魔法武士・種子島時堯

克全

第252話美作国始末

1546年11月:東北条郡矢筈山城:種子島権大納言時尭と三浦貞久

さて美作国なんだが、実際問題有力国衆の多くが素早く種子島家に降伏し臣従を誓った。

「権大納言様、御仕置きには何事も従いますので、何卒三浦家を滅ぼさないで頂きとうございます」

「下野守殿、何も心配するでない、御上と朝廷の意向に従うのなら、横領した御料所・国衙領・官衙領・荘園・寺社領を返還するだけでよい。返還した城地には、代官として種子島家の家臣が入るが、三浦家が不都合になるような事はさせんよ」

「有り難き幸せでございます、私の病が重い故、次回以降の拝謁はここに控えます嫡男・遠江守貞勝が務めさせて頂きます。ただ何分弱年ゆえ弟の貞盛と、家老の福島満則が後見させていただきますが、それで宜しゅうございますか?」

「構わぬよ、今日は病をおしての参陣過分である、褒美にこの太刀を遠江守に与える故、何の心配もないぞ」

「有り難き幸せに存じます」





他にも赤松義村・赤松晴政に仕え、尼子に忠誠を誓う大河原大膳大夫と争い、遂には心ならずも尼子家の軍門に降っていた国衆・地侍が降伏臣従してきた。代表的な国衆は、大蔵秋清・中村則治だった。

そうそう、今俺が謁見に使っている矢筈山城だが、ここは草苅衡継の居城の1つであった。しかし大内義隆との話し合いで、大内家に忠誠を誓う因幡国衆・地侍が種子島家に従う事になり、幾つかの城が種子島家に引き渡された。





「御初に御目にかかります、杉山備中守為就にございます。後ろに控えますは、甥の垪和善十郎為能でございます」

「よくぞ参られた備中守殿、貴殿が垪和武士団の長として武勇を振るわれている事聞き及んでおる。善十郎殿は先代の長・八郎殿の嫡男であったな、八郎殿の武勇も噂で聞いておった」

「有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます」

「だがな備中守殿、朝敵である尼子家の味方をしていた垪和武士団に何のお咎めも与えない訳にはいかぬのだ」

「その事重々承知しておりますが、格別の御慈悲を賜りとうございます」

「種子島家の仕置きは聞いているな?」

「はい、聞き及んでおります。城地の半分を召し上げる代わりに、その分の扶持を六衛府での務め分として支給して下さると」

「それは最初からすすんで種子島家に仕えた者だけだ、朝敵の味方をした者となると、全ての城地を召し上げて、改めて半知分を扶持し六衛府に出仕してもらう事になる」

「これからは身命を賭して御上と権大納言様に御仕えさせて頂きますので、そこを曲げて御慈悲を賜れませんでしょうか?」

「そうだな、垪和武士団は垪和臣や賀茂臣を名乗り神官も務めていたな?」

「はい、左様でございます」

「ならば些少な領地にはなるが、各村々の氏神に神官武士として残られよ。それが叶わぬ者は、京に上って六衛府で務められるがいい」

「有り難き幸せでございます、垪和武士団を代表して御礼申し上げます」

「よいよい、これからは御上の為に務められよ」



次に備前で俺が配下に組み込んだ、浦上家の支配下にあった国衆が降伏臣従を誓いに現れた。だが岡本氏秀・小坂家房・渋谷国重・延原景光等には厳しく望み、全ての城地を一旦召し上げた上で六衛府に半知で出仕するか、城と半知を残して種子島家の若手家臣を養嗣子に迎えるかを選ばせた。もちろんと言うか、土地と家名への執着が強い国衆は、養嗣子を迎えることに同意した。

