魔法武士・種子島時堯

克全

第204話津田正明・平岡連の水走忠義(水走忠元)

1544年2月15日『河内国・交野郡津田城』種子島権大納言時堯・16歳

「権大納言様、喜んで家臣の端に加えさせて頂きます」

「そうかそれはよかった、津田家は楠木正儀殿の養子の一族であり、根来寺の津田監物殿の本家でもある、出来れば争いたくはなかったのだ」

「根来寺の津田監物殿には季節ごとに支援をして頂いておりました。その監物殿からも権大納言様の事は色々と聞かせていただいておりますから、種子島家に臣従する事に何の迷いもありません」

「そうか、では京に屋敷を用意しているから、早々に城を明け渡して移住してもらいたい」

「はい、そうさせていただきます」

「それが終われば降伏し臣従を拒む河内国衆を勅命で討伐することになる、それに間に合うか間に合わないかで功名の機会を失う事になる」

「承りました、種子島家から城受け渡しの軍勢を送って頂き次第、明日にでも京に移らせていただきます」

「うむ」

交野郡津田城主・津田周防守正明が家臣の列に加わった。





1544年2月16日『河内国・枚岡神社』種子島権大納言時堯・16歳

「権大納言様、種子島家の家臣となる事に何の異存もございませんが、平岡神社の社領を護って来たのが水走武士団でございます。これからも平岡神社を護るためには、社領と武士団は不可欠でございます」

「だがな左近丞殿、戦乱の世を終わらせるのは寺社の戦力も抑えねばならん」

「そこを曲げて特別な計らいを御願い出来ませんでしょうか?」

「そうはいかん、左近丞殿も伊勢神宮や日前宮の事は聞き及んでおろう」

「はい・・・・・」

「水走家は武士として種子島家に仕える事が出来るし、社家・神官として平岡神社に残る事もできる。また社領で自作農として平和に暮らす事も可能だ、いや、一族一門を三者三様に使い分けて家名と血脈を残す方がいいだろう?」

「そうですか、それしかありませんか」

「うん? そうだ! 水走家から商家を創設してはどうだ?」

「商家? 商人の事でございますか?」

「そうだ、山城国や大和国、何より近江国と摂津国の繁栄は聞き及んでいるだろう?」

「はい、水走家も漁業権は残していただけることは感謝しておりますが、水運の権利を失うのは残念でなりません」

「だが街道や河川から関を無くすことで、商人が多く行き来し物が溢れ繁栄するのは分かったであろう?」

「はい、それは学ばせていただきました」

「ここ平岡は水運が発達しているから、関など無くしても渡し船や上下の船便で人や物を運び、一族一門に商売をやらせて平岡の名物を売り、宿を経営して確実に稼ぐ事が出来るぞ」

「そうでございました! 近淡海や淀川の水運でも莫大な富を得ているのでございました!」

「何も大和川や寝屋川に限らんぞ、種子島家の領内は何所で何を商うのも自由だ、平岡神社の社家・神官家が営む船便ならば信頼もされるであろう」

「ご助言ありがとうございます! 一族一門衆と話し合い、武家・社家・商家・百姓と役割を分けて家名と血脈が残せるようにいたします」

「うむ」

中世の平岡周辺は、大阪湾から続く深田や沼地が多く、付け替え前の旧大和川の支流や寝屋川など多くの河川や深野池などの湖沼や河川があり、水運が発達しており、内陸部であるが湊があった。それらを管理することで水走氏は漁業権と水運権を確保し、御厨(皇室系荘園)を管理することで大きな力を持つ武士団へと成長していった。

最終的に水走家は強かな選択をした、種子島家の将来有望な家臣を養嗣子として迎え、城地を全て守り抜いた上に、商家を創立して商いに励んで大儲けし、社家としての官職を確保したのだ。

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