち)と黍団子(きびだんご)を主食分として試してみる。美味しくするためには、淡白な鹿肉を加える試作分も作ろう。生肉を使うのは当然だが、山桜で燻製した鹿肉の入ったものも試作してみる。
信玄の耳に試作料理の話が入れば、持って行かなかったら嫌みを言われるかもしれない。だが信玄に試食してもらうとなれば、かなり吟味しなければならないな。岩魚の燻製や、各種味噌漬け肉など加えた試作シチューを作ってみる。塩味の利いた各種燻製と、味噌味の利いた肉は、食べる直前に炙ってシチューに加えてみる。
躑躅ヶ崎館:最外縁難民小屋
「みんな~差し入れだよ~」
俺は近習衆に大鍋を持たせて難民小屋を訪問した。
「若様~、何持って来てくれたの!?」
「牛の乳と小麦粉を煮たものだよ、甘くておいしよ!」
「「「「「わぁ~い、早く頂戴!」」」」」
子供たちは、木の椀(わん)を持って集まって来た。近習たちは俺に感化されて、身分に関係なく子供たちにシチューを振る舞ってくれた。
「「「「「美味しい~」」」」」
うん、大丈夫だな。具は粟餅と黍団子がほとんどで、風味付けに鹿の味噌漬けを炙って削った物を少量だけ加えている。
確か沖縄では山羊が飼育されていたよな?
沖縄まで素破を派遣できるかな?
南蛮貿易で乳牛や乳山羊を手に入れられるか?
もう一度民のために考えてみよう!
俺は信玄に、秋山虎繁を近習の1人に欲しいと願い出た。かなり駆け引きが必要かと思ったが、意外とあっさり認めてくれた。飯縄坊の息子も近習として仕えることになったが、流石に「飯綱使い」の子供と言う訳にはいけないので、飯富虎昌の猶子(ゆうし)とした。名前は狼使いにする以上、あの名前を授(さず)けたかったが、我慢して狗賓善狼とした。まあこの方が、山岳信仰を大切にしている彼らには喜ばれるだろう。もちろん善の字は諱を与えたのだ。
躑躅ヶ崎館:難民小屋改め小人小屋
「どうだ、分からないことはあるか?」
「へい、あの~その~何が何だか」
「まあ良い、儂の言うようにこの箱を管理すればよい、分からぬ事や異常があれば館に聞きに来い」
「そんな、お館に行くのは恐ろしいです」
「門番にはよく言い聞かせて置く、大丈夫だ」
「でもやっぱり恐ろしいです」
「分かった、なら儂か使いの者が毎日必ず確認に来よう」
「分かりました、若様」
俺は養蜂の技術を難民に指導した。テレビで男性アイドルが農業をする番組を観ただけの知識だが、巣箱を使い女王蜂の世代交代と健康管理、巣箱の量産を試行錯誤させる心算だ。今回に関しては指導だけにして、俺は絶対携わらない!
万が一、蜜蜂を餌にしている雀蜂(すずめばち)に刺されて、アナフィラキシーで死ぬような事があったら洒落(しゃれ)にならない。いや、正直になろう。俺は蜜蜂でも恐ろしいのだ、あれは前世で幼稚園児だった頃だ、幼稚園児の集団登園では、農道を1時間も掛かった登園だったな。
寝惚け眼でタイツを履いた直後、感電したような激痛に襲われたのだ。自然豊かな地元では、洗濯物に虫が混じるのは当たり前だったが、蜂がタイツの中に入り込んでいたのは不幸だった。あの幼児体験は忘れられない、だから蜂は大嫌いだ!
そう言うトラウマがあるので、養蜂は食料として当たり前の様に蜂を取っていた、河原者や山窩に託した。伊那方面の福与城・荒神山城・竜ケ崎城・高遠城へは、狼狩りが終わってから指導に行く心算だ。
甲斐武田家領内の農家
「百姓、この葡萄の木を増やしたい、やれるか?」
「へい、種をお分けすればよろしいのでしょうか?」
「それも欲しいが、春に枝を切らせてもらう」
「枝でございますか? 木全部を堀起こして、持って行ってしまわれる訳ではないのですよね!」
「うむ、枝だけじゃ! 安心せよ」
俺は甲州葡萄の木を持つ家を全て訪ねてた。そして来春に種と枝を徴発すると宣言した。上手くやれるかどうかは分からないが、挿し木と接ぎ木を試してみる。知識はあるが、実際にやったことはない。だが何としても、甲斐の山々を果樹園に変えていく。すでに養蚕に必要な桑の木の植樹は大量に行ったし、桃・梨・柿・林檎(りんご)・栗(くり)・石榴(ざくろ)・銀杏(ぎんなん)・胡桃(くるみ)なども植樹した。だが林檎は俺の知る大きなものではなく、サクランボと同じ大きさの小さいものだった。
躑躅ヶ崎館:小人小屋
「若様~、ご馳走だよ~、一緒に食べよ~」
「おお~分かったよ~」
桔梗ちゃんが、嬉しそうに両手に何かを持ってかけてくる。危なっかしいな、こけるなよ。
「おんじぃたちがとって来てくれたの~」
「そうか~、よかったね~」
無邪気なものだな、心が洗われる。しかし、お爺さんが捕って来たご馳走てなんだ?