後の美作国衆は尼子晴久に味方して抵抗の姿勢をしめしたが、これは後背地となる備中・伯耆に尼子の味方が多く、後詰が期待できたからであった。

江見久盛と大河原大膳大夫は早くから尼子家に忠誠を誓っていた為、今更裏切る事が出来なくなっていたようだ。

後藤勝国は三星城を居城として、南北時代から200年武威を振るい、東美作に覇を唱えていた一族であったため、種子島家に降伏臣従する事をプライドが許さなかったようだ。

他にも新免一族など、多少の国衆が備中の国衆の後詰を期待して籠城していたが、いつも通りのやり方で捕虜とした上で、改めて銭と食料を与えて追放刑とした。


「進んで種子島家に忠誠を誓った国衆」

「三浦家」
三浦貞久(1508~1548)
父親:三浦貞国
居城:美作国高田城
官途:下野守
病気で寝込んでいるところを、尼子勢に激しく攻め立てられていた。

三浦貞盛(1512~1569)
父親:三浦貞国の三男
正室:福島満則の娘。
三浦貞勝の後見を務める

三浦貞勝(1538~1565)
父親:三浦貞久
官途:遠江守
通称:孫九郎

三浦貞広(15??~15??)
父親:三浦貞久の次男
通称:才五郎
正室:叔父三浦貞盛の娘

三浦忠近(15??~1545)
主君:三浦貞盛
居城:真庭郡麓城

「三浦貞盛家臣」
井原越前守(15??~15??)】
主君:三浦貞盛
居城:若代城主

沼田太郎左衛門(15??~15??)
主君:三浦貞盛
居城:三堂阪城主

福島一盛(15??~1526)
主君:三浦貞国
勢力を拡大した三浦貞国に従った。

福島満則(15??~1548)
父親:福島一盛
通称:七右衛門

福島則盛(15??~15??)
主君:三浦貞国から宇喜多直家
父親:福島一則
通称:七左衛門

福島盛親(15??~16??)
父親:福島則盛

福島右近(15??~15??)
主君:三浦貞盛
居城:飯ノ山城主。

牧尚春(15??~15??)
主君:三浦貞広
居城:真島郡大寺畑城
官途:兵庫

牧菅兵衛(15??~15??)
父親:牧尚春

牧家信(15??~15??)
主君:三浦貞国
居城:土器尾城
通称:藤左衛門。

牧清冬(15??~15??)
主君:三浦貞広

池田新兵衛(15??~15??)
主君:牧尚春




「赤松義村家臣」
大蔵秋清(15??~15??)
主君:赤松義村
官途:越中守

中村則治(1519~1568)
主君:赤松義村
居城:久米郡岩屋城
父親:中村則久
官途:伊賀守
美作国守護代職

沼本房家(15??~1580)
主君:赤松晴政
居城:久米郡小松城主
通称:新右衛門
知勇兼備の勇将

沼本豊国(15??~1597)
親族:沼本房家の弟
通称:彦右衛門
久米郡弓削の代官職を務めた。
兄沼本房家とともに宇喜多直家に内応した。




「大内義隆との話し合いで種子島家に従う事になった国衆」
草苅衡継(15??~15??)
居城:八頭郡淀山城主
官途:加賀守
父親:草刈景継
正室:山名兵庫頭の娘
1532年、因幡国から美作国矢筈城に転封して近隣諸豪や尼子晴久勢と対抗した。

草刈景継(15??~1579)
居城:東北条郡矢筈山城
父親:草刈衡継の嫡男

草苅重継(1558年~元和2年4月25日(1616年6月9日))
父親:草苅衡継の次男
正室:朝倉弘房の娘
後室:宗像氏貞の次女
通称:次郎・太郎左衛門尉
官途:対馬守

