転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦

克全

第231話:一八四六年、イギリス本土上陸戦1

 イギリス本土艦隊壊滅の報告を受けた俺は、急いでイギリス本土上陸作戦実行を命じたのだが、連絡のやり取りにはそれなりの時間がかかってしまった。
 船で日本から欧州や北アメリカに命令を伝えるには長い時間が必要だ。
 だが伝書鳩と旗振り通信の組み合わせなら大きく時間を短縮できる。
 大筋の命令を与え、多くの権限を与えた現地司令官に任せればいい。
 有難いことに松前松平家からの古参家臣はとても優秀だ。

 それでも欧州と北アメリカ大西洋沿岸では伝わる時間が大きく違った。
 地中海北アフリカ沿岸部の方が早く伝わり、北アメリカ大西洋沿岸には遅く伝わったが、それが逆に功を奏した。

 欧州に逃げ出していた非アングロサクソンと欧州の貧民でイギリス本土上陸軍を編成した上で、イギリス海峡とドーバー海峡から攻めるように見せかけた。
 そういう情報をイギリスに近いスペイン、ポルトガル、フランス、オランダの貴族から流して、イギリスの残存艦艇と陸軍をフランスの対岸に誘導した。

 イギリスも馬鹿ではないから、地中海から徳川海軍の艦隊や私掠船団が襲ってくる事は分かっていたのだろう。
 だがそれでも目の前にある危機を見逃す事はできない。
 徳川家がイギリス海峡やドーバー海峡の造船所で建造されている艦船を、正当な価格の二倍三倍で購入して上陸軍を編成しているのだ。
 見過ごせば沿岸部の貴族や地主がイギリス王家から離反しかねない。

 徳川海軍地中海艦隊は、イギリスの目をフランス側に引き付けておいて、守備隊がほとんどいないビデフォードに強行上陸した。
 これ以上ブリストル海峡を進めば、沿岸砲台から迎撃される危険があるので、ビデフォードを拠点にコーンウォール半島を制圧して、イギリス本土攻略の拠点とした。
 トーリッジ川とデイビー川を防衛線にイギリス陸軍を迎え討つ体制を急いで築く。

 イギリスは直ぐに徳川軍を海に追い落としたかっただろう。
 だがイギリスは直ぐには陸軍をフランスの対岸から動かす事ができなかった。
 イギリス側がフランスの対岸から兵力を移動させたら、フランス沿岸部から非アングロサクソンで編制された上陸軍が渡ってくる。
 イギリス海峡とドーバー海峡とても狭い海峡だ。
 頃合いの風向きを選んで上陸作戦を実行すれば、アッとゆう間に上陸を成功させることができるのは、イギリスも分かっている。

 それを防ごうとすれば、スコットランドから兵力を集めなければいけない。
 ウエールズはコーンウォール半島に近いのだが、徳川海軍が上陸させた部隊が多過ぎて、ウエールズの戦力だけでは勝てそうになかったのだ。
 だが徳川軍も慎重で、十分な拠点が築けず兵力が整わない状態で侵攻したりはしなかったので、決戦が始まる事はなかった。

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