木の枝に刺してるようだが?
え・・・・・まさか・・・・・まさか!
う、う、う、う嘘だろ?
来るな、止めてくれ、助けてくれ、だれか!
「若様! 見て見て見て、美味しそうな蛙(かえる)だよ!」
駄目だ、冷汗が出てきた、勘弁して!
爬虫類と両生類は生理的に駄目なんだ!
記憶深くに沈めたはずの、おぞましい過去が沸き上がって来た。小学生の頃、俺の一番楽しみはザリガニ捕りだった。自宅の前は、砂利道を挟んで葡萄畑だった。毎日学校から帰ったら、ランドセルを投げ捨てて葡萄畑に直行した。畑の周囲は全て水路で、その水路ではたくさんのザリガニが住んでいた。手を挟まれ出血するのも厭(いと)わず、手掴みでバケツ一杯集めたものだ。
親父の時代の様に、茹でて食べたりはしなかったが・・・・・。あの日は、大きなザリガニを掴み損ねてしまい、そのせいで泥が舞い水が濁ってしまった。だがぼんやりと水底の泥が盛り上がり、その膨らみでザリガニが泥の中に逃げ潜んだのが分かった。素早く手を入れ、挟まれるのも厭(いと)わず握りしめると「ぶにゅ」と、絶対ザリガニではあり得ない手応え。恐る恐る泥から手を出すと・・・・・蟇蛙(いぼがえる)が手の中にいたのだ!
あの気持ち悪い手の感触!
心臓が口から飛び出すかのような恐怖感!
い・い・い・い・嫌だ~!
「はい、若様の分!」
あ~、何の疑問も悪気もない満面の笑み・・・・・
大切な大切な食料を分けてくれる優しさ・・・・・
逃げる訳にはいけない!
拒むこともできない!
だが神様、せめて足だけを焼いてくれていたら、これほど恐怖しなかっただろう。
あああああ、思い出した。
中学校の頃、同級生の1人が弁当箱に蛙の姿揚げを入れていたな。
あれも恐怖だった!
桔梗ちゃんの両手に握られているのも、尻から口に枝を突き刺し姿のまま焼き上げられている!
「桔梗ちゃん、もう少し焼こうね。ちゃんと焼かないと病に成るからね」
「え~これくらいが美味しいのに!」
「でもね、ちゃんと焼かないと、御腹が膨らむ病に成るんだよ! 大好きな桔梗ちゃんが病気に成ってしまうと、儂はとても悲しいよ」
「分かった、じゃあもう少し焼きに行こう!」
俺と桔梗ちゃんは手を繋(つな)いで小屋の方に向かった。せっかくの「お手つないで」だが、全く感覚がない。蛙を食べなければならない恐怖感で、手の感覚がなくなっているのだろう。永遠に小屋に辿(たど)り着かなければいいのにと思うが、だがそんなことは不可能だ。小屋の外では大勢の人が焚火(たきび)を囲んでいた、皆が手に蛙や鮒(ふな)を枝に刺したものを持って、火でそれを炙(あぶ)っていた。
「若様が来たよ~」
桔梗ちゃんが嬉しそうに皆に声を掛けた、もはや逃げようがない。
「しっかり焼かないと、お腹が出る病に成るんだって、若様もっと焼きたいって!」
皆がさっと火の周りを開けてくれた、もう観念するしかない。せめて粘膜だけでもしっかり焼いて食べよう!
神様!
「若殿!御屋形様がお呼びです! ささ、急いでください」
飛影!?
ありがとう、この働きは一生忘れん!
「桔梗ちゃん、僕の分も食べて!」
俺は蛙の串刺しを桔梗ちゃんに渡し、脱兎のごとく逃げ帰った。
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49
-
163
-
-
1,861
-
1,560
-
-
80
-
281
-
-
3,643
-
9,420
-
-
985
-
1,509
-
-
216
-
516
-
-
12
-
6
-
-
105
-
364
-
-
57
-
89
-
-
63
-
43
-
-
19
-
1
-
-
80
-
138
-
-
358
-
1,672
-
-
28
-
46
-
-
3
-
1
-
-
201
-
161
-
-
2,940
-
4,405
-
-
7,460
-
1.5万
-
-
2,620
-
7,283
-
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191
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926
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23
-
2
-
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2.3万
-
-
179
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157
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1.7万
-
-
1,640
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2,764
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37
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52
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59
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87
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98
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15
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86
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30
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400
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439
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33
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83
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3,202
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1.5万
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83
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13
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