草苅加賀守(15??~15??)
居城:茶臼山城主。
草苅加賀守は、草苅三郎左衛門とともに茶臼山城を守備した。

草刈重久(15??~1579)
居城:英田郡佐淵城
父親:草刈衡継の三男
通称:与次郎

「草刈衡継家臣」
片山久義(15??~15??)
主君:草刈衡継家臣
居城:苫田郡沖溝城
官途:木工助

片山久安(1574~1650)
父親:内久盛の次男
官途:伯耆守
片山伯耆流剣術を起こした。

片山常政(15??~15??)
居城:片山城
官途:壱岐守

片山助兵衛(15??~15??)
父親:片山常政

白岩阿波守(15??~1579)
主君:草刈景継





「足利幕府奉行から一旦尼子に臣従し最後に種子島家に臣従する」
垪和為長(15??~1543)
居城:久米郡鶴田城
通称:八郎

垪和為能(15??~15??)
父親:垪和為長
通称:善十郎

古代垪和は、羽具部と呼ばれる矢柄・矢羽などを採集する部民の住む場所であった
後の垪和武士団の核となる一族は代々垪和臣や賀茂臣を称する神官を務めていた
垪和武士団の首領は竹内氏に移った

杉山為就(15??~15??)
垪和為長の弟
官途:備中守

「杉山為就に家臣」
岸氏勝(15??~15??)
主君:杉山為就
1580年、「鶴田城の戦い」で宇喜多直家勢の攻撃を受けると、二の丸に宇喜多直家勢を導き、鶴田城を落城に追い込んだ

竹内久盛(15??~1595)
居城:久米郡一ノ瀬城
父親:垪和幸次(杉山為就の養子)
官途:中務太夫
別名垪和久幸





「浦上家家臣だったが浦上家が種子島家に敗北した後去就に迷い、最終的に種子島家に降伏臣従した」
岡本氏秀(15??~15??)
主君:浦上宗景・宇喜多直家
通称:太郎左衛門尉
美作国北東部に勢力を持っていた美作菅氏の庶流家の一つである広戸氏の支族であり


