魔法武士・種子島時堯

克全

第144話斎宮・斎院決定

1541年6月15日『京・嵯峨野』種子島権中納言時堯・13歳

俺は九条兼子が産んでくれた子に早々に名前を付ける事にした。まあ正式な名前を世間に公表することはないが、俺や兼子が呼ぶ分には構わないだろう。名前は九条家の家督を継ぐ事も考え、義兄の九条稙通禅定太閤殿下から1字を頂き、「稙時」と言う名前にした。もちろん「時」と言う字は種子島家で代々使われる通字だ。

本来九条家では、九条満家以来の慣例により、室町幕府の将軍から偏諱を賜る習慣になっていた。だが今の将軍家の力と種子島家の力を比較すれば、こちらから頭を下げて偏諱を賜る必要など全くない。稙時が元服する頃には、足利将軍家が滅んでいる可能性すらあるのだ。いや、俺が損害を気にせずに合戦を仕掛けたり、足利将軍家が無謀な合戦を仕掛けて来たら確実に滅ぼすことが出来る!

いついかなる時であろうと、敵対する勢力が攻撃を仕掛けて来たら殲滅できるように準備は怠らなかったが、それが相手にも分かったのか何事もなく季節は過ぎて行った。

年末年始の朝廷行事も無事に過ぎ、春を迎えようとした頃に1つの重大案件が朝廷内で持ち上がった。それは俺が完全に支配下に置いた伊勢神宮に斎宮を送ると言う事だった。

俺の資金援助があるのだから、無理に皇女を巫女にして伊勢に送ることもないのだが、朝廷としたら復興した事を諸国の守護や国衆・地侍に見せつけたいのだろう。いやそれだけではなく、斎宮寮を復活させる事が出来れば、多くの公家に官職を与える事が出来る。特に最高位が女性だから、お付きとして多くの公家子女が就職できるのだ。

後土御門天皇の第1皇女で大聖寺門跡の覚鎮女王、第2皇女で大慈光院門跡の覚音女王、御上の第5皇女の普光女王、伏見宮貞敦親王の安禅寺門跡予定の恵彭女王や中宮寺門跡予定の尊智女王など幾人かの候補者がいたのだが、今後内親王宣下を受けた上で降嫁する事も可能な普光女王・恵彭女王・尊智女王は早々に候補から外れられた。

いや幼いうちに斎宮になられて、退下されてから皇族と結婚したり降嫁する事も可能なのだが、その場合は身近に皇族がいた方がいいので、普光女王・恵彭女王・尊智女王のお三人は賀茂神社の斎院として、京に留まったまま格を上げることにした。

覚鎮女王と覚音女王は内親王宣下をお受けになられて、格をあげてから伊勢に下向し斎宮になられる事になったが、今上帝の崩御或いは譲位の際や斎宮の父母や近親の死去による忌喪、潔斎中の密通などの不祥事、また斎宮の薨去による退下する可能性もある。

万が一の場合は、普光女王・恵彭女王・尊智女王が賀茂神社の斎院を退下なされ、改めて伊勢神宮の斎宮となられて継続的に伊勢の領地と戦力を皇室・朝廷が持ち続ける決意を固められた。

「魔法武士・種子島時堯」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「歴史」の人気作品

コメント

コメントを書く