魔法武士・種子島時堯

克全

第130話伊勢神宮

1540年9月11日『伊勢国・伊勢神宮上空』種子島権中納言時堯・12歳

「よいかよく聞け、今後一切伊勢に参る道に関所を立てることは許さん!」

「「「「「はっは~」」」」」

(文明年間、伊勢国内には「岡本の番屋」を含めて約120ヶ所の関所があった)

「北畠家が押領している伊勢国度合郡・多家郡・飯野郡は、今後は伊勢神宮神領として私が預かる!」

「「「「「はっは~」」」」」

100トン級のシロナガスクジラを下から支えながら伊勢神宮の上空に滞空し、地上に集まった内宮・外宮の神官・禰宜一族と、神領に住む主だった神人(領民)を脅しつけた。御上からの勅命を届けるときに、先に脅かして集まるように命じた北畠一族も平伏している。

俺は御上の相談を受けて伊勢神宮の改革に携わることになった。

神官や禰宜が堕落し北畠家の家臣化してしまい、御上や朝廷の意向を無視する伊勢神宮を朝廷の支配下に置く。そのためには経済的に困窮している神官・禰宜の一族の末端にまで恩恵を与えなければならないし、同時に圧倒的な武力を見せ付けて威圧しなければならない。

紀伊の津田殿にも協力してもらい、九州から伊勢国度合郡・多家郡・飯野郡に将兵を輸送してもらった。今種子島家が直接多くの兵を畿内に移動させるのは、不必要に戦争を誘発する可能性がある。だが根来寺の宗教的影響力と紀伊一国と和泉半国の戦力は畿内では強大だ、津田殿と種子島家を同時に敵に回そうという者は少ない。

神嘗祭をいい機会として、神装束・日常の衣服・扶持を与えて、国衆・地侍・神人を俺の家臣化した上で神三郡の土地から切り離す。神懸り的な圧倒的な力を見せ付けた後だったから、彼らを素直に家臣に加えることが可能だった。

この頃の伊勢神宮は、外宮神主の度会一族と内宮禰宜の荒木田一族が、自分たちが祭る宮のほうが上だと主張して争っていたが、明徳から慶長までのおよそ200年間に紛争は十数回に及び、1486年頃には伊勢国司・北畠家が介入し、仁木義長以来例を見なかった「宮川」以東の「神域」に兵馬を進め、外宮を兵火で炎上させる暴挙までにいたっている。

どうやら北畠家が外宮の山田地区と内宮の宇治地区の領民を争わせ、その戦乱に乗じて伊勢神宮、神三郡を押領したのだろう。今回はこの三郡を北畠家から取り返すだけにするが、後々は神八郡の残り五郡(飯高郡・安濃郡・三重郡・朝明郡・員弁郡)も取り返す!

日本各地に伊勢信仰を広めたのは御師と言う者で、平安末期頃からの御祈祷師が室町時代に御師とよばれるようになり、神宮と信者の間をとりもって祈祷や奉幣をしていた。また、御厨や御薗についても権力者と神宮との仲介役であった。

御師は全国をめぐって、神宮信者の檀家を次々と増やしていった。檀家を訪問する時は、大麻(おおぬさ)「神宮の御札」、伊勢暦のほか、伊勢みやげとして茶、のり、あわびなどの干貝、布、紙、帯などを配布し、檀家からは初穂料をもらった。これが御師の重要な収入源となっていた。

こうして、「お伊勢さん」信仰は武士には戦勝の神として、農民には豊穣神として、商工人層には商売繁昌の守り神として広がっているのだが、俺は神が実際に現世に直接介入することはないと思っている。あるとしたら俺のような者を転生させたり転移させたりして、間接的に介入することだろう、そうとでも考えなければ俺の存在を説明できなくなる。

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