魔法武士・種子島時堯

克全

第52話平戸島占領

1537年1月『肥前国・佐世保城』種子島左近衛将監時堯・9歳

俺たちはいったん佐世保城に入って平戸島・五島列島などの島々を攻略する準備に入った。支配下に入った肥前国海賊衆の関船・小早船を利用することで、島々に輸送できる兵力を増やすと共に、同じく支配下に入った漁民に最新の漁網を貸し与え技術指導を行い、漁獲量を増やして食料生産力を向上させた。その上で漁業に専念させていた、小早船で編成した第13艦隊を渡航用に移動させた。

佐世保城は、松浦一党の本家筋である相神浦松浦家の松浦丹波守政の支配下にあったが、分家筋に当たる平戸松浦家の松浦弘定に攻められ自害に追い込まれていた。息子の松浦丹後守親も母親と一緒に捕虜として平戸につれさられてしまった。

松浦丹後守親は母と共に今福の歳の宮に参詣したところを旧臣たちに救出され、有田の唐船城へ入城し旧臣たちの支えを受け成長し、相神浦で兵を上げ大智庵城や武辺城を奪回し、松浦弘定への対抗勢力となったが龍造寺家兼の仲介で松浦弘定と和睦した。

更に長い年月をかけて叔父・少弐資元にも協力してもらい、室町幕府から平戸松浦家に今福・有田・相神浦を返還するように命じてもらった。松浦丹後守親は旧領を回復したが。今後の事も考え少弐家との関係を強固にするため、資元の子である鎮を養子に迎えていた。

佐世保城を預かっていたのは赤崎伊予守なのだけれど、こいつは相神浦松浦家と言う事になっているけれど、利害や戦力差によっては平戸松浦家や他の敵に寝返る事をためらわないだろう。

このような事はあくまで1つの例でしかなく、この世界この時代はどこもかしこも親兄弟一族が相争っている。同じ両親から産まれた兄弟であっても、家の跡目を争って戦うのが当たり前であり、卑怯な奴は毒を使って親兄弟を殺してしまう。

こんな血で血を洗う時代を終わらせるためには、多少の殺傷も仕方ないと決意して戦いに身を置いているが、今回の肥前侵攻では表向き1人の死者も出す事無く済んでいる。ここで海難事故で死者を出す訳にはいかないから、海の荒れかたには細心の注意を払って渡航しなければならない。

まずは平戸松浦家を心底憎んでいる松浦丹後守親を先鋒に任命し、他の肥前国海賊衆を寄騎として渡航させた。松浦興信も最初は平戸島に籠れば何とかなると思っていたようだが、総計5万兵に膨れ上がった種子島軍に圧倒され、一族一門譜代衆も次々と離反したため、一戦もする事無く降伏臣従してきた。

これによって五島列島を除く肥前国は種子島家の領土となった。

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