魔法武士・種子島時堯

克全

第151話琵琶湖疏水と群行の準備

1542年8月20日『京・種子島屋敷』種子島権中納言時堯・14歳

大和国の国衆・地侍・僧兵を種子島家で召し抱え戦力に取り込むことに成功した。彼らを下級指揮官として、流民や奴隷の下級兵を指揮させるようにした。そのお陰もあって、九州で近代軍学を叩き込み、激しく厳しい教練を耐え抜いた者たちを幹部とした、新生種子島家陸軍畿内方面軍は10万を超える戦力となった。

畿内軍に軍事教練を行うと同時に、彼らを動員して御所や洛中を整備した。それは鴨川・桂川を水濠として利用しつつ、水害対策堤防兼用の城壁を築いた。そして堤防兼用城壁の上は、種子島家陸軍が高速移動するための軍用道路であると同時に、馬車鉄道が物資を運ぶ事が出来るようにもした。

さらに六角を滅ぼして近江国を手に入れた後の事も考え、近淡海(琵琶湖)から京に水を引くための疎水工事も始めた。近江国大津三保ヶ崎の取水口は六角家を滅ぼしてから造るとして、蹴上や伏見のインクラインや水力発電用の基礎や設備は今から築かせた。

琵琶湖疏水が完成すれば、灌漑・上水道・水運・発電・水車の動力として利用が可能であり、特に水運が整えば、摂津湾にそそぐ淀川から琵琶湖まで、船で大量の物資を乗せ換える手間なく輸送することが可能になる。琵琶湖が若狭国と美濃国の国境近くまで使える事まで考えれば、関所を廃止し湖族を取り締まることができれば、畿内の流通革命を起こすことが出来るとまで言えるかもしれない。

日々増える兵力を活用訓練しつつ、斎宮群行に向けての準備も着々整えていた。4月上旬に装束司が任命されて神祇官の西院において装束の準備が始まったが、材料である生糸・綿花・麻・絹布・綿布・麻布に各種染料は種子島家で献納した。それだけではなく、機織りや染色や仕立てに至るまで、腕のよい職人を集め召し抱えたのも種子島家だった。

7月に入って、先遣群行の道普請と斎宮寮の再造営が進んでいない事を名目に、先遣群行1万兵に加えて、第2陣の群行2万兵を行路点検と普請の為に派遣した。同時に六角家と北畠家を筆頭に、近江国と伊勢国の国衆に頓宮の造営と道普請を勅命で厳しく命じてもらった。これで伊勢神三郡に3万の精鋭が常駐することになった。

8月に大祓使を左京・右京・五畿七道に差遣(左右京1人、五畿内1人、七道各1人の計9人)して、それぞれの担当地区を清めさせるように、各地の守護・国衆に勅命を送ってもらった。

こうやって着々と足利義晴将軍と後援者である六角家を攻め滅ぼす準備を整えたが、将軍も六角家も斎宮群行の忌みごとになるような合戦を自分から仕掛ける事も出来ず、忸怩たる思いで俺の準備を歯ぎしりする思いで見守るしか出来なかった。

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