岡本秀広(15??~15??)
父親:岡本氏秀の男
通称:権之丞
主君:浦上宗景・宇喜多直家

小坂家房(15??~16??)
主君:浦上宗景
父親:小坂弥三郎
居城:久米郡小松尾館
通称:宇兵衛

渋谷国重(15??~1573)
主君:浦上宗景
居城:英田郡神田山城
通称:権之丞

延原景光(15??~15??)
主君:浦上宗景→宇喜多直家
居城:英田郡高鉢城
通称:弾正忠




「尼子晴久家臣団」
尼子照平(15??~1574)
主君:尼子晴久
居城:高陣城主

「尼子晴久の味方」
江見久盛(15??~15??)
居城:英田郡倉敷城主
官途:下総介
別名:恵美久盛

江見久次(15??~15??)
父親:江見久盛

長瀬三郎兵衛(15??~15??)
主君:江見久盛

広戸広家(15??~1533)
主君:江見久盛
居城:英田郡爪ヶ城

水島左京助(15??~15??)
主君:江見久盛

原田忠長(15??~1543)
居城:久米郡稲荷山城
官途:播磨守

原田貞佐(15??~1592)
父親:原田忠長
官途:美作守
通称:小次郎

原田忠佐(15??~1621)
父親:原田貞佐
通称:弥右衛門


「赤松晴政家臣から尼子晴久の家臣へ」
大河原大膳大夫(15??~15??)
主君:赤松晴政
居城:苫田郡葛下城

大河原貞尚(15??~15??)
父親:三浦貞国の次男(大河原大膳大夫の婿養子)
別名:三浦貞尚
正室:尼子国久の娘

「後藤家」
後藤勝国(14??~15??)
居城:勝田郡三星城
父親:後藤勝政

後藤勝基(1538~1579)
父親:後藤勝国
官途:摂津守
通称:左衛門尉

後藤元政(15??~1579)
父親:後藤勝基
通称:与四郎

後藤久元(15??~15??)
主君:後藤勝基

「後藤勝国家臣」
安藤為泰(15??~15??)
主君:後藤勝国
居城:勝北郡真加部館主
官途:信濃守
別名:安東為泰。

安藤相馬(15??~15??)
主君:後藤勝基

小坂田但馬守(15??~15??)
主君:後藤勝国
居城:英田郡友野城

小坂田河内守(15??~15??)
父親:小坂田但馬守

小坂田官兵衛(15??~1621)
通称:又四郎

小坂田善右衛門(15??~15??)
主君:後藤勝基

小坂田吉詮(15??~15??)
主君:後藤勝基

下山正氏(15??~1579)
主君:後藤勝基
居城:英田郡井の内城
通称:半内

斎藤実秀(15??~15??)
居城:苫田郡小田草城
通称:次郎

斎藤実次(15??~15??)
父親:斎藤実秀


難波利介(15??~1579)
主君:後藤勝基

柳澤太郎兵衛(15??~15??)
主君:後藤勝基

「中村家」
中村頼宗(15??~15??)
居城:苫田郡葛下城
主君:毛利輝元
官途:大炊介・大和守

「中村頼宗家臣」
木村勘兵衛(15??~15??)
主君:中村頼宗

桜井直豊(15??~15??)
主君:中村頼宗
官途:越中守

八島宗八(15??~15??)
主君:中村頼宗

新免貞重(15??~15??)
居城:英田郡竹山城
官途:伊賀守
正室:宇野家貞の娘。

新免宗貞(15??~15??)
父親:新免貞重
正室:竹中半兵衛の娘
反尼子の中心
1554年、尼子晴久の家臣川副久盛勢の攻撃を受け所領を失った。
1555年、所領奪回のため川副久盛勢と戦うが大敗した。
1557年、「竹山城の戦い」で所領を奪還した。

新免宗貫(15??~15??)
父親:新免宗貞
1558年、新免家の家督を相続した。
1579年、「矢筈城の戦い」では、矢筈城を攻落とすことができず撤退した。
1592年、「文禄の役」に参陣した。1600年、「関ヶ原の役」後、黒田長政に仕えた。

新免宇右衛門(15??~15??)
父親:新免宗貫
父新免宗貫とともに黒田長政に仕えた。

新免長春(15??~15??)
父親:新免宗貫
通称:三郎

新免家貞(15??~15??)
主君:新免宗貫
官途:備後守

新免総兵衛しんめんそうべい(15??~15??)
主君:新免宗貫

新免治郎左衛門(15??~15??)
主君:新免宗貫
居城:桂坪城

「新免宗貫の家臣団」
安積小四郎(15??~15??)
主君:新免宗貫
居城:安積屋敷主

井口長兵衛(15??~15??)
主君:新免宗貫

江見源内(15??~15??)
主君:新免宗貫
居城:源内屋敷主

春名三之丞(15??~15??)
主君:新免宗貫
居城:県構館主

平尾与右衛門(15??~15??)
主君:新免宗貫

平尾弥十郎(15??~15??)
主君:新免宗貫

平田久右衛門(15??~15??)
主君:新免宗貫

和気因幡守(15??~15??)
主君:新免宗貫

角南伊賀守(15??~15??)
英田郡江見荘の国衆。

角南重義(1538~1609)
父親:角南伊賀守
官途:刑部少輔・刑部卿
通称:新五郎
法名「如慶」

角南友行(15??~15??)
父親:角南伊賀守の次男
通称:覚右衛門
居城:英田郡の大畑城主

辻秀清(15??~15??)
居城:石ヶ城
通称:新次郎

東郷義邦(15??~15??)
居城:久米郡逆巻城
官途:若狭守

神楽尾山名氏兼(15??~15??)
居城:久米郡神楽尾城
官途:右京大夫
1538年、「神楽尾城の戦い」では、尼子経久に内応した原田忠長勢の攻撃を受け一宮村に落延びた。
1543年、「稲荷山城の戦い」で原田忠長を討取る戦功を挙げた。


戦国武将録・ウィキベキ・世界帝王辞典・鳥取県郷土人物文献データベース・旧国石高表を参考参照

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