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克全

第215話:一八四四年、オスマン帝国1

 まずはオスマン帝国の版図から考えておこう。
 オスマン帝国の最大に勢力を広げていた時代は、現在の国で言うとギリシャ、アルバニア、モンテネグロ、コソボ、北マケドニア、ブルガニア、ボスニア、セルビア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバなどが属国や属州になっていた。

 だが今はオーストリア帝国の版図となっている所や、欧米列強の介入で半独立状態になっている地域もある。
 オーストリア帝国の領地は神聖ローマ帝国の一部とされていたオーストリア大公国、ボヘミア王冠領(チェコ)、ザルツブルク公国、ケルンテン公国、チロル地方などが領地の中核となっている。
 ポーランド王国分割時に奪ったガリツィア、ブコヴィナ(ガリツィア・ロドメリア王国)は現在はポーランド・リトアニア王国に奪還されている。
 それとイタリア方面のロンバルド=ヴェネト王国はハプスブルク家の分家がトスカーナ大公国として支配していたが、現在はイタリアの内戦に巻き込まれて激戦を繰り広げていて大変な状況だ。

 オスマン帝国との戦争で問題となっているのは、一度はオスマン帝国の支配下となっていたハンガリー王国の大部分、トランシルヴァニア、クロアチア、イストリア、ダルマチアといった領地だった。

 俺の提案を受け入れたマフムト二世の後継者アブデュルメジト一世が、ムスタファ・レシト・パシャの補佐を受けてバルカン半島侵攻時の略奪を禁じた。
 同時にバルカン半島の住む各民族の代表を集めて領地割を話し合わせた。
 前提がオスマン帝国を宗主国と認めた上での独立採算の属国、属州待遇だった。
 軍事同盟締結と軍役負担、外交権の放棄は最低条件だが、比較的受け入れやすい条件を提示した事が破竹の侵攻となっている。

 オスマン帝国としても、アフリカ各国に対してはムスリムの盟主的立場でいたし、アルジェリアの都市や地域にも独立採算の半独立属州を認めていた過去があるので、国内の反対勢力を抑えやすかったのだろう。
 宗教的対立や民族対立は国内の治安悪化に直結するので、丁寧に不満を吸い上げて民族州や宗教州、民俗村や宗教村といった住み分けを提案したのだ。
 
 それにバルカン半島を民族や宗教によって細切れの小国に分けることができれば、オスマン帝国に反抗する大勢力になり難いとも提案した。
 そしてオスマン帝国本土で宗教や民族で対立孤立する者は、同じ宗教や民族の者がバルカン半島に建国した属国に送ればいいとも提案した。
 それがオスマン帝国に侵攻を決断させたのだろう。

 今現在オスマン帝国はギリシャ、アルバニア、モンテネグロ、コソボ、北マケドニア、ブルガニア、ボスニア、セルビア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバなどを属国として独立する事を認めた事で、過去の最大版図にまで戻っていた。
 バルカン半島の属国が侵攻軍に加わった事で、百万の大軍となったオスマン帝国軍はウィーンを包囲している。

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