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克全

第219話:一八四四年、オーストリア帝国侵攻

 徳川軍は同時多発的に戦線が広がっていた。
 北アフリカ戦線とスペイン戦線で戦うだけでなく、ペルシア帝国に攻撃を仕掛けさせて戦線を広げるだけでなく、オーストリア帝国には自ら侵攻した。
 だがこれでも最盛期よりは楽になっている。
 北アメリカで戦っていた時はもっと大変だった。
 むしろ地中海沿岸と北欧と中東という近場になったと言える。
 何といってもほぼ陸続きで太平洋を間に挟んでいるわけではないのだ。

 オーストリア帝国に攻め込んだ軍勢は、一番の中核に松前藩の最精鋭部隊を置き、最新最強の武器を装備させている。
 最悪の場合はプロイセン軍と戦う可能性があるからだ。
 その時のためにドライゼ銃とミトラィユーズ砲に大型火箭まで配備させてある。
 だからプロイセン軍と正面から戦うことになっても勝てるはずだ。

 松前藩部隊の脇を固めるのは、エミエー銃と大型火箭に砲車を配備した、武士だけで編制した最優秀の幕臣部隊や三百諸侯部隊なのだ。
 彼らだけでもプロイセン軍と互角に戦えるとは思うが、基本は予備部隊だ。
 武器を盗んで横流しする可能性のある清国人は一人もいない。
 コサックやトルクメン、蒙古人などの現地人も一人もいない。
 彼らを信用していない訳ではないが、最新鋭武器が敵に知られるのは遅ければ遅い方がいいので、仕方なくこういうことになった。

 ウクライナ方面からカルバート山脈を越えてハンガリーに侵攻した二十万の徳川軍は、怒涛の勢いでハンガリーのオーストリア帝国軍残党を殲滅した。
 ハンガリーの大半はオスマン帝国に割譲することになっている。
 徳川家が領有するのは鉄道などの陸路を確保するための領地だけだ。

 いや実際にはこれも嘘だ。
 本当はハンガリー領を使う必要はなかった。
 安全確保のためには、例え相手が同盟国のオスマン帝国であろうと、回廊となる領地はできるだけ幅があった方がいい。
 簡単に分断されるような細い領地では困るのだ。

 歴史的に多くの国が取りあうことになったウクライナのザカルパッチャ州がある。
 歴史的にはカルパティア・ルテニアと呼ばれた地方なのだが、ここを通過すればチェコ共和国、スロバキア共和国と通過してオーストリア帝国に味方したドイツ各国に攻め込むことができるのだ。

 カルパティア・ルテニアと呼ばれた地方は、ハプスブルク帝国、オスマン帝国、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の成立後の帝国内のハンガリー王国、チェコスロバキアと統治する国が変遷している。
 力さえあれば徳川家が統治者に成ってもおかしくはない。
 ようは領民国民の生活を豊かにできるかどうかだ